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第二章 新参者
9 仕合い
しおりを挟む「いや、まいった……」
その日の午後、村の広場で佐竹との試合に臨んだガンツは、立会人の男の「それまで!」の声が聞こえた途端、苦笑して頭を掻いた。
ガンツは手にしていた木剣をすでに取り落として地面に片膝をついており、その額の五センチ手前で佐竹の木剣の先が止まっていた。
試合の見物に来ていたケヴィンはじめ、その周囲を取り囲むようにして立っていた村の男たちは、一様に呆然としている。試合は、始まってものの五秒ほどで終わってしまったのだ。何が起こったのかがはっきりと分かっている者は、誰もいなかった。
マールの友達である少年オルクは目を輝かせ、「すげえ! すげえ!」と手を叩いて大喜びの体だった。他の子供たちは、ただびっくりして口をぽかんと開けている。
ただ一人、マールだけは、まったく驚いた風もなく、みんなの後ろで悲しそうに項垂れていた。その目は午前中にした大泣きのために、まだ少し赤く腫れていた。
佐竹の差し出した手に素直に掴まって立ち上がったガンツは、爽やかな笑顔で佐竹を見下ろした。彼は佐竹よりも、優に三十センチは背が高い。
「凄いな、あんた。俺が動こうと思った時には、もう終わってた。一体どうやったんだ?」
佐竹はそれには答えず、「あんたの気魄もなかなかだった」と言葉少なに相手の健闘を讃えただけだった。
◇
試合の結果報告を受けて、ミード村の長ルツは、佐竹を正式にこの村の代表とすることを皆に宣言した。さらに、豊穣の祭りは三日後であり、場所は隣のウルの村であることと、佐竹に何かあった場合のために予備の代表者としてガンツを同行させると発表した。
また、道中、佐竹の言葉の問題その他を補佐するため、もう一人同行者を募るということだったが、それにはガンツの幼馴染みだというケヴィンが一も二もなく手を挙げた。
マールも慌てて手を挙げたが、いかに近隣の村とはいえ、野獣の出ることもある道中に、子供を伴うことはやはり許されなかった。
「どうしてですか? あたし、もう子供じゃありません……!」
ルツの家の入り口前で、村の皆が集まっている中、マールはそれでもルツに向かって食い下がった。
ルツは家の入り口前の丸太で作った階段の奥に、胡坐をかいて座っている。床が地面よりも高くなった造りであるため、そこに座っていてちょうど、皆の目線と同じ高さになるのだった。ナオミとバシスは、彼女の背後に座っている。
佐竹とガンツは、ルツの傍、階段の脇に並んで立っていた。
マールがさらに言い募った。
「それに、サタケの言葉のことだったら、誰よりあたしが一番よく分かってるもの……!」
佐竹はその瞬間、ちらりと目を上げてマールを見た。が、特に何も言わなかった。
ルツは彼女を静かな目で見下ろした。
「子供が無闇と村の外に出ることはならぬ。それが村の掟じゃ」
「だから、あたし……!」
マールがかっとなって言い返そうとしたが、ルツはそれを許さなかった。
「そなたは子供じゃ」
老婆の言葉は、静かだった。そうでありながらもその声には、不思議と有無を言わさぬ迫力があった。さすがのマールも、思わず押し黙った。
「確かにそなたは、あと三月もすればこの村の掟に従い、大人の仲間入りを果たす。しかしじゃ、マール。今のそなたには、周りがあまり見えてはおらぬようじゃのう」
「そんなことっ……!」
ルツが手を上げて、鼻白んだマールの言葉を制した。
「そなたがついてゆくことで、どれだけサタケやガンツの負担が増えるか、考えてみたのかのう? もしもそなたが、道中、野獣に襲われるようなことでもあらば、二人は当然、そなたを救おうとするであろう。それともそなた、自ら自分を守れるのかや?」
「……そ、それは……」
そう言われてしまうと、マールは弱かった。なにしろ、それはつい今朝方にも、実際に起こってしまったことなのだ。もちろん佐竹はそのことについて、彼女の祖母には勿論のこと、村人のだれにも一切語らずにいてくれたのだったが。
言い澱んでしまったマールに、ルツは更に畳み掛けた。
「その結果、二人が無駄な怪我でも負ったとしたら、そなた一体、なんとするのじゃ? そなたが代わりに、武術会に出てくれるとでも言うのかや?」
「…………」
マールにはもう、一言もなかった。
佐竹は黙ってそんなマールを見つめていたが、その瞳には少し、気の毒げな色が浮かんでいた。それは、隣に居るガンツも同様だった。
ルツはそうして黙りこんでしまったマールをしばらく黙って見つめていたが、やがてまた静かにこう言った。
「分かったであろう? そのように周りが見えなくなり、自分の都合ばかりを押し通そうとすることが、まこと『大人』の振る舞いであるか否かが――?」
「…………」
マールはもう真っ赤な顔をして唇を噛み締め、ただ俯くしか出来なかった。
そして、ぱっと踵を返した。うっかりするとまた目から溢れ出そうになったものを誰にも見られたくなかったのだ。
そうしてそのまま走り出し、その場から逃げ出した。
「あ、マール!」
後からオルクの声が追いかけてきたが、マールはもう一目散に、村はずれに向かって駆けて行った。
◇
「……サタケ殿よ」
駆け去っていったマールを少し見つめていたルツが、ふと、脇に立っている佐竹に声を掛けた。佐竹は、呼ばれて「はい」と目を上げた。
「このような事を頼んでおきながら、まことに虫の良いことを申すようで申し訳ないのじゃが……」
老婆は何か言いにくそうに、一度そこで言葉を切った。
「そなたなれば、武術会での優勝も、さほど難しくはないであろうし……」
ルツの言葉は、どうも歯切れが悪かった。
「……何でしょうか」
佐竹には、しかし、次に続く彼女の台詞の大方の予想はついていた。そして残念ながら、その予想は外れなかった。
「そなた、なるべく早う、この村を出て行っておくれではないかえ」
「…………」
黙って佐竹がルツを見返すと、その静かで温かみのある視線と目が合った。
彼女の言いたいことはよく分かった。『これ以上、小さな村娘の気持ちを掻き乱すな』と、そう老婆は言っているのだ。
佐竹はしばし黙って、その茶色く日焼けした老婆の皺だらけの顔を見つめていた。が、やがてゆっくりと頷き、一礼をした。
「心得ております。ルツ様には要らぬご心配をお掛けしてしまい、誠に申し訳なく思っております」
隣にいたガンツが佐竹のその言葉遣いに驚いたように目を見張った。それはいかにも「本当にこの男に『言葉の補助をする者』など必要なのか」というような目だった。
佐竹は更に、村の者たちの方にも向き直って礼をした。
「皆様には、この命を救って頂き、更にはまた、様々なことをお教えいただきました。これまでのこと、心より感謝申し上げます。大変お世話になりました」
そうして深々とした一礼と共に、一分の隙もない言葉遣いで礼を述べた佐竹を、その場にいた一同も呆気にとられたようになって見つめていた。
◇
村はずれの家畜小屋まで一気に走り抜けて、ようやくマールは足を止めた。息が上がって、心臓は早鐘のようだったが、そんなことはどうでもよかった。
せっかく、ここまでくればもう誰にも見られずに泣けると思っていたのに。しかし、今回はそうはさせて貰えなかった。息を切らして後ろから走ってきた少年が、マールを一人にはしてくれなかったからだ。
「マール! 待ってよ……!」
真っ赤な髪と、澄んだ紫色の瞳の少年、オルク。彼とはほとんど年も変わらず、ずっと幼馴染みのようにして一緒に育ってきた間柄だった。
「ついてこないでよっ……!」
そちらを振り向きもしないまま、ぴしゃりとマールが言い放った。オルクが後ろで息を呑んで、少し立ち止まった気配がした。
マールはこみ上げてくるものを堪えるだけで必死で、後はもう何も言えなくなってしまった。両手を痺れるぐらいに握り締めて、ただその場に立ち尽くしている。
オルクが恐る恐る、声を掛けてきた。
「ねえ、マール……?」
マールの返事のないことに臆して、オルクの声が一段、小さくなる。
「あ、あのさ……」
更に、声が小さくなった。
「サタケについて行きたいんならさ――」
その名前を聞いて、ぴくりとマールの肩が震えた。オルクは続けた。
「ちょっとだけ、待てばいいじゃん……? だって俺たち、『大人』になるまで、たったあと三月なんだからさ……」
「…………」
マールが驚いたようにオルクを振り返った。心配そうにこちらを見ている、紫色の瞳と目が合う。
「ルツ婆さまの言う事も、間違ってるわけじゃないと思うぜ、俺。要するに『周りに迷惑かけるな』ってことだろ? あれ……」
「…………」
「マールには、お婆さまもいるんだしさ。今、勝手に飛び出してくわけにはいかないじゃん? 三月たって、大人になって、お婆さまのことも、誰か頼める人、探してさ……。それができたら、きっと――」
きっと、ルツはそれを許してくれると、オルクは言いたいようだった。
(それは、どうかなあ……)
マールは、それには正直いって疑問を感じる。ルツがサタケを追うことを禁じようとするのには、他にも理由があるように思えるからだ。
(だけど……)
確かに、オルクの言う事にも一理ある。『大人』にさえなってしまえばとりあえず、今よりはずっと動きやすくなるはずだ。それで周囲に迷惑の掛からない方法を考えて、その上でサタケを追う分には、ルツもああまで反対はできないはず。
「そ、それにさ……」
オルクが更に、言葉を継いだ。
「そん時は、俺も一緒に行くからさ――」
「え? どうしてあんたが一緒に来るのよ」
マールは即座にそう言った。心底意外そうで、かつ嫌そうな声だった。
オルクが途端、ひどく傷ついた顔になった。
「うわ、ひでえ! だってマール、いくら大人でも、女の子が村の外に一人で出かけて行くなんて危ないじゃん! サタケに会うまで、一人でどうにかするつもりかよ? それこそルツ婆様に、許してもらえるわけないじゃんか!?」
「…………」
(……それもそうか)
マールは考え直した。
「わかったわ。あんたもついてきてもいいわよ」
「…………」
途端、変な顔になって沈黙してしまったオルクを、マールは冷たい視線で見返した。
「なによ。どうしたの?」
これ以上ないほどの機嫌の悪い声だった。
「や……。いや、なんでもねーよ……」
そう言うなり、ちょっと肩を落としてしょげてしまった赤い髪の少年を、マールは「全く理由がわからない」と言わんばかりに、怪訝そうな目で見返していた。
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