人を殺してみませんか?

八木山貴輝

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第3話

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 死神に案内されて、カウンター横の入り口から奥へと進んだ。

 階段で地下に行くと、そこには檻があった。檻の中は比較的広く、少なくとも、上階のカウンターのあったところよりはゆとりがある。

 檻の中には麻袋が置いてあった。中に何かが入っているのか膨らんでいる。だが、動く様子は無い。



「あの中には人間がいるんですか?」

 俺が尋ねると、死神は「はい」とうなずいた。

「……本当に殺すんですか?」

「あれ? 殺しに来たんですよね?」

 死神は意地悪な口調で言った。それに俺が答えられずにいると、続けて死神が言った。

「大丈夫ですよ。こんなところに来ている時点で、お客様には適性がありますから」

 俺はまたも何も言えなかった。



 俺は死神と檻の中へと入った。

「あ、忘れてた! お客さん、身分証明書持ってます? ちょっと見せてください」

「えっ!? 個人、特定しないんじゃないんですか?」

「アンケートの時は。でも、ここから先は、一蓮托生です。我々は犯罪に手を染めるわけですから。……正直に言うと、これは脅し材料です。『こちらからばらすことは無いけど、もしこのことを誰かに話したら、あなたが来たことを皆に言うよ』っていうね。……まあ、無理なら、ここでお帰りいただくことになりますが、個人的にはもったいないと思いますよ。こんな機会、もう二度とないでしょう!」



 もったいない。



 人を殺すのに使う言葉とは思えなかった。

 しかし、妙に納得できるのもたしかだった。



 それに、先ほど、死神が話していたことも気になっていた。

 たしかに、俺は比較的真面目に生きてきたと思う。真面目だからこそ、人を騙すように営業もできないのだろう。


 そうなのだ。思えば思うほど、俺は自分が真面目すぎるという事実に気づいていく。

 女の子をデートに誘っても、その先に行くことは一度も無かった。結婚するぐらいの意識がないと、そういった関係はよくないと思ったからだ。

 皆で遊びに行っても、俺は下ネタや人を馬鹿にするようなことは言わなかった。聞いていて気持ちの良いものと思ったからだ。

 学生の頃は校則をきちんと守っていた。髪にワックスを付けたことなど一度も無かったし、学ランの第一ボタンを外したこともない。

 子供の頃は親の言いつけをしっかり守っていた。約束を破っては叱られる兄弟を尻目に、俺だけは過剰なぐらい言いつけを守っていた。



 だから何だというのだ。行きついた先がこれか!



 周りを見ると、こういったことを破ってきた者ほど、人生を謳歌しているように思えて仕方が無い。性に乱れ、人を馬鹿にし、空気を読まず、自分の欲求のままに進む人々。――結局、こういう人間が大人になった時に一人前の人間とみなされるのだろう。



 でも、それは不思議なことじゃない。「真面目」と言ったら聞こえはいいが、結局、それはマイナスが無いだけのことだ。普通の人は成長する過程で、自分の中にプラスの部分とマイナスの部分を作りながら生きていく。校則を破ってワックスを付けたら、「真面目さ」はマイナスになるかもしれないが、「魅力」プラスになるかもしれない。

 自分の中の一部を尖らせながらも、社会的に外れない範囲に自分を持っていく。そうだ。これこそが本当の成長ではなかろうか。

 真面目な人間なんて、行ってしまえば、尖った部分の無い人間ではなかろうか。良い奴でもなければ悪い奴でもない。マイナス面が無いため人から疎まれることはないが、それだけだ。真面目というだけでは人間的には何の魅力も無い。その証拠に、昔、卒業アルバムのランキングにあった「真面目な人ランキング」にランクインしていたのは、どいつもこいつもパッとしない奴ばかりだった。……自分も含めて。



「お客さん?」

 死神の一言で、俺は我に返った。ひょっとしたら、これは大チャンスなのではなかろうか。他の人が数年、十数年かけて自身の中の「真面目」を壊し、「自分らしさ」を手にした中、俺は何もしてこなかった。その結果、社会に馴染めなくなっている。

 だが、ここで人を殺せば、もう俺は「真面目」ではない。だが、自分の中に巣くう「真面目」を壊してこそ、新たに「自分らしさ」を築けるというものではなかろうか?

「やります」

 気づけば、俺は人を殺すことに決めていた。死神は少しの間、俺の方をじっと見た後に、嬉しそうに静かに頷いた。顔は見えないはずなのに、なぜだか、死神が微笑んでいるように見えた。

「ちなみに、料金は五万円です。まっ、五万で人を殺せるなら安いもんでしょ!」

 ……死神はがめついようだ。
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