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第一章 とても不思議な世界
22話 煽られる不安③
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日々喜達が通された部屋では、既にフェンネルとローリを含む複数名の人物が話し合いをしていた様子であった。
上座に鎮座する初老の男性は、年齢を感じさせる灰色の顎髭を撫で廻しながら、今、目の前の扉から入って来た日々喜の事をまるで値踏みでもするかのように見まわしている。
そして、その初老の男性の右斜め前の席には、このステーションの職員らしき制服を着こんだ魔導士が座っていた。
小太りな中年の男性で、禿げかけた頭を見せつけるかのように背を丸め、テーブルに広げられた書類に目を落としていた。
その隣には小太りの方と比べれば若い、とは言えマウロやパルルに比べれば四、五歳は年上に見える女性の魔導士が座っており、眼鏡の奥から視線のみを日々喜の方へ向けていた。彼女はステーションの制服とは異なるが、それでもいずれかの組織の規定に基づいた服装をしていた。
「ドワイト叔父様、彼が先程お話ししました長岐日々喜です」
「おお、そうか。彼が話題の従者か」
小太りと眼鏡女の対面に座っていたフェンネルが、上座の男性に話し掛ける。すると、上座の男性は日々喜の存在に今気が付いたかのような反応を見せた。
「日々喜。こちらは魔導局憲兵隊の東部方面部長を務められるドワイト・イクリル叔父様よ。お父様のご学友で、私を含めこのイバラは昔から懇意にさせて頂いているの。そしてこちらが、このイバラ領の魔導士ステーションの所長を務められるハートン・ブルジュ所長よ」
フェンネルの紹介を受け、それまで書類に目を落としていた小太りが顔を上げ、日々喜に小さく会釈した。
「初めまして、長岐日々喜と申します」
「うむ。トウワ国の出身と聞いていたが、一通りの教育は受けてきているようだ。どうやら、我々の心配は杞憂に終わったようだなブルジュ所長」
「そのようですな」
日々喜は主人の招きに従い、広い部屋の真ん中に置かれた長いテーブルを横切り、フェンネル達の下に近づいて行った。
途中、長いテーブルに着座していたその他の魔導士達が、通り過ぎる日々喜に好奇の眼差しを向けながらヒソヒソと話をし始めた。
「ほう、あれが、例のトウワ国の魔導士……?」(A)
「らしいわね。たった一人で白蛇を追い払ったとか……」(B)
「いやいや、聞く所に依れば彼はその弟子の一人らしいですが……」(C)
知らない人に自分の話をされている事に気が付くが、日々喜は気にしない振りをしながらフェンネルの下に到着した。
イクリルは、目の前に来た日々喜の事を上から下まで舐めるように見渡し、一際大きな声で話し掛け始めた。
「ふむ、背も高く体格もいい。年齢は幾つだね?」
「日々喜は一六です」
フェンネルが日々喜の代わりに答える。
「その年齢でこの立ち振る舞い。フェンネル、長岐日々喜は将来必ず有能な従者になるだろう」
「ありがとうございます。叔父様」
「無口な所も気に入った」
イクリルとフェンネルの話に一切加わろうとしない日々喜は、その場でただ背筋を伸ばして立ち尽くすのみであった。しかし、その姿さえ主人に仕える従順な従者として映ったらしく、イクリルにさらに好印象を与えた様子だ。
「イクリル部長。フォーリアム様の新たな従者の件が解消された所で、そろそろモンスターについて続きをお話いたしましょう。フェンネル様もこの件に関して不安を感じられている事でしょうから」
折を見計らう様にしてブルジュ所長が、脱線しかけた話を本題へと修正し始めた。イクリルも真面目な顔つきになり、続けるようにと指示を出す。それを受けブルジュ所長の隣に座る眼鏡女が立ち上がった。
「失礼いたします。復興機関員ミリアム・ブレアでございます。本日は、前回までの会談に引き続き、これまでの調査の結果についてご説明させていただきます」
ブレアはそう言うと、手元の資料に目を落とし、淡々とした調子で説明を開始した。
イバラ領に駐在する憲兵、復興機関員など、その辺りの関係性が曖昧だった日々喜は、話しについて行くのでやっとだ。それでも、その内容が森に出たゴブリンと呼ばれるモンスターについてのものだと言う事は分かった。
「いいかい、日々喜。復興機関と言うのはね、戦後に生まれた魔導局内の新設機関の事だ。彼らは、戦禍からの迅速な復興を目的に行動しているんだよ」
日々喜のそんな様子を察して、隣に並び立っていたマウロが小声で、復興機関についての説明を付け足す。
「戦争は、東の国で起きたのでは無いんですか?」
「その通りだよ。だけど、東の彼方で行使された強大な魔法的力。その影響が遠く我が国にまで及んだのさ」
話しをしながら、当時の事を思い出したのか、マウロは苦い表情を浮かべた。
「戦争には我が国も参戦した。賢者会の命によって魔導士達が派遣されたんだ。その結果、俺達は同盟国であるトウワ国と共に勝利を得たが、多くの同胞を失ってしまった。戦禍からの早い復興を皆が望んでいるのに、賢者会には魔導士が不足していたんだ」
「ああ。それで、復興機関ができたんですね」
マウロは頷いて答える。
「復興機関は主要領主、譜代貴族達のお抱えの魔導士達によって構成されている。賢者会傘下の機関に比べれば小さなものだが、イバラ領で起きている様な諸領主の抱える問題に融通して解決に当たってくれるんだ。そして、幸いな事に、イクリル方面部長殿は、復興機関にも顔が利く。お嬢様が困っているからと、去年の冬から彼らにイバラ領への派遣を要請して下さったんだよ」
マウロの話に、日々喜は感心した様に聞き入っていた。そんな二人の様子を尻目に、ブレアは一つ大きな咳払いをした。
思わず二人は姿勢を改める。
「さて、以上の事より、イバラ領内でのモンスター発生の傾向を確認する事が出来ませんでした。この為、領域内で見つかったゴブリン及び白蛇につきましては、領外からこの領内に侵入してきた外来の種族であると断定して問題ございません。早急にこれらモンスター達の駆除を行うべきであると考えます」
ブレアがそう話をした時、居並んでいたその他の魔導士達が口々に言葉を発し始めた。
「まったく。そんな分かり切った事の為に、よくもこれだけ時間を掛けたものだ。このイバラは天蚕の王アイディ・クインの支配下にある。モンスターの発生など初めからあり得ないと、わしは言っとったのに」(A)
「いやいや、復興機関と言えど所詮は外部の人間。主要領域を預かる方々にとっては、このイバラの流儀に合わせるのは至難であった。そう言った所でしょうな」(C)
「ふはは、違いない!」(A)
「それにしても、白蛇の居場所は特定されていないのでしょう? これから、森の全域を捜索するとなると、だいぶ時間の掛かる事になるわね」(B)
「何、心配には及ばんわい。モンスターが住みついているとすれば、森の西側以外にあり得ん。白蛇はわしの一門に任し、おぬしらは憲兵隊と協力し合ってゴブリンの捕獲に当たればよいわ」(A)
「白蛇に関してまして一点。よろしいでしょうか?」
魔導士達の話し合いに、ブレアが口を挟んだ。
「この種のモンスターにつきまして、我々は危険性が無いものと考えております。現状はゴブリンの駆除を優先して行うべきでしょう」
魔導士達の間でどよめきが起きる。
「何を言うか! 白蛇の危険性がゴブリン以下だと! 現に人が襲われているのだぞ!」(A)
「それに、襲われたのはフォーリアム様の一門に加わった門下生なのですよ。この事実をないがしろにするなんて、無礼極まりない事だわ!」(B)
ブレアは怖気る様子も見せず、一人で魔導士達相手に話をし始めた。
「イバラ流のご意見、誠にありがとうございます。しかし、状況を見る限り白蛇が人を襲ったのは、自らの縄張りを守る為に取った動物的行動であると判断できます。我々が無暗に手を出さなければ、噛みつく事も無かったでしょう。そして、襲われた者は、この領地に来たばかりの見習い魔導士だったと聞いております。フォーリアム一門の教えに早くから触れていれば、このような事態は避けられたのではないでしょうか?」
「しかし、あれはマジックブレイカーだ。魔法陣を破壊するモンスターともなれば、魔導士に取って脅威である事に変わりはない」(C)
「確かに、脅威的な能力を持ち合わせている事は否定できません。戦前から戦後に至る最中、猛威を振るった亡国の剣士達は、同様に魔法陣を破壊するマジックブレイカーでありました。しかし、彼らが我が国の魔導士と対等の力を持ったのは、我々と同じ人間であったからに他ありません。人とは歴然とした差がある、営みを持つ事さえ知らないモンスター……。いいえ、特異な力を持つ白蛇は上位のモンスターに位置付けるべきでしょう。それでも、我々の前では害獣と変わり無いのです」
「だからと言って、非力なゴブリン以下と言う事は……」(C)
「皆様はご存知の事と思われますが、人に近い営みを持つモンスターは、人と同様にルーラーの庇護を請う事があります。我が国において、獣人やエルフ等と言った種族の方々が、人と共存の道を歩む事が出来たのは同じルーラーを崇めることが出来た為です。しかし、モンスターは時折、ルーラーでは無く、この世に存在しないよからぬ者達に庇護を請う場合があるのです。ルーラーが不在である現状において、もし彼らがこの領域に定着し、この土地の人とは違う何かをルーラーとしてあがめ始めた場合、どのような惨状が待っているか、想像に難くない事でしょう」
「そんな稀な事が、不安の材料になるものか! 例えアイディ・クインが人前から姿を隠されたとしても、よからぬ者が出現するなど。口にすべきではない!」(A)
「それに、非力なゴブリン達に手を貸す者がいるとは考えられない事だわ。領域外からこのイバラ領に来たと言うけれど、大方はそこかしこで見放されたからに違いないわ。放っておいたとしても、このイバラ領で全滅するか、あるいは負け犬の様に逃げ出すかの二つに一つしかないのではないかしら?」(B)
「もう一つ!」
ブレアはそこで、ハッキリとした口調で言葉を発した。
「懸念があるのです。ルーラーが不在な今、非力なゴブリン達がもし、この領域に適応する事も出来ず、そうでありながら誰の庇護も受けずに留まり続けた場合。このようなはぐれ者達を狙って、必ず、デーモンがこのイバラ領に姿を見せる事でしょう」
居並ぶ魔導士達の間に、再び動揺が走った。
「デ、デーモン!? デーモンがゴブリンをさらいに来ると言いたいのかね?」(C)
「正確には、ゴブリンの子供をさらいに来るのです」
「馬鹿な! ゴブリンはモンスターだぞ!」(A)
「その通りでございます。人と同じ、あるいは、人に近い営みを持つモンスター。営みの破壊者たるデーモンの目には、これらと人とを区別する理由が無いのです。そして、ゴブリンの営みを破壊した後、デーモンは必ず人の営みにも目を付ける事でしょう」
「つまり、人間の子供を、おお……」(B)
そこまで言葉を口にした魔導士が、思わずその恐ろしさに自らの口を手で塞いだ。
「もちろん、これも稀な事ではございます。しかし、我が国の同盟国であるトウワ国国内では前例のある事なのです」
戸惑いを隠す事無く、魔導士達は勝手に互い互いの意見を話し合い始めた。
その様子は、傍から眺めていた日々喜に取ってさえ、デーモンと言う存在がどれ程魔導士達に取って脅威となる存在であるかが理解できた。
「しかし……。どうにも納得がいきません。元々はルーラーの不在を調査する目的で復興機関は協力していたはず。それが、調べれば調べる程、悪い報告ばかり聞かされている」(C)
「ゴブリンの出現にしたってそうだ。実態調査等と小難しい言葉を並べる前に駆除しちまえば良かったのだ。あの白蛇が出て来る前なら、ウチの門下だけでも事足りたわい」(A)
「疫病神……」(B)
不安が転じて、魔導士達の意見はブレアをなじる言葉へと変わって行く。ブレアは涼しい顔つきでそれらを見据えていた。
「皆さん! どうか聞いて下さい。天蚕の王、アイディ・クインが姿を隠してより、復興機関の手を借りる事を承諾したのは他ならぬこの私なのです」
その時、フェンネルが立ち上がり言葉を投げ始めた。魔導士達は瞬時に口をつぐむ。
フェンネルは話し続けた。
「イバラ領は、人の手の入る遥か以前より、ルーラーであるアイディ・クインの力によって守られてきました。イバラの森は今よりも大きく、領域の全てを覆いつくしていたと聞いています。モンスターはおろか、人間でさえ容易く立ち入る事の出来ない領域だったのです。それが、今日ではどうでしょう。森は切り開かれ、道が引かれ、街が作られ、人の営みが築かれて行ったのです。神話の時代より語り継がれる賢者達の行いもさる事ながら、イバラがこれだけの繁栄を享受する事が出来たのは、ひとえに私達の先祖達と、ルーラーたるアイディとの絆が成されて来たからと言っても過言ではありません。そして今、祖父クローブが亡くなり、その後を追う様にアイディもまた姿を隠しました。私はこの事にこそ、重大な意味があるのだと思っています。一つの力では無く、皆が協力する事によって乗り越えて行かなくてはなりません。私達イバラの魔導士達だけではなく、この場に居る全員が一丸となって協力し合う事により、きっと天蚕の王もこのイバラ領へと帰還する事と信じているのです」
フェンネルがそう言い終わった時、それ以上不満を口にする者はいなかった。
イクリルは部屋に居る者達を見渡しその事を確認する。
「どうやら、他に意見は無さそうだな……。それでは、ブルジュ所長」
「ハッ!」
イクリルにそう言われ、小太りのブルジュ所長が目の前の書類を手に持ち立ち上がった。
「復興機関員であるブレア殿の協力により、我々はゴブリンのおおよその頭数を把握しております。今後、我々はイバラ領内の各門下魔導士様との協力により、白蛇の出現に警戒しつつ、これらゴブリンの捕獲を行い、フォーリアム商会より借り受けた施設内へ一時的に監禁いたします。その後、近隣各領域ステーションと連携し、これらモンスターの国外放逐を実施したいと考えております。具体的一例としては、ヴァーサ領ステーションとの連携により、国内領海域外への島流しを敢行するものがあります。ゴブリンの知能では万に一つも我が国に戻る事は無いものと考えられます。また、ゴブリンの頭数が五十を超える場合、捕獲並びに移送等の費用を勘案し、その場での殺処分を検討している所でございます」
「ふーむ……。良し! その方向で、進め給え」
「ハッ! それでは、皆様。作戦会議室へ参りましょう」
ブルジュ所長の呼びかけに応じる様に、居並んでいた魔導士達が立ち上がり、パルルの先導によって部屋を後にし始める。
「ブルジュ所長殿よ。良い案であると思うが、ゴブリン如きに情けを掛ける必要は無いのではないかな。頭数など数えるまでも無く、その場の裁量というものに任せると言うのは?」(A)
「いやいや、モンスターと言えどできる限りは国外、最低でも領外で処分するべきです」(C)
後にはその様な話声が聞こえる。
各門下の魔導士達は、復興機関員であるブレアに見せた時とはまるで異なる態度でブルジュ所長と接しているようだった。
「立派になったな、フェンネルよ。今は亡きクローブ様が、お前の姿を見ればきっとお喜びになられた事だろう」
ブルジュ所長達が部屋を後にした後、イクリルがフェンネルに話し掛けた。
「いいえ、叔父様。私一人の力ではありません。フォーリアム一門の皆が私に勇気をくれたんです」
「フッフ。そうか、心強い仲間達が居たのだな……」
フェンネルの事を幼い頃から知っているイクリルは、感慨にふける様にそう言った。
「方面部長殿」
そんなイクリルの事を急かす様に、ブレアが話しかけた。
「ああ、うん。……いや、私から話そう」
そう言うと、イクリルはフェンネル達の方へと向き直る。
「フェンネル、とても重要な話をしなければならない。マウロ、ローリ、そして、日々喜。これは、フォーリアム一門、延いてはイバラ領の魔導士全てに関わる問題だ。心して聞いてくれ」
マウロとローリが怪訝な表情で互いに顔を見合わせた。
「実は、不在であったルーラーの調査が済んだのだ」
「ルーラーの調査!? それでは、アイディが見つかったのですね」
「うむ……」
「どこに? ルーラーの住処に、今は戻って来ているのでしょうか?」
「いいや、フェンネル。そうではない。復興機関はルーラーの住処の周辺を調査していた。そこで一つのアーティファクトが見つかったのだ」
「アーティ、ファクト……?」
イクリルはブレアに目配せする。ブレアはそれまで部屋の隅に丁重に置かれていた黒光りする重厚そうな箱を運び、フェンネル達の前に置いた。
「お前は知っているね。ルーラーや世界の外に居るよからぬ者達は、この世界を去る時に遺物を残す事がある事を」
イクリルの言葉に合わせる様に、ブレアはその箱を開き、中身をフェンネル達に見せる。そこには、一本の法杖が収められていた。
オレンジ色の支柱に沿う様にして、若草色の非常に細い糸の様なものが幾本も引かれ、法杖の上部へと続いて行く。そこには、それらを巻き取った繭の様なものが装飾として備えられていた。
「叔父様、これは、アイディの……?」
イクリルは無言で頷いた。
「そんな……。ああ……」
「お嬢様!」
卒倒しかけるフェンネルの事を隣に座るローリが慌てて支えた。
「ご心情、お察し申し上げます。ですが、フォーリアム様。どうか御気を強く持って頂きたい。イバラ領は直ぐにでも新たなルーラーを迎え入れる準備をしなくてはなりません」
ブレアがそんなフェンネルに話し掛ける。
「新たなルーラー……?」
思考の追いつかないフェンネルは、ブレアの言葉をオウム返しに聞き返した。
「そうです。アイディ・クインの後継者です。復興機関はイバラ領内の憲兵隊と共に後継者を探し出す準備を行っているのです。ついては……」
ブレアそこで、一枚の紙をフェンネルの前に置いた。
「我々魔導局側に、イバラの森、東側全域の調査を行わせて頂きたいのです」
「全域? それでは、ルーラーの住処にまで踏み込むと言うのか?」
「その通りですアンドルフィ導士。ルーラーの後継者たる者が残されているとすれば、ルーラーの住処こそ最も可能性が高いのです」
「ブレア君、流石に性急すぎるのではないか」
「方面部長殿。急がねばならない事情は、先程お話いたしました。後々の事もございますので、フォーリアム様にはそちらの許諾書に一筆したためて頂きたいだけです。後の事は私共と、憲兵隊にお任せ頂ければ済む事なのです」
「私には……」
ブレアはフェンネルに悲しむ間も与えようとしない。そんな様子で彼女の答えを聞く前に自身の胸元から一本のペンを取り、それを机に置こうとした。
周りの者達は黙ってフェンネルの答えを待ち続ける。その最中、日々喜だけがブレアの仕草に合わせ、その胸元に輝くバッチに注目していた。
どこかで見た事があった。
そのバッチには、【Restoration】と刻まれていたのだ。
日々喜の脳裏に、焼き付いていた光景が蘇り始める。
薄暗い牢屋の中で、光から身を隠す様にして過ごす者達の姿を思い起こした。
日々喜は咄嗟にブレアの手を取り、その行動を阻んだ。
「……何か?」
その行動の意図を理解しかね、ブレアは冷静に日々喜に尋ねた。
「彼女を追い詰めないで」
それまで一切崩れる事が無かったブレアの表情に、僅かな陰りが射した。
そして、日々喜の言葉の意味を探る様にその黒い瞳を覗き込み続けた。
「日々喜……。そう言う事だブレアさん。今は承諾しかねる。お嬢様もお疲れのご様子、一端は我々の方で持ち帰らせて頂きたい」
マウロがそう言った。
ブレアは日々喜から視線を切ると、一先ずペンを自分の胸元に戻し始める。
「……もちろん、それで構いませんよアンドルフィ導士。しかし――」
「それとだ! 承諾の有無に依らず、今後、協議の必要があるのなら、まず事前に連絡をよこしな。そして、あんたが直接屋敷に顔を出すんだよ!」
ローリがブレアの言葉を遮る様に、感情を込めた口調でそう言った。
「ええ、ええ、勿論ですメイヤー導士。我々にとって最も大事な事は、信頼、ですから。フォーリアム一門の皆様にはぜひ熟慮いただき、賢明なる判断をして頂きたいと存じます」
ブレアは笑みを作りローリの言葉に応えた。
フォーリアム一門一同席を立ち部屋を後にし始める。フェンネルは力なく、その身をローリに預けながら、弱々しく歩いて行った。
「フェンネル……。すまない」
旧友の娘のそんな姿を見据えながら、イクリルは一言言葉を呟いた。
丁度、広場の鐘楼が十一時の時報を打った。
その鐘の音が部屋の中まで鳴り響き、イクリルの言葉をかき消した。
上座に鎮座する初老の男性は、年齢を感じさせる灰色の顎髭を撫で廻しながら、今、目の前の扉から入って来た日々喜の事をまるで値踏みでもするかのように見まわしている。
そして、その初老の男性の右斜め前の席には、このステーションの職員らしき制服を着こんだ魔導士が座っていた。
小太りな中年の男性で、禿げかけた頭を見せつけるかのように背を丸め、テーブルに広げられた書類に目を落としていた。
その隣には小太りの方と比べれば若い、とは言えマウロやパルルに比べれば四、五歳は年上に見える女性の魔導士が座っており、眼鏡の奥から視線のみを日々喜の方へ向けていた。彼女はステーションの制服とは異なるが、それでもいずれかの組織の規定に基づいた服装をしていた。
「ドワイト叔父様、彼が先程お話ししました長岐日々喜です」
「おお、そうか。彼が話題の従者か」
小太りと眼鏡女の対面に座っていたフェンネルが、上座の男性に話し掛ける。すると、上座の男性は日々喜の存在に今気が付いたかのような反応を見せた。
「日々喜。こちらは魔導局憲兵隊の東部方面部長を務められるドワイト・イクリル叔父様よ。お父様のご学友で、私を含めこのイバラは昔から懇意にさせて頂いているの。そしてこちらが、このイバラ領の魔導士ステーションの所長を務められるハートン・ブルジュ所長よ」
フェンネルの紹介を受け、それまで書類に目を落としていた小太りが顔を上げ、日々喜に小さく会釈した。
「初めまして、長岐日々喜と申します」
「うむ。トウワ国の出身と聞いていたが、一通りの教育は受けてきているようだ。どうやら、我々の心配は杞憂に終わったようだなブルジュ所長」
「そのようですな」
日々喜は主人の招きに従い、広い部屋の真ん中に置かれた長いテーブルを横切り、フェンネル達の下に近づいて行った。
途中、長いテーブルに着座していたその他の魔導士達が、通り過ぎる日々喜に好奇の眼差しを向けながらヒソヒソと話をし始めた。
「ほう、あれが、例のトウワ国の魔導士……?」(A)
「らしいわね。たった一人で白蛇を追い払ったとか……」(B)
「いやいや、聞く所に依れば彼はその弟子の一人らしいですが……」(C)
知らない人に自分の話をされている事に気が付くが、日々喜は気にしない振りをしながらフェンネルの下に到着した。
イクリルは、目の前に来た日々喜の事を上から下まで舐めるように見渡し、一際大きな声で話し掛け始めた。
「ふむ、背も高く体格もいい。年齢は幾つだね?」
「日々喜は一六です」
フェンネルが日々喜の代わりに答える。
「その年齢でこの立ち振る舞い。フェンネル、長岐日々喜は将来必ず有能な従者になるだろう」
「ありがとうございます。叔父様」
「無口な所も気に入った」
イクリルとフェンネルの話に一切加わろうとしない日々喜は、その場でただ背筋を伸ばして立ち尽くすのみであった。しかし、その姿さえ主人に仕える従順な従者として映ったらしく、イクリルにさらに好印象を与えた様子だ。
「イクリル部長。フォーリアム様の新たな従者の件が解消された所で、そろそろモンスターについて続きをお話いたしましょう。フェンネル様もこの件に関して不安を感じられている事でしょうから」
折を見計らう様にしてブルジュ所長が、脱線しかけた話を本題へと修正し始めた。イクリルも真面目な顔つきになり、続けるようにと指示を出す。それを受けブルジュ所長の隣に座る眼鏡女が立ち上がった。
「失礼いたします。復興機関員ミリアム・ブレアでございます。本日は、前回までの会談に引き続き、これまでの調査の結果についてご説明させていただきます」
ブレアはそう言うと、手元の資料に目を落とし、淡々とした調子で説明を開始した。
イバラ領に駐在する憲兵、復興機関員など、その辺りの関係性が曖昧だった日々喜は、話しについて行くのでやっとだ。それでも、その内容が森に出たゴブリンと呼ばれるモンスターについてのものだと言う事は分かった。
「いいかい、日々喜。復興機関と言うのはね、戦後に生まれた魔導局内の新設機関の事だ。彼らは、戦禍からの迅速な復興を目的に行動しているんだよ」
日々喜のそんな様子を察して、隣に並び立っていたマウロが小声で、復興機関についての説明を付け足す。
「戦争は、東の国で起きたのでは無いんですか?」
「その通りだよ。だけど、東の彼方で行使された強大な魔法的力。その影響が遠く我が国にまで及んだのさ」
話しをしながら、当時の事を思い出したのか、マウロは苦い表情を浮かべた。
「戦争には我が国も参戦した。賢者会の命によって魔導士達が派遣されたんだ。その結果、俺達は同盟国であるトウワ国と共に勝利を得たが、多くの同胞を失ってしまった。戦禍からの早い復興を皆が望んでいるのに、賢者会には魔導士が不足していたんだ」
「ああ。それで、復興機関ができたんですね」
マウロは頷いて答える。
「復興機関は主要領主、譜代貴族達のお抱えの魔導士達によって構成されている。賢者会傘下の機関に比べれば小さなものだが、イバラ領で起きている様な諸領主の抱える問題に融通して解決に当たってくれるんだ。そして、幸いな事に、イクリル方面部長殿は、復興機関にも顔が利く。お嬢様が困っているからと、去年の冬から彼らにイバラ領への派遣を要請して下さったんだよ」
マウロの話に、日々喜は感心した様に聞き入っていた。そんな二人の様子を尻目に、ブレアは一つ大きな咳払いをした。
思わず二人は姿勢を改める。
「さて、以上の事より、イバラ領内でのモンスター発生の傾向を確認する事が出来ませんでした。この為、領域内で見つかったゴブリン及び白蛇につきましては、領外からこの領内に侵入してきた外来の種族であると断定して問題ございません。早急にこれらモンスター達の駆除を行うべきであると考えます」
ブレアがそう話をした時、居並んでいたその他の魔導士達が口々に言葉を発し始めた。
「まったく。そんな分かり切った事の為に、よくもこれだけ時間を掛けたものだ。このイバラは天蚕の王アイディ・クインの支配下にある。モンスターの発生など初めからあり得ないと、わしは言っとったのに」(A)
「いやいや、復興機関と言えど所詮は外部の人間。主要領域を預かる方々にとっては、このイバラの流儀に合わせるのは至難であった。そう言った所でしょうな」(C)
「ふはは、違いない!」(A)
「それにしても、白蛇の居場所は特定されていないのでしょう? これから、森の全域を捜索するとなると、だいぶ時間の掛かる事になるわね」(B)
「何、心配には及ばんわい。モンスターが住みついているとすれば、森の西側以外にあり得ん。白蛇はわしの一門に任し、おぬしらは憲兵隊と協力し合ってゴブリンの捕獲に当たればよいわ」(A)
「白蛇に関してまして一点。よろしいでしょうか?」
魔導士達の話し合いに、ブレアが口を挟んだ。
「この種のモンスターにつきまして、我々は危険性が無いものと考えております。現状はゴブリンの駆除を優先して行うべきでしょう」
魔導士達の間でどよめきが起きる。
「何を言うか! 白蛇の危険性がゴブリン以下だと! 現に人が襲われているのだぞ!」(A)
「それに、襲われたのはフォーリアム様の一門に加わった門下生なのですよ。この事実をないがしろにするなんて、無礼極まりない事だわ!」(B)
ブレアは怖気る様子も見せず、一人で魔導士達相手に話をし始めた。
「イバラ流のご意見、誠にありがとうございます。しかし、状況を見る限り白蛇が人を襲ったのは、自らの縄張りを守る為に取った動物的行動であると判断できます。我々が無暗に手を出さなければ、噛みつく事も無かったでしょう。そして、襲われた者は、この領地に来たばかりの見習い魔導士だったと聞いております。フォーリアム一門の教えに早くから触れていれば、このような事態は避けられたのではないでしょうか?」
「しかし、あれはマジックブレイカーだ。魔法陣を破壊するモンスターともなれば、魔導士に取って脅威である事に変わりはない」(C)
「確かに、脅威的な能力を持ち合わせている事は否定できません。戦前から戦後に至る最中、猛威を振るった亡国の剣士達は、同様に魔法陣を破壊するマジックブレイカーでありました。しかし、彼らが我が国の魔導士と対等の力を持ったのは、我々と同じ人間であったからに他ありません。人とは歴然とした差がある、営みを持つ事さえ知らないモンスター……。いいえ、特異な力を持つ白蛇は上位のモンスターに位置付けるべきでしょう。それでも、我々の前では害獣と変わり無いのです」
「だからと言って、非力なゴブリン以下と言う事は……」(C)
「皆様はご存知の事と思われますが、人に近い営みを持つモンスターは、人と同様にルーラーの庇護を請う事があります。我が国において、獣人やエルフ等と言った種族の方々が、人と共存の道を歩む事が出来たのは同じルーラーを崇めることが出来た為です。しかし、モンスターは時折、ルーラーでは無く、この世に存在しないよからぬ者達に庇護を請う場合があるのです。ルーラーが不在である現状において、もし彼らがこの領域に定着し、この土地の人とは違う何かをルーラーとしてあがめ始めた場合、どのような惨状が待っているか、想像に難くない事でしょう」
「そんな稀な事が、不安の材料になるものか! 例えアイディ・クインが人前から姿を隠されたとしても、よからぬ者が出現するなど。口にすべきではない!」(A)
「それに、非力なゴブリン達に手を貸す者がいるとは考えられない事だわ。領域外からこのイバラ領に来たと言うけれど、大方はそこかしこで見放されたからに違いないわ。放っておいたとしても、このイバラ領で全滅するか、あるいは負け犬の様に逃げ出すかの二つに一つしかないのではないかしら?」(B)
「もう一つ!」
ブレアはそこで、ハッキリとした口調で言葉を発した。
「懸念があるのです。ルーラーが不在な今、非力なゴブリン達がもし、この領域に適応する事も出来ず、そうでありながら誰の庇護も受けずに留まり続けた場合。このようなはぐれ者達を狙って、必ず、デーモンがこのイバラ領に姿を見せる事でしょう」
居並ぶ魔導士達の間に、再び動揺が走った。
「デ、デーモン!? デーモンがゴブリンをさらいに来ると言いたいのかね?」(C)
「正確には、ゴブリンの子供をさらいに来るのです」
「馬鹿な! ゴブリンはモンスターだぞ!」(A)
「その通りでございます。人と同じ、あるいは、人に近い営みを持つモンスター。営みの破壊者たるデーモンの目には、これらと人とを区別する理由が無いのです。そして、ゴブリンの営みを破壊した後、デーモンは必ず人の営みにも目を付ける事でしょう」
「つまり、人間の子供を、おお……」(B)
そこまで言葉を口にした魔導士が、思わずその恐ろしさに自らの口を手で塞いだ。
「もちろん、これも稀な事ではございます。しかし、我が国の同盟国であるトウワ国国内では前例のある事なのです」
戸惑いを隠す事無く、魔導士達は勝手に互い互いの意見を話し合い始めた。
その様子は、傍から眺めていた日々喜に取ってさえ、デーモンと言う存在がどれ程魔導士達に取って脅威となる存在であるかが理解できた。
「しかし……。どうにも納得がいきません。元々はルーラーの不在を調査する目的で復興機関は協力していたはず。それが、調べれば調べる程、悪い報告ばかり聞かされている」(C)
「ゴブリンの出現にしたってそうだ。実態調査等と小難しい言葉を並べる前に駆除しちまえば良かったのだ。あの白蛇が出て来る前なら、ウチの門下だけでも事足りたわい」(A)
「疫病神……」(B)
不安が転じて、魔導士達の意見はブレアをなじる言葉へと変わって行く。ブレアは涼しい顔つきでそれらを見据えていた。
「皆さん! どうか聞いて下さい。天蚕の王、アイディ・クインが姿を隠してより、復興機関の手を借りる事を承諾したのは他ならぬこの私なのです」
その時、フェンネルが立ち上がり言葉を投げ始めた。魔導士達は瞬時に口をつぐむ。
フェンネルは話し続けた。
「イバラ領は、人の手の入る遥か以前より、ルーラーであるアイディ・クインの力によって守られてきました。イバラの森は今よりも大きく、領域の全てを覆いつくしていたと聞いています。モンスターはおろか、人間でさえ容易く立ち入る事の出来ない領域だったのです。それが、今日ではどうでしょう。森は切り開かれ、道が引かれ、街が作られ、人の営みが築かれて行ったのです。神話の時代より語り継がれる賢者達の行いもさる事ながら、イバラがこれだけの繁栄を享受する事が出来たのは、ひとえに私達の先祖達と、ルーラーたるアイディとの絆が成されて来たからと言っても過言ではありません。そして今、祖父クローブが亡くなり、その後を追う様にアイディもまた姿を隠しました。私はこの事にこそ、重大な意味があるのだと思っています。一つの力では無く、皆が協力する事によって乗り越えて行かなくてはなりません。私達イバラの魔導士達だけではなく、この場に居る全員が一丸となって協力し合う事により、きっと天蚕の王もこのイバラ領へと帰還する事と信じているのです」
フェンネルがそう言い終わった時、それ以上不満を口にする者はいなかった。
イクリルは部屋に居る者達を見渡しその事を確認する。
「どうやら、他に意見は無さそうだな……。それでは、ブルジュ所長」
「ハッ!」
イクリルにそう言われ、小太りのブルジュ所長が目の前の書類を手に持ち立ち上がった。
「復興機関員であるブレア殿の協力により、我々はゴブリンのおおよその頭数を把握しております。今後、我々はイバラ領内の各門下魔導士様との協力により、白蛇の出現に警戒しつつ、これらゴブリンの捕獲を行い、フォーリアム商会より借り受けた施設内へ一時的に監禁いたします。その後、近隣各領域ステーションと連携し、これらモンスターの国外放逐を実施したいと考えております。具体的一例としては、ヴァーサ領ステーションとの連携により、国内領海域外への島流しを敢行するものがあります。ゴブリンの知能では万に一つも我が国に戻る事は無いものと考えられます。また、ゴブリンの頭数が五十を超える場合、捕獲並びに移送等の費用を勘案し、その場での殺処分を検討している所でございます」
「ふーむ……。良し! その方向で、進め給え」
「ハッ! それでは、皆様。作戦会議室へ参りましょう」
ブルジュ所長の呼びかけに応じる様に、居並んでいた魔導士達が立ち上がり、パルルの先導によって部屋を後にし始める。
「ブルジュ所長殿よ。良い案であると思うが、ゴブリン如きに情けを掛ける必要は無いのではないかな。頭数など数えるまでも無く、その場の裁量というものに任せると言うのは?」(A)
「いやいや、モンスターと言えどできる限りは国外、最低でも領外で処分するべきです」(C)
後にはその様な話声が聞こえる。
各門下の魔導士達は、復興機関員であるブレアに見せた時とはまるで異なる態度でブルジュ所長と接しているようだった。
「立派になったな、フェンネルよ。今は亡きクローブ様が、お前の姿を見ればきっとお喜びになられた事だろう」
ブルジュ所長達が部屋を後にした後、イクリルがフェンネルに話し掛けた。
「いいえ、叔父様。私一人の力ではありません。フォーリアム一門の皆が私に勇気をくれたんです」
「フッフ。そうか、心強い仲間達が居たのだな……」
フェンネルの事を幼い頃から知っているイクリルは、感慨にふける様にそう言った。
「方面部長殿」
そんなイクリルの事を急かす様に、ブレアが話しかけた。
「ああ、うん。……いや、私から話そう」
そう言うと、イクリルはフェンネル達の方へと向き直る。
「フェンネル、とても重要な話をしなければならない。マウロ、ローリ、そして、日々喜。これは、フォーリアム一門、延いてはイバラ領の魔導士全てに関わる問題だ。心して聞いてくれ」
マウロとローリが怪訝な表情で互いに顔を見合わせた。
「実は、不在であったルーラーの調査が済んだのだ」
「ルーラーの調査!? それでは、アイディが見つかったのですね」
「うむ……」
「どこに? ルーラーの住処に、今は戻って来ているのでしょうか?」
「いいや、フェンネル。そうではない。復興機関はルーラーの住処の周辺を調査していた。そこで一つのアーティファクトが見つかったのだ」
「アーティ、ファクト……?」
イクリルはブレアに目配せする。ブレアはそれまで部屋の隅に丁重に置かれていた黒光りする重厚そうな箱を運び、フェンネル達の前に置いた。
「お前は知っているね。ルーラーや世界の外に居るよからぬ者達は、この世界を去る時に遺物を残す事がある事を」
イクリルの言葉に合わせる様に、ブレアはその箱を開き、中身をフェンネル達に見せる。そこには、一本の法杖が収められていた。
オレンジ色の支柱に沿う様にして、若草色の非常に細い糸の様なものが幾本も引かれ、法杖の上部へと続いて行く。そこには、それらを巻き取った繭の様なものが装飾として備えられていた。
「叔父様、これは、アイディの……?」
イクリルは無言で頷いた。
「そんな……。ああ……」
「お嬢様!」
卒倒しかけるフェンネルの事を隣に座るローリが慌てて支えた。
「ご心情、お察し申し上げます。ですが、フォーリアム様。どうか御気を強く持って頂きたい。イバラ領は直ぐにでも新たなルーラーを迎え入れる準備をしなくてはなりません」
ブレアがそんなフェンネルに話し掛ける。
「新たなルーラー……?」
思考の追いつかないフェンネルは、ブレアの言葉をオウム返しに聞き返した。
「そうです。アイディ・クインの後継者です。復興機関はイバラ領内の憲兵隊と共に後継者を探し出す準備を行っているのです。ついては……」
ブレアそこで、一枚の紙をフェンネルの前に置いた。
「我々魔導局側に、イバラの森、東側全域の調査を行わせて頂きたいのです」
「全域? それでは、ルーラーの住処にまで踏み込むと言うのか?」
「その通りですアンドルフィ導士。ルーラーの後継者たる者が残されているとすれば、ルーラーの住処こそ最も可能性が高いのです」
「ブレア君、流石に性急すぎるのではないか」
「方面部長殿。急がねばならない事情は、先程お話いたしました。後々の事もございますので、フォーリアム様にはそちらの許諾書に一筆したためて頂きたいだけです。後の事は私共と、憲兵隊にお任せ頂ければ済む事なのです」
「私には……」
ブレアはフェンネルに悲しむ間も与えようとしない。そんな様子で彼女の答えを聞く前に自身の胸元から一本のペンを取り、それを机に置こうとした。
周りの者達は黙ってフェンネルの答えを待ち続ける。その最中、日々喜だけがブレアの仕草に合わせ、その胸元に輝くバッチに注目していた。
どこかで見た事があった。
そのバッチには、【Restoration】と刻まれていたのだ。
日々喜の脳裏に、焼き付いていた光景が蘇り始める。
薄暗い牢屋の中で、光から身を隠す様にして過ごす者達の姿を思い起こした。
日々喜は咄嗟にブレアの手を取り、その行動を阻んだ。
「……何か?」
その行動の意図を理解しかね、ブレアは冷静に日々喜に尋ねた。
「彼女を追い詰めないで」
それまで一切崩れる事が無かったブレアの表情に、僅かな陰りが射した。
そして、日々喜の言葉の意味を探る様にその黒い瞳を覗き込み続けた。
「日々喜……。そう言う事だブレアさん。今は承諾しかねる。お嬢様もお疲れのご様子、一端は我々の方で持ち帰らせて頂きたい」
マウロがそう言った。
ブレアは日々喜から視線を切ると、一先ずペンを自分の胸元に戻し始める。
「……もちろん、それで構いませんよアンドルフィ導士。しかし――」
「それとだ! 承諾の有無に依らず、今後、協議の必要があるのなら、まず事前に連絡をよこしな。そして、あんたが直接屋敷に顔を出すんだよ!」
ローリがブレアの言葉を遮る様に、感情を込めた口調でそう言った。
「ええ、ええ、勿論ですメイヤー導士。我々にとって最も大事な事は、信頼、ですから。フォーリアム一門の皆様にはぜひ熟慮いただき、賢明なる判断をして頂きたいと存じます」
ブレアは笑みを作りローリの言葉に応えた。
フォーリアム一門一同席を立ち部屋を後にし始める。フェンネルは力なく、その身をローリに預けながら、弱々しく歩いて行った。
「フェンネル……。すまない」
旧友の娘のそんな姿を見据えながら、イクリルは一言言葉を呟いた。
丁度、広場の鐘楼が十一時の時報を打った。
その鐘の音が部屋の中まで鳴り響き、イクリルの言葉をかき消した。
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