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亡くなった妻と、お茶を一緒に。2
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三分ほど経つと、台所から春香が戻ってきた。
手の中のお盆には、ずっと二人で使っていた揃いの湯呑み茶碗と、少しの茶請けが乗せられている。
水屋箪笥の中の湯飲みや急須、菓子入れの位置は、妻が生きていた頃のままにしている。
お茶の用意ができるのを待っている間、台所から聞こえる音に耳を傾けていた。
手順に迷いのない音は、まるで昨日も今日もずっと変わらない日常を過ごしていたかのように錯覚させる。
春香は甘いものも、しょっぱい菓子も好んで食べていた。そのため、来客用の茶菓子以外に家族が食べるものも我が家では常備されていた。
俺も菓子が嫌いではなかったので、お茶の時間には彼女と同じくらいの量を無意識に食べていたと思う。
しかし、妻が亡くなってからは自分で菓子を買う気も起こらず、菓子入れはしばらく空の状態だった。
そんな様子を見かねて、娘が日保ちのする菓子を補充してくれるようになっていた。
一人ではそんなに食べないから、と何度か断ったが「非常食にもなるでしょ?」と、いつもそれなりの量を置いていく。
「ついでに、冷蔵庫と冷凍庫の中に作り置きのおかずのタッパー入れておくから、チンして食べてね」と、手際良く収めていく姿を見ながら、どちらがついでか分からないな、と苦笑した。
本当はあまり食欲は無いのだが、せっかく娘が作ってくれたものを無駄にしたくはない。
「口に合わなかった?」と悲しそう顔を見るのも辛くて、次に娘が来るまでに消化しようと、せっせと毎日食べていたおかげで、痩せ細ったり、著しく体力が落ちたりせずに済んでいた。
もし、本当に一人きりだったなら今頃は、とっくに床に臥して起き上がれない状態だったかもしれない。
娘は大学を卒業するとすぐに結婚したが、嫁ぎ先はすぐ近くだ。
その日暮らしをしている父親を心配して、時間があれば様子を見に来てくれている。
父親として情けない姿を見せていると分かってはいるが、娘の訪問にずいぶん助けられて、この一年間を何とか過ごしていた。
今、春香が運んできた菓子も、つい先日に娘が置いていってくれたものだ。
まさか、木の葉や霞でできたものではないだろう。
春香は湯呑みを俺の前に、ことんと置いて「どうぞ」と笑った。
「ありがとう」と口を付けてから、ほっと小さく息をつく。
湯の温度も、渋みと甘みのバランスも、彼女が生前に煎れてくれていた味とまったく変わらない。
食器の位置を把握していたことや、変わらないお茶の風味。そんな些細なことが、やはり目の前にいる女性は春香なのだろうという確信へと繋がっていく。
また、お茶の味や、彼女のちょっとした仕草。それらをまだ自分が忘れていないことに気づいて、目頭が熱くなった。
すると、酔いが覚めたように、急激に思考が現実に引き戻される。
そして、本当に春香と再会できたのだという嬉しさや戸惑いが、いっしょくたになって胸をざわつかせた。
そこに、ほんの少しの気恥ずかしさも混ざる。
彼女と視線を合わせられないどころか、どこを見たら良いのかさえ分からなくなり、手元の湯呑みに視線を落とした。
手の中のお盆には、ずっと二人で使っていた揃いの湯呑み茶碗と、少しの茶請けが乗せられている。
水屋箪笥の中の湯飲みや急須、菓子入れの位置は、妻が生きていた頃のままにしている。
お茶の用意ができるのを待っている間、台所から聞こえる音に耳を傾けていた。
手順に迷いのない音は、まるで昨日も今日もずっと変わらない日常を過ごしていたかのように錯覚させる。
春香は甘いものも、しょっぱい菓子も好んで食べていた。そのため、来客用の茶菓子以外に家族が食べるものも我が家では常備されていた。
俺も菓子が嫌いではなかったので、お茶の時間には彼女と同じくらいの量を無意識に食べていたと思う。
しかし、妻が亡くなってからは自分で菓子を買う気も起こらず、菓子入れはしばらく空の状態だった。
そんな様子を見かねて、娘が日保ちのする菓子を補充してくれるようになっていた。
一人ではそんなに食べないから、と何度か断ったが「非常食にもなるでしょ?」と、いつもそれなりの量を置いていく。
「ついでに、冷蔵庫と冷凍庫の中に作り置きのおかずのタッパー入れておくから、チンして食べてね」と、手際良く収めていく姿を見ながら、どちらがついでか分からないな、と苦笑した。
本当はあまり食欲は無いのだが、せっかく娘が作ってくれたものを無駄にしたくはない。
「口に合わなかった?」と悲しそう顔を見るのも辛くて、次に娘が来るまでに消化しようと、せっせと毎日食べていたおかげで、痩せ細ったり、著しく体力が落ちたりせずに済んでいた。
もし、本当に一人きりだったなら今頃は、とっくに床に臥して起き上がれない状態だったかもしれない。
娘は大学を卒業するとすぐに結婚したが、嫁ぎ先はすぐ近くだ。
その日暮らしをしている父親を心配して、時間があれば様子を見に来てくれている。
父親として情けない姿を見せていると分かってはいるが、娘の訪問にずいぶん助けられて、この一年間を何とか過ごしていた。
今、春香が運んできた菓子も、つい先日に娘が置いていってくれたものだ。
まさか、木の葉や霞でできたものではないだろう。
春香は湯呑みを俺の前に、ことんと置いて「どうぞ」と笑った。
「ありがとう」と口を付けてから、ほっと小さく息をつく。
湯の温度も、渋みと甘みのバランスも、彼女が生前に煎れてくれていた味とまったく変わらない。
食器の位置を把握していたことや、変わらないお茶の風味。そんな些細なことが、やはり目の前にいる女性は春香なのだろうという確信へと繋がっていく。
また、お茶の味や、彼女のちょっとした仕草。それらをまだ自分が忘れていないことに気づいて、目頭が熱くなった。
すると、酔いが覚めたように、急激に思考が現実に引き戻される。
そして、本当に春香と再会できたのだという嬉しさや戸惑いが、いっしょくたになって胸をざわつかせた。
そこに、ほんの少しの気恥ずかしさも混ざる。
彼女と視線を合わせられないどころか、どこを見たら良いのかさえ分からなくなり、手元の湯呑みに視線を落とした。
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