172 / 336
第二部 四季姫進化の巻
第十三章 秋姫進化 13
しおりを挟む
十三
長い夢を見ていた。
夢の中では、楸は小学一年生の時のままで、ずっと、家族の面影を探して、何もない平坦な道を走り続けていた。
走っても走っても、景色は変わらない。家族の姿も、見えない。どこに向かえばいいのかも分からず、不安だけが込み上げてきた。
でも、立ち止まれなかった。一度足を止めれば、脳裏になんとなく感じている、家族の元に辿り着ける手掛かりさえ失われてしまう気がして、怖かった。
だが、足はもつれて、うまく前に進めない。
何もないところで、転んで倒れた。
無機質な地面に横たわり、顔を埋めながら、楸は泣いた。
もう、大切な人たちとは、二度と会えないと、気付いてしまった。
追いかけても追いかけても、もう、姿さえ見えない場所に、皆は行ってしまった。
走り続けても無意味だと気付いた。道の先には、望むものがない。
途端に、分からなくなった。この先、何を目指して、どこに進んでいけばいいのだろう。
起き上がる気力すら、沸かなかった。
もう一生、この場所にいようか。朽ちて消滅すれば、そのうち、家族の元に辿り着けるかもしれない。
楸の中で燃えていた、小さな蝋燭の炎が、静かに消えた。
闇に飲まれる感覚を受け入れながら、楸はゆっくりと、目を閉じた。
だが、何かが、楸の眠りを妨げた。誰かに、体を抱き起された。
驚いて目を開けると、目の前には一人の少年が立っていた。
黒い、お内裏さまみたいな恰好をして、背中に大きな黒い翼を生やした少年。楸の体を軽々と持ち上げて、抱きしめてくれた。
「大丈夫だ、楸が進む道は、俺が知っている。一緒に、歩いていこう」
少年の力強い言葉が、楸の心に響いた。
消えていた蝋燭の炎が、再び激しく燃え上がった。
まだ、立ち上がれる。前に進める。
進む場所を、理由を見つけた。
楸は涙を溢れさせながら、少年??宵月夜を、強く抱きしめ返していた。
* * *
ゆっくりと目を開くと、ぼんやりとした景色しか見えなかった。
空気の流れの穏やかさから、どこかの室内だと分かった。体を包み込む柔らかい感触から、布団に寝かされているのだと気付いた。
誰かに、手を握られている感触。耳元で、「目が覚めたか」と声がした。
聞き間違えるはずもない。宵の声だ。
「赤尾を倒した後、気を失っちまったから、妙霊山まで連れて帰ってきた」
説明を聞き、了封寺にいるのだと理解した。
「眼鏡、っていうんだっけか? この輪っかがないと、お前も目が見えないんだったな」
宵は楸の顔に、眼鏡を載せてくれた。ずれた眼鏡を、力の入らない腕で、ゆっくり掛け直す。
「お前も」とは、どういう意味だろう。なんとなく不思議に思いつつも、思考がうまく働かなかった。
ただ、眼鏡をかけたお陰ではっきりと見えた宵の姿を見て、無性に安心感に包まれた。
「私、どれくらい眠っておったんどすか?」
「半日くらいだな。まだ、無理するな。目を覚ましてくれただけで、充分だ」
なら、もう午後か。楸は天井の木目を見つめながら、深呼吸をした。
「ずっと、側におってくれはったんどすか?」
眠ってる間、半日も枕元で座り続けていたのだろうか。申し訳なさと、寝顔を見られていた恥ずかしさが入り混じった。
「楸だって、俺が倒れた時、一晩中、側で介抱してくれた」
お返しだと、宵は穏やかに笑った。楸も、微笑み返した。
起き上がろうとしたが、全身が気怠く、腕にも力が入らなかった。寝返りを打つだけでも、とんでもない重労働だ。
「あないな大技、使うたからどすな。体が動かんどす……」
今でも、覚えている。強烈な輝きを放つ、大きな炎の鳥。
伝説上の生き物??鳳凰、とでも呼ぶのだろうか。神々しい姿だった。
その姿を拝む代償に、楸の持つ全ての力を持っていかれた気がした。
「禁術だからな。物凄く、体力を消費するんだ。柊はすぐに回復してたけど」
宵は、柊が禁術を会得した時の様子を見ていたから、楸の放った技についても、ある程度の理解はできたのだろう。
「私は、柊はんみたいには、いかんどすな。弱いどす」
「普通は無理だ。あいつが、ゴリラなだけだと思うぞ」
「また、張り倒されますえ」
柊の体力は、楸よりも遥かに高い。同じ四季姫でも、やっぱり基礎能力が全然違うのだと実感した。
いつまでも倒れているわけにはいかない。楸も早く、体力を回復させなくては。
震える腕を駆使して、何とか上体を起こした。曲がりそうになった肘を、宵が支えて助けてくれた。
宵の姿をすぐ傍に見て、楸はふと、違和感に気付いた。
「翼が、なくなっとるどす」
宵は封印を解いて、妖怪の姿を取り戻していたはずだ。
なのにまた、人間の姿に戻っていた。髪は伸びたままで、後ろで束ねてあったが、瞳や爪などに見られていた妖怪の特徴は、全部なくなっていた。
「力を抑えた。自力で制御できるようになったみたいだ。今まで通り、人間として暮らしていける」
考えもつかない発想だった。妖怪の力を取り戻しても、その力を逆手にとって自在に抑え込めば、今まで通り人間の姿を保てる。
「便利なお力どすな」
「妖怪とか人間とか、いちいち拘って考えなくてもいいんだと思ったら、気が楽になった。俺は俺が望んだままの存在になればいいんだ。楸の言葉が、俺の中の迷いを消してくれた。ありがとう」
楸の手を握り、宵はゆっくりと、礼を述べた。
「お役に立てて、何よりどす」
楸が笑うと、宵は照れ臭そうに笑顔を浮かべた。
「私の中の迷いや不安も、みんな吹き飛んでなくなった気がします。――宵はんの、お陰ですな。私も、今後は、できるだけ素直になれるように努力します」
ずっと、気持ちを押し殺して生きてきた。
興味のある出来事、気になる存在。
楸の目の前には、好奇心をくすぐるものがたくさん横切って行ったが、容易に手を伸ばせなかった。
家族の敵を討つまでは、人生を楽しむなんて、おこがましい行為だと決めつけてきた。
一人だけやりたいことを思ったままに実践するなんて、先に死んでしまった皆に悪い気がしたし、本当に意味や価値があるのか分からず、躊躇っていた。
だから、自分に正直に行動する時は、家族の敵を討った後だと、決めていた。
でも、いざ目的を果たすと、虚無感だけが残った。
楸は今後、どんな気持ちで、何を支えに生きていけばいいのか。
今まで考えてこなかったから、実感もなく、よく分からなかった。
頭では、しっかりと勉強して立派な社会人となり、叔母であり義母である英(はなぶさ)に恩返しをできれば一番いいと、理解していた。
でも、心のどこかでは、目的を見失った恐怖に襲われていた。敵を倒したところで、失った家族に対する未練を断ち切れるのか、気持ちを切り替えて、新しい生活を送っていけるのか。
自信がなかった。
でも、楸は新しい道を見つけられた。
記憶はおぼろげだが、確信が持てた。
悪夢の中で彷徨っていた楸を救ってくれた相手は、間違いなく宵だった。
宵が望んでくれるなら、傍にいてくれるなら。
いつか、袂を分かつその時まで、宵の隣で同じ道を歩んでいきたい。
「明日からも、どうか、一緒におってください」
楸は、宵の手を強く、握りしめた。素直な気持ちを、包み隠さず伝えた。
「当然だ。俺は楸のために、この時代で人間として生きているんだ。楸が俺の存在を望んでくれるなら、これ以上の幸せはない」
楸の気持ちは、宵にも伝わった。宵は楸の体を引き寄せて、抱きしめてくれた。
静かな空間に、穏やかな時間が流れる。ずっと、こんな時が続けばいい、と思った。
だが、物事はそう、うまくはいかないものだ。
「楸さん。お加減、どうですか……」
外につながる障子が開け放たれ、了生が顔を覗き込ませてきた。楸の容態を確認に来てくれたらしい。
楸たちの様子を見た了生は、体を強張らせて顔を引き攣らせた。
「何をやっとるんや、お前はー!」
了生は顔を真っ赤にして、宵の頭を殴りつけた。
パカーンと、小気味良い音が寺に響いた。
「いってーな! 何すんだよ、兄ちゃん!」
「お前こそ、女の子の寝床に入り込むな! 何か間違いがあったら、どないすんねん!」
「あの、すいません。大丈夫ですんで……」
妙な誤解を与えたらしい。楸は必死で弁明しようとしたが、二人の怒鳴り合いは止まらない。
「何も間違いなんかねえよ! 兄ちゃんだっていっつも、柊と二人でイチャイチャベタベタしてるだろうが!」
いきなり指摘され、了生は言葉を詰まらせた。
「俺は別に……いかがわしい真似をしとるわけやない!」
了生は弁明するが、真っ赤になった顔と、詰まる口調では、まったく説得力がない。
「嘘吐け! 柊が寺で修行してた時だって、夜中にしょっちゅう部屋を覗きに行ってただろうが。ちゃんと知ってんだぞ」
「あの時は、柊さんが寂しがって眠れておらんのやないかと、心配してやな」
「違うね。絶対に夜這いだ」
宵に押されまくって、了生は完全に立場が弱かった。寺で修業をして以来、柊の雰囲気が大きく変わったが、了生と何かあったのだろうなと、楸は何となく察した。
「とにかく、部屋から出ろ! 居間で大人しゅうしとれ!」
言葉では敵わないと判断したか、了生は強硬手段に出た。
宵は力任せに、廊下へつまみ出された。
興が冷めたのか、宵はしつこく食い下がろうとはせず、大人しく引き下がった。
「ちっくしょー。次に見かけたら、絶対に邪魔してやるからな!」
脅し文句を吐きながら、居間に向かって歩いていく。
入れ違いに、楸が起きたと知った榎たちが、勢いよく駆け込んできた。
「楸! 目が覚めたか!」
「大丈夫だった? 怪我はないのに、起きないから心配していたの」
心配してくれるみんなに、楸は笑顔で無事を伝えた。
「森の中で、火の鳥が飛び上がった時は、本当に吃驚したよ」
「楸の、新しい技やな。よう頑張った、立派やったで」
榎や柊に頭を撫でられて、楸は照れて笑った。
「みなさんが、協力してくれたお陰どす。ずっと、心を縛っておった鎖が、外れた気分どす。私は、やっと、ほんまの秋姫になれたんかもしれまへん。正しい力を使って、どんな敵とでも、戦える気がします」
もう、楸を繋ぎ止めていた復讐心は、存在しない。
今まで楸が課してきた秋姫の戦いは、終止符を打った。
「どうか今後も、一緒に戦わせてください」
「もちろんだよ。――お帰り、楸」
今まで、四季姫の輪から外れて私欲で動いていた楸を、皆は快く迎え入れてくれた。
この先、楸が秋姫として力を振るうならば、その時は、仲間のみんなのために。
大切な人たちを守るために、戦っていけるはずだ。
やっと、本来の姿を取り戻せた。
楸の心は、快晴の秋空と同じく、青く澄み渡っていた。
* * *
一週間後。
楸は花束を手に、長月家の墓前に立っていた。
少し早いが、彼岸も兼ねて、家族の墓参りだ。
秋の季節を飾る、菊の花と、母の名前でもある桔梗の花。墓の両側にある花立に飾って、手を併せた。
「お父はん、お母はん、葵。みんなの仇は、無事にとったどす」
「赤尾は、贈った魂は、捨てられたと話していた。魂は、狐には食われていない。狐の手から逃れて、ちゃんと成仏できているはずだ」
隣では、一緒について来てくれた宵も、見様見真似に手を併せてくれていた。
「良かったどす。みんな、苦しまずに済んで」
もし、狐に魂を食われていたら、仇を討ったところで、皆は浮かばれなかった。
偶然とはいえ、楸は幸運に感謝した。
再び墓前に向き直り、楸は心の中で、家族に宵を紹介した。
楸の心を救ってくれた、かけがえのない人だ。皆もきっと、宵の存在を歓迎してくれるだろう。
「墓に仕舞っておいた、楸の名前。報告が遅れましたけど、返してもらいました。大切に、守っていきますから、安心してください。素敵な名前を、ありがとうございました」
楸は深く、頭を下げた。
墓地を離れ、ゆっくりと帰路につく。
道中、気持ちが昂ぶり、楸は宵と手を繋いだ。宵も優しく、手を握り返してくれた。
今ほど穏やかな気持ちで、宵の側にいられた時はなかった。いつも心のどこかで壁を作って、宵の優しさを受け入れようとしてこなかった。
だから、今まで気付けなかった。宵の隣は、とても落ち着く。安心して寄り添える空気を、宵が作り出してくれている。
ずっと楸を想って側にいてくれたのに、楸は何もしてあげられなかった。応える余裕もなかった。
今からでも、少しずつ、無駄にしてきた時間を取り戻したいと思った。
そう決心した、刹那。
穏やかな時間をぶち壊す勢いで、空気が震えた。
全身が痺れ、電流が走った。
嫌な気配が、楸の体に纏わりついてきた。
思わず立ち止まる。宵も同時に、足を止めていた。
目を細めて、遠くの空を睨み付けている。
宵も感じているのだろう。不穏な存在の気配を。
「この、妙な感じは……悪鬼どすか?」
本能的に、正体を察していた。以前、まったく歯が立たなかった、あの強くおぞましい力の断片が、じわじわと広がってくる。
間違いない。鬼陀によって動きを封じられていた、深淵の悪鬼たちのものだ。
「もう、復活しやがったのか。思ったよりも、早い」
宵は舌打ちする。
確かに、早すぎる。
まだ、四季姫たち全員が、悪鬼に対抗できるほどの力を習得できていないのに。
今、奇襲をかけられでもしたら、勝率は限りなく低いだろう。
最悪の事態を想像すると、楸の体から血の気が引いた。
「まだ、連中も弱っている、力を温存しているだろうから、すぐには仕掛けてこないはずだ」
宵の推測を聞き、少し気持ちが落ち着いた。
だが、真っ向から戦わなくてはならない時が、すぐに訪れるだろう。
「上等どす。次は秋姫として、本気で戦わせてもらいます」
もう、絶対に負けはしない。
楸は再び、気合を入れ直した。
長い夢を見ていた。
夢の中では、楸は小学一年生の時のままで、ずっと、家族の面影を探して、何もない平坦な道を走り続けていた。
走っても走っても、景色は変わらない。家族の姿も、見えない。どこに向かえばいいのかも分からず、不安だけが込み上げてきた。
でも、立ち止まれなかった。一度足を止めれば、脳裏になんとなく感じている、家族の元に辿り着ける手掛かりさえ失われてしまう気がして、怖かった。
だが、足はもつれて、うまく前に進めない。
何もないところで、転んで倒れた。
無機質な地面に横たわり、顔を埋めながら、楸は泣いた。
もう、大切な人たちとは、二度と会えないと、気付いてしまった。
追いかけても追いかけても、もう、姿さえ見えない場所に、皆は行ってしまった。
走り続けても無意味だと気付いた。道の先には、望むものがない。
途端に、分からなくなった。この先、何を目指して、どこに進んでいけばいいのだろう。
起き上がる気力すら、沸かなかった。
もう一生、この場所にいようか。朽ちて消滅すれば、そのうち、家族の元に辿り着けるかもしれない。
楸の中で燃えていた、小さな蝋燭の炎が、静かに消えた。
闇に飲まれる感覚を受け入れながら、楸はゆっくりと、目を閉じた。
だが、何かが、楸の眠りを妨げた。誰かに、体を抱き起された。
驚いて目を開けると、目の前には一人の少年が立っていた。
黒い、お内裏さまみたいな恰好をして、背中に大きな黒い翼を生やした少年。楸の体を軽々と持ち上げて、抱きしめてくれた。
「大丈夫だ、楸が進む道は、俺が知っている。一緒に、歩いていこう」
少年の力強い言葉が、楸の心に響いた。
消えていた蝋燭の炎が、再び激しく燃え上がった。
まだ、立ち上がれる。前に進める。
進む場所を、理由を見つけた。
楸は涙を溢れさせながら、少年??宵月夜を、強く抱きしめ返していた。
* * *
ゆっくりと目を開くと、ぼんやりとした景色しか見えなかった。
空気の流れの穏やかさから、どこかの室内だと分かった。体を包み込む柔らかい感触から、布団に寝かされているのだと気付いた。
誰かに、手を握られている感触。耳元で、「目が覚めたか」と声がした。
聞き間違えるはずもない。宵の声だ。
「赤尾を倒した後、気を失っちまったから、妙霊山まで連れて帰ってきた」
説明を聞き、了封寺にいるのだと理解した。
「眼鏡、っていうんだっけか? この輪っかがないと、お前も目が見えないんだったな」
宵は楸の顔に、眼鏡を載せてくれた。ずれた眼鏡を、力の入らない腕で、ゆっくり掛け直す。
「お前も」とは、どういう意味だろう。なんとなく不思議に思いつつも、思考がうまく働かなかった。
ただ、眼鏡をかけたお陰ではっきりと見えた宵の姿を見て、無性に安心感に包まれた。
「私、どれくらい眠っておったんどすか?」
「半日くらいだな。まだ、無理するな。目を覚ましてくれただけで、充分だ」
なら、もう午後か。楸は天井の木目を見つめながら、深呼吸をした。
「ずっと、側におってくれはったんどすか?」
眠ってる間、半日も枕元で座り続けていたのだろうか。申し訳なさと、寝顔を見られていた恥ずかしさが入り混じった。
「楸だって、俺が倒れた時、一晩中、側で介抱してくれた」
お返しだと、宵は穏やかに笑った。楸も、微笑み返した。
起き上がろうとしたが、全身が気怠く、腕にも力が入らなかった。寝返りを打つだけでも、とんでもない重労働だ。
「あないな大技、使うたからどすな。体が動かんどす……」
今でも、覚えている。強烈な輝きを放つ、大きな炎の鳥。
伝説上の生き物??鳳凰、とでも呼ぶのだろうか。神々しい姿だった。
その姿を拝む代償に、楸の持つ全ての力を持っていかれた気がした。
「禁術だからな。物凄く、体力を消費するんだ。柊はすぐに回復してたけど」
宵は、柊が禁術を会得した時の様子を見ていたから、楸の放った技についても、ある程度の理解はできたのだろう。
「私は、柊はんみたいには、いかんどすな。弱いどす」
「普通は無理だ。あいつが、ゴリラなだけだと思うぞ」
「また、張り倒されますえ」
柊の体力は、楸よりも遥かに高い。同じ四季姫でも、やっぱり基礎能力が全然違うのだと実感した。
いつまでも倒れているわけにはいかない。楸も早く、体力を回復させなくては。
震える腕を駆使して、何とか上体を起こした。曲がりそうになった肘を、宵が支えて助けてくれた。
宵の姿をすぐ傍に見て、楸はふと、違和感に気付いた。
「翼が、なくなっとるどす」
宵は封印を解いて、妖怪の姿を取り戻していたはずだ。
なのにまた、人間の姿に戻っていた。髪は伸びたままで、後ろで束ねてあったが、瞳や爪などに見られていた妖怪の特徴は、全部なくなっていた。
「力を抑えた。自力で制御できるようになったみたいだ。今まで通り、人間として暮らしていける」
考えもつかない発想だった。妖怪の力を取り戻しても、その力を逆手にとって自在に抑え込めば、今まで通り人間の姿を保てる。
「便利なお力どすな」
「妖怪とか人間とか、いちいち拘って考えなくてもいいんだと思ったら、気が楽になった。俺は俺が望んだままの存在になればいいんだ。楸の言葉が、俺の中の迷いを消してくれた。ありがとう」
楸の手を握り、宵はゆっくりと、礼を述べた。
「お役に立てて、何よりどす」
楸が笑うと、宵は照れ臭そうに笑顔を浮かべた。
「私の中の迷いや不安も、みんな吹き飛んでなくなった気がします。――宵はんの、お陰ですな。私も、今後は、できるだけ素直になれるように努力します」
ずっと、気持ちを押し殺して生きてきた。
興味のある出来事、気になる存在。
楸の目の前には、好奇心をくすぐるものがたくさん横切って行ったが、容易に手を伸ばせなかった。
家族の敵を討つまでは、人生を楽しむなんて、おこがましい行為だと決めつけてきた。
一人だけやりたいことを思ったままに実践するなんて、先に死んでしまった皆に悪い気がしたし、本当に意味や価値があるのか分からず、躊躇っていた。
だから、自分に正直に行動する時は、家族の敵を討った後だと、決めていた。
でも、いざ目的を果たすと、虚無感だけが残った。
楸は今後、どんな気持ちで、何を支えに生きていけばいいのか。
今まで考えてこなかったから、実感もなく、よく分からなかった。
頭では、しっかりと勉強して立派な社会人となり、叔母であり義母である英(はなぶさ)に恩返しをできれば一番いいと、理解していた。
でも、心のどこかでは、目的を見失った恐怖に襲われていた。敵を倒したところで、失った家族に対する未練を断ち切れるのか、気持ちを切り替えて、新しい生活を送っていけるのか。
自信がなかった。
でも、楸は新しい道を見つけられた。
記憶はおぼろげだが、確信が持てた。
悪夢の中で彷徨っていた楸を救ってくれた相手は、間違いなく宵だった。
宵が望んでくれるなら、傍にいてくれるなら。
いつか、袂を分かつその時まで、宵の隣で同じ道を歩んでいきたい。
「明日からも、どうか、一緒におってください」
楸は、宵の手を強く、握りしめた。素直な気持ちを、包み隠さず伝えた。
「当然だ。俺は楸のために、この時代で人間として生きているんだ。楸が俺の存在を望んでくれるなら、これ以上の幸せはない」
楸の気持ちは、宵にも伝わった。宵は楸の体を引き寄せて、抱きしめてくれた。
静かな空間に、穏やかな時間が流れる。ずっと、こんな時が続けばいい、と思った。
だが、物事はそう、うまくはいかないものだ。
「楸さん。お加減、どうですか……」
外につながる障子が開け放たれ、了生が顔を覗き込ませてきた。楸の容態を確認に来てくれたらしい。
楸たちの様子を見た了生は、体を強張らせて顔を引き攣らせた。
「何をやっとるんや、お前はー!」
了生は顔を真っ赤にして、宵の頭を殴りつけた。
パカーンと、小気味良い音が寺に響いた。
「いってーな! 何すんだよ、兄ちゃん!」
「お前こそ、女の子の寝床に入り込むな! 何か間違いがあったら、どないすんねん!」
「あの、すいません。大丈夫ですんで……」
妙な誤解を与えたらしい。楸は必死で弁明しようとしたが、二人の怒鳴り合いは止まらない。
「何も間違いなんかねえよ! 兄ちゃんだっていっつも、柊と二人でイチャイチャベタベタしてるだろうが!」
いきなり指摘され、了生は言葉を詰まらせた。
「俺は別に……いかがわしい真似をしとるわけやない!」
了生は弁明するが、真っ赤になった顔と、詰まる口調では、まったく説得力がない。
「嘘吐け! 柊が寺で修行してた時だって、夜中にしょっちゅう部屋を覗きに行ってただろうが。ちゃんと知ってんだぞ」
「あの時は、柊さんが寂しがって眠れておらんのやないかと、心配してやな」
「違うね。絶対に夜這いだ」
宵に押されまくって、了生は完全に立場が弱かった。寺で修業をして以来、柊の雰囲気が大きく変わったが、了生と何かあったのだろうなと、楸は何となく察した。
「とにかく、部屋から出ろ! 居間で大人しゅうしとれ!」
言葉では敵わないと判断したか、了生は強硬手段に出た。
宵は力任せに、廊下へつまみ出された。
興が冷めたのか、宵はしつこく食い下がろうとはせず、大人しく引き下がった。
「ちっくしょー。次に見かけたら、絶対に邪魔してやるからな!」
脅し文句を吐きながら、居間に向かって歩いていく。
入れ違いに、楸が起きたと知った榎たちが、勢いよく駆け込んできた。
「楸! 目が覚めたか!」
「大丈夫だった? 怪我はないのに、起きないから心配していたの」
心配してくれるみんなに、楸は笑顔で無事を伝えた。
「森の中で、火の鳥が飛び上がった時は、本当に吃驚したよ」
「楸の、新しい技やな。よう頑張った、立派やったで」
榎や柊に頭を撫でられて、楸は照れて笑った。
「みなさんが、協力してくれたお陰どす。ずっと、心を縛っておった鎖が、外れた気分どす。私は、やっと、ほんまの秋姫になれたんかもしれまへん。正しい力を使って、どんな敵とでも、戦える気がします」
もう、楸を繋ぎ止めていた復讐心は、存在しない。
今まで楸が課してきた秋姫の戦いは、終止符を打った。
「どうか今後も、一緒に戦わせてください」
「もちろんだよ。――お帰り、楸」
今まで、四季姫の輪から外れて私欲で動いていた楸を、皆は快く迎え入れてくれた。
この先、楸が秋姫として力を振るうならば、その時は、仲間のみんなのために。
大切な人たちを守るために、戦っていけるはずだ。
やっと、本来の姿を取り戻せた。
楸の心は、快晴の秋空と同じく、青く澄み渡っていた。
* * *
一週間後。
楸は花束を手に、長月家の墓前に立っていた。
少し早いが、彼岸も兼ねて、家族の墓参りだ。
秋の季節を飾る、菊の花と、母の名前でもある桔梗の花。墓の両側にある花立に飾って、手を併せた。
「お父はん、お母はん、葵。みんなの仇は、無事にとったどす」
「赤尾は、贈った魂は、捨てられたと話していた。魂は、狐には食われていない。狐の手から逃れて、ちゃんと成仏できているはずだ」
隣では、一緒について来てくれた宵も、見様見真似に手を併せてくれていた。
「良かったどす。みんな、苦しまずに済んで」
もし、狐に魂を食われていたら、仇を討ったところで、皆は浮かばれなかった。
偶然とはいえ、楸は幸運に感謝した。
再び墓前に向き直り、楸は心の中で、家族に宵を紹介した。
楸の心を救ってくれた、かけがえのない人だ。皆もきっと、宵の存在を歓迎してくれるだろう。
「墓に仕舞っておいた、楸の名前。報告が遅れましたけど、返してもらいました。大切に、守っていきますから、安心してください。素敵な名前を、ありがとうございました」
楸は深く、頭を下げた。
墓地を離れ、ゆっくりと帰路につく。
道中、気持ちが昂ぶり、楸は宵と手を繋いだ。宵も優しく、手を握り返してくれた。
今ほど穏やかな気持ちで、宵の側にいられた時はなかった。いつも心のどこかで壁を作って、宵の優しさを受け入れようとしてこなかった。
だから、今まで気付けなかった。宵の隣は、とても落ち着く。安心して寄り添える空気を、宵が作り出してくれている。
ずっと楸を想って側にいてくれたのに、楸は何もしてあげられなかった。応える余裕もなかった。
今からでも、少しずつ、無駄にしてきた時間を取り戻したいと思った。
そう決心した、刹那。
穏やかな時間をぶち壊す勢いで、空気が震えた。
全身が痺れ、電流が走った。
嫌な気配が、楸の体に纏わりついてきた。
思わず立ち止まる。宵も同時に、足を止めていた。
目を細めて、遠くの空を睨み付けている。
宵も感じているのだろう。不穏な存在の気配を。
「この、妙な感じは……悪鬼どすか?」
本能的に、正体を察していた。以前、まったく歯が立たなかった、あの強くおぞましい力の断片が、じわじわと広がってくる。
間違いない。鬼陀によって動きを封じられていた、深淵の悪鬼たちのものだ。
「もう、復活しやがったのか。思ったよりも、早い」
宵は舌打ちする。
確かに、早すぎる。
まだ、四季姫たち全員が、悪鬼に対抗できるほどの力を習得できていないのに。
今、奇襲をかけられでもしたら、勝率は限りなく低いだろう。
最悪の事態を想像すると、楸の体から血の気が引いた。
「まだ、連中も弱っている、力を温存しているだろうから、すぐには仕掛けてこないはずだ」
宵の推測を聞き、少し気持ちが落ち着いた。
だが、真っ向から戦わなくてはならない時が、すぐに訪れるだろう。
「上等どす。次は秋姫として、本気で戦わせてもらいます」
もう、絶対に負けはしない。
楸は再び、気合を入れ直した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
貞操逆転世界に転生したのに…男女比一対一って…
美鈴
ファンタジー
俺は隼 豊和(はやぶさ とよかず)。年齢は15歳。今年から高校生になるんだけど、何を隠そう俺には前世の記憶があるんだ。前世の記憶があるということは亡くなって生まれ変わったという事なんだろうけど、生まれ変わった世界はなんと貞操逆転世界だった。これはモテると喜んだのも束の間…その世界の男女比の差は全く無く、男性が優遇される世界ではなかった…寧ろ…。とにかく他にも色々とおかしい、そんな世界で俺にどうしろと!?また誰とも付き合えないのかっ!?そんなお話です…。
※カクヨム様にも投稿しております。内容は異なります。
※イラストはAI生成です
魔力ゼロの英雄の娘と魔族の秘密
藤原遊
ファンタジー
魔法が支配する世界で、魔力を持たない少女アリア・マーウェラ。彼女は、かつて街を守るために命を落とした英雄的冒険者の両親を持ちながら、その体質ゆえに魔法を使えず、魔道具すら扱えない。しかし、彼女は圧倒的な身体能力と戦闘センスを武器に、ギルドでソロ冒険者として活動していた。街の人々やギルド仲間からは「英雄の娘」として大切にされつつも、「魔力を捨てて進化した次世代型脳筋剣士」と妙な評価を受けている。
そんなある日、アリアは山中で倒れていた謎の魔法使いイアンを助ける。彼は並外れた魔法の才能を持ちながら、孤独な影を背負っていた。やがて二人は冒険の中で信頼を深め、街を脅かす魔王復活を阻止するため、「カギ」を探す旅に出る。
しかしイアンには秘密があった。彼は魔族と人間の混血であり、魔王軍四天王の血を引いていたのだ。その事実が明らかになったとき、アリアは「どんな過去があっても、イアンはイアンだよ」と笑顔で受け入れる。
過去に囚われたイアンと、前を向いて進むアリア。二人の絆が、世界を揺るがす冒険の行方を決める――。シリアスとギャグが織り交ざる、剣と魔法の冒険譚!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる