婚約破棄された瞬間、隣国の王子が「その人、僕がもらいます」と言った

ほーみ

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婚約破棄された瞬間、隣国の王子が「その人、僕がもらいます」と言った

「――メアリー・グランツ。お前との婚約は破棄する」

王城の大広間に響いたその声に、空気が凍りついた。
周囲にいた貴族たちがざわめき、侍女たちが息を呑む。
私――メアリーは、胸の奥がきゅっと痛んだ。
けれど、それでも背筋を伸ばして、婚約者である王太子エドガーをまっすぐ見据えた。

「……理由を、お聞かせ願えますか?」
声は震えなかった。
この日のために、何度も覚悟していたから。

エドガーは、わざとらしくため息をつく。
「お前は冷たい。貴族としては完璧だが、妻としては魅力がない。僕は心の通う女性と生きていきたいのだ」

そう言って、彼の隣に立つ女――侯爵令嬢リリアナの手を取った。
金糸の髪、涙に濡れたような碧い瞳。誰が見ても“可憐な令嬢”だ。

「殿下……」とリリアナが震える声を出す。
「わたくしのせいでメアリー様を傷つけてしまうなんて……でも、わたくし、殿下をお慕いしてしまいましたの」

――あぁ、茶番。
ここまで完璧な“筋書き”を用意していたのね。

私は小さく息を吸い、微笑んだ。
「そう……それが殿下のお望みなら、従いますわ」

ざわめきが広がる。
“王太子妃”という立場を、あっさりと手放す女に、周囲は信じられないという顔をしている。
だけど、私はもう疲れていた。
策略にまみれた王宮も、エドガーの気まぐれも、全て。

――そう、これでいい。
ようやく自由になれるのだから。

だが、その時。
重く響く扉の音が大広間を貫いた。

振り返ると、そこには漆黒の軍装をまとった青年が立っていた。
端正な顔立ち、銀の髪に深紅の瞳――異国の香りを漂わせるその男に、誰もが息をのむ。

「……ルシアン殿下?」
ざわめきの中、誰かが名を呟いた。
彼は隣国ベルセルク王国の第二王子――ルシアン・ヴァルド・ベルセルク。

噂に聞く“冷酷王子”だ。
外交の席でも感情を見せないことで知られている。
そんな彼が、今、なぜこの場に?

エドガーが苛立たしげに言う。
「ベルセルクの王子。貴国の賓客として招いたが、これは我が国の内政だ。口出しは無用だぞ」

ルシアンは一歩、二歩と前に出た。
その足取りは静かで、けれど確固としていた。
そして、彼は私の前に立つと――まっすぐエドガーを見据えた。

「いいや、口を出させてもらう」
「なに……?」
「その人――メアリー・グランツ嬢を、僕がもらいます」

瞬間、時が止まった。

「なっ……!?」
「ル、ルシアン殿下!? な、何を――」
リリアナが悲鳴のような声を上げる。

けれど、ルシアンは微動だにしない。
彼の瞳が、真っ直ぐに私を捉えていた。
その視線に、息を飲む。

「メアリー嬢。あなたの婚約は破棄された。ならば、僕と婚約してほしい」
「……え?」

理解が追いつかない。
今、何を言われたの?
まるで夢の中みたいだ。

「ちょ、ちょっと待て! 勝手な真似を――」とエドガーが怒鳴る。
だがルシアンは静かに切り捨てるように言った。

「あなたが破棄を告げた瞬間、彼女は自由だ。
自由な女性に求婚するのは、王子としても、男としても何らおかしくはないだろう?」

大広間に再びざわめきが起こる。
“冷酷王子”と呼ばれる男が、まさかこんな大胆な行動をとるとは。
しかも、王太子が捨てた婚約者に――。

私は呆然としたまま、彼の紅い瞳を見つめた。
その奥には、確かな熱があった。
まるで、ずっと前から私を見ていたかのような――。

「メアリー嬢、答えを聞かせてくれ」
「……どうして、私なんかに?」
気づけば、震える声が漏れていた。

ルシアンは一瞬だけ、微笑んだ。
その笑みは氷を溶かすように優しい。
「“なんか”じゃない。僕は、あなたを見ていた。
貴族の仮面の下で、誰よりも誇り高く、そして誰よりも傷ついていたあなたを」

――心臓が跳ねた。

周囲のざわめきが、遠くに消えていく。
彼の声だけが、胸の奥に落ちていく。

「……答えは、今じゃなくていい」
ルシアンはそう言い、私の手を取って軽く口づけた。
その瞬間、エドガーの顔が真っ赤に染まる。

「貴様っ……っ! 不敬だぞ!」
「不敬? では、殿下が婚約者を公衆の面前で辱めたことはどう呼ぶ?」
「なっ――」
言葉を失うエドガーに、ルシアンは冷ややかな微笑を浮かべた。

「国同士の礼を欠く行為には、相応の代償を払ってもらう。……覚えておくといい」



その夜。
私はルシアンの滞在する離宮に呼ばれた。
彼の言葉の真意を、どうしても確かめたかった。

「……殿下。本気であのようなことを?」
彼はワインを注ぎながら、穏やかに頷く。
「もちろん。本気だ」
「でも、私のことなんて、ほとんどご存じないでしょう?」
「知っているさ。エドガーが君をどう扱っていたかも」

ワインの赤が、彼の瞳に映る。
「……君があの男に相応しくないのではない。
あの男が、君に相応しくなかっただけだ」

胸の奥が熱くなった。
そんな言葉、誰にも言われたことがなかった。

「僕の国に来ないか? 一時的でも構わない。
このままこの国にいては、彼らに利用されるだけだ」

「……でも、そんなことをしたら、国際問題に――」
「構わない。僕は、君を守るためなら何でもする」

その瞳には、迷いがなかった。
王族としての計算ではなく、一人の男のまっすぐな情熱があった。

――どうして。
どうして、こんなに優しくするの。

胸の奥でざらついた何かが溶けていく。
あの日からずっと張りつめていた心が、少しずつ解けていく。

けれど、同時に怖くなった。
もう誰かを信じて、また裏切られるのが。

「……殿下。私、まだ……信じる勇気がありません」
「それでいい。焦らなくていい」
ルシアンは微笑み、そっと私の髪を撫でた。
「君が僕を信じられるようになるまで、何度でも証明しよう」

その言葉に、涙がこぼれそうになる。
――でも、その優しさに甘えたら、もう戻れない。
心の奥でそう思った。



翌朝、王城では大騒ぎになっていた。
「隣国の王子が、元婚約者を攫った」
「外交問題になるのでは?」
「王太子殿下は、激怒しておられるそうです!」

メアリー・グランツの名が、国中に広がっていく。
“王太子に捨てられた女”から――“隣国王子に選ばれた女”へ。

そして、私はルシアンの馬車に揺られながら、王都を離れていた。
窓の外に見える景色が、少しずつ遠ざかっていく。

「これでいいのか?」とルシアンが静かに尋ねる。
私は、少し考えてから答えた。

「まだ、わかりません。でも……あのままよりは、ずっといいと思います」

ルシアンの唇がわずかに弧を描く。
「なら、正解だ」

――こうして、私の“婚約破棄”は終わり、
“新しい物語”が始まった。

けれど、まだ知らない。
この先、ルシアンがどれほどの覚悟で私を選んだのかを。
そして、エドガーが“失ったもの”の大きさに気づくのが、どれほど遅いのかを――。
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