32 / 132
【第三章】君と色づく世界
苦い思い出
しおりを挟む
そのあと僕たちは近くの居酒屋で晩ごはんを食べることにした。
入り口の暖簾をくぐると、店内には焼き鳥の香ばしい匂いと、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
テーブル席に案内されると、可琳がメニューを手に取りながら笑顔で言った。
「ハチの好きなもの頼んでいいよ」
可琳のその言葉に甘えて、僕はビールと、軽く何品かを注文した。
お通しの小鉢がテーブルに置かれると、僕の頭に浮かんでいた疑問が再び顔を覗かせる。
「ねえ、可琳のお母さん、僕のこと知ってたみたいだけど……小さい頃に会ってたりするのかな。僕は全然覚えてないんだけど」
その時、一瞬だけ可琳の表情が曇ったように見えた。彼女は目線を少し横にそらしながら、うーん、と小さく唸る。
「直接話したことはないけど、ハチのことは知ってるんだと思うよ。ハチのお父さんは、昔ママと同じ部署で働いていたし。ハチのことは、お父さんからよく聞いてたんじゃないかな」
「父さんが僕のことを誰かに話すなんて、あんまり想像できないな」
そう言いながら、僕は、記憶の底に沈んでいたものを掘り起こす。
「仕事ばっかりで、遊んでもらった記憶もあんまりないし、僕に興味なんてなかったんだと思う」
苦い思い出が胸をよぎる。
父さんはほとんど家にいなかった。覚えているのは、離婚をする少し前のことだ。毎日のように激しく言い争う父さんと母さんの姿。
母さんを怒鳴りつける父さん――その荒々しい声が、今も耳にこびりついている。
僕は言葉を切りながら、なんとなく、箸の先で小鉢の中身をつついてしまう。酢の効いたキュウリの香りがふわりと鼻をかすめたが、それを口に運ぶ気にはなれなかった。
僕の表情が険しくなったからか、可琳が、少し慌てたように口を開いた。
「ごめん、私はハチのお父さんと話したことがあって、そんなに悪い人に見えなかったから……」
思わぬ言葉に、僕は顔を上げる。
「可琳も、僕の父さんに会ったことがあるんだ」
「うん。子どもの頃にね。でも――」
可琳は少し言葉を濁した。僕が黙って続きを待っていると、彼女は控えめに続けた。
「ハチの中に、あんまり良い記憶が残ってないなら、お父さんの話はしないほうがいい?」
彼女の気遣いが伝わり、つい笑みがこぼれた。
「特に話す内容もないしね。あんまり家にいなかったし」
「そうなんだ……」
可琳は僕の顔をじっと見つめていたが、やがて話題を切り替えるように尋ねた。
「今はお母さんと暮らしてるんだよね。お母さんは元気にしてる?」
「うん。趣味のフラダンスを楽しんでるみたいだし、今は悠々自適に暮らしてるよ」
母さんが幸せそうに過ごしている姿を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ暖かくなる。
「小さかった頃は親の離婚なんて嫌だったけど、今こうして幸せそうにしている母さんを見ると、これでよかったんだなって思えるよ」
言葉にした瞬間、過去の苦い記憶がほんの少し和らぐ気がした。
ふと、可琳の手元が動いているのに気づく。よく見てみると、箸袋で何かを作っているようだった。器用な指先が小さな紙を折りたたむ様子に、自然と目を奪われる。
「ならよかった。ハチもお母さんも幸せなら、それで」
可琳は小さな犬の形をした箸置きを完成させると、箸をそっとその上に乗せた。
「凄い。器用なんだね」
「小さい頃から折り紙が大好きで、ママとよく折って遊んだの。……これ、ダックスフンド。ママに作り方教えてもらったんだ。ついクセで箸袋があると折っちゃうんだよね」
可琳の言葉にはどこか懐かしさが滲んでいて、その声を聞いているだけで、彼女と母親の穏やかな時間が目に浮かぶようだった。
入り口の暖簾をくぐると、店内には焼き鳥の香ばしい匂いと、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
テーブル席に案内されると、可琳がメニューを手に取りながら笑顔で言った。
「ハチの好きなもの頼んでいいよ」
可琳のその言葉に甘えて、僕はビールと、軽く何品かを注文した。
お通しの小鉢がテーブルに置かれると、僕の頭に浮かんでいた疑問が再び顔を覗かせる。
「ねえ、可琳のお母さん、僕のこと知ってたみたいだけど……小さい頃に会ってたりするのかな。僕は全然覚えてないんだけど」
その時、一瞬だけ可琳の表情が曇ったように見えた。彼女は目線を少し横にそらしながら、うーん、と小さく唸る。
「直接話したことはないけど、ハチのことは知ってるんだと思うよ。ハチのお父さんは、昔ママと同じ部署で働いていたし。ハチのことは、お父さんからよく聞いてたんじゃないかな」
「父さんが僕のことを誰かに話すなんて、あんまり想像できないな」
そう言いながら、僕は、記憶の底に沈んでいたものを掘り起こす。
「仕事ばっかりで、遊んでもらった記憶もあんまりないし、僕に興味なんてなかったんだと思う」
苦い思い出が胸をよぎる。
父さんはほとんど家にいなかった。覚えているのは、離婚をする少し前のことだ。毎日のように激しく言い争う父さんと母さんの姿。
母さんを怒鳴りつける父さん――その荒々しい声が、今も耳にこびりついている。
僕は言葉を切りながら、なんとなく、箸の先で小鉢の中身をつついてしまう。酢の効いたキュウリの香りがふわりと鼻をかすめたが、それを口に運ぶ気にはなれなかった。
僕の表情が険しくなったからか、可琳が、少し慌てたように口を開いた。
「ごめん、私はハチのお父さんと話したことがあって、そんなに悪い人に見えなかったから……」
思わぬ言葉に、僕は顔を上げる。
「可琳も、僕の父さんに会ったことがあるんだ」
「うん。子どもの頃にね。でも――」
可琳は少し言葉を濁した。僕が黙って続きを待っていると、彼女は控えめに続けた。
「ハチの中に、あんまり良い記憶が残ってないなら、お父さんの話はしないほうがいい?」
彼女の気遣いが伝わり、つい笑みがこぼれた。
「特に話す内容もないしね。あんまり家にいなかったし」
「そうなんだ……」
可琳は僕の顔をじっと見つめていたが、やがて話題を切り替えるように尋ねた。
「今はお母さんと暮らしてるんだよね。お母さんは元気にしてる?」
「うん。趣味のフラダンスを楽しんでるみたいだし、今は悠々自適に暮らしてるよ」
母さんが幸せそうに過ごしている姿を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ暖かくなる。
「小さかった頃は親の離婚なんて嫌だったけど、今こうして幸せそうにしている母さんを見ると、これでよかったんだなって思えるよ」
言葉にした瞬間、過去の苦い記憶がほんの少し和らぐ気がした。
ふと、可琳の手元が動いているのに気づく。よく見てみると、箸袋で何かを作っているようだった。器用な指先が小さな紙を折りたたむ様子に、自然と目を奪われる。
「ならよかった。ハチもお母さんも幸せなら、それで」
可琳は小さな犬の形をした箸置きを完成させると、箸をそっとその上に乗せた。
「凄い。器用なんだね」
「小さい頃から折り紙が大好きで、ママとよく折って遊んだの。……これ、ダックスフンド。ママに作り方教えてもらったんだ。ついクセで箸袋があると折っちゃうんだよね」
可琳の言葉にはどこか懐かしさが滲んでいて、その声を聞いているだけで、彼女と母親の穏やかな時間が目に浮かぶようだった。
1
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
見上げた空は、今日もアオハルなり
木立 花音
青春
──私の想いは届かない。私には、気持ちを伝えるための”声”がないから。
幼馴染だった三人の少年少女。広瀬慎吾(ひろせしんご)。渡辺美也(わたなべみや)。阿久津斗哉(あくつとおや)。そして、重度の聴覚障害を抱え他人と上手くうち解けられない少女、桐原悠里(きりはらゆうり)。
四人の恋心が激しく交錯するなか、文化祭の出し物として決まったのは、演劇ロミオとジュリエット。
ところが、文化祭の準備が滞りなく進んでいたある日。突然、ジュリエット役の桐原悠里が学校を休んでしまう。それは、言葉を発しない彼女が出した、初めてのSOSだった。閉ざされた悠里の心の扉をひらくため、今、三人が立ち上がる!
これは──時にはぶつかり時には涙しながらも、卒業までを駆け抜けた四人の青春群像劇。
※バレンタイン・デイ(ズ)の姉妹作品です。相互にネタバレ要素を含むので、了承願います。
※表紙画像は、ミカスケ様にリクエストして描いて頂いたフリーイラスト。イメージは、主人公の一人悠里です。
(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活
まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開?
第二巻は、ホラー風味です。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。
この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる