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水の精霊

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水色の髪を短く切り揃えた1人の男性が、弓を引く。虫の声だけが微かに聞こえて来るような静寂の後、ビュンという風の切る音とともに、彼の左腕を装飾するクリスタルが満月の明かりで揺れた。放たれた矢は、遠くにある的の中心を貫く。


そしてもう一本••••


「ハムル!!」
鈴音のような凛とした声が、馬の蹄の音とともに、突然静寂を破った!!

!?

矢の軌道がそれ、あわや手前の泉に落ちるか!!という寸前、泉の水が空高く噴き上がり、龍のように動いたかと思うと、矢をその流れの上に乗せ、重力に逆らうような動きを見せた。泉の水が、元のような平らな水面に戻った後には、2本目の矢も的の中心付近に刺さっていた。



「ハムル!!」

この声は、姫さ•••!? 

「アーシ•••」
ハムル、と呼ばれた男は、声の主が誰かをすぐに理解した•••••だが、、、

「アルだ! アルと呼べ!」

銀髪の男が白馬に乗り、その男の前に騎士姿で自国の王女が座っている•••

「ア•••ル?••••」

なぜ騎士の格好をしているのか?
なぜそんなボロボロなのか?
その男は誰なのか?
アルと呼べ、とは何事か?
カイルはどこだ?

聞きたいことは山ほどあったが、今はまず王女の身体を労わる。

「ア•••ル••さま•••御身を大切にしてくださいとあれほど言ったのに•••まだご理解されていないようですね•••すぐに迎えの者を呼びますから、どうぞまずは中でお休みになってください。」

話す声音は静かだが、、、

きゃ~ハムルが怒ってる!?•••昨日、青の石の件で私は倒れたばかりで心配をかけてるし、当たり前だ•••本当はハムルには知られたくなかったのに!!神官のハムルは城内で父上と頻繁に会っているから、父上にバレる確率が上がるし、なんと言っても••••息子のフェンリルがいる••

ッ•••思い出したくなかった!!以前の私が、一方的に彼に想いを寄せて、毎日かなり強引に押しかけていた相手だから•••

でもカイルもいない今、城外で頼れる人はハムルしかいないもの•••



「僕••はいい•••それより、客人の支度を頼みたい。」

私は、後ろに座るエドゥアルト王子の方へ顔を向ける。

王子は優雅な動作で馬から降りると、マナーも完璧な立ち居振る舞いで、ハムルに挨拶をした。

「貴殿が神官ハムル、今夜はよろしく頼む。」

この人、素は無礼な人だけど、やろうと思えば、ちゃんと王族の振る舞いもできるのね•••
もともとエドゥアルト王子も、父上に近づくためにハムルのもとへ行こうとしてたみたいだから、結果オーライかしら??
彼の従者、背の高いあの金髪のラッセンという男性ともここで落ち合う予定だったと言っていたからちょうどいい•••


先ほど、水が生き物のように動いて、ハムルの打った矢が的に刺さったのを見た時、王子が驚き息を呑む音が聞こえた•••カイラス国には神官はいないから、ああした能力は珍しいのだろう•••神官であるハムルは、役目の一つとして、「魔を祓う」弓を引く。神官が扱うのは水の精霊たち•••その能力に応じ、水は自在に形を変える•••わが国でも希少な能力だ•••

ハムルは、弓を壁に立てかけ、心配そうに私を見る。

「せめて、お好きなローズのミルクティーでも用意させましょうか。疲れも取れると思いますが•••」

ハムルの屋敷で出されるローズのミルクティーは、異国の花とスパイスが独自にブレンドされており、芳しい香りと味で絶品だ。熱々のローズのミルクティーにスコーンを一緒に頂くのが私のお気に入りで、カイルも毒味役と称し同席し、たびたび私たちはご馳走になっていた••• ハムルの言葉に、そう言えば何も食べてなかったわ、と今頃になり空腹が襲う•••

先ほどからハムルが、着替えは?食事は?休憩は?と勧めてくれる。ありがたいが、今は時間がない!! ここは丁重に断り、エドゥアルト王子のことを頼む。

「ありがとう。後日ゆっくり頂くよ。エドゥのことは、先ほど伝えた通りにしてくれ。」

エドゥアルト王子のことは、正体を隠し、エドゥという名前で紹介する。どうせ後で全部バレるだろうけど、全てがうまく運ぶまでは、少しでも諍いの芽は摘みたい•••

心なしか、使用人の女性たちの頬が赤い気がする•••まあ、この王子、見かけだけはものすごい美形だもんね•••

ハムルが使用人たちに指示を飛ばしている間、私は、隣に佇む白馬に、顔を寄せそっと手で撫でる。

「ここまで僕たちを乗せてきてくれて、本当にありがとう。疲れただろう?城まで後もう少しだから、あともう一走り頼むよ。」

白馬が目を細めて、鼻先をすり寄せてくる。あまりのくすぐったさに思わず笑みがもれる。ずっとここまで張り詰めてきたから、ハムルの見慣れた顔を見て、私も少しホッと気が抜けたのかもしれない。



「外が騒がしいけれど、どうしたんだい?」

!?

いないと思って安心してたのに!!
あと一寸早く、この場を発つべきだった•••

フェンリルが白い布を体に巻きつけ、水を滴らせたままやってきた••• 沐浴で、身体を清めた後だろう•••闇に溶けていくような黒髪に、ターコイズブルーの瞳、片方の耳にのみ羽の飾りを垂らしている。
わが国で水の精霊と協働できるのは、現在、神官ハムルとその息子のこのフェンリルだけだ。

私は彼と顔を合わせたくなくて、ついあらぬ方を向いてしまう•••フェンリルは、そんなことに構わず話しかけて来る•••

「昨日倒れたと聞いたから、心配してたんだよ。今日は見かけないな、と思っていたら、今度はどんな厄介ごとに、君は首を突っ込んでいるんだい?」

フェンリルは私の騎士姿を見てもさほど驚いた様子を見せず、無駄に色気を撒き散らしながら、音楽を奏でるかのような声で問いかける。

「•••」

女性の私よりも色っぽい•••やっぱり以前の私が、フェンリルを好きと言っている気がする•••でもきっとただのゲームの設定のなごりよね•••ゲームではフェンリルはどんなに私が言い寄っても、私に恋愛感情を抱くことは一切なかった•••多分、手のかかる妹ポジションだった気がする•••
うん、あきらめよう•••

「フェンリル、こちらはアル様の客人だ。お前はすぐに着替えて、アル様を城までお送りするんだ。」

ハムルが助け舟を出してくれた!

「アル?」
フェンリルが、この姫はまた何をしでかしてるのか?という少々呆れた目で私を見た後、エドゥアルト王子を一瞥し、丁重な礼をする。

「アル様の客人にご挨拶もせず、このような格好で大変失礼いたしました。フェンリルと申します。」

エドゥアルト王子の名前をあえて聞かずにいてくれる。フェンリルはこの辺の機微には聡い。


「いいや、突然押しかけたのはこちらだ。もう一人、革のフードを着た金髪の背の高い男が来たら、オレの部屋に通してくれ。」

王子は、敵陣のど真ん中だと言うのに、随分と落ち着いて見える。顔にも穏やかな笑みを浮かべている•••だが、その切長の瞳は鋭く一切の隙も与えない•••

私もそろそろ行かなければ•••フェンリルの着替えを待ってはいられない•••

ハムルにもう一度、王子を頼み、馬に乗る。馬も少し休憩したからなのか、心なしか元気だ。出発の間際、先ほどの女性は•••と、しばしその姿を探す•••

「ああ、いた!君!そこのグリーンのリボンがお似合いのお嬢さん、先ほどはありがとう。」

別れ際に笑顔で声を掛ける。まだ若い一人の使用人の女性が、私たちが話をしている間、気を利かせて馬に水をやってくれていたのだ。

私の大声に驚いたのだろうか•••その女性が耳を真っ赤にして、立ち尽くしているのが見えた。

「騎士姿、クセになりそう」との声が去り際に聞こえた•••
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