白き鎧 黒き鎧

つづれ しういち

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第二章 白き鎧

9 流刑星

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 ヨシュアの看護はひとまずマールたちに任せることとして、佐竹とヨルムス、それに同行してきている文官たちとディフリードは宿舎のひとつに集まった。そうして、すぐに<白き鎧>の記述の解読に入った。
 部屋の真ん中に切られた囲炉裏には火が入れられている。少し薄暗いものの、中はじゅうぶんに暖かかった。床の板敷きいっぱいに、<鎧>のパネルから写し取ってきた羊皮紙が順番どおりに広げられている。みなはヨルムスの古代文字の書物とズールの「覚書」とを見比べつつ、ていねいに解読を進めていった。
 その内容はいくつかの部分に分かれていた。そのため、おおまかに<鎧>の歴史部分を担当する者と、操作方法や管理方法の説明部分を担当する者とに分かれての作業となっている。

 ヨルムスが現地で驚嘆していたことは、どうやら本当のようだった。それは歴史の部分であり、冒頭にまとめられていた。
 それは、驚くべき内容だった。
 そもそも<鎧>は、この惑星ほしの言葉でそういう意味であるというだけの話らしい。つまり、あの「兄星」における原語ではそうではないようなのだ。それはどちらかといえば、<装置>とでも呼ぶべきものらしかった。
 解読可能だった部分の<鎧>の歴史をまとめると、大体以下のようなことになる。

 この<鎧>が機能し始めるより数万年以上もの昔から、「兄星」には人類が栄えていた。その文明が頂点に達し、飽和して、やがてゆるやかに衰退への下降線を辿り始めたころには、その人口は惑星を覆い尽くしていた。彼らは自然をしいたげ、それによって自らの首を絞める流れになっていったようである。
 その流れを食い止めることは難しかった。やがて人々は限られた資源をめぐって争い始める。ともかく、人口が多すぎるのだ。
 もちろん、人口調整の政策は取られていた。だが、地球においてもそうであるように、文明の進んだ地域とそうでない地域との格差は埋まらなかった。結局、人口調節はうまくいかず、時の為政者たちは残念ながら、その政策をあやまったのだ。

 「兄星」での人類の失敗は、やがて「弟星」であるこちらの世界に波及することになる。「兄星」で宇宙開発の技術が進むにつれて、時の為政者たちはこの星を利用することを考え始めたのだ。
 当初は、「植民惑星」として利用するため、この惑星の環境を整えることから着手された。そもそもこの星には、人が住むためには足りないものが随分と多かったらしい。
 人々はこの星の水や空気を調整し、それらをうまく循環させ、まるで生きた箱庭でも造るようにして、森や生き物たちの育つ環境を作り上げた。それだけでも、優に百年近い年月が費やされたようである。

 その時点から、二つの<鎧>はこの地に設置されていた。それは北の極と南の極に程近い、比較的気候の温暖な地域に作られていた。
 この<空間転移装置>があってこそ、この計画は実行可能だった。いちいちそのために宇宙船を飛ばしていたのでは、たとえ百年あったとしても、こんな計画は成功しなかったろう。人々はこの装置を使い、次々と「兄星」から人員と資材を持ち込んだのだ。

 やがて、環境の整った「弟星」に、新天地を求めて多くの人々が入植してきた。もちろん、移動に使われたのはこの<鎧>である。
 入植してきた人々は、当然ながら「兄星」で格差社会の底辺に追いやられた、貧しく、惨めな人々が多かった。無論、彼らが「新天地『弟星』でなら、これからの頑張り次第でどんな大富豪になることも夢ではない」などと、根拠のないプロパガンダに踊らされたことも否めない。
 しかし、それはやはり、うまくはいかなかった。
 すっかり文明慣れしたそのころの「兄星」の人々は、整備されたとはいえまだ荒々しく、厳しく、ごつごつとした自然の中で生きてゆけるほど、逞しくも雄々しくもなかったのだ。
 人々は数十年もすると、懇願するようにして母なる「兄星」に戻りたいと言い出した。そして実際、戻ってきた。
 慌てたのは、「兄星」の為政者たちだ。その後の数十年で、また母星の人口は増えていた。当然ながら、ふるさとの星には戻ってきたがる人々を受け入れる余裕などありはしなかったのだ。

 ……そして。
 「兄星」の為政者たちは、恐ろしい決定を下した。
 それはもはや、人非人にんぴにんの為せるわざだった。
 彼らは、<鎧>の機能の一部を停止させたのだ。
 

「つまり、それは──」

 からからに渇いた喉を潤すことも忘れ、目だけをぎょろつかせながら、ヨルムスがひっそりと囁いた。
 その場の一同は、しわぶきのひとつもしない。
 あまりの長い沈黙があった。
 やがて佐竹が、その後を引き取って静かに言った。
 ほとんど、感情の乗らない声だった。

「<鎧>による移動を、一方向のみにする。……つまり、来ることはできるが、帰ることはできない……と」

 再び、部屋には重苦しい沈黙がおりた。

(帰れない……のか)

 佐竹は、しばし黙って虚空の一点をみつめた。が、すぐに静かに目を閉じた。
 覚悟しなかったはずはない。しかし。
 こうして目の前に事実を突きつけられるのは、やはり、どうにも耐え難い思いがした。何より、内藤とその弟洋介に、申し訳ない気持ちが先に立った。
 ぐっと膝の上の拳を握り締めて黙りこんだ佐竹を、ディフリードが気の毒げな目でそっと見やった。

「で……、その後はどうなったのだい? まだ、歴史には続きがあるのではないのかな……?」

 ごく控えめな声だった。だがそれを聞いて、佐竹は一旦、自分の感情は脇へくことにした。
 いまは、それを嘆いている場合ではないのだ。
 佐竹は努めて目を開き、もとの表情に戻った。ディフリードの菫色の瞳が、感嘆をもってそれを見つめたようだった。

「はい、ディフリード閣下。話は、もちろんまだ先がございまする……」

 ヨルムスは掠れた喉を励ますようにそう言って、再び歴史の話を続けた。
 「弟星」に閉じ込められた人々は、当然、悲嘆に暮れた。
 しかし「兄星」からの残酷な仕打ちが、それで終わったわけではなかった。
 その後も「兄星」の人口飽和状態はほとんど緩和されることもなく続行したのだ。やがて、為政者たちはさらなる非情の決断をする。
 それは、「兄星」において何らかの犯罪に手を染めたもの、あるいはくわだてたものたちを、この地へ送りこむという決断だった。

 つまり、この惑星ほしを「流刑星」にしたのである。
 初めのうち、それは本当に酷いことをした重犯罪者のみに適用されていた。しかしすぐに、それよりもずっと軽微な罪を犯した者へと広がった。
 そして後期に至っては、恐るべきことに、彼らは人々の「心の中の犯罪」にまで手を伸ばしたのだ。
 「兄星」では、その高度な科学力によって、すでに人の心の声を聞く技術が存在していたらしい。その技術をもって、その星の警察機構は、あらゆる人々の心の中にまでも捜査網を広げ、常に監視・精査していたというのだ。

(なんだって──)

 佐竹は知らず、背筋の寒くなるのを覚えた。
 心の中の罪を暴く。
 それは一体、人の為せるわざなのか。
 「奪いたい」、「殺したい」、「犯したい」。
 その他諸々もろもろ、心の中にひそやかに、ふと湧き起こる衝動すら、裁きの対象になる世界。
 
──狂気の沙汰。

 それをそう言わずして、なんと言うのか。
 いったい誰が、その「縄目」を逃れるのか。

 「兄星」は、狂ったのだ。
 そうして、その皺寄せのすべては、この「弟星」が引き受けた──。


(そういうことか。それで──)

 佐竹はようやく合点がいった。
 なぜあの<鎧>には、人を監視し、捕縛する機能があるのか。
 なぜ、言語の壁さえ越えて、人の心までをも読み取る機能があるのか。
 ずっと疑問に思ってきた多くのことに、この一事で説明がつく。

 例えばあの時、ナイトの髪のひと房だけであちらの世界から内藤を呼び出せたのもそうだ。
 要はあれは、現場に残された遺留物から、有無を言わさずに犯罪者を「流刑星」へと収監するための機能だったということになるのだろう。そうまでするとすれば、後期に至ってはもはや、裁判も人権もあったものではなかったのに違いない。もしかすると、冤罪により、誤ってこの星に堕とされた無辜むこの人々も相当数いたのではないだろうか。
 佐竹は眉間に厳しく皺を刻んでいる。

(だが……それは)

 いったい、この惑星ほしの人々にとって、どんな呪いだと言うのだろうか。
 今現在、この地に生きる人々に、一体なんの罪があるのか。
 ……そして。

(これらの事実を、あのサーティークは知っているのか……?)

 その可能性は高い。だとすれば。
 彼がああまでして<鎧>というもののすべてをこの地から一掃しようとするのも、無理からぬ話ではないのだろうか。
 サーティークのことを念頭に、佐竹は更さらにヨルムスにたずねた。

「では、<鎧の稀人>については、いかがなのでしょう? 彼らの役割と、これまでの歴史とは……?」
「うむ……」

 ヨルムスはそれを受けて、ますます眉間の皺を深くした。一同は耳をそばだてて、続く言葉を待っている。

「それなのだ。歴史書の初めのほうには、とりたてて<稀人>についての記述がない。その言葉が出はじめるのは、後半の、流刑地という言葉が現れて以降になる。そして……<稀人>という言葉には、大抵、<許されし者>という称号が関連付けられる。つまり……」

 文官長は、さも言いにくそうにその後の言葉を濁してしまう。佐竹がまた後を引き取った。

「陛下への失礼を承知で申し上げますが……。<鎧の稀人>とは、流刑地たるこの惑星ほしにある、<鎧>を管理するための人間である、と……?」
 一同がその言葉を聞いて押し黙った。
「そして恐らくは、<稀人>はその一族の者のみが受け継ぐことになっていた……と」
「そ、……そうなのだ……」

 そして、以前調べた<召喚の間>の紋様にもあったように、<稀人>には<許されし者>という称号が付随するのだとすれば。
 彼らは恐らく、「囚人」たちの中で比較的罪が軽く、もしかするともともと「兄星」において相当な地位にあった者らの末裔だ、という風に考えられるのではないか。
 ヨルムスはそんな風に自論を展開し、やはりちょっと気がとがめたようにちらりとディフリードの顔色をうかがった。が、ディフリードは特に気分を害した風もなく、ただひたすらに顎に手を当てて考えにふける様子だった。

(そうか……だから)

 佐竹も、またひとつ合点がいった。
 だからこそ、<鎧>を開くのには王の血が必要なのだろう。
 たとえばそのDNA情報をもって、<鎧>はそれが己の管理人であるかどうかを見極めるのだ。そうやって、<鎧>はそれが以前に登録された者本人か、あるいはその血族であるかどうかを確かめるということなのだろう。
 そうしてこの数百年、いやもしかするともっとずっと長い期間、連綿と続く<鎧の稀人>の務めを果たし続けてきたのが、この北のフロイタールにおけるナイトの属する王族たちと、南のノエリオールのサーティーク属する王族たちというわけだ。

「歴史書の最後には、こうある……」

 最後に、ヨルムスが文書の末尾を指し示して、ゆっくりとそれを読み上げた。


『我、<稀人>の務めを担いし、第一の者』
『我が子らよ、心せよ。そして衷心より、乞い願う』
『いずれ必ず、そなたらの、母なる兄星への帰還を果たさんことを――』


 一同は、しばし声もなく、その事実を噛みしめていた。
 こんな片田舎の村人の家の中で、恐るべき歴史の真実を垣間見たのだ。それも無理はなかっただろう。
 佐竹は、恐らく彼らが思う以上のことに思いを馳せつつ、静かに窓外に目をやった。
 そこには相変わらず、こちらをバカにしたように眺めている「兄星」が、ぼかりと大きな顔を晒している。
 佐竹はしばらくそいつの顔を、厳しい視線で見つめていた。
 
 
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