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つづれ しういち

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第三章 黒の王

10 罠

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「俺とじいは、極秘裏にことを進めていたつもりだった。だが実際は、その動きはみな、奴らに筒抜けになっていた。……それもこれも、全てが終わってから分かったことだがな──」

 城の尖塔、てっぺんの小部屋。
 そこで夜空を見やりながら、自嘲気味な声でサーティークが話を続けている。

 「奴ら」とは、当時王宮の中で強い勢力を持っていた、「<鎧>信仰擁護派」の一派のことである。その頭目は、当時、御前会議で第二位の権勢を誇った宮中伯筆頭、バシリーだった。

 その年、夏至の日が近づくにつれ、王宮内の空気はいつもと違った様相を帯び始めていた。それはなにか、ひと言では形容のし難い緊張感に包まれているようだった。
 その時すでに十三歳になっていたサーティークも、御前会議に臨むたび、「会議の間」において一部の重臣たちの放つ、奇妙な空気を感じ取ってはいた。それはひどくざらりとした、心の底に冷たいおりを流し込まれるような、なんとも言えぬ不快なものだった。
 その正体がなんであるのか、確たることは言えなかった。もちろんこちら側にも、密かに彼らの動きを監視する任に当たらせていた者らはいた。だがその者たちからも、これといった報告は上がってこなかったのである。
 なによりサーティークは、普段の政務もこなしつつ、あの<儀式>の無意味さを証明するための準備をも怠りなく進めなくてはならなかった。つまり、相当忙しかったのである。
 無論、今となっては、それらすべてはただの虚しい言い訳でしかないのだけれども。

 そして。
 その年、夏至の日の四日前。
 サーティークは<儀式>のために、例年通り宮宰マグナウトと護衛兵十名ばかりを伴って王都を出立した。
 大きなお腹を抱えたレオノーラも、王太后である母と共に、王城の入り口で自分たちを見送ってくれていた。

 サーティークが彼女のすこやかな笑顔を見たのは、それが最後となった。





 伝統上、<鎧>の儀式のために毎年同じ村を利用するのは、昔から禁忌とされている。それは、何も知らぬ国民にいたずらに<鎧>の在り気取けどらせぬようにするためだと思われる。
 その年、儀式の期間に利用することになっていた村に到着し、サーティークもマグナウトも宿所として村長の準備してくれた家に泊まった。そうして、翌日の計画のため早々に休むことにした。
 ただ、これまでの「<鎧>信仰擁護派」たちの不気味な様子のこともあり、これだけ王都から離れていても、サーティークもマグナウトも用心を怠ることはしなかった。
 田舎料理には、王都では味わえないような見慣れぬ食材も多く、えてして珍妙な香りのするものがあるものだ。二人は用心して、それらには口をつけなかった。結局、王都から持ってきた携帯食を僅かばかり口にしただけで、その夜は二人とも早々に眠りに就いた。

 翌早朝。
 サーティークは、ただならぬ様子のマグナウトに起こされて、それが正解だったことを知った。連れてきていた護衛兵らが、みな正体なく眠りこけ、呼んでも揺すっても一向に目を覚まさなくなっていたのだ。
 昨晩、一服盛られたのは間違いなかった。
 もちろん兵らにも、携帯食しか食べぬようにといい含めていた。だが、どうやら兵らは、そちらにも薬を仕込まれてしまったらしい。改めて兵らの点呼をしてみると、護衛兵の一人が忽然と姿を消していた。

 嫌な予感にとらわれつつも、サーティークとマグナウトは意識を失っている兵らを村人たちに任せ、まだ空も暗い刻限から馬を飛ばして、<黒き鎧>へと向かった。
 が、それもつかの間のことだった。
 村を離れて一刻も行かないうちに、二人は森の木々の間から次々と現れた友軍の騎馬兵ら数十名に道を塞がれてしまったのだ。
 騎馬兵らはものものしく、全身を金属鎧に固めて、銘々、槍や弓、長剣等で武装していた。サーティークとマグナウトは、引き返すべく即座に馬首を巡らしたが、やがて背後からも同様に十数騎からなる騎馬隊がやってきて、呆気なく退路を塞がれた。

 彼らの後ろから、騎乗した宮中伯バシリーが悠然と現れるに及んで、サーティークは全てを悟った。自分が彼奴きやつの術中に嵌まったことを。
 バシリーの後ろからは、彼と同じ「<鎧>信仰擁護派」である重臣の面々が、数名ついてきている。

「遠路はるばる、何をしにきた? バシリーおう

 一見してほぼすべてのことを悟っていながら、皮肉の籠もった声で青年王が訊ねると、宮中伯の老人は、馬上でほほほ、と奇怪な笑声をあげた。
 バシリーは、ひょろりと背の高い痩せた老人である。いかにも生真面目で神経質そうな、青白い顔をしていた。
 真摯すぎるほどに宗教に打ち込む者によくあるように、そのたたずまいは清貧といってもよいほどに簡素だ。装飾品らしいものは何も身につけてはいない。しかしその目つきを見るとき、サーティークは知らず、背筋になにか冷えた金属を押し当てられたような気分になったものだった。
 一瞥すると、それはひどく澄んだ美しい瞳にも見える。だが、よくよく観察すればするほど、底知れないその深みに、どこか危うい、そしてもろい何かがひそんでいるような気がしてならないのだった。
 バシリーは、その不可思議な光を湛えた瞳をやんわりと細めて、サーティークに少し会釈を返した。

「いえいえ、なんの。陛下にあらせられましては、此度こたびの<儀式>において、なにやら不穏のご計画があるやに聞き及びましてのう。この爺い、老骨に鞭打ってこのような場所まで馳せ参じましたる次第――」
「それはご苦労。そのような埒もない情報ごときで、このような辺境までお出ましとは。いかにも大儀なことよな」

 苦笑して痩せた老人を見返したサーティークの瞳は、しかし、少しも笑ってなどいなかった。
 因みに、この惑星ほしでの十三歳というのは、地球人でいえば大体十七歳ほどの見た目となる。つまり丁度、現在の佐竹と同じくらいということだ。
 バシリーは、物柔らかな表情をわずかに曇らせたようだった。が、微笑みは崩さない。

「お許しいただけまするならば、陛下。今年の<儀式>には、是非とも我らをご同伴願いたいのでござりまするが……?」
 探りを入れるような口ぶりからは、微塵の敵意も窺えないようだった。だが、もちろんそんなはずはなかった。
「それは、<儀式>の掟に反しよう」
 サーティークは、にべもなく切り返した。
「このような大勢で<鎧>に向かうなど、王家の歴史上、いまだかつてなかったことだ。父祖の取り決めは絶対であろう。予定通り、爺と俺だけで向かわせて貰う」
「それはなりませぬ」
 どろりとしたものをその声音の底に潜ませるようにして、飽くまでやんわりとバシリーが言った。
「……なんだと?」
 サーティークは片眉を上げ、老人をめつけた。
「陛下。そこな宮宰閣下がどのような甘言を弄したかは存じませぬが。なりませぬぞよ? <鎧>の儀式を損なうようなお振る舞いは、決して我らの望むところではござりませぬ――」
 サーティークがにやりと片頬を歪めた。
「『儀式を損なう』と……? 聞き捨てならんな。誰がそのような言い掛かりを」
 バシリーの底知れない深みを湛えた瞳が、次第にぎらぎらと圧力の籠もった光を増してきている。
「おとぼけも大概になされませ。ご計画の概要は、既にほぼ、我らの知るところにござりますれば」

 そう言われても、サーティークはやはり、しらを切りとおすつもりでいた。さも面倒臭げに周囲の兵らを見渡して、ちょっと肩を竦めて見せる。
 要するに、バシリーはあの村でサーティークに一服盛って眠らせたまま、かの<黒き鎧>まで彼を運び、無理にも儀式を行ってしまおうとしていたらしい。周囲の兵どもは、当然バシリーの息の掛かった者らであろう。
 だが、さてどのような手で味方に引き入れているものか。他ならぬ国王に刃向かうとなれば、それ相応の覚悟がなくては無理であろう。

(金か、地位か、はたまた──)

 なんでもなさげな顔の下で、サーティークは考えている。

(……家族の命か)

 ちらりと兵らの表情を見やれば、己の欲望に正直な、下卑た顔をしている者もいれば、真っ青な顔色で明らかに武器を持つ手が震えているような者もいる。
 青年王の目が細められた。

(……なるほどな)

 さりげなく、腰の刀のつかに手をやる。
「『ならぬ』とすれば、どうしようと言うのだ? バシリー」
 すでに声変わりも終わったその声は、今や地を這っていた。まだ年若い青年王にしては、相当な凄みのある声だ。
「俺を斬れば、それこそ<儀式>など行えぬぞ?」
「……陛下。それは」

 背後で騎乗したままのマグナウトが、控えめに声を掛けた。「分かっている」とばかりにサーティークは片手を上げる。
 宮中伯バシリーは、その時不意に、にっこりと優しげな微笑を顔にのぼせた。

「まさか、そのような不穏なこと。我らとて望むところではござりませぬよ──」
「…………」

 サーティークの投げ返した鋭い眼光など物ともせずに、バシリーも片手を上げ、背後の兵に何かの合図をしたようだった。その兵が差し出した物を受け取ると、バシリーはにこやかに微笑みながら、それをサーティークのほうへと差し上げて見せた。

「こちらに、見覚えはござりませぬか?」
「……!」

 サーティークが一瞬、言葉を失う。
 老人の枯れ木のような指がつまんでいたのは、貴婦人の髪につける髪飾りであった。
 持ち主の髪色に合わせるように、やや濃いめの色味で纏められた、オレンジ色の可憐な品である。
 それを凝視して動きを止めた青年王を、少しなぶるような瞳で見返しながら、バシリーが優しげな声で語りかけた。

「もちろん、陛下には、どなたのお持ち物であるかお分かりにござりましょうな?」
「バシリー、おぬしッ……!」
 さすがに驚きと怒りを隠せぬ声で、背後からマグナウトが叫んだ。
「王妃さまを、いかがしたのじゃっ……!」
 いつも冷静沈着な老人が、この時ばかりは声を荒らげていた。
「レオノーラ様は、身重のお体であらせられるのだぞっ! それを……!」
「……なに。今のところは、どうということもありませぬよ、マグナウト殿」
 にこやかにバシリーが返事をする。まるで時候の挨拶でもするような軽やかさだ。
「ただ少し、いつもよりも遠くまでのご散策をお楽しみいただいたまで」
「…………」

 サーティークの瞳には、既に業火のごとき殺気が宿っている。無言のままの青年王のその瞳を見ただけで、周囲の兵は、思わず少し馬を後ずらせたようだった。
 マグナウトが、気遣わしげに王の背中を見やりつつ言った。
「愚かなことを……。このような真似をして、そなた……ただで済むと思うておるのか?」
 バシリーは、その言葉を遮るように言った。
「我が身を惜しんで、果たして何ほどの事が成し遂げられましょうや? 宮宰閣下」
 きっぱりとした声音だった。この老人は老人で、それなりの信念と、覚悟をもってしていることなのは明らかだった。

「……レオノーラは、どこに居る」

 地の底から響くような声音でサーティークが問うた。
 もしその殺気で人が殺せるのだとしたら、目の前の老人は、とうにこの世の人ではなくなっていたであろう。
 しかし、痩せぎすの清貧然とした老人は、その声を受けてほっこりと微笑み返した。

「なんの。ご心配には及びませぬ。すでに、<鎧>の前にて、陛下のご到着をお待ちにござりますれば――」

 赤い朝日の昇りはじめた山のを、薄紫の雲が流れている。
 ようやく色を取り戻し始めた森の木々が、張り詰めた空気に包まれて沈黙する騎馬の一隊を見下ろしていた。

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