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第一章 魔王ヒュウガ

3 四阿(あずまや)

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 四天王の一人、ルーハンだった。
 細身で長身。その体を包む衣装は、錦で織られた絢爛豪華な品ばかりだ。ではあるが、それらは決して彼の品を損なっていない。綺麗になでつけた白髪に、この地域の領袖としての冠を戴いている。
 白髪とは言ったけれども、明らかに年齢はそこまでとは見えない。せいぜいが四十がらみといったところだ。もともとの地毛の色なのだろう。
 ルーハンの傍らには、側近らしい青年が能面のような顔で立っている。
 俺はギーナに一度うなずいて見せてから、彼女を伴ってそちらに近づき、うながされるまま円卓の前の席についた。


「お話をいたしたかったのは、他のことにはありませぬ。新魔王ヒュウガ陛下にあらせられましては、今後、下級魔族どもの扱いをいかようになさるおつもりかと、まずはそのことが気がかりでございましてな」
「と、おっしゃいますと」

 ルーハンからはうっすらと微笑みながら「それはおやめくださいませ」と再三言われているのだったが、俺は特に口調を変えず、この会話を続けている。
 四阿あずまやの中に据えられた卓を囲んで、ルーハンと俺、そしてギーナが向かい合っている。ルーハンの側近らしい青年は茶の面倒などを見ながらもひたすらに無言だった。彼はまるであるじの影であるかのようにふるまっている。
 ルーハンが軽く指先を動かしてその青年に目をやった。

「では早速に、魔王陛下に『桃源の酒』を」
「あ、いえ。そちらのことなのですが──」

 酒杯を所望しようとするルーハンに、俺はやんわりと断りを入れた。彼にしてみればそれを餌に俺を誘ったつもりだろうが、俺ははじめから、それを頂くつもりはなかったのだ。
 十七と言えばこちらの世界では堂々たる「成人」だ。だが、元の世界では法律上、俺には飲酒が許されていない。それに、慣れないものを呑んだことで判断力が鈍るのは避けたかった。ましてこのような、腹の底も見せぬ侮りがたい御仁の前では。
 ルーハンの目が糸よりもさらに細くなる。

「おやおや。陛下にあらせられましては、我らがなにか、不埒ふらちな下賤の真似をするとでも──?」
「滅相もない。左様な心配はしておりません」

 ちなみに、彼らが茶などの飲食物に毒を仕込むといった下策に出ることはまずないと言っていい。そのようなものは、俺自身、あるいはギーナの魔力の瞳によってあっというまに看破されるのが落ちだからである。
 さらに、少し離れてはいるが、この場にはあのガッシュもいる。ドラゴンの目はそのような人間の小細工にそうそうだまされるものではない。
 そして、そのようなことが露見すれば、たとえ四天王といえども死罪を免れることは難しいのだ。魔族の世界でのヒエラルキーは絶対である。

「申し訳ありません。あちらの世界では、自分はまだほんの青二才にございまして。こちらにおいても、酒精からはできるだけ離れておく所存なのです」
「ほう。それはまた……」
 ルーハンは細かった目をこれまでで最も大きく見開いたようだった。そして次には、こちらに向かって不思議なほどに深々と頭を下げてきた。
「左様にございましたか。いやいや、先王陛下はそのようなことには、さほど頓着なさらなかったもので。なるほど、納得いたしました。これは臣の認識が足りませなんだ。大変ご無礼をいたしました」
「いえ。ご配慮いただいておきながら、申し訳のないことでした」
「ですから、左様な堅苦しいお言葉は。……では、ほれ。あれがあったであろう。あの茶をてて差し上げよ、フェイロン」
「は」

 ルーハンの背後にいた青年がすすっとあとずさると、なめらかな仕草で酒杯そのほかを下げ、すぐに茶器の支度を始めた。
 フェイロンと呼ばれた青年は、非常に怜悧な美しさを持つ人物だった。見ていると、主人が何かを命じる前から、何手も先を読んでさりげなく手を動かしているようなところがある。まさに側近として、痒いところに手が届く仕事のできる、いかにも有能な人物に見えた。
 フェイロンが水の流れるがごとき手つきで小ぶりの茶器に茶を点て、器に注ぎいれるのを見るともなしに見ながら、ルーハンがやや砕けた調子になり、やや声を落としてこう言った。

「もちろん、ご存知でござりましょうが。先王、マノン陛下におかれましては、つまり……さほど内政にご関心がおありではございませんでしたゆえ」
「……左様でしょうね」

 というか真野は、そもそもあの魔王城からほとんど出ることもなかったらしい。周囲にはべらせた愛妾たちとの愛欲に耽り、俺への復讐心に燃える以外には、特にこれといって執着するものもなかったようだ。それでは国の内情など、ほとんど分かるはずもなかっただろう。

「やむを得ず、四天王でそれぞれに地域を分担し、やつらを規定の地域にとどめておりましたようなわけで」
「はい。聞き及んでおります」

 魔族の国は、大きく五つの部分に分かれている。
 中央部に魔都を擁する魔王の領地。それをとりまく南西部が、ルーハン卿の治める領地である。あとの三名が、それぞれ北東、北西、南東を所領しているということだ。
 それぞれがその領地から租税を徴収しては蓄財し、いざというときのための兵力を増強している。もちろん、いずれも最大の規模を誇るのは魔王だ。

 ちなみに知能程度に難のあるトロルやオーガ、ゴブリンといった下級魔族や魔獣どもについては、上級魔族たちは意外なほどにしっかりとその活動範囲を限定していた。
 あちこちの地域には、それぞれの氏族に分けたコロニーが作られており、彼らは普段そこから出てくることを許されない。周囲は魔王軍所属のレベルの高いウィザードたちが常にシールドを張って警戒している。つまりあの「北壁」のような状態にされているのだ。

 まあ、考えてみれば当然だった。
 この国の人口の大半は、実は先ほど話を聞いた老婆や少女のような一般的な魔族によって構成されている。あの人々が土を耕し、作物を生み出してくれなければ、結局、領地の屋台骨は揺らいでしまう。人々を無闇におびやかす存在であるトロルやオーガや魔獣たちを野に放ったままでは、四天王たちとて安定した租税を吸い上げることができなくなるのだ。
 それではまずい。考えてみれば、至極あたりまえのことだった。

 そもそも、無軌道に他者への食欲や性欲をおしつけるだけの存在である下級魔族たちも、本来は自分と同族の女性たちとの間でしか自分の子孫を残すことができない。
 ではなぜ、彼らは人族やエルフ族などを襲うのか。
 俺自身、そのことはずっと疑問に思っていた。が、臣下の文官らの説明を聞いて「なるほど」と思ったのだ。
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