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第一章
47 うちたえて
しおりを挟む(うううっ。いったいどうすればいいんだよ……!)
その後、どうやって海斗の家から出てきたのかを律はあまり覚えていない。頭の中は大嵐で、取るものも取りあえずあたふたと走り出てきてしまったようだった。あとで見たら、スマホには海斗からの心配するメッセージがいっぱいになっていた。
《申し訳ありません。ですがどうか、お帰りは重々お気をつけて》
《車道には近づかないでくださいませ。どうかどうか、お願いを申し上げます》──と。
駅についてからようやくそのメッセージに気づいて、律は頭を抱えた。思わず、ホームのベンチに座りこんでしまう。そうしてあれこれ散々考えた挙げ句、やっとこうメッセージした。
《心配させてしまってすみません。気を付けて帰りますから、どうか心配しないでください》
メッセージに即座に「既読」の印がついたのを見て、ふと胸が温かくなる。動かない足を抱えて、海斗が必死にスマホを見つめている様子が目に浮かんだ。
(それにしても……)
本気、なのだろうか。
自分の記憶や耳がおかしくなければ、彼は確かにそう言った。
……あの「春霞」の歌を、もういちど与えてほしいだなんて。
かあっとまた体が熱くなって、律はスマホを額に押し当てて体を丸くしてしまった。
そんなもの、もうほとんど「告白」ではないだろうか?
いや、そういう意味ではないのだろうか。
よくわからない。あの男の考えていることは、自分にはさっぱりわからないのだ。昔も、今も。
(三十一文字……)
彼は確かにそう言った。
「匠作」のふたつ名を持っていた通り、過去の彼もあずま武士ではありながら、文物や歌などの教養を身に着けた男だった。
あまりにも無骨者ばかりで風流の「ふ」の字も解さないあずま武士たちを、自分はもちろん嫌ってはいなかったし、むしろかわいらしく大切にも感じていた。あの和田左衛門尉義盛などは、その最たる者だった。
無骨であれこれと言葉を飾りたてることは苦手、読み書きなども覚束なく、風流などてんでわからぬ。それでも心根は夏の空のように晴れ渡り、明るく純粋で、自分はあの爺いが大好きだったのに。
鎌倉のさまざまな事件の積み重なりは、結局彼をして、鎌倉への──いや、北条家への反旗を翻すところまで追いつめてしまったのだ。
泰時も、義盛のことは憎からず思っていたことだろう。しかし、父と対立してしまった義盛を討つことに決してからは、父の命令に従うしか方法はなかったようだ。
無骨ものぞろいのあずま武士の中で、自分は泰時をはじめとする優秀な若者たちのグループを組織して、ともに文物を学ぶ者として育てようとしていたのである。
「匠作」と言われた泰時は、まちがいなくその筆頭だった。
自分では卑下するけれども、彼だって歌の腕前はかなりのものだったと記憶している。
(まさか……返歌を?)
どくん、とまた胸がやかましくなる。
数百年の時を超え、もしかすると彼は、あの「春霞」への返歌を考えようとしてくれていたのだろうか……?
だとすればあれはやはり、泰時にとっての「告白」だと理解していいのだと……?
(いや、わからない。そんな風に、変に期待してはだめだ)
首を左右に振って、ついつい希望のある方へと吸い寄せられそうになる思いを振り払う。
海斗は告白らしきことを言いながら、それでもまだ何かをためらっているようにも見えた。こちらが一足飛びに「そういう関係を望んでくれているのだ」と勘違いしてはいけないと思う。先走るのは危険だ。
なにしろ彼は、普通に女性を愛することのできる人なのだから。男性しか愛することのできない、自分のようなタイプの男ではないのだから……。
と、手の中のスマホがまたぶるっと震えた。
メッセージに目を落として、律は「えっ」と思わず声を上げた。
メッセージアプリの画面には、こんな言葉が送られていたからだ。
《テニスサークルを辞めようと思います》と。
うちたえて 思ふばかりは 言はねども 便につけて 尋ぬばかりぞ
『金槐和歌集』627
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