「地味でつまらない」って言ってたくせに、今さら美しくなった私を追うなんて滑稽ですわね?

ほーみ

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 馬車の揺れが心地よくて、ほんの少しだけまどろんでいた。
 アーネストの穏やかな声が耳に届く。

「もうすぐ王都の外れだ。今日は視察のあと、侯爵邸で会合がある」
「ええ、わかっておりますわ」
「無理はするな。昨日の夜、少し疲れていたようだからな」
「……見ておられたのね」

 そう言うと、彼はわずかに微笑んだ。
 アーネストはいつも私の小さな変化を見逃さない。
 彼の穏やかな優しさに触れるたび、胸の奥が温かくなる。

 けれど――同時に、どこか怖くもあった。
 もう二度と誰かに心を預けて傷つくのは嫌。
 そう誓ったはずなのに、彼の眼差しに揺らいでしまう。



 会合の会場に着くと、重厚な扉の向こうから音楽と笑い声が響いてきた。
 侯爵家主催の慈善舞踏会。
 孤児院再建のための寄付を募るこの会には、王都の名だたる貴族たちが顔を揃えていた。

「ミリア様、よくお越しくださいました!」
 主催の侯爵夫人が笑顔で迎えてくれる。
 彼女とは以前から親しくしており、孤児院再建の件でも協力を申し出てくれていた。

「お招きありがとうございます。少しでも力になれたら嬉しく思いますわ」
「まあ、今日のあなた、本当に見違えるほど……。殿方が放っておかないでしょうね」
「……ふふ、それは困りますわ」

 言葉とは裏腹に、私は少し頬を染めた。
 そのとき、背後から視線を感じた。
 この視線は、知っている。

 振り返ると――そこに、リオンがいた。

 黒のタキシードに身を包み、あの頃よりもやつれたように見える。
 けれど、瞳だけは必死に私を捉えて離さなかった。

「……また、お会いしましたね」
「ミリア。少し、時間をくれないか」
「いいえ。わたくしは今、別の方とおりますの」

 アーネストが私の隣に立ち、軽く頭を下げる。
 その仕草一つで、周囲の空気が変わった。
 リオンの肩がわずかに震える。

「護衛の方か?」
「いいえ、パートナーですわ」
「……っ!」

 その言葉に、リオンの顔が見る見るうちに青ざめた。
 言葉を選ばなかったことは分かっている。
 けれど、あの日の屈辱を思えば、このくらいの刃は当然の報いだ。

「ミリア、俺は……」
「もう結構ですわ。どうせ“地味でつまらない”と言った女の話なんて、あなたには退屈でしょう?」
「違う! あのときは間違っていたんだ。お前のことを……あんなふうに言ったのは、愚かだった」

 その必死な声が、どこか痛々しい。
 けれど、私はもう戻らない。
 ――はず、だった。



 舞踏会の途中、アーネストが私を外へ連れ出した。
 テラスには、夜風が吹き抜けている。
 満天の星が、静かに輝いていた。

「……あいつ、まだお前に未練があるらしいな」
「ええ。困ったことですわ」
「本当に困ってるか?」
「……どういう意味?」

 アーネストがこちらを見下ろす。
 月明かりが彼の金の瞳に反射して、少しだけ怖いほど綺麗だった。

「ミリア。お前、あいつのことをまだ完全に捨てきれていないんじゃないのか?」
「そんなこと……」
 否定の言葉が喉に詰まる。

 確かに、もう好きではない。
 けれど、あの人に言われた“地味でつまらない”という言葉は、今も心のどこかに残っている。
 それを否定するために、私は変わった。
 だから、彼が今さら後悔しているのを見ると――心がざわつく。

 そんな私の表情を見て、アーネストは小さくため息をついた。

「俺はな、ミリア。お前がどんな姿でも、最初から綺麗だと思っていた」
「……っ」
「髪を切ってても、地味なドレスを着てても。お前の真っすぐな目が好きだった」

 息が止まりそうだった。
 リオンがくれなかった言葉。
 誰にも言われたことのない、温かい言葉。

「……それは、ずるいですわ」
「ずるい?」
「そんなことを言われたら……心が揺れてしまいますのよ」

 彼は静かに笑い、私の髪を指先で掬った。
 その距離、あと少し。
 唇が触れそうになった瞬間――

「ミリア!」

 扉の向こうから、リオンの声が響いた。
 アーネストが舌打ちし、私から少し離れる。

「また邪魔が入ったな」
「……ええ、まったくですわ」

 リオンは息を切らしながら駆け寄ってきた。
 その瞳には、嫉妬とも焦燥ともつかない感情が宿っている。

「ミリア、そんな男に騙されるな! あいつは――」
「騙される?」
 私の声が冷えた。
 アーネストが一歩前に出て、リオンを睨みつける。

「言葉を選べ、リオン・エルバート。令嬢に対して無礼だぞ」
「お前こそ、彼女に近づくな。俺の婚約者だ!」
「婚約破棄したのはお前だろう」

 空気が一瞬で凍りついた。
 周囲の客人たちが遠巻きにこちらを見る。
 恥を晒していることに気づかないリオンの姿が、哀れで仕方なかった。

「リオン様」
 私は静かに彼の前に立つ。
「あなたはあの日、私を“つまらない”と言って切り捨てた。今さら取り戻そうとしても、もう遅いのです」
「そんなこと……そんなことない! 俺は、まだお前を――!」

 その言葉を聞きたくなくて、私は踵を返した。



 その夜、屋敷に戻ったあとも、胸のざわめきは消えなかった。
 窓の外には月が浮かんでいる。
 アーネストの言葉が、何度も頭をよぎる。

 ――「どんな姿でも、最初から綺麗だと思っていた」

 頬に触れる風がやけに冷たくて、思わず目を閉じた。
 心が揺れる。
 リオンへの憎しみも、アーネストへの想いも。
 どちらも私の中に確かにある。

「……どうして、こんなに苦しいのかしら」

 恋なんて、もうしないと決めたのに。
 アーネストの笑顔を見るたびに、少しずつ心がほどけていく。

 そのとき――窓の外に、影が動いた。
 見慣れたシルエット。
 リオン。

 彼は屋敷の前で、夜風に晒されながら立ち尽くしていた。
 その手には、一通の封筒。
 まるで、誰かに想いを託すように。



 翌朝。
 執事が封筒を持ってきた。
「今朝早く、元婚約者のリオン様がこちらに……」
「……そう。預かりますわ」

 封筒を開くと、そこには震える文字で綴られた言葉。

“君がどんなに遠くへ行っても、俺は君を諦めない。
あの頃の俺を許してくれなくてもいい。
けれど、もう一度……君の隣に立たせてほしい。”

 手が震えた。
 愚かしい。
 けれど、ほんの少しだけ涙が滲んだ。

 机の上に封筒を置くと、アーネストが入ってきた。

「何かあったか?」
「……昔の人が、まだ夢を見ているようですわ」
「夢、ね。なら、現実を教えてやればいい」

 アーネストが私の手を取り、指先を軽く握った。
 その力強さに、胸がまた高鳴る。

「ミリア。俺はもう、譲る気はない」
「……譲る?」
「お前を、誰にも渡さない」

 彼の瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。
 その熱に、呼吸が浅くなる。

 リオンの想いも、アーネストの想いも、どちらも重い。
 けれど――今、心が傾きかけているのは、たったひとり。

 ――アーネスト。

 けれど、まだ終わらない。
 この三人の運命は、静かに絡み始めていた。
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