佐竹・鬼の霍乱

つづれ しういち

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 奥の宮の、特に奥まった日当たりのいい場所にその部屋はあった。
 そう、小ムネのための子供部屋だ。
 陛下が大きな扉をわずかに開くと、中から女官さんたちの笑う声と、玩具おもちゃの太鼓のものらしい、ぽこぽこいう音が聞こえてきた。
 陛下が「静かに」と言わんばかりに口の前で人差し指を立てて見せる。驚かせて反応を見ようというんだろう。
 俺は陛下に倣って足音を忍ばせ、そうっとその後ろから部屋に入った。

 薄いカーテンを透かして朝の陽射しがいっぱいに入ってくる明るい部屋で、子守り役の女官さんたちに囲まれて小さな赤ん坊が座っていた。

(ああ、小ムネ……!)

 俺の胸は熱くなった。
 まだ短い髪は、燃えるようなオレンジ色。それは、いまは亡きお母さま譲りの色なんだそうだ。でも、それ以外は本当に陛下によく似た男の子。髪が短いってこともあって、どっちかというと今の小ムネは佐竹のほうによく似ている。
 陛下が言った通り、小ムネはだいぶ大きくなっていた。確かに一歳ぐらいに見える。ときどきふっと立ち上がって、よちよちとそこいらを歩き回っている。
 普段は靴で歩く部屋なんだけど、そこは赤子のために大きく敷物が敷かれ、みんな履物を脱いでその上に座っていた。

「まあまあ、お上手ですわ、殿下」
「ずいぶんお歩きになるようになられましたわね」
「本当に。おみ足もずいぶんしっかりなさって」
「太鼓も本当にお上手ですわ」
「殿下はまことに、音曲おんぎょくがお好きでいらっしゃいますわよね」

 周りが優しそうな女の人たちばかりで、なんとなくほっとする。陛下は王として、王太子である小ムネのことをそれなりに厳しく育てるつもりみたいだ。「三歳になったら馬術と剣術を教え始める」とか言ってるし。でも、人は「ムチ」ばっかりじゃ育たない。陛下もそのことはよく分かってるんだろう。
 でも、ちょっと「飴」の方が多すぎるような気もするんだけどね。だってあのヴァイハルトさんも伯父さんとして、めちゃくちゃ小ムネのことを溺愛してるみたいだから。

 そんなことを考えながらそろそろと近づいていたら、周囲の女性たちが陛下に気付いて、さっと頭を下げてきた。
 陛下がすぐさま、また唇の前に指を立てる。「そのまま」と言ってるんだ。
 でも、小ムネは周囲のみんなの様子が変わったことにすぐに気づいた。きょろきょろと周りを見回し、その視線がぴたりとこちらを向く。
 途端、ぱっと表情が明るくなった。

「ちーえ!」

 あ。これ「父上」だな、きっと。うわあ、可愛いなあ。
 新生児の時よりもずいぶんと成長して、眉とか目元がはっきりした分、余計に佐竹に似てる気がする。眉なんてすでにかなりきりっとはしてるけど、やっぱり赤ちゃんだからとても可愛い。
 と、赤ん坊の視線がこっちを捉えた。
 しばしの沈黙。
 小ムネはちょっと目をぱちぱちさせて立ちすくんでいたけど、じわじわとその目を開きはじめた。

「……うーや?」
「え、小ムネ……? おぼえてる、の?」

 俺はびっくりして口をぽかんと開けてしまった。
 いや、まさかね。だってあの時、小ムネは本当に赤ちゃんだったもん。
 俺がついつい世話をしてしまっていたから、どうしても小ムネが懐いちゃってて。女官さんがあやしたんでは大泣きしちゃって大変で、よく寝かしつけなんかも手伝ってはいたけどさ。
 俺がお城の皆さんに算盤そろばんの講義をしてる時にも「あんまりお泣きになるものですから」とおろおろしながら、女官さんが連れてきたりしてたもんなあ。小ムネは不思議と、俺が抱いたらぴたりと泣き止んでいたもんだから。

 でも、それにしても。
 まさか、覚えていてくれただなんて。こんなに小さいのに!
 俺が敷物のそばまで歩いていく間に、小ムネはちっちゃい手を一生懸命に開いて、とことことこっちへ歩いてくる。俺が敷物に膝をつくのを待ち構えたみたいにして、きゅうっと思い切り抱きつかれた。

「うーや、きた! うーやあ! わー!」 

 きゃっきゃと耳元で赤ん坊の高い声が笑っている。
 胸が震えるみたいに嬉しくて、俺は思わずまた泣きそうになった。
 ちっちゃな背中を、強くなりすぎないように気を付けて抱きしめる。

「小ムネ……! おっきくなったなあ。えらいなあ!」
「きゃーあ!」

 俺が抱き上げてもう一回抱きしめると、小ムネははじけるみたいにきゃあきゃあ笑った。

 佐竹、ごめんな。
 お前がしんどい思いをしている間に、俺、こんな幸せになっちゃって。
 でも、やっぱり嬉しいのはどうしようもなくて、俺は小ムネを抱いたまま、部屋の中でくるくる回った。
 小ムネがさらに声を高くして、きゃあきゃあ言って大喜びする。
 陛下はちょっと離れた場所から、なんだかちょっと嬉しそうな目でそんな俺たち二人を見ていた。
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