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王都セイクリアに到着してから一週間。
メアリーは王妃に付き添われ、少しずつ新しい生活に慣れていった。
朝は礼儀作法の講義、昼は服飾の打ち合わせ、夜はリアンと共に食卓を囲む。
まるで夢のような日々――けれど、どこか現実味がなかった。
彼の視線はいつも優しくて、けれど深すぎて、逃げ場がない。
笑顔の裏にある感情が見えないからこそ、怖い。
愛されることが、こんなに息苦しいなんて知らなかった。
「メアリー」
リアンが声をかける。
夜の部屋には月光が差し込み、彼の白金の髪が光を受けて輝いていた。
「明日の夜会のことですが……準備は順調ですか?」
「ええ。王妃様からもご指導をいただいています。……でも」
「でも?」
「出席者の中に、アレクシス王太子もいると聞きました」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに変わった。
リアンは笑った。けれどその微笑みは、氷のように冷たい。
「そうですよ。外交上、避けられませんからね。彼の視線の先に、あなたがいるのは当然でしょう」
「……リアン様」
「怖いですか?」
「少しだけ。でも……あなたがそばにいてくだされば」
そう言った瞬間、リアンがメアリーの手を取り、指先に軽く唇を触れさせた。
「どんな場所でも、あなたは僕の隣に立つ。それを忘れないで」
低く囁く声に、背筋がぞくりと震える。
まるでその言葉そのものが鎖のように感じた。
夜会の日は、驚くほど華やかだった。
大理石の広間に、百を超える貴族が集まっている。
煌びやかなシャンデリアの光が揺れ、音楽が優雅に流れる。
メアリーは深紅のドレスを身にまとい、リアンの腕に手を添えた。
周囲の視線が、彼女に集まる。
――好奇、嫉妬、軽蔑、そして憧れ。
さまざまな感情が混ざり合った視線を、彼女は静かに受け止めた。
「堂々としていて、素敵ですよ」
リアンの声が耳に届く。
その優しさに、メアリーはかすかに笑みを返した。
けれど、視線の端に見えたひとりの男に、心臓が跳ねた。
――アレクシス王太子。
以前より少し痩せたように見える。
けれど、その瞳には強い焦燥と悔恨が宿っていた。
彼の視線がまっすぐにメアリーを射抜いた。
「……メアリー」
人々のざわめきの中、彼の唇がそう動いた。
メアリーは目をそらそうとしたが、リアンの指が彼女の腰を軽く引き寄せる。
「見なくていい。あなたが見るべきのは、僕だけです」
「……っ」
「ねぇ、メアリー。笑って」
リアンが優しく言い、彼女の頬に手を添えた。
人々の前で――まるで恋人を慈しむように。
その行為は明らかな宣言だった。
『彼女は僕のものだ』という、誰もが理解する愛の示威。
アレクシスが苦しげに拳を握るのが見えた。
ざまぁ、と思う自分がいた。
けれど同時に、胸の奥で小さな痛みが芽生える。
(私は……こんな復讐を、望んでいたの?)
リアンが微笑み、耳元で囁く。
「ほら、見て。あの男、あなたを手放したことを今さら後悔してる。
でももう遅い。あなたは、僕と踊る」
リアンが手を取り、ダンスの輪へと導く。
音楽が流れ、二人は優雅に回る。
その動きは完璧で、まるで絵画のようだった。
「リアン様……人々が見ています」
「いいじゃないですか。僕は見せびらかしたいんです」
リアンが囁く。
「あなたを奪ったことを、世界中に」
その言葉が甘く響くほどに、心が締め付けられた。
彼の愛が深ければ深いほど、逃げ場がなくなる。
曲が終わり、拍手が広がる。
リアンはメアリーの手を握ったまま、アレクシスの前に歩み寄った。
「久しぶりですね、アレクシス殿下。外交の場で会うとは思いませんでした」
「……リアン王子。彼女を――メアリーを、どうするつもりだ」
「どうするつもり? 僕の婚約者として、迎えるだけですよ」
「彼女は――っ!」
アレクシスが声を荒げる。
その瞬間、周囲の空気が張り詰めた。
リアンの笑みが静かに消える。
「彼女は、あなたのものではない。
あなたが踏みにじった愛を、今さら拾い直せると思っているんですか?」
「違う……あの時は、そうするしかなかったんだ……っ! 父上に逆らえなかった!」
「言い訳ですね」
リアンの声は低く冷たい。
「どんな理由があっても、彼女を泣かせた事実は変わらない。あなたの“愛”は、彼女を守れなかった」
メアリーの胸がざわつく。
リアンの正義が、あまりに鋭くて――誰も反論できない。
「リアン様、もう……」
彼の袖をそっと引いた。
けれどリアンは、アレクシスを見据えたまま続ける。
「僕はあなたに感謝してるんですよ」
「……感謝?」
「あなたが彼女を手放してくれたおかげで、僕は人生で初めて“欲しい”と思うものに出会えた。
だから、せいぜい後悔し続けてください。自分が何を失ったのか、理解できるまで」
アレクシスの表情が崩れる。
まるで全ての希望を奪われたように。
その姿を見た瞬間、メアリーの胸が痛んだ。
リアンの言葉は間違っていない。けれど――あまりにも残酷だった。
夜会のあと。
メアリーは一人、バルコニーに出て冷たい風に当たっていた。
遠くで笑い声と音楽がまだ続いている。
けれど心の中は静まり返っていた。
(私は、何をしてるの……?)
アレクシスが苦しむ姿を見て、少しだけ胸がすっとした。
でもその直後、空っぽになった。
ざまぁを果たしても、心は軽くならない。
むしろ――リアンに縛られていく感覚が強くなる。
「メアリー」
背後から声がした。
振り向くと、リアンが立っていた。
金色の瞳が月光を映し、静かに輝いている。
「……逃げたくなりましたか?」
その問いに、息を呑む。
まるで心を読まれたようだった。
「私は……ただ、少し疲れただけです」
「そうですか。なら、もう少しだけこの腕の中で休んでください」
リアンがそっと抱き寄せる。
その抱擁は温かいのに、どこか息苦しい。
逃げられない、と本能が告げていた。
「あなたがいれば、僕は何もいらない。
でも――あなたが僕から離れようとするなら、きっと、僕は壊れる」
その言葉が、優しさに包まれた警告のように響いた。
メアリーの心が凍りつく。
(この人は……どこまで私を愛しているの? それとも、支配しているの?)
リアンの指が彼女の頬をなぞり、唇に触れる寸前で止まる。
「あなたは僕のものだ。それを、もう一度、言ってください」
メアリーは震えながら目を閉じた。
彼の瞳の奥にある“愛”が、少しずつ狂気に変わっていくのを感じながら。
遠くで、アレクシスの馬車が夜の闇に消えていった。
――彼もまた、あきらめてはいなかった。
この恋はまだ終わらない。
誰の愛が真実で、誰の愛が呪いなのか――
メアリーは王妃に付き添われ、少しずつ新しい生活に慣れていった。
朝は礼儀作法の講義、昼は服飾の打ち合わせ、夜はリアンと共に食卓を囲む。
まるで夢のような日々――けれど、どこか現実味がなかった。
彼の視線はいつも優しくて、けれど深すぎて、逃げ場がない。
笑顔の裏にある感情が見えないからこそ、怖い。
愛されることが、こんなに息苦しいなんて知らなかった。
「メアリー」
リアンが声をかける。
夜の部屋には月光が差し込み、彼の白金の髪が光を受けて輝いていた。
「明日の夜会のことですが……準備は順調ですか?」
「ええ。王妃様からもご指導をいただいています。……でも」
「でも?」
「出席者の中に、アレクシス王太子もいると聞きました」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに変わった。
リアンは笑った。けれどその微笑みは、氷のように冷たい。
「そうですよ。外交上、避けられませんからね。彼の視線の先に、あなたがいるのは当然でしょう」
「……リアン様」
「怖いですか?」
「少しだけ。でも……あなたがそばにいてくだされば」
そう言った瞬間、リアンがメアリーの手を取り、指先に軽く唇を触れさせた。
「どんな場所でも、あなたは僕の隣に立つ。それを忘れないで」
低く囁く声に、背筋がぞくりと震える。
まるでその言葉そのものが鎖のように感じた。
夜会の日は、驚くほど華やかだった。
大理石の広間に、百を超える貴族が集まっている。
煌びやかなシャンデリアの光が揺れ、音楽が優雅に流れる。
メアリーは深紅のドレスを身にまとい、リアンの腕に手を添えた。
周囲の視線が、彼女に集まる。
――好奇、嫉妬、軽蔑、そして憧れ。
さまざまな感情が混ざり合った視線を、彼女は静かに受け止めた。
「堂々としていて、素敵ですよ」
リアンの声が耳に届く。
その優しさに、メアリーはかすかに笑みを返した。
けれど、視線の端に見えたひとりの男に、心臓が跳ねた。
――アレクシス王太子。
以前より少し痩せたように見える。
けれど、その瞳には強い焦燥と悔恨が宿っていた。
彼の視線がまっすぐにメアリーを射抜いた。
「……メアリー」
人々のざわめきの中、彼の唇がそう動いた。
メアリーは目をそらそうとしたが、リアンの指が彼女の腰を軽く引き寄せる。
「見なくていい。あなたが見るべきのは、僕だけです」
「……っ」
「ねぇ、メアリー。笑って」
リアンが優しく言い、彼女の頬に手を添えた。
人々の前で――まるで恋人を慈しむように。
その行為は明らかな宣言だった。
『彼女は僕のものだ』という、誰もが理解する愛の示威。
アレクシスが苦しげに拳を握るのが見えた。
ざまぁ、と思う自分がいた。
けれど同時に、胸の奥で小さな痛みが芽生える。
(私は……こんな復讐を、望んでいたの?)
リアンが微笑み、耳元で囁く。
「ほら、見て。あの男、あなたを手放したことを今さら後悔してる。
でももう遅い。あなたは、僕と踊る」
リアンが手を取り、ダンスの輪へと導く。
音楽が流れ、二人は優雅に回る。
その動きは完璧で、まるで絵画のようだった。
「リアン様……人々が見ています」
「いいじゃないですか。僕は見せびらかしたいんです」
リアンが囁く。
「あなたを奪ったことを、世界中に」
その言葉が甘く響くほどに、心が締め付けられた。
彼の愛が深ければ深いほど、逃げ場がなくなる。
曲が終わり、拍手が広がる。
リアンはメアリーの手を握ったまま、アレクシスの前に歩み寄った。
「久しぶりですね、アレクシス殿下。外交の場で会うとは思いませんでした」
「……リアン王子。彼女を――メアリーを、どうするつもりだ」
「どうするつもり? 僕の婚約者として、迎えるだけですよ」
「彼女は――っ!」
アレクシスが声を荒げる。
その瞬間、周囲の空気が張り詰めた。
リアンの笑みが静かに消える。
「彼女は、あなたのものではない。
あなたが踏みにじった愛を、今さら拾い直せると思っているんですか?」
「違う……あの時は、そうするしかなかったんだ……っ! 父上に逆らえなかった!」
「言い訳ですね」
リアンの声は低く冷たい。
「どんな理由があっても、彼女を泣かせた事実は変わらない。あなたの“愛”は、彼女を守れなかった」
メアリーの胸がざわつく。
リアンの正義が、あまりに鋭くて――誰も反論できない。
「リアン様、もう……」
彼の袖をそっと引いた。
けれどリアンは、アレクシスを見据えたまま続ける。
「僕はあなたに感謝してるんですよ」
「……感謝?」
「あなたが彼女を手放してくれたおかげで、僕は人生で初めて“欲しい”と思うものに出会えた。
だから、せいぜい後悔し続けてください。自分が何を失ったのか、理解できるまで」
アレクシスの表情が崩れる。
まるで全ての希望を奪われたように。
その姿を見た瞬間、メアリーの胸が痛んだ。
リアンの言葉は間違っていない。けれど――あまりにも残酷だった。
夜会のあと。
メアリーは一人、バルコニーに出て冷たい風に当たっていた。
遠くで笑い声と音楽がまだ続いている。
けれど心の中は静まり返っていた。
(私は、何をしてるの……?)
アレクシスが苦しむ姿を見て、少しだけ胸がすっとした。
でもその直後、空っぽになった。
ざまぁを果たしても、心は軽くならない。
むしろ――リアンに縛られていく感覚が強くなる。
「メアリー」
背後から声がした。
振り向くと、リアンが立っていた。
金色の瞳が月光を映し、静かに輝いている。
「……逃げたくなりましたか?」
その問いに、息を呑む。
まるで心を読まれたようだった。
「私は……ただ、少し疲れただけです」
「そうですか。なら、もう少しだけこの腕の中で休んでください」
リアンがそっと抱き寄せる。
その抱擁は温かいのに、どこか息苦しい。
逃げられない、と本能が告げていた。
「あなたがいれば、僕は何もいらない。
でも――あなたが僕から離れようとするなら、きっと、僕は壊れる」
その言葉が、優しさに包まれた警告のように響いた。
メアリーの心が凍りつく。
(この人は……どこまで私を愛しているの? それとも、支配しているの?)
リアンの指が彼女の頬をなぞり、唇に触れる寸前で止まる。
「あなたは僕のものだ。それを、もう一度、言ってください」
メアリーは震えながら目を閉じた。
彼の瞳の奥にある“愛”が、少しずつ狂気に変わっていくのを感じながら。
遠くで、アレクシスの馬車が夜の闇に消えていった。
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