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閑話

3 ギーナ・後編

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 マリアの手によって<蘇生>と<治癒>をほどこされても、ライラとレティは目を覚まさなかった。でも、それでよかったのだと思う。もしも覚醒していたなら、彼女たちはこの顛末について、きっと胸を掻きむしられるようにして後悔し、ヒュウガに対する申し訳なさに耐えきれず、大泣きしたのに違いないから。
 ギーナはそれをいいことに、彼女たちをヴァルーシャ帝国へ連れて帰らせた。そして自分は「どうしてもヒュウガのそばにいる。ダメならこの場で殺してくれ」と頑として言い張った。それは、自分のために彼にこんな選択をさせてしまったことに対する、自分なりの責任の取り方のつもりだった。

 ヒュウガは、悲しそうだった。
 本当はギーナのことも、まっすぐに国に帰らせたかったのだろう。すべてを諦め、また覚悟して「魔王になる」と決めたからには。たった一人ですべてを背負うと、そう決めていたはずだから。
 だが、そうは問屋が卸さない。

 ギーナは彼らの仕事の邪魔をせぬよう、部屋の隅にあるソファに静かに座って待った。
 やがて政務の話が一段落すると、文官たちは王とギーナに一礼をして、音もなくその場を辞していった。それを見計らって立ち上がり、窓辺に向かった王のそばに近づいていく。
 彼の傍らの刀台には、何故かあの<青藍>が消えないままに掛けられている。
 あの時、なぜかこの刀は主人のもとから去ることを拒否したらしいのだ。
 理由はよくわからない。
 でも、そのことにはなんとなく、不思議な親近感をおぼえた。

 この刀は、自分と同じだ。
 決して自分の意思で魔王となった人ではなく、その心は清廉なまま。それを理解していればこそ、これからもその傍らで彼を護り続ける。いわば、この刀と自分は同志だ。
 聞けばあの蒼いドラゴンとも、彼は話ができるらしい。
 それはすなわち、彼の心の清さの証明でもあるではないか。
 あのドラゴンは、心の清い者としか交信しないはずなのだから。

 魔都の宮殿、尖塔から見下ろす風景は、思ったよりもずっと素敵だった。
 薄暗くてどんよりして、赤茶けた変な空が広がっているものだとばかり思っていたけれど、実はまったくそんなことはなかったのだ。
 はっきり言えば、それは南側と大差ない。輝く太陽も青い空も、特に違いはなかったのだ。遠くを流れてゆく雲のすじと、その間をゆったりと舞うように飛んでいるドラゴンたち。眼下に広がる街と、それをとりまくのんびりとした田園の風景。それは驚くほど長閑のどかに見えた。
 魔王の強大な魔力があれば、国は秩序を保つことができる。魔力の少ない平民たちも安心して日々の仕事に勤しめるのだ。

 だが、それを見下ろすヒュウガの横顔はかげっている。
 当然だ。これは、彼の望んだ未来ではなかったのだから。
 ギーナは彼に近づくと、マントの掛かったその肩にそうっと頭をもたれさせた。

(ヒュウガ……ヒュウガ)

 大丈夫。
 きっと、これでは終わらない。
 このままヒュウガをみんなの生贄いけにえにするなんて、このあたしが許さない。

(だから……泣くんじゃないよ。いい子だからさ)

 そう思ってふと笑ったら、隣の青年が変な顔になった。

「なんだ? ギーナ」
「なんでもないさ。疲れたろう? ちょっと、休憩を入れようよ。お茶にしよう?」
「……ああ」
「また、午後にはヴァルーシャ陛下からご連絡もあるみたいだし。今のうちに、英気を養っておかないとね」
「そうか。……そうだな」

 そうなのだ。
 実はその後、ギーナはあちらの国々とヒュウガの間をとりもつ連絡役を買って出ることになった。彼女の持っている魔力のこもった水晶球を介して、時々にあちらから連絡が入る。
 連合国は、個々人の意思はともかくも、この事態を基本的には歓迎した。
 なにしろ、今までの「何を考えているか分からない好戦的で残虐な魔王」でなく、このクソ真面目な青年が魔王になってくれたのだ。あちらとしては「御しやすい」とまでは行かずとも、少なくとも停戦条約を結ぶのにこれ以上の人選はない。むしろ願ったりではないのだろうか。
 ともかくも、こんなにな魔王なんて、これまで存在したことがないのだから。
 連合国側の首脳部に対して、フリーダやガイア、デュカリスやフレイヤ等々、ヒュウガの為人ひととなりを知る多くの人々は口々にそのことを証言した。もっとも、皆ヒュウガが魔王になったこと自体には、それぞれに忸怩じくじたる思いがあったようだけれども。

「こっちには、ヒュウガの好きな『リョクチャ』とか……いや、『ギョクロ』だっけ? あれによく似た茶葉があったよね。あれにしようよ。料理人がまた、腕をふるっておいしいお菓子を作ってくれたみたいだからさ」

 言いながら、彼の青く変貌した頬に軽く唇をふれさせる。
 いい男だ。近くで見ても、いい男。
 ただ、どんなにいい男でも、これ以上のことは求めない。それはまあギーナにとって、置いてきてしまった残り二人に対する仁義みたいなものだ。
 ヒュウガはもちろん、そもそも何も求めてなどこない。

 ……これでいい。
 これでいいのだ。
 
 ギーナは軽く微笑むと、絹の衣を翻し、召使いを呼ぶために魔王の執務室から出ていった。

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