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第二章
9 木のもとに
しおりを挟む「このあたりはそなたの叔父上、時房どのの邸ではなかったか」
「そうですね。あちらは和田どののお邸だったかと」
「ああ、そうだったなあ」
ふたりはほかの観光客に変わらぬ態度でぶらぶらと散策しつつも、かつてのこのあたりの名残をつい探してしまうのだった。
(和田義盛……)
一本気で腹芸などとてもできなくて、気さくで豪快な武士だった。
彼にしろ、泰時の叔父、つまり義時の弟である時房も、あれこれと悪どいことをひねりだして腹に収めておけるようなタイプの武士ではなかった。
気のいい男たちは多かった。今でこそ、「血みどろの鎌倉」などと描写されてしまうような記録ばかりが残ってはいるけれど。
道ゆく人々の中には、ときどき和服で美しく着飾った女性たちがいる。特別な日ということではないはずだったが、日本語ではない言葉でおしゃべりをしているところからして、近くに着付けをしてもらえる店でもあるのだろうと見当をつけた。
本当なら自分も、きちんと正装をするべきだったのだが、現代の日本人がそれをするのは正月や七五三など特別な日ぐらいのものだ。あまり目立つのはどうしてもいやで、今回はふたりともジーンズにスニーカーという普段と変わらぬ恰好をしている。
そうこうするうち、とうとう大きな三ノ鳥居が近づいてきた。そのずっとむこうの石段の上に、本宮である上宮の姿がちらりと見えている。
(ああ。来たんだ……)
やはり、感慨は一入だった。
鶴岡八幡宮の敷地は非常に広い。御社殿だけでも八つあり、そのほか源平池や政子石などの名所も数々。さらに宝物殿やミュージアムなどまで、さまざまな見どころが多い。
昔はこんなに盛りだくさんのお社ではなかったのだが、今ではなんと、中に「鶴岡幼稚園」まであると知って律は驚いた。
ともあれ、まっすぐに参道を行って手水舎で作法どおりに手と口をすすぎ、舞殿の脇をすぎて本宮、上宮をめざした。
自分が斬られたとき、公卿がとびだしてきたと言われている大銀杏の木は最近の嵐で倒れ、今では朽ちた幹だけが残っている。実際は非常に暗かったし、彼がどこからどう飛び出してきたものか、律自身もはっきりとした記憶はないのだ。
石段の下にある舞殿は、当時、叔父の義経を想って静御前が頼朝の面前で舞を舞ったという曰くのある場所に建てられているという。
石段の前の広場には、人が大勢いた。めいめいに写真を撮ったり、脇にある社務所でお札などをいただいたりしている。
その片隅、とある場所で、律と海斗は示し合わせたように歩を止めた。
(……ここだ)
恐らく、ここで自分は公卿に斬られた。
じっと地面の一点を見つめて、ふたりは沈黙した。手を合わせるのはいくらなんでも奇妙な気がして何もしなかったが、去来する思いはさまざまで、ただ乱れるばかりだった。ただ、思っていたよりも心そのものは冷めていた。
ここで起こったことは過去のことなのだ。もうずっとずっと昔に起こって、すでに終わったことなのだ──。
だが海斗の目はひどくつらそうで、むしろそちらが見ていられない。彼はじっとうつむいて、何事かを考え込んでいる様子だった。
「……さあ。もうよいではないか。本宮に詣でようぞ」
「はい」
低く言ってうなずくと、海斗は黙って律のあとについてきた。彼の心もまた、千々に乱れているのだろうか。
(もうよいのだ。今の私は……俺は律)
そうだ。
今ここにいるのは青柳律。
源実朝ではありえない。
律は一度目をつぶり、今度はまたあらためて目の前にのびる長い石段と上宮をじっと見つめた。
木のもとに 宿りはすべし 桜花 散らまく惜しみ 旅ならなくに
『金槐和歌集』52
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