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第一章 とても不思議な世界
30話 森の侵入者達②
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現在、ルーラーの森を通過する街道は、その南側と北側の出入り口に関所が設けられている。
日のある内、商人や旅をする魔導士といった特別な理由がある者達は、この関所を通り森の中を通過する事になる。森への侵入は厳しく制限されていた。また、夜間での森の通過は全面的に禁止されている。
日々喜達が森へと向かう少し前、森の街道を二人の魔導士達が、三匹の漬物達、以前日々喜達が森で出くわしたモンスターを連れ、南の関所を目指して歩いていた。
夜間警備に当たる憲兵の魔導士達と、それらによって捕らえられた漬物達だった。
魔導士の一人は、三十代くらいの男性で、仕事柄のせいか常に眉間に皺をよせ、厳めしい顔つきをしている。
もう一人の魔導士は二十代前半くらいの男性で、年上の方と比べると対極的な程に緊張感のない顔をしていた。
暗く静かな森の中で、若い魔導士は退屈しのぎに、紐で縛られた三匹の漬物達の会話に耳をそばだてていた。
「おお、とうとう捕まってしまったか……」
「兄者、我々は一体、どうなってしまうのだろう? このまま、人間共の巣に運ばれて、食われてしまうのだろうか?」
「お終いじゃ。我ら三老人が捕まっては……、ゴブリンは再び楽園を見ずに、終わって行くのじゃ」
「気弱な事を言う出ない、ベッタラ、ラッキョウよ。我ら氏族、これまで幾つもの困難を乗り越えて来たでは無いか。村にはまだ若い者がおる。それに、我らには導士様が付いて下さっておるのじゃ」
漬物達の会話が面白いのか、若い魔導士はクスクス笑いながら話に参加し始めた。
「可笑しな事を言っているな。その楽園ってのはどこにあるんだ?」
「う……」
「おい、警戒するなよ。こっちは取って食おうって訳じゃないんだからな」
「……森の東側にあるのじゃ」
「ああ、ルーラーの住処のある。あそこがお前達の楽園なのか? ハハハ、畏れ多いいな。で? その導士ってのは、魔導士の事を言っているのか?」
若い魔導士の話声を聞きつけ、前を歩いていた年上の魔導士は足を止めた。
「アルジー、モンスターなんぞと話をするな。職務中だぞ」
「ですけど、マルマルさん。こいつらまるで、魔導士を味方に付けている様な事を言うんですよ」
「そんな戯言を本気にとってどうする。モンスターに味方する者等いない」
「な、何が戯れだ! 我らには、偉大な魔導士様が付いている。貴様ら人間さえも凌駕した存在なのだ」
「止さぬかベッタラ! 人間如きに、あの方の存在を語ってはならん」
ワサビが弟の漬物を叱咤した。
「フフフ、魔導士が人間を凌駕しているとか、訳分かんないっすね」
「取り調べはこいつらを捕獲した後にやればいい。俺達は黙って関所を目指していればいいんだ」
「はいはい、分かってますって」
アルジーはマルマルに適当な返事を返した。そして、自身が引き連れる漬物達の誤りを訂正してやった。
「いいか、お前達。魔導士ってのは人間の職業なんだよ。人間がなれるものが、人間を凌駕するなんてあり得ないだろ?」
「な、何を? 魔導士が職業だと? それはどういう事だ?」
「言ったまんまさ。仕事だよ、仕事。俺もそうだし、あっちの怖い人だって魔導士として働いてるんだぜ」
「う、嘘じゃ……。そ、そんな筈は無い」
アルジーの言葉に、ワサビは言葉を失う。
「アルジー、止せと言っただろ。……誰が怖い人だ」
「あ、すいません。でもこいつら何も知らなくて、面白いんですよ」
漬物達は縛られた状態であるにも拘らず、口々に相談を始めた。
「ワ、ワサビ兄者……。一体どういう事なのだろう? 我等の導士様も、人間であったと言う事なのだろうか?」
「止めんかラッキョウ。そんな筈はないんじゃ。人間の言葉に呑まれるでない。魔導士様は我らと同じ人型。そして、人間とはそもそも顔が違うじゃろが」
「ベッタラ兄者……、しかし、導士様の顔は……」
立ち止まり話をしていた漬物達の背中をアルジーが足で小突き始めた。
「ほら、お前達も無駄口叩いてないで、きびきび歩けよ」
漬物達は納得のいかない面持ちで、黙って従い始めた。アルジーも、その様子に満足げに続いて行く。
「アルジー」
先を行っていたマルマルが立ち止まり、静かに声を掛けた。
マルマルは確認するように、行く手をランタンで照らしている。
「どうしました?」
「何かが、道を横切った」
マルマルにもハッキリとその姿を捉える事が出来なかったようだ。だが、自分達の行く手に立ち塞がる何かの影が、ランタンの光を避ける様にして、道から外れ、木陰に身を隠したのを見たらしい。
「また、ゴブリンですかね? 今日は大収穫ですけど、さすがに手一杯ですよ。……無視しますか?」
「そう言うわけにもいかんだろ。お前、何か聞こえたか?」
「いえ」
物音一つ立てられる事なく、森の中は静まりかえっていた。
こちらの様子を窺っている。
陰に身を潜ませたものが遠くに走り去る事なく、こちらの出方を窺っているのだ。
「確認する。注意しろよアルジー」
マルマルはそう言うと道から外れ、慎重に森の中へと入り始めた。
マルマルの持っていたランタンに照らされ、それまで暗闇に隠されていた木立が姿を顕わにしだす。しかし、その明かりに驚き動くものは無く、辺りは依然として静まり返っていた。
「お前達、ここで大人しくしてろよ。逃げ出したら、背中を撃ってやるからな」
漬物達を道端に残し、アルジーもマルマルの後に続く様にして、道脇の森へと近づいて行った。
アルジーは丁度顔の高さに掛る枝葉を手で押し退けながら、森の中をランタンで照らし覗き込む。
するとその時、死角となった木陰から、身を低くした黒い影が目の前に飛び出した。
影はアルジーに驚く暇も与えず、その手に持っていたランタンを叩き落した。
「うわ!」
叩き落されたランタンはその衝撃によって、ガラス張りに守られていた明かりを消した。
「アルジー!?」
こちらを振り向くと共にマルマルはランタンをかざした。
叩かれた自分の右手首を抑えながら、そのランタンの光源を頼りに、アルジーは苦悶の表情をマルマルへ向けた。
「どうした!」
「何か近くに居ます! 気を付けて!」
アルジーが注意を促した時、ランタンを持つマルマルの左側頭部目掛け、石の様な物が飛来し、鈍い音を立てて命中した。
「くっ」
よろめくマルマル。
咄嗟に持っていたランタンを投石があった方角へと投げつける。
すると、それを迎え撃つかのように黒い影が姿を現し、飛来するランタンを空中で迎撃する。
光源が消え、辺りが暗闇へかえる直前、アルジーはその黒い影が人と同じ形を成す者である事を見咎めた。
「馬鹿な!?」
辺りが闇に包まれる中、マルマルの驚愕したような声が響いた。
「アルジー! 動けるか?」
「何とか、問題ありません」
「関所へ行け! デーモンだ!」
暗闇に響く声。恐らくはマルマルがいる方を見つめながら、アルジーは混乱した頭を整理しようとする。
「走れ! ここは俺が何とかする! デーモンが出たんだ!」
そんなアルジーを急かすように、再びマルマルの声が響いた。
アルジーは勢い良く走り出した。
「お、おい。人間! どこへ行くのじゃ!」
暗い森での出来事に驚く漬物達。
森から街道に飛び出して来たアルジーに声を掛けるが、アルジーはそんな漬物を無視して、街道を南に向かって走り去って行った。
「アトラス!」
森の中からマルマルの声が聞こえ、木立から淡い光が漏れる。するとすぐさま、上空目掛け火の玉の様なものが飛んで行くのが見えた。
「グワー!!」
マルマルの叫び声が上がった。
そして、再び森の中が静かになる。
「い、一体なんなんじゃ? 人間共、神聖な森で何を騒いでおるんじゃ?」
ワサビがそう呟くと、森の中から先程の黒い影が姿を現し、漬物達に近づいて来る。
その手には何か長い棒状の物を持っており、夜空から降り注ぐ靄の光をこちらへ反射して見せた。
剣だ。漬物達はそう直感する。
「ひえー!」
ベッタラが悲鳴を上げた。
「あ、兄者ー!」
ベッタラに釣られ、ラッキョウも叫んだ。
恐れおののく漬物達は、耳元で風を切る様な音を聞いた。するとそれまで、自分達を拘束していた縄が切断された事に気が付く。
ワサビは恐る恐るその影の事を見上げた。そして、何かに気が付いた様に、その場で跪き、むせび泣き始めた。
「おお……、おおー! やはり、お戻りになられた。我らを見捨てはしなかったのですね。魔導士様!」
黒い影は、ワサビの言葉に一切答えず、じっとこちらに顔を向けている様子だった。やがて、自分の前で跪く漬物達に興味を無くしたのか、踵を返し、出て来た森の中へと消えて行ってしまった。
「ワサビ兄者。一体、今のは……」
「帰って来られたのじゃ。我々氏族を救う為に。魔導士様がこの森へお戻りになられた……。ベッタラ、ラッキョウ。こうしてはおれん、直ぐに村に帰るぞ。宴の準備じゃ」
漬物達は意気揚々とその場を後にして行った。
一方、アルジーは街道を南に向かって突き進んでいた。
下半身から上体へ伝わる振動が、右手首の痛みと共振し、走れば走る程より強い痛みを頭の芯に伝えてきた。しかし、今はそんな事に構っていられない。
「マ、マルマルさん……。誰か、誰か来てくれ! デーモンが出たんだ!」
走り続けるアルジーは、死に物狂いで叫び続けた。関所に着くまでの間に、誰かが聞き届けてくれるかもしれない。そんな期待を込めながら叫び続ける。
しかし、森の中にはアルジーに応える者はいなかった。
やがて、叫びながら全力で走り続けたアルジーは、疲れ果てたようにその速度を落とし始めた。
叫ぶ事は止めた。しかし、歩みを止める訳にはいかない。
呼吸を整え、再び全力で走り出そうと顔を上げた。すると、自分の向かう道の行く手に、誰かが立っている事に気が付いた。
「おい、大変だ! デーモンが出たんだ!」
アルジーは走り寄る。しかし、その人影は身動き一つせず、道の真ん中に立ち塞がるままだった。
人影と後二、三歩の距離に近づいた時、その異様さに気が付き足を止める。
「おい! 聞いているのか?」
なぜ何も言わないのだろうか、それ以前に、この暗い森の中で一切の明かりも持たずに、こいつは何をやっているんだ。
アルジーの胸中にそのような疑問が沸き上がり始めた。
「……お前、魔導士か?」
アルジーの背後から、道沿いに風が吹き抜ける。
風は木々を揺らし、天上に瞬く靄の光を地上に取り入れ始める。満月の様に明るい光は、対峙する者の無機質な顔に照り返され、そのシルエットを僅かな時間だけあらわにした。
黒い鳥獣の様なシルエット。それでいて身体つきは人そのもの。
アルジーは目の前に対峙する者が、デーモンであるとハッキリと認識した。
「……畜生。なんなんだよ、お前らは」
デーモンは身動き一つ見せず、こちらの動向を窺い続けている。その様が、魔導士である自分達の事をまるでもてあそんでいるかのように感じられ、アルジーはそれまで感じていた恐怖を忘れてしまったかのように、怒りを爆発させた。
「ここはイバラだぞ、人が住む場所だ! 好き勝手にさせるか」
そう言うとアルジーは背後に飛び退き、痛む右手首を抑えながら、その手をデーモンにかざした。
「アトラス!」
途端に、アルジーのアトラスが空中に浮遊しページを開く。そして、かざした右手の先に直径一メートル程の魔法陣が展開された。
「ファイヤ―」
一瞬、アルジーは魔導の行使を躊躇した。
暗い森の中、彼の視界を照らす最も強い光源は、目の前に大きく展開された魔法陣となった。ランタンを失い、既に暗闇に慣れ始めていたアルジーは、自ら展開した魔法陣に目を奪われ、僅かな時間、目標を消失する。
「ボルト!」
躊躇を振り切る様に、魔導を行使する。
途端に魔法陣から、数発の人の頭程度の大きさの火の玉が飛び出し、道沿いに立ち並ぶ木々を明るく照らしながら、遥か前方へと突き進んで行った。
魔法陣よりも明るい光源の出現により、アルジーはデーモンの姿を再確認する事が出来た。
デーモンは、アルジーが躊躇した僅かな時間に距離を詰め、魔法陣の目の前で身を屈めながらこちらを窺っていた。
「ひっ!」
飛び出して行った火球の行く手を確認する事も無く、アルジーは今、デーモンを確認した方向に右手を向ける。
その瞬間、魔法陣を横なぎに裂く閃光が走った。
アルジーは放心した様に自分の魔法陣を見ていた。正確には、今閃光が走り抜けた軌跡をだった。
そこには、僅かな間隔が開き、魔法陣を上下に両断していた。そして、魔法陣は両断された軌跡に沿う様にしてスライドし、少しずつゆっくりとズレ始めた。
それを見つめていたアルジーは、何故だか自分の身体から力が抜ける感覚を覚え始める。自分の意思とは無関係にかざした右手が下にたれ、地面に膝を突いた。その直後、ズレ始めていた魔法陣が光る煙の様に霧散して闇に溶けて消えた。
遠のく意識の中でアルジーは、カチン、という涼やかな金属のぶつかり合うような音を耳にした。
日のある内、商人や旅をする魔導士といった特別な理由がある者達は、この関所を通り森の中を通過する事になる。森への侵入は厳しく制限されていた。また、夜間での森の通過は全面的に禁止されている。
日々喜達が森へと向かう少し前、森の街道を二人の魔導士達が、三匹の漬物達、以前日々喜達が森で出くわしたモンスターを連れ、南の関所を目指して歩いていた。
夜間警備に当たる憲兵の魔導士達と、それらによって捕らえられた漬物達だった。
魔導士の一人は、三十代くらいの男性で、仕事柄のせいか常に眉間に皺をよせ、厳めしい顔つきをしている。
もう一人の魔導士は二十代前半くらいの男性で、年上の方と比べると対極的な程に緊張感のない顔をしていた。
暗く静かな森の中で、若い魔導士は退屈しのぎに、紐で縛られた三匹の漬物達の会話に耳をそばだてていた。
「おお、とうとう捕まってしまったか……」
「兄者、我々は一体、どうなってしまうのだろう? このまま、人間共の巣に運ばれて、食われてしまうのだろうか?」
「お終いじゃ。我ら三老人が捕まっては……、ゴブリンは再び楽園を見ずに、終わって行くのじゃ」
「気弱な事を言う出ない、ベッタラ、ラッキョウよ。我ら氏族、これまで幾つもの困難を乗り越えて来たでは無いか。村にはまだ若い者がおる。それに、我らには導士様が付いて下さっておるのじゃ」
漬物達の会話が面白いのか、若い魔導士はクスクス笑いながら話に参加し始めた。
「可笑しな事を言っているな。その楽園ってのはどこにあるんだ?」
「う……」
「おい、警戒するなよ。こっちは取って食おうって訳じゃないんだからな」
「……森の東側にあるのじゃ」
「ああ、ルーラーの住処のある。あそこがお前達の楽園なのか? ハハハ、畏れ多いいな。で? その導士ってのは、魔導士の事を言っているのか?」
若い魔導士の話声を聞きつけ、前を歩いていた年上の魔導士は足を止めた。
「アルジー、モンスターなんぞと話をするな。職務中だぞ」
「ですけど、マルマルさん。こいつらまるで、魔導士を味方に付けている様な事を言うんですよ」
「そんな戯言を本気にとってどうする。モンスターに味方する者等いない」
「な、何が戯れだ! 我らには、偉大な魔導士様が付いている。貴様ら人間さえも凌駕した存在なのだ」
「止さぬかベッタラ! 人間如きに、あの方の存在を語ってはならん」
ワサビが弟の漬物を叱咤した。
「フフフ、魔導士が人間を凌駕しているとか、訳分かんないっすね」
「取り調べはこいつらを捕獲した後にやればいい。俺達は黙って関所を目指していればいいんだ」
「はいはい、分かってますって」
アルジーはマルマルに適当な返事を返した。そして、自身が引き連れる漬物達の誤りを訂正してやった。
「いいか、お前達。魔導士ってのは人間の職業なんだよ。人間がなれるものが、人間を凌駕するなんてあり得ないだろ?」
「な、何を? 魔導士が職業だと? それはどういう事だ?」
「言ったまんまさ。仕事だよ、仕事。俺もそうだし、あっちの怖い人だって魔導士として働いてるんだぜ」
「う、嘘じゃ……。そ、そんな筈は無い」
アルジーの言葉に、ワサビは言葉を失う。
「アルジー、止せと言っただろ。……誰が怖い人だ」
「あ、すいません。でもこいつら何も知らなくて、面白いんですよ」
漬物達は縛られた状態であるにも拘らず、口々に相談を始めた。
「ワ、ワサビ兄者……。一体どういう事なのだろう? 我等の導士様も、人間であったと言う事なのだろうか?」
「止めんかラッキョウ。そんな筈はないんじゃ。人間の言葉に呑まれるでない。魔導士様は我らと同じ人型。そして、人間とはそもそも顔が違うじゃろが」
「ベッタラ兄者……、しかし、導士様の顔は……」
立ち止まり話をしていた漬物達の背中をアルジーが足で小突き始めた。
「ほら、お前達も無駄口叩いてないで、きびきび歩けよ」
漬物達は納得のいかない面持ちで、黙って従い始めた。アルジーも、その様子に満足げに続いて行く。
「アルジー」
先を行っていたマルマルが立ち止まり、静かに声を掛けた。
マルマルは確認するように、行く手をランタンで照らしている。
「どうしました?」
「何かが、道を横切った」
マルマルにもハッキリとその姿を捉える事が出来なかったようだ。だが、自分達の行く手に立ち塞がる何かの影が、ランタンの光を避ける様にして、道から外れ、木陰に身を隠したのを見たらしい。
「また、ゴブリンですかね? 今日は大収穫ですけど、さすがに手一杯ですよ。……無視しますか?」
「そう言うわけにもいかんだろ。お前、何か聞こえたか?」
「いえ」
物音一つ立てられる事なく、森の中は静まりかえっていた。
こちらの様子を窺っている。
陰に身を潜ませたものが遠くに走り去る事なく、こちらの出方を窺っているのだ。
「確認する。注意しろよアルジー」
マルマルはそう言うと道から外れ、慎重に森の中へと入り始めた。
マルマルの持っていたランタンに照らされ、それまで暗闇に隠されていた木立が姿を顕わにしだす。しかし、その明かりに驚き動くものは無く、辺りは依然として静まり返っていた。
「お前達、ここで大人しくしてろよ。逃げ出したら、背中を撃ってやるからな」
漬物達を道端に残し、アルジーもマルマルの後に続く様にして、道脇の森へと近づいて行った。
アルジーは丁度顔の高さに掛る枝葉を手で押し退けながら、森の中をランタンで照らし覗き込む。
するとその時、死角となった木陰から、身を低くした黒い影が目の前に飛び出した。
影はアルジーに驚く暇も与えず、その手に持っていたランタンを叩き落した。
「うわ!」
叩き落されたランタンはその衝撃によって、ガラス張りに守られていた明かりを消した。
「アルジー!?」
こちらを振り向くと共にマルマルはランタンをかざした。
叩かれた自分の右手首を抑えながら、そのランタンの光源を頼りに、アルジーは苦悶の表情をマルマルへ向けた。
「どうした!」
「何か近くに居ます! 気を付けて!」
アルジーが注意を促した時、ランタンを持つマルマルの左側頭部目掛け、石の様な物が飛来し、鈍い音を立てて命中した。
「くっ」
よろめくマルマル。
咄嗟に持っていたランタンを投石があった方角へと投げつける。
すると、それを迎え撃つかのように黒い影が姿を現し、飛来するランタンを空中で迎撃する。
光源が消え、辺りが暗闇へかえる直前、アルジーはその黒い影が人と同じ形を成す者である事を見咎めた。
「馬鹿な!?」
辺りが闇に包まれる中、マルマルの驚愕したような声が響いた。
「アルジー! 動けるか?」
「何とか、問題ありません」
「関所へ行け! デーモンだ!」
暗闇に響く声。恐らくはマルマルがいる方を見つめながら、アルジーは混乱した頭を整理しようとする。
「走れ! ここは俺が何とかする! デーモンが出たんだ!」
そんなアルジーを急かすように、再びマルマルの声が響いた。
アルジーは勢い良く走り出した。
「お、おい。人間! どこへ行くのじゃ!」
暗い森での出来事に驚く漬物達。
森から街道に飛び出して来たアルジーに声を掛けるが、アルジーはそんな漬物を無視して、街道を南に向かって走り去って行った。
「アトラス!」
森の中からマルマルの声が聞こえ、木立から淡い光が漏れる。するとすぐさま、上空目掛け火の玉の様なものが飛んで行くのが見えた。
「グワー!!」
マルマルの叫び声が上がった。
そして、再び森の中が静かになる。
「い、一体なんなんじゃ? 人間共、神聖な森で何を騒いでおるんじゃ?」
ワサビがそう呟くと、森の中から先程の黒い影が姿を現し、漬物達に近づいて来る。
その手には何か長い棒状の物を持っており、夜空から降り注ぐ靄の光をこちらへ反射して見せた。
剣だ。漬物達はそう直感する。
「ひえー!」
ベッタラが悲鳴を上げた。
「あ、兄者ー!」
ベッタラに釣られ、ラッキョウも叫んだ。
恐れおののく漬物達は、耳元で風を切る様な音を聞いた。するとそれまで、自分達を拘束していた縄が切断された事に気が付く。
ワサビは恐る恐るその影の事を見上げた。そして、何かに気が付いた様に、その場で跪き、むせび泣き始めた。
「おお……、おおー! やはり、お戻りになられた。我らを見捨てはしなかったのですね。魔導士様!」
黒い影は、ワサビの言葉に一切答えず、じっとこちらに顔を向けている様子だった。やがて、自分の前で跪く漬物達に興味を無くしたのか、踵を返し、出て来た森の中へと消えて行ってしまった。
「ワサビ兄者。一体、今のは……」
「帰って来られたのじゃ。我々氏族を救う為に。魔導士様がこの森へお戻りになられた……。ベッタラ、ラッキョウ。こうしてはおれん、直ぐに村に帰るぞ。宴の準備じゃ」
漬物達は意気揚々とその場を後にして行った。
一方、アルジーは街道を南に向かって突き進んでいた。
下半身から上体へ伝わる振動が、右手首の痛みと共振し、走れば走る程より強い痛みを頭の芯に伝えてきた。しかし、今はそんな事に構っていられない。
「マ、マルマルさん……。誰か、誰か来てくれ! デーモンが出たんだ!」
走り続けるアルジーは、死に物狂いで叫び続けた。関所に着くまでの間に、誰かが聞き届けてくれるかもしれない。そんな期待を込めながら叫び続ける。
しかし、森の中にはアルジーに応える者はいなかった。
やがて、叫びながら全力で走り続けたアルジーは、疲れ果てたようにその速度を落とし始めた。
叫ぶ事は止めた。しかし、歩みを止める訳にはいかない。
呼吸を整え、再び全力で走り出そうと顔を上げた。すると、自分の向かう道の行く手に、誰かが立っている事に気が付いた。
「おい、大変だ! デーモンが出たんだ!」
アルジーは走り寄る。しかし、その人影は身動き一つせず、道の真ん中に立ち塞がるままだった。
人影と後二、三歩の距離に近づいた時、その異様さに気が付き足を止める。
「おい! 聞いているのか?」
なぜ何も言わないのだろうか、それ以前に、この暗い森の中で一切の明かりも持たずに、こいつは何をやっているんだ。
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黒い鳥獣の様なシルエット。それでいて身体つきは人そのもの。
アルジーは目の前に対峙する者が、デーモンであるとハッキリと認識した。
「……畜生。なんなんだよ、お前らは」
デーモンは身動き一つ見せず、こちらの動向を窺い続けている。その様が、魔導士である自分達の事をまるでもてあそんでいるかのように感じられ、アルジーはそれまで感じていた恐怖を忘れてしまったかのように、怒りを爆発させた。
「ここはイバラだぞ、人が住む場所だ! 好き勝手にさせるか」
そう言うとアルジーは背後に飛び退き、痛む右手首を抑えながら、その手をデーモンにかざした。
「アトラス!」
途端に、アルジーのアトラスが空中に浮遊しページを開く。そして、かざした右手の先に直径一メートル程の魔法陣が展開された。
「ファイヤ―」
一瞬、アルジーは魔導の行使を躊躇した。
暗い森の中、彼の視界を照らす最も強い光源は、目の前に大きく展開された魔法陣となった。ランタンを失い、既に暗闇に慣れ始めていたアルジーは、自ら展開した魔法陣に目を奪われ、僅かな時間、目標を消失する。
「ボルト!」
躊躇を振り切る様に、魔導を行使する。
途端に魔法陣から、数発の人の頭程度の大きさの火の玉が飛び出し、道沿いに立ち並ぶ木々を明るく照らしながら、遥か前方へと突き進んで行った。
魔法陣よりも明るい光源の出現により、アルジーはデーモンの姿を再確認する事が出来た。
デーモンは、アルジーが躊躇した僅かな時間に距離を詰め、魔法陣の目の前で身を屈めながらこちらを窺っていた。
「ひっ!」
飛び出して行った火球の行く手を確認する事も無く、アルジーは今、デーモンを確認した方向に右手を向ける。
その瞬間、魔法陣を横なぎに裂く閃光が走った。
アルジーは放心した様に自分の魔法陣を見ていた。正確には、今閃光が走り抜けた軌跡をだった。
そこには、僅かな間隔が開き、魔法陣を上下に両断していた。そして、魔法陣は両断された軌跡に沿う様にしてスライドし、少しずつゆっくりとズレ始めた。
それを見つめていたアルジーは、何故だか自分の身体から力が抜ける感覚を覚え始める。自分の意思とは無関係にかざした右手が下にたれ、地面に膝を突いた。その直後、ズレ始めていた魔法陣が光る煙の様に霧散して闇に溶けて消えた。
遠のく意識の中でアルジーは、カチン、という涼やかな金属のぶつかり合うような音を耳にした。
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