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第二章
8 音に聞く
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鶴岡八幡宮。
言わずもがなのことではあるが、ここは古くからあづま武士たちの心の拠りどころであり、守り神として、ずっとこの地に在りつづけてきた神聖きわまりなき大社である。
宮へとつづく長い参道は若宮大路と呼ばれ、はるか南の由比ヶ浜から始まって、八幡宮の入口まで一・八キロもの長さがある。
由比ヶ浜に面した場所に一ノ鳥居がまずあって、ずっと北へのぼると二ノ鳥居。それをくぐると、両側を多くの車が行きかう細い車道に挟まれて、石積みによって周囲より高くされた参道「段葛」が、ひたすらにまっすぐにのびている。
律と海斗は、大きな交差点に面した二ノ鳥居から段葛に入ることにした。
ここはかつて、父、頼朝が、兄の頼家を身ごもっていた母、政子の安産祈願のために造ったものだ。かつての鎌倉武士たちも、この石を積み上げるためにみんなで汗をかいてくれたと聞いている。
三月の段葛は、両端にずっと並んで植えられた桜によって、みごとな花の回廊となっていた。空気はまだ少し冷たいものの、素晴らしい花の出迎えに、心までほころんでくるようだ。
段葛には観光客のほか、地元の人々が犬を散歩させる姿がしばしば見られた。たまたまなのかもしれないが、もこもこした毛足の長い犬の割合が妙に高い。今の鎌倉での流行りなのであろうか。
「今はこんなに美しくなっているのですね。車はやや多いですが」
「そうですね。両側にこんな車道ができているなんて、びっくりしてしまいました」
律は苦笑しつつ、海斗の感慨に応じた。
彼の言うとおりだ。
かつて車といえば手押し車や牛車ぐらいだったものが、狭いところにバスやタクシーやそのほかの車がひっきりなしに通る、非常にせわしのない道路に変貌しているのだから。
段葛の入口には、大きな二ノ鳥居と、それを守るように両側に大きな石の狛犬が鎮座している。観光名所らしく、こちらにも歴史的な説明文の看板が設けられていた。
ほかの観光客たちが、つぎつぎといい場所に立ってはお互いにスマホを向けあっている。それを見て、海斗も自分のスマホを取りだした。
「写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
周囲の観光客たちとなんら変わらない風景。
だが律は、かれらのように満面の笑みで指を二本立ててみせることはどうしてもできなかった。真顔もよくないだろうと思って、ほんの少しだけ笑ってみせたぐらいのことだ。
カシャ、と何度か小さな音がして、終わったかなと目をやると、海斗が感極まったような顔で目のところを片手で覆って立ち尽くしていた。
「えっ。海斗さん──」律は慌てた。「どうしたんですか」
「いえ」
海斗はすぐに顔から手を離して微笑んだ。ひどく痛々しい笑みに見えた。
「申し訳ありませぬ。このように長い時を経て、殿がこの場にこうして生きて立っておられることが……ど、どうにも」
言いかけてまた声がかすれ、あとが続かなくなる。
律は苦笑した。
「仕様のない。まだ宮に入ってもおらぬのに、今からそんなことでどうするのだ?」
「はい。申し訳もございませぬ」
さっきまで近くにいた人たちが、とっくに段葛に向けて歩きはじめていてよかった。いきなりこんな時代劇じみた話し方をする若者が二名現れたら、日本語のわかる人なら普通に違和感を覚えるだろう。
「さあ、参ろう」
「は」
海斗がきりりと頭を下げたのを合図に、ふたりはゆっくりと段葛の上を歩きはじめた。
音に聞く 吉野の桜 咲きにけり 山のふもとに かかる白雲
『金槐和歌集』45
言わずもがなのことではあるが、ここは古くからあづま武士たちの心の拠りどころであり、守り神として、ずっとこの地に在りつづけてきた神聖きわまりなき大社である。
宮へとつづく長い参道は若宮大路と呼ばれ、はるか南の由比ヶ浜から始まって、八幡宮の入口まで一・八キロもの長さがある。
由比ヶ浜に面した場所に一ノ鳥居がまずあって、ずっと北へのぼると二ノ鳥居。それをくぐると、両側を多くの車が行きかう細い車道に挟まれて、石積みによって周囲より高くされた参道「段葛」が、ひたすらにまっすぐにのびている。
律と海斗は、大きな交差点に面した二ノ鳥居から段葛に入ることにした。
ここはかつて、父、頼朝が、兄の頼家を身ごもっていた母、政子の安産祈願のために造ったものだ。かつての鎌倉武士たちも、この石を積み上げるためにみんなで汗をかいてくれたと聞いている。
三月の段葛は、両端にずっと並んで植えられた桜によって、みごとな花の回廊となっていた。空気はまだ少し冷たいものの、素晴らしい花の出迎えに、心までほころんでくるようだ。
段葛には観光客のほか、地元の人々が犬を散歩させる姿がしばしば見られた。たまたまなのかもしれないが、もこもこした毛足の長い犬の割合が妙に高い。今の鎌倉での流行りなのであろうか。
「今はこんなに美しくなっているのですね。車はやや多いですが」
「そうですね。両側にこんな車道ができているなんて、びっくりしてしまいました」
律は苦笑しつつ、海斗の感慨に応じた。
彼の言うとおりだ。
かつて車といえば手押し車や牛車ぐらいだったものが、狭いところにバスやタクシーやそのほかの車がひっきりなしに通る、非常にせわしのない道路に変貌しているのだから。
段葛の入口には、大きな二ノ鳥居と、それを守るように両側に大きな石の狛犬が鎮座している。観光名所らしく、こちらにも歴史的な説明文の看板が設けられていた。
ほかの観光客たちが、つぎつぎといい場所に立ってはお互いにスマホを向けあっている。それを見て、海斗も自分のスマホを取りだした。
「写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
周囲の観光客たちとなんら変わらない風景。
だが律は、かれらのように満面の笑みで指を二本立ててみせることはどうしてもできなかった。真顔もよくないだろうと思って、ほんの少しだけ笑ってみせたぐらいのことだ。
カシャ、と何度か小さな音がして、終わったかなと目をやると、海斗が感極まったような顔で目のところを片手で覆って立ち尽くしていた。
「えっ。海斗さん──」律は慌てた。「どうしたんですか」
「いえ」
海斗はすぐに顔から手を離して微笑んだ。ひどく痛々しい笑みに見えた。
「申し訳ありませぬ。このように長い時を経て、殿がこの場にこうして生きて立っておられることが……ど、どうにも」
言いかけてまた声がかすれ、あとが続かなくなる。
律は苦笑した。
「仕様のない。まだ宮に入ってもおらぬのに、今からそんなことでどうするのだ?」
「はい。申し訳もございませぬ」
さっきまで近くにいた人たちが、とっくに段葛に向けて歩きはじめていてよかった。いきなりこんな時代劇じみた話し方をする若者が二名現れたら、日本語のわかる人なら普通に違和感を覚えるだろう。
「さあ、参ろう」
「は」
海斗がきりりと頭を下げたのを合図に、ふたりはゆっくりと段葛の上を歩きはじめた。
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『金槐和歌集』45
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