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第二部 四季姫進化の巻

第十六章 伝記顛覆 8

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 八
 さらに翌朝。
 起き上がれるようになった榎は、制服に着替えて学校に行く支度を整えていた。
「えのちゃん。もう、起きても大丈夫なの?」
 部屋からの出会い頭に、椿と遭遇した。椿は驚いて、心配してくれる。榎は元気に笑って頷いた。
「熱も下がったし、いつまでも寝ていると、体が鈍っちゃうよ」
 体を動かしているほうが気分転換にもなる。榎にとっては、寝ているよりも効く療法だ。椿も納得して、頷いた。
 食事をして寺を出る。
「あのね、昨日、えのちゃんが休んでいる間、みんなと相談したの。今後、どう行動するべきか」
 坂道を下りながら、椿が話を始めた。
「色々と話しているうちに、奏さんの話になって。奏さんは、綴さんの考えについて、何も知らなかったのかなって。それとも、知っててずっと、一緒に椿たちを騙していたのかなって」
 三人の疑問は、尤もだと思った。奏が榎たちに積極的に力を貸してくれた行為の背景に、綴がいたのかどうか。
「奏さんは……。頭のいい人だけど、隠し事は下手そうだし、いつも一生懸命、あたしたちを助けてくれた。演技じゃなかったと、信じたいけれど」
 榎は、奏は何も知らないのではないかと思っていた。今までだって、四季姫の使命についても、鬼閻との因縁についても、奏は伝師の長からは何も知らされていなかった。いつも蚊帳の外にいたからこそ、四季姫が背負っている使命の重さを客観的に判断して、力になってくれていたのだと思っていた。
 綴に真実を聞かされた日も、絶望に打ちひしがれる榎を見て、困惑していた。あの態度が演技だとは、思えない。
「椿たちも、同じ気持ちよ。だから、奏さんに連絡を取って、相談しようって決めたの。今日の放課後、四季が丘に来てもらう約束をしたから、えのちゃんも一緒に来てくれる?」
「でも、もう話は終わっているわけだし、今更、蒸し返しても……」
「何か、誤解があったのかもしれないわ。椿たちが知らない、深い事情があるのかもしれないし」
 椿たちは椿たちなりに、現状を打破しようと、色々と考えてくれているみたいだ。
 榎と違い、椿は前向きだ。きっと、榎が行かないと言っても、三人だけで行ってしまうだろう。
 なら、一人だけ何も知らされずに置いてけぼりは嫌だ。榎は勇気を振り絞った。
「分かった、話を聞くだけなら」

 * * *
 放課後。
 学校から少し離れた、四季が丘商店街の中にある喫茶店で、榎たちは奏と落ち合った。
 奏のお気に入りの店だそうで、西洋アンティークの装飾品に囲まれた、落ち着いた雰囲気の静かな空間だった。
「皆さん、御機嫌よう」
 紅茶を頼み、奏は改めて静かに、挨拶をした。その表情に、普段の気楽な感じは、まったく見られない。真剣そのものの顔だった。
「わざわざ来ていただいて、すみません」
「いいえ。もう、わたくしとは会ってくれないのではと、思っていましたから」
 奏の声は、少し震えていた。
「先に、兄の非道な振舞い、代わってお詫びさせていただきます。榎さん、申し訳ありませんでした。皆さんから一部始終を教えていただくまで、わたくしは何も知らなかったのです」
 続けて、深く深く、頭を下げた。
 やっぱり、奏は綴とグルではなかった。真実を知っていたのなら、既に何もかも終わった今になって、榎たちの誘いに応じるわけがないし、詫びる必要だってないはずだ。
「奏さんが、謝る必要なんて、ないです。全部、あたしが悪いんです……。あたしが馬鹿だから、綴さんの気持ちにも気付けずに、好き勝手やって……」
 奏がシロである以上、余計に罪悪感を背負わせる結果になってしまい、申し訳なく思った。
「いいえ、あなたは、何も悪くありませんわ。私がもっと早く、兄の計画に気付いていたならば、別の解決策を考える時間もあったはずなのです」
 それでも奏は、今回の一件を奏自身の認識不足が要因の一つと考え、多分に悔いてくれていた。
「私は、表の会社を盛り上げるために尽力するばかりで、伝師が持つ裏の顔については、ほとんど知識を持っていませんでした。にわか霊媒師に扮して、営業活動なんてしている場合ではなかったのです。ですから、私も全てを知ろうと、あらゆる手を使って情報を集めました。家に古くから伝わる書物を読み漁り、父を問い質し、伝師一族の裏の世界を知りました。わたくし自身も、今まで何も知らなかった膨大な情報に、頭がついていけていないのですが……。今日は、私の得たすべての情報を、皆さんにもお伝えしたいと思い、やってまいりました」
 決意を固めた瞳で、榎たちを見渡す。
「その、伝師の裏側っちゅう話が理解できれば、榎の受けた傷が癒えるんですか? うちら四季姫の、伝師や綴はんに対する態度が、変わるっちゅうんですか?」
 奏の決意を見ながらも、柊はまだ少し警戒した様子で、強い口調で問い質した。
 ゆっくりと、奏は首を横に振った。
「話をした結果、皆さんがどんな感想を抱かれるかは、わたくしには分かりません。それでも、黙っているよりは、ましかと」
「感情論で話していても、埒があきまへんから。意見は、お話を聞いてからにしましょう」
 楸に促され、ようやく話がまとまった。
 淡々と、奏は話を始めた。
「皆さんもご存知の通り、伝師一族は平安時代から続く由緒ある陰陽師の家系です。ですが、時間の経過と共にその力は薄れ、今では母や兄のような、微かな力を秘めた者が時折生まれるくらいの、弱体した家となってしまいました」
 伝師の現状を、簡単に説明射ていく。一族が衰退の一途を辿っている話は、綴も語っていた。
「近世の伝師一族は、もはや過去の栄光など面影すら見つけられないほどに衰退しました。一族の血に流れる悪鬼の力を糧にして栄えていた一族でしたから、その力が弱まるにつれて、その地位も身分も地に落ち、先代の頃には誰からも相手にされない小さな会社を細々と営んでいるだけでした。その会社も、わたくしたちの父の代で倒産の憂き目に遭い、伝師の力は完全に滅びようとしていました。その際に、わたくしたちの母の案によって、過去の栄光を取り戻す策が講じられたのです」
「その、策とは?」
「皆さんもご覧になったそうですが、世界各地の地底には、〝地脈〟と呼ばれる強大なエネルギーが川の如く流れて、世の均衡を保っているのです。母の考えは、その地脈の力を可能な限り吸い出し、枯渇した伝師の力に変換しよう、というものでした」
「そんな作戦、うまくいくんですか? 椿も、あの水の力を受けたけれど、強すぎて扱えそうになかったわ」
 確かに、あのすごい力を使いこなせるなら、とんでもない影響を受けられるはずだ。だが、一歩間違えれば周囲に危険を及ぼす可能性もある。
「もちろん、それなりに卓越した技量が必要です。母には、地脈の力を操るだけの素質がありました。その力の吸収に成功し、伝師は一気に持ち直して、わずか二十年足らずで世界に名の知れる大企業にまで発展を遂げたのです」
「あの水に、そないな力があるんか。すごいな。まさに金になる水やな。石油なんか目やないで」
 とんでもない話を聞き、みんなが驚く中、柊は目を輝かせて口笛を吹いた。
「でも、恐ろしい力どす。扱える人間も、限られておりますし。そないな強い力を、伝師一族はいつまでも使い続けるおつもりなんどすか?」
 楸は少し青褪めた表情で、奏に不安をぶつけた。
「強い力を得れば、きっと何らかの反動が起こるはずどす。今は繁栄を極めていても、その状態がいつまで続くか……」
「人の欲とは、恐ろしいものですわね。一度有益な力を手に入れてしまえば、手放す行為を由としないのです。わたくしも、生まれてからずっと、その力の恩恵を受けて不自由なく暮らしてきた身ですから、何も言えた義理ではありませんけれど」
「つまり、伝師一族は地脈の力に依存しすぎて、中毒状態に陥っておるわけどすな」
 中毒なんて恐ろしい話を聞かされるとは、思っていなかった。麻薬やお酒や煙草など、いろんなものに依存して身を持ち崩す人がいる話は聞いているが、榎たちにとっては縁のない話だと思っていた。
 綴も、地脈の力の恩恵に与(あずか)り過ぎて、我を失っているのだろうか。伝師の繁栄にしがみつくあまり、長の地位に固執して、その居場所を奪おうとした四季姫を恨んだのだろうか。
「やはり、そのような仕組みがございましたか」
 話の合間を縫って、意外な人物の声が入り込んできた。
 通路に目を向けると、月麿がちょこんと立っていた。
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