上 下
224 / 336
第二部 四季姫進化の巻

第十六章 伝記顛覆 7

しおりを挟む
 七
 翌日。熱は下がったが大事を取って、榎は学校を休んだ。
 小学校の頃は病気なんていっさいせず、休まず通学して皆勤賞を欲しいままにしていたのに、まさか学校を欠席する日がやってくるとは、思ってもいなかった。
 一日中、布団に横になってじっとしている時間は、アウトドアな性格の榎にとっては、何とも勿体ない時間に感じた。
 でも、何かをしようにも、体も頭も、まだ本調子ではない。トイレに行こうと起き上がるだけで眩暈がするのだから、外に出るなんて無理だ。
 桜に作ってもらったお粥を食べて薬を飲んで、夕方までうつらうつらしていると、椿が学校から帰ってきた。
「ただいま、えのちゃん! みんなが来てくれたよ」
 榎の寝ている布団の周りに、ぞろぞろと人が集まって囲み込んだ。
 楸に柊、朝と宵も、揃ってお見舞いに来てくれた。
 一人で使うには広い部屋だと思っていたが、こう大人数に押し入られると、来てもらっておいて悪いが、少し窮屈に感じる。
「榎はん、お加減いかがどすか?」
 枕元に正座した楸が、声を掛けてくれた。今日の授業のコピーや、プリントを持ってきてくれた。
「まさか、榎が風邪なんか引くとはなぁ。明日は、大雪でも降るんと違うか」
 柊は相変わらず、嫌味に笑いながら茶化してくる。
「天気予報では、しばらく晴れが続くそうですよ」
 そんな柊の談笑にも、朝は真面目に答を返している。
「病魔の病にさえ罹らなかった奴が、今更倒れるってのも、可笑しな話だけどな」
 宵に痛いところを突かれ、榎は同感して笑った。町中の人が病気で苦しんでいた時にもピンピンしていたのに。周囲から見れば、本当に不思議な話だ。
「榎はんほど、お元気な方やから、なおさら不思議に思うんどすけど……。ただの風邪やないんとちゃいますか?」
 楸だけは他の連中と違い、真剣に榎の状態を分析していた。
 やっぱり、楸は鋭い。理由は分かっていなくても、榎の病気の原因に、いち早く疑問を抱いた。
「ただの風邪やないて……やっぱり、インフルエンザか!? それとも、まさか結核とか!? 離れんと、感染るで!」
「結核とは、何ですか?」
「確か、昔に流行った、血を吐いて死んじゃう病気よ」
「昔は労咳ろうがいと呼ばれておったそうどす。今でも充分、危険な病気どす」
「そりゃもう、長くねえかもな」
「不治の病ですか!? 榎さん、お気を確かに!」
「何それ!? あたし、死ぬのか!?」
 柊の一言から、周囲がバタつき始め、何やら重病人扱いされる。榎も巻き込まれてパニックになった。
「落ち着きなはれ。そないな病気やのうて……。何か、精神的な負担を受けておられるのではないかと」
 騒ぎ出す連中を宥め、落ち着いたところで、楸が核心を突いてきた。
 図星だったが、榎に躊躇いはなかった。
 今日一日、部屋でゴロゴロしている間に、頭の中を整理しておいた。今ならちゃんと、言いたい内容を纏めて伝えられるはずだ。
「みんなに、聞いて欲しい話があるんだ」
 意を決して、榎は体を起こした。
「無理せんでも、今はゆっくり寝ときや。話やったら、いつでもできるやろ」
 まだ少しふらついている榎の背中を擦ってくれる柊を抑えて、榎は続けた。
「でも、皆にも関係のある、大事な話だから」
 ゆっくりと、榎は今までに知った情報の全てを、順を追ってみんなに伝えた。
 響の元で萩と再会した件を話し終えた時、榎は疲れ切って、倒れそうになっていた。
 話を聞いた椿たちも、唖然として言葉を失っている。
「――神無月萩が、鬼蛇に助けられて、一緒にいるの?」
 椿の顔は、青褪めていた。あの、暴力的な萩の行動を思い出して、心の古傷が疼くのかもしれない。
 柊や宵も、一言も言葉を発しなかったが、表情から良い印象を抱いていないと、はっきり分かる。
「萩はんとお会いになって、トラブルになったんとちゃいますか?」
 楸は心配していたが、榎は首を横に振った。
「いや、萩は、あたしが負わせた傷のダメージから回復できていないから。元気になるどころか、どんどん弱っていて……」
「まあ、自業自得て言うてまえば、それまでやけどな。あいつは、そんな大変な目に遭うだけの悪事をしでかしたんやから。当然の報いやで」
 事情を知らない柊は、憤りを込めて毒を吐く。
 まずは、みんなの萩に対する誤解を解かなくてはいけない。
「違うんだ。偽物の秋姫になったり、あたしたちの使命を妨害しようとした行動は、萩の意志じゃなかった。……萩は、あたしたちの覚醒を妨害しようとした別の人間に、操られていたんだ」
「誰なの!? そんな酷い真似をするなんて」
 椿が怒って、体を乗り出してくる。誰だって、こんな陰謀めいた話を聞けば、当然見せる反応だ。
 椿の疑問に答えようとしたが、口がうまく動かない。
 榎の心が、まだ、その名前を出すことを躊躇っている。
 でも、言わなくては。皆に全てを、伝えなくては。
 榎は、声を振り絞った。
「伝師 綴……」
 掠れた声。
 皆の表情が、完全に固まる。
 榎と綴のかつての関係を知っているから、驚きは想像以上に大きそうだった。
「綴はんって、榎はんがずっとお見舞いに行かれていた」
「剣道の試合にも、奏さんと来とった男やろ?」
「奏さんや語くんの、お兄さんよね? どうして? 伝師の人たちはみんな、四季姫の戦いの協力をしてくれていたんじゃないの!?」
 ますます、みんなの憤りは大きくなっていく。
 責められて当然だけれど、周囲から綴を非難する言葉を聞くと、妙につらく感じた。
「色々と、事情があったみたいで……」
 榎は、途切れ途切れに、昨日の出来事を話して聞かせた。
 話を聞けば聞くほど、三人の怒りは増していった。さらに、綴から渡された物語も見せて、読んでもらった。
「酷い、何よ、この話……」
「ほんなら、半年間もずっと、榎を騙して楽しんどったっちゅうんか!」
「榎はん、そないに大変なお話、お一人で抱え込んではったんどすか。熱が出て当然どす」
 椿と柊はいきり立ち、楸は榎に悲痛な表情を向けてくる。
 榎は俯いて、榎自身の心を支えるだけで精一杯だった。周りが何を言っていても、ほとんど対応する気力がなかった。
「全部、何の意味もなかった。四季姫なんて、陰陽師の力なんて、この時代には必要なかった、無駄だったんだ。邪魔な存在でしか、なかったんだ。あたしが夏姫の力を手に入れて、戦って妖怪や悪鬼を倒そうなんて意気込まなければ、みんなを戦いに巻き込まずに済んだ。萩も生み出されなかった。綴さんも、苦しまなくて済んだ……」
 榎の口から、心の中で大きくなっていた、四季姫になった後悔の気持ちが、溢れだして止まらなくなった。
「全部、あたしの自己満足だったんだ。綴さんが、励ましてくれたから、喜んでくれたから、調子に乗って……」
 口に出せば出すほど、罪悪感が大きく膨れ上がる。同時に、胸が苦しくなり、嗚咽が上がってきて、涙が止まらなくなった。
「みんな、ごめん。あたしが馬鹿だったから。あたしが……」
 耐えられなくなり、榎は掛け布団に顔を埋めた。楸が優しく、榎を抱きしめて、背中を擦ってくれた。
「無駄だなんて、思わないわ! 椿は春姫になれて、良かったと思っているもの!」
「せや。別に榎に付き合うてやったわけやない。自分で決めて、今まで戦ってきたんや」
「戦う意志がないなら、私みたいに力を封じて、身を潜めておればよかっただけどす。けど、誰も逃げんかった。その選択に、間違いなんてありまへん。――私たちは何一つ、後悔してまへんから」
 榎の意見に、他の三人は一気に反発してきた。榎を励ますためだったかもしれないし、四季姫としてのプライドに火が付いたのかもしれない。
 別にみんな、榎に付き合って渋々、四季姫の使命を果たしていたわけではなかった。みんな、使命をしっかりと受け止めて、覚悟を決めて戦ってくれていた。
 榎の心の中にも、忘れかけていた別の感情が蘇ってくる。
 もし、たった一人だったら、たとえ綴や妖怪に苦しめられている人のためとはいえ、あんなに一生懸命、妖怪退治に熱心に取り組み続けられただろうか。
 無理だった。きっと、途中で心が折れていた。どこかで、野垂死んでいたかもしれない。
 皆がいたから、同じ目的を持って一緒に戦ってくれたから、今までやってこれたのだと、改めて実感した。
「四季姫様たちは伝師の力を引き継ぐ陰陽師ですが、時代は変わりましたし、己の意思で自由に動く権利くらい、あるはずです。望まれていないからと、存在を否定される謂われは、ないと思います」
「少なくとも、俺たちはお前たちに救われた。新しい、人として生きる道に、導いてもらった。その事実は消えないし、何の意味もなかったとは思わない」
 朝と宵も、四季姫がいたからこそ、今の生活があるのだと、四季姫の存在を肯定してくれた。
「榎はんが、一番辛い思いをしておるんは、よう分かります。せやけど、何でも一人で背負わんといてください。私たちにも、背負えるものはあるはずどす」
「一人で苦しまないで。仲間なんだから」
「今は何も考えんと、ゆっくり休み」
 皆の優しさが、身に染みた。
 榎には、仲間がいる。同じ境遇の、同じ場所に向かって戦っていける、大事な仲間が。
 一人で負いこまれて、苦しむ必要なんてなかった。
 そう思っただけで、心が随分と軽くなった。
「ありがとう、みんな……」
 榎の体から、だるさや熱が取れて、すっきりしていく感覚がした。
しおりを挟む

処理中です...