1 / 132
【第一章】記憶の底にある世界
無彩色な日々
しおりを挟む
あのひと夏の思い出は、あやふやでありながらも、今でも僕の心に、鮮やかな彩りを残している。
僕の世界は、彼女が創っていた。
母から、小学校の同窓会のハガキが来たと知らせを受け、僕は久しぶりに彼女のことを思い出した。遠い夏の記憶――蝉の声が耳元で鳴り響き、日差しの匂いが肌にしみついていたあの季節。
ほんのわずか、彼女と過ごした時間。不思議で説明のつかない体験。
今となっては、彼女の名前さえも曖昧だ。
あの頃の僕にはわからなかったが、今になって思う。
彼女はこの世界の理を超えた、特異な存在だった。
好奇心に満ち、零れ落ちそうな大きな瞳で見つめられると心臓が高鳴り、肩のあたりで揃えられたサラサラの髪の毛からは、爽やかな夏の香りがした。
友達からは「洵」と名前で呼ばれていた僕を、彼女は何の遠慮もなく「ハチ」と呼んだ。名字の「八幡」から勝手に名づけたその呼び方は、最初は犬の名前のようで気に入らなかった。
でも、彼女の弾むような声が発する「ハチ」という響きに嬉しさを感じるようになるまで、そう時間はかからなかった。
社会人三年目の僕は、日々を生きることに精一杯で、思い出に浸る時間はほとんどなかった。
小学校の同級生で仲が良かった友達は数人いたが、今も連絡を取り合っているやつは一人もいない。
中学を卒業してからは疎遠になり、遠い昔にSNSでつながったまま、僕が東京の大学に通う頃には自然に連絡が途絶えていった。同窓会の話を聞くまで、彼女のこともすっかり忘れていた。
東京に行けば、新しい出会いと充実した生活が待っていると信じていた。しかし現実は、人混みの中で自分が小さく埋もれるような、孤独を感じる日々だった。
いつもと同じ時刻に家を出る。
蝉の声しかしない道をしばし歩けば、徐々に周囲に人が増え、駅に向かう人の波が形成される。
綺麗に整った隊列が、最寄り駅へと吸い込まれていく様は、まるで働きアリの行列だ。
駅のホームに立つ人々は皆、無表情でスマートフォンを見つめている。
その一様な姿は、まるで心を失った群れのように見えた。
駅員のアナウンスが不自然に整った声で響き、電車が滑り込む。
山手線という小さな箱にぎゅうぎゅうに押しつぶされながら運ばれ、大量の人とともに僕も吐き出される。
駅前の歩行者信号が青に変わると、一斉に人々が歩き出す。
僕の田舎に比べて圧倒的に人は多いけれど、道を行き交う大量の人々の表情はどこか空虚で、この人たち一人ひとりにも人生があるのだと考えるだけで、気が遠くなる。
家と会社を往復するだけの毎日。
ルーティンの繰り返しで心躍るようなことは何一つない。
そんな無彩色の日々の中で、ふと甦った彼女との記憶は、ほんのひと時のものだったのに不思議なほど鮮やかだった。
あの夏の日差しの中で笑っていた彼女の姿は、時間を越えてもなお、美しい色を保っている。
僕の世界は、彼女が創っていた。
母から、小学校の同窓会のハガキが来たと知らせを受け、僕は久しぶりに彼女のことを思い出した。遠い夏の記憶――蝉の声が耳元で鳴り響き、日差しの匂いが肌にしみついていたあの季節。
ほんのわずか、彼女と過ごした時間。不思議で説明のつかない体験。
今となっては、彼女の名前さえも曖昧だ。
あの頃の僕にはわからなかったが、今になって思う。
彼女はこの世界の理を超えた、特異な存在だった。
好奇心に満ち、零れ落ちそうな大きな瞳で見つめられると心臓が高鳴り、肩のあたりで揃えられたサラサラの髪の毛からは、爽やかな夏の香りがした。
友達からは「洵」と名前で呼ばれていた僕を、彼女は何の遠慮もなく「ハチ」と呼んだ。名字の「八幡」から勝手に名づけたその呼び方は、最初は犬の名前のようで気に入らなかった。
でも、彼女の弾むような声が発する「ハチ」という響きに嬉しさを感じるようになるまで、そう時間はかからなかった。
社会人三年目の僕は、日々を生きることに精一杯で、思い出に浸る時間はほとんどなかった。
小学校の同級生で仲が良かった友達は数人いたが、今も連絡を取り合っているやつは一人もいない。
中学を卒業してからは疎遠になり、遠い昔にSNSでつながったまま、僕が東京の大学に通う頃には自然に連絡が途絶えていった。同窓会の話を聞くまで、彼女のこともすっかり忘れていた。
東京に行けば、新しい出会いと充実した生活が待っていると信じていた。しかし現実は、人混みの中で自分が小さく埋もれるような、孤独を感じる日々だった。
いつもと同じ時刻に家を出る。
蝉の声しかしない道をしばし歩けば、徐々に周囲に人が増え、駅に向かう人の波が形成される。
綺麗に整った隊列が、最寄り駅へと吸い込まれていく様は、まるで働きアリの行列だ。
駅のホームに立つ人々は皆、無表情でスマートフォンを見つめている。
その一様な姿は、まるで心を失った群れのように見えた。
駅員のアナウンスが不自然に整った声で響き、電車が滑り込む。
山手線という小さな箱にぎゅうぎゅうに押しつぶされながら運ばれ、大量の人とともに僕も吐き出される。
駅前の歩行者信号が青に変わると、一斉に人々が歩き出す。
僕の田舎に比べて圧倒的に人は多いけれど、道を行き交う大量の人々の表情はどこか空虚で、この人たち一人ひとりにも人生があるのだと考えるだけで、気が遠くなる。
家と会社を往復するだけの毎日。
ルーティンの繰り返しで心躍るようなことは何一つない。
そんな無彩色の日々の中で、ふと甦った彼女との記憶は、ほんのひと時のものだったのに不思議なほど鮮やかだった。
あの夏の日差しの中で笑っていた彼女の姿は、時間を越えてもなお、美しい色を保っている。
1
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
見上げた空は、今日もアオハルなり
木立 花音
青春
──私の想いは届かない。私には、気持ちを伝えるための”声”がないから。
幼馴染だった三人の少年少女。広瀬慎吾(ひろせしんご)。渡辺美也(わたなべみや)。阿久津斗哉(あくつとおや)。そして、重度の聴覚障害を抱え他人と上手くうち解けられない少女、桐原悠里(きりはらゆうり)。
四人の恋心が激しく交錯するなか、文化祭の出し物として決まったのは、演劇ロミオとジュリエット。
ところが、文化祭の準備が滞りなく進んでいたある日。突然、ジュリエット役の桐原悠里が学校を休んでしまう。それは、言葉を発しない彼女が出した、初めてのSOSだった。閉ざされた悠里の心の扉をひらくため、今、三人が立ち上がる!
これは──時にはぶつかり時には涙しながらも、卒業までを駆け抜けた四人の青春群像劇。
※バレンタイン・デイ(ズ)の姉妹作品です。相互にネタバレ要素を含むので、了承願います。
※表紙画像は、ミカスケ様にリクエストして描いて頂いたフリーイラスト。イメージは、主人公の一人悠里です。
(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活
まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開?
第二巻は、ホラー風味です。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。
この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる