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母から届いた手紙を読み終えたアリシアは、深く息をついた。
――王女エルヴィラが自分を「王国の敵」と見なしている可能性。
そしてその背景に、ユリウスがいるということも。
(まだ……追われているのね、私)
ローランの隣でようやく笑えるようになったのに。自分の気持ちに素直になれたばかりなのに。
まるで、幸せが芽吹くたびに誰かの手で摘まれてしまうようだった。
「どうした?」
ふと、背後からローランの声がした。
アリシアは慌てて手紙をたたんだが、彼の鋭い目はすでに何かを察している。
「……母から、手紙が届いたの。王都で、噂が広がっているらしいわ。“辺境の英雄が、かつての令嬢を籠絡し、国を乱そうとしている”って」
「……やっぱりな」
ローランは静かに頷き、彼女の手から手紙を受け取る。
目を通し終えると、彼は苦笑のような息をついた。
「“籠絡”ってな。笑わせる。お前の方が、よほど俺の心を奪ってるってのによ」
「もう……からかわないで」
アリシアはそう言いつつも、肩の力がふっと抜けた。
いつだって、彼の言葉は自分の恐怖を和らげてくれる。
「でも……これが事実なら、きっと、王都は本気で私たちを潰しにくるわ。私が、どれだけ身を引こうとしても、もう“敵”として見なされている」
その言葉に、ローランは少し黙った。
だがすぐに、迷いのない目で彼女を見つめる。
「だったら、こっちだって本気で守るだけだ」
「ローラン……」
「なぁ、アリシア。俺たち……ここを出るっていう選択肢、考えたことあるか?」
「え?」
「王都の手が届かない地で、ふたりで生きる。名前も、過去も全部捨てて、新しい人生を始めるんだ」
それは、甘い夢のような提案だった。
アリシアの心が一瞬だけ揺れる。
(ローランとふたりで、誰にも追われない静かな場所で、普通の夫婦のように暮らせたら……)
でも。
「……私は逃げたくない」
彼の目をまっすぐ見返しながら、はっきりと言った。
「あなたと生きる未来が欲しい。でもそれは、過去を全部捨てて手に入れるようなものじゃなくて、過去も今も受け止めた上で歩く未来であってほしいの」
「……強いな、お前は」
ローランは微笑むと、アリシアの肩をそっと抱き寄せた。
「そこが……たまらなく好きだ」
「ふふ……ありがとう」
彼の胸に顔を埋めながら、アリシアは微かに涙を浮かべる。
それは哀しみの涙ではなく――強くなろうとする決意の涙だった。
それから数日間、アリシアは町の人々と積極的に関わるようになった。
以前は避けられがちだった貴族の立場も、“聖女様”という呼び名が定着しはじめ、今では誰もが親しげに声をかけてくれる。
町の小さな診療所に薬を運んだ帰り道、アリシアはひとりの老婆に声をかけられた。
「嬢さん、最近ようやく笑えるようになったねぇ」
「えっ……そんなに、変わりました?」
「変わったよ。こっちまで幸せになるくらい、綺麗に笑ってる。あの隊長さんと一緒にいるときなんて特にね」
アリシアは照れ笑いを浮かべながら、手で頬を隠した。
「やっぱり分かっちゃいますか……」
「誰が見ても分かるよ。あれはもう、恋じゃなくて愛だねぇ」
“愛”。
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
(そう……私、あの人のことを……)
気づけば、自然に確信していた。
――私は、ローランを愛してる。
その夜、アリシアは屋敷の廊下でローランを見つけた。
剣の手入れをしていた彼に、そっと声をかける。
「ねえ、少し……時間、いい?」
「……もちろん」
ふたりは、夜風が吹き抜ける屋敷のバルコニーに並んで立った。
空には満天の星が広がり、どこまでも静かだった。
「ローラン、私……あなたのそばにいるって、決めたの。どんな未来が待っていても、あなたと一緒に生きたい」
その言葉に、ローランは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに深く頷いた。
「……ありがとう」
「そしてもうひとつ……ちゃんと、伝えさせて」
アリシアは、ほんの少し震える声で、彼の胸に手を当てた。
「私……あなたを、愛してる」
静寂の中で、その言葉は確かに届いた。
ローランは、まるで宝物でも抱くように、彼女を優しく抱きしめた。
「……アリシア。お前のすべてを、俺の人生で一番大事にする」
額をそっと重ねるように寄せ合い、ふたりの距離が自然に近づいていく。
唇が重なる、その寸前――。
「……っ!」
アリシアの頬に、何か温かいものが流れた。
それが自分の涙だと気づいたのは、ローランの指先がそれをそっと拭ってくれた瞬間だった。
「泣くな。お前が泣いたら、俺の心まで揺れる」
「ごめんなさい……なんだか、嬉しすぎて……」
「泣くほど嬉しいって、どれだけ幸せ者なんだ、俺は」
ふたりはそっと笑い合い、そして今度こそ、唇を重ねた。
深く、温かく、確かめ合うように。
長く続く冬が終わりを告げ、ようやく春が訪れたような、そんな口づけだった。
その翌日――。
アリシアとローランの元に、王都からの正式な通達が届く。
『元令嬢アリシア・フェルナー殿。貴女の“王国秩序を乱す行動”に対し、追放命令を決定いたしました。』
そして、署名には――
王女エルヴィラ・ルシア・セリオスの名が記されていた。
――王女エルヴィラが自分を「王国の敵」と見なしている可能性。
そしてその背景に、ユリウスがいるということも。
(まだ……追われているのね、私)
ローランの隣でようやく笑えるようになったのに。自分の気持ちに素直になれたばかりなのに。
まるで、幸せが芽吹くたびに誰かの手で摘まれてしまうようだった。
「どうした?」
ふと、背後からローランの声がした。
アリシアは慌てて手紙をたたんだが、彼の鋭い目はすでに何かを察している。
「……母から、手紙が届いたの。王都で、噂が広がっているらしいわ。“辺境の英雄が、かつての令嬢を籠絡し、国を乱そうとしている”って」
「……やっぱりな」
ローランは静かに頷き、彼女の手から手紙を受け取る。
目を通し終えると、彼は苦笑のような息をついた。
「“籠絡”ってな。笑わせる。お前の方が、よほど俺の心を奪ってるってのによ」
「もう……からかわないで」
アリシアはそう言いつつも、肩の力がふっと抜けた。
いつだって、彼の言葉は自分の恐怖を和らげてくれる。
「でも……これが事実なら、きっと、王都は本気で私たちを潰しにくるわ。私が、どれだけ身を引こうとしても、もう“敵”として見なされている」
その言葉に、ローランは少し黙った。
だがすぐに、迷いのない目で彼女を見つめる。
「だったら、こっちだって本気で守るだけだ」
「ローラン……」
「なぁ、アリシア。俺たち……ここを出るっていう選択肢、考えたことあるか?」
「え?」
「王都の手が届かない地で、ふたりで生きる。名前も、過去も全部捨てて、新しい人生を始めるんだ」
それは、甘い夢のような提案だった。
アリシアの心が一瞬だけ揺れる。
(ローランとふたりで、誰にも追われない静かな場所で、普通の夫婦のように暮らせたら……)
でも。
「……私は逃げたくない」
彼の目をまっすぐ見返しながら、はっきりと言った。
「あなたと生きる未来が欲しい。でもそれは、過去を全部捨てて手に入れるようなものじゃなくて、過去も今も受け止めた上で歩く未来であってほしいの」
「……強いな、お前は」
ローランは微笑むと、アリシアの肩をそっと抱き寄せた。
「そこが……たまらなく好きだ」
「ふふ……ありがとう」
彼の胸に顔を埋めながら、アリシアは微かに涙を浮かべる。
それは哀しみの涙ではなく――強くなろうとする決意の涙だった。
それから数日間、アリシアは町の人々と積極的に関わるようになった。
以前は避けられがちだった貴族の立場も、“聖女様”という呼び名が定着しはじめ、今では誰もが親しげに声をかけてくれる。
町の小さな診療所に薬を運んだ帰り道、アリシアはひとりの老婆に声をかけられた。
「嬢さん、最近ようやく笑えるようになったねぇ」
「えっ……そんなに、変わりました?」
「変わったよ。こっちまで幸せになるくらい、綺麗に笑ってる。あの隊長さんと一緒にいるときなんて特にね」
アリシアは照れ笑いを浮かべながら、手で頬を隠した。
「やっぱり分かっちゃいますか……」
「誰が見ても分かるよ。あれはもう、恋じゃなくて愛だねぇ」
“愛”。
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
(そう……私、あの人のことを……)
気づけば、自然に確信していた。
――私は、ローランを愛してる。
その夜、アリシアは屋敷の廊下でローランを見つけた。
剣の手入れをしていた彼に、そっと声をかける。
「ねえ、少し……時間、いい?」
「……もちろん」
ふたりは、夜風が吹き抜ける屋敷のバルコニーに並んで立った。
空には満天の星が広がり、どこまでも静かだった。
「ローラン、私……あなたのそばにいるって、決めたの。どんな未来が待っていても、あなたと一緒に生きたい」
その言葉に、ローランは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに深く頷いた。
「……ありがとう」
「そしてもうひとつ……ちゃんと、伝えさせて」
アリシアは、ほんの少し震える声で、彼の胸に手を当てた。
「私……あなたを、愛してる」
静寂の中で、その言葉は確かに届いた。
ローランは、まるで宝物でも抱くように、彼女を優しく抱きしめた。
「……アリシア。お前のすべてを、俺の人生で一番大事にする」
額をそっと重ねるように寄せ合い、ふたりの距離が自然に近づいていく。
唇が重なる、その寸前――。
「……っ!」
アリシアの頬に、何か温かいものが流れた。
それが自分の涙だと気づいたのは、ローランの指先がそれをそっと拭ってくれた瞬間だった。
「泣くな。お前が泣いたら、俺の心まで揺れる」
「ごめんなさい……なんだか、嬉しすぎて……」
「泣くほど嬉しいって、どれだけ幸せ者なんだ、俺は」
ふたりはそっと笑い合い、そして今度こそ、唇を重ねた。
深く、温かく、確かめ合うように。
長く続く冬が終わりを告げ、ようやく春が訪れたような、そんな口づけだった。
その翌日――。
アリシアとローランの元に、王都からの正式な通達が届く。
『元令嬢アリシア・フェルナー殿。貴女の“王国秩序を乱す行動”に対し、追放命令を決定いたしました。』
そして、署名には――
王女エルヴィラ・ルシア・セリオスの名が記されていた。
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