ファーメリーズ・ギフト

幹谷セイ

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8.コール

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 少女は記憶をなくしたとはいえ、全ての出来事を忘れているわけではなかった。
 
 名前とか、自分のことは全く分からないみたいだったが、普通に会話するには支障はない。
 
 たとえば、地面から生えている、緑頭の背高のっぽが木であることは知っているし、足下の小さな赤い絨毯が、花畑だということも知っていた。
 
 それに寄ってくる、白い小さなヒラヒラ飛んでいるものが蝶という生き物だとも、分かるようだ。
 
 ただ、蝶が食べるものではない、ということは知らなかったらしく、ふん捕まえて口に入れようとしたのは、慌てて制止したが。
 
 というか、この子は僕が目を離すと、何でも口に入れようとする。落ち葉やら木の実やらキノコやら。危ないったらない。
 
 どうやら、お腹が空いているらしかった。僕は用意してきた非常食料を分けてあげた。包み紙ごと食べようとしたので、食べ方を教えてあげると、美味しそうに中身を頬張っていた。
 
「君さ、いつから記憶がないの? いつからこの森にいたの」
 
「……?」
 
 何気なく訪ねてみるが、相変わらず首を傾げている。
 
「それも分かんないか。君は……って、やっぱり名前がないと、不便だなぁ」
 
「なまえ……。ないです」
 
 女の子は、しゅんと落ち込んだ。
 
 ほかの記憶は、覚えていなくても特に何も感じない様子だったが、なぜか名前だけは、分からないことに罪悪感でも持っている様子だった。
 
 名前に何か、深い思い入れでもあったのだろうか。
 
「なら、呼び名だけでも、つけていいかな?」
 
 僕がそう提案すると、彼女はぱっと顔を上げて、目を輝かせた。
 
「おなまえ、くれるでしか」
 
「いや、あげるなんて、そんな大それたもんじゃないけど。あだ名というか、呼び名みたいなものをさ。君が名前を思い出すまで、それで呼ばせてもらえればいいだけだし」
 
「あい」
 
 こっくりと頷いた。そして、期待に満ち溢れた表情で、僕をじっと見つめている。
 
 待っているのだと気付いた。僕が名前を付けるのを。
 
 まいった。
 
 言ってみたものの、あだ名なんて、急に思いつかない。
 
 その辺にいる動物とかだったら、特徴のあるものの名前とか簡単につけられるけれど。黒かったらクロとか、小さかったチビとか。
 
 あくまで人間だし、女の子だし、変な呼び方は嫌だろうしなぁ。
 
 悩む。彼女の視線がとてもプレッシャーになる。だんだん頭がパニックになってきた。
 
「えっと、じゃあ、その、〝コール〟でいいかな?」
 
「コール? ……どうしてコール?」
 
「どうしてと言われても。いや、その、大した理由はないんだけど……」
 
 言ってみたものの、これは結構気恥ずかしかった。
 
 できれば名前の由来は言いたくなかったが、彼女はそれを許してくれそうになかった。ものすごい大きな目を開いて、無言で問い詰めてくる。
 
「……コールって、僕が自分のファーメリーにつけようと思っていた名前なんだ」
 
 観念して説明した。
 
 女々しいと思われるかもしれないが、今までずうっとファーメリーを待ち続けていたくらいだ。そんな僕が、自分のファーメリーの名前を、用意していないわけがなかった。
 
「僕のところには、ファーメリーが来なくてさ。結局、使わずじまいになっちゃったから。少しの間でいいから、よかったら使ってやってよ」
 
「コール、コール……。コール!」
 
 彼女は、何度も何度もその名前を呼んで、自分の頭に刻みつけているようだった。その表情はものすごく嬉しそうで、こちらとしても、なんだか嬉しくなってくる。
 
 もし、僕のところにファーメリーが来ていたとして、その名前をつけてあげたら、こんな風に喜んでくれただろうか。
 
 目の前の少女と、空想の中のファーメリーを重ねて、僕は少しだけ、幸せな気分に浸っていた。
 
 しかし、そんな幸せも、束の間のでき事に過ぎなかった。
 
 * * *
 
「コール、コール、わったしっはコール♪」
 
「……」
 
 ようやく彼女の呼び名をコールと定め、再び森の向こう側を目指して歩き始めたわけだが。
 
 彼女は、楽しそうにスキップしながら、ずっと歌い続けている。
 
 自分で作詞作曲したのだろうその歌を、さも嬉しそうに、大声で歌いながら僕の横をついてくる。
 
 が、正直言って、一緒に歩いているのが恥ずかしいです。
 
 自分が付けた名前だから、尚更かもしれない。
 
 今は人っ子一人いない森の中だから、まだ我慢できるとしても、森を抜けて人通りのある街道に出てまで、この調子だったらどうしよう。
 
 目立つのは苦手だ。人の好奇の目にさらされるのも、奇妙なもの見るような視線を浴びるのも、きっと、僕には耐えられないだろう。
 
 あまり騒ぎすぎて、ジョーカーに見つかっても厄介だし。
 
 今のうちに、やめさせなければ。
 
「……あ、あのさ、コール」
 
 僕は足を止め、恐る恐る名前を呼んでみる。
 
「……!」
 
 するとコールも身体をぴたっと止め、驚いた表情で、こちらに首だけ向けた。
 
 直後、満面の笑みがコールの顔に咲いた。
 
「あい!」
 
 そして、元気いっぱいに返事した。
 
 僕は吐き出しかけていた言葉を完全に忘れて、怯んだ。
 
 何も言えずに突っ立っていると、コールは僕の目の前に人差し指を突き立ててきた。
 
「もいっかい」
 
「え?」
 
「もいっかい、お名前!」
 
「こ、コール?」
 
「あいっ! もいっかい!」
 
「……コール」
 
「あいいっ!」
 
 どうやら、名前を呼んでもらえたことが、すごく嬉しかったらしい。
 
 僕は指図されるがままに名前を呼んでいた。その度に、コールの元気よい声が返ってくる。
 
「コール……」
 
「あいいいいっ!」
 
 僕の声が小さくなるのと反比例して、コールの声はだんだんでかくなり、まるで小さな子供の悲鳴のようにも聞こえた。耳が痛い。
 
 というか、僕はいったい何をやっているんだ?
 
「……コール」
 
「声が小さいです、もいっかい!」
 
「もう、勘弁してください……」
 
 僕は頭を下げた。
 
 完全にコールのペースに飲み込まれた僕の敗北だ。
 
 コールは不満そうな顔をしていたが、ようやく諦めてくれたらしく、大人しくなった。
 
 なのですかさず、当初言うべきだった注意をする。
 
「頼むからさ、もう少し静かにしてよ。森の中は物騒だし、どこにジョーカーとかがいるか、分かんないんだから……」
 
 僕の言い分が不服だったらしく、彼女は口の中に空気を詰めて、頬を膨らませた。
 
「そんなに膨れなくても……。僕が悪いこと、してるみたいじゃないか」
 
 とはいえ、また勢いで、やっぱり歌っていいよ、なんて甘やかしたことは言わない。
 
 僕は自分の意志を断固貫き通した。
 
「とにかく、村に着くまで、あんまり騒がないでよ。分かった?」
 
「……」
 
 コールは、「はい」とも「いいえ」ともいわなかった。
 
 僕が無視して歩きだすと、しぶしぶ後を追いかけて、ついてきた。
 
 だが、しばらくすると、背後からあの歌声が。
 
「コール、コール、わったしっはコール♪」
 
「分かってない、絶対に分かってない……」
 
 コールの手強てごわさに、僕は完敗した。
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