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第八章 胎動
4 皇帝の心
しおりを挟む《さて。こうして二人でお話をさせていただくのは、はじめてですね》
ひと通りの話が終了してから、少年皇帝ヴァルーシャが改めてそう言った。ガイアとデュカリス、フリーダを下がらせた上でのことだ。
こちらも彼の要請を受けて、ガッシュとリールーによる<念話の場>の術も解かせ、ギーナ以外のみんなには席を外してもらっている。ギーナについてはこの水晶球をあやつってもらっているために、外してもらうわけには行かなかった。その事情は、あちらでも同じのはずである。
《陛下にあらせられましては、折り入って自分にお話があるとのことですが。一体、なんでございましょうか》
《……ああ、ヒュウガ殿。もうあなたは、私の臣下ではないのだから。どうぞもっと、ざっくばらんにお話しください》
少年は、底意のない笑顔を浮かべて、ごく丁寧にそう言った。
そうやって笑うところは、やっぱり年相応の少年に見えた。控えめな表情といい態度といい、はじめてヴァルーシャ宮で拝謁したときとは雲泥の差である。
《ああ、いえ。どうか、お気になさらずに。どうも自分は、こういう話し方のほうが、むしろ楽にしていられるようなので》
《そうなのですか? ……まこと、変わっておられますね》
少年が静かに苦笑する。
《聞けばあなたは、こうして魔王となられても、その謙虚さにいささかの変わりもないのだとか。デュカリスがいつも感心しておりますよ》
《いえ、左様なことは。とんでもないことでございます》
《正直なところ、驚いております。こうして私が、北の魔王と直接に話ができるようになろうとは、夢にも思っておりませんでしたゆえ》
《それは自分も同様です》
と言うか、俺もこちらの世界に落ちてきた当初、自分自身がこうして魔王になろうなどと、まったく予期していなかったのだから。
《同じ、国の頂点に立つ者として、ヒュウガ殿の国政のありかたには学ばせて頂くことがまことに多い。身分の低い民らへの教育など、その最たるものでしょう》
《恐れ入ります。しかし、どれもまだまだでございます》
《ずっとお訊ねしてみたかったのです。あちらの世界では、そうした政治がごく一般的におこなわれている、ということなのでしょうか》
《ああ……いえ。お恥ずかしい話ながら、必ずしも理想通りというわけには参っておりません》
それどころか、人類の歴史上、戦争が行われていなかった時代などひとつもない。様々な人種間、民族間、宗教間における紛争はひきもきらず、今ではより規模の大きな無差別テロすら世界各地で起こっている。「問題がない」などと、口が裂けても言えるものではないだろう。
貧しい人々への教育支援についてもそうだ。人道上、それは間違いなく行ってしかるべきことだけれども、人々の知性の底上げが進めば進むほど、様々な意見がぶつかりあいやすくなり、政治上の意思決定が遅延しやすくなるのもまた事実。
民主主義も社会主義も資本主義も、別に全能でもなんでもないのだ。人類はいまだに、自分たちをうまく治めるための方法を手にいれられたとは言えない。
まあこれは、半分ぐらいは俺の父や兄、また高校の社会科教師の受け売りではあるのだったが。
俺が簡単にそう説明すると、ヴァルーシャはやや沈んだ顔色になった。
《……そうなのですか。そちらの世界にあってもまだ……。やはり、治世というものは恐るべき魔物を御するがごとき大事業、ということなのでしょうね》
溜め息をつく少年の顔は、とても年相応には見えなかった。そこには暗い疲労の色が濃い。
《ご無礼ながら、ヴァルーシャ陛下がそのお年でそのお立場に立たれていること、心から敬服しております。さぞやご苦労も多いでしょう》
《ええ……はい。フリーダやデュカリスなど、知性と忠義にあふれる臣下の助けをもって、どうにかやっているというところです。正直、さきほどのミサキとかいう女性ではありませんが、夜も眠れぬようなことも少なくはありません》
《……左様ですか》
気の毒に。
育ち盛りに、それはさぞかしつらいだろう。
こんな年端もいかない少年の肩に、一体どれほどの重責が乗っていることか。聞くところによると、もとはデュカリスにも王位継承権があったらしいが、彼はこの少年との諍いになることを好まずに、みずからその地位を返上してしまったらしいのだ。
あのデュカリスなら、さもありなんとは思う。けれども、それはそれでこの少年にとって、幸せな人生に導かれたとはとても言えないのかも知れなかった。
デュカリスであれば、もしもヴァルーシャと同じ立場に立ったとしても、ここまで思い悩むことはなかったかも知れないのに。だがそれは、俺の無責任かつ、勝手な老婆心というものだろう。
彼らの国には、彼らの国の事情があるのだ。
《ところで、ヴァルーシャ陛下。ひとつお訊ねしたいことがあるのですが》
《はい。どうぞ、何なりと》
《今の自分にとっての騎獣は、今回も役に立ってくれたドラゴン、ガッシュということになりますが。あなた様の騎獣というのは、リールーの母ドラゴン……ということで良いのでしょうか》
《はい。一応は、そうなりますね》
《『一応』、とおっしゃると?》
そう水を向けると、少年は顔の前で手を組み合わせ、意味ありげな目でこちらを見つめた。
《そちらのドラゴンから、ある程度はお聞きでしょう。年降りたドラゴンは、なにしろ体躯が非常に大きくなってしまうものです。それでは騎獣としての用には向かない》
《ええ、はい。それは》
《リールーの母親ドラゴンも同様です。今はこちらの城の地下深くに身を沈めておりますけれども、いざ表に出ようということになりますと、よくよく周囲に気を配らなくてはなりません》
《……と、おっしゃいますと?》
少年は、にこりと笑った。さも「困ったな」というような顔だった。
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