白き鎧 黒き鎧

つづれ しういち

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第六章 茫漠

6 演武

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「あの『白嵐ハクラン』が、そなたを黙って乗せたことよ――」

 サーティークが言い放った途端、部屋の中がしばし、しん、と音をなくしたようになった。
 部屋を沈黙が支配する。
 佐竹は、やや怪訝な目で王の顔を見返していた。
 マグナウトの隣にいる内藤も、何かきょとんとした顔だ。どうやら彼は事態がまだよく飲み込めていないようだった。

「考えてもみよ。あれはヴァイハルトの――つまりは、俺の側近中の側近の愛馬だぞ。そんじょそこらの男なぞ、素直に乗せるやつだと思うか?」

 そういうこともあるのだろうか。
 まだ何か納得のいかない顔をしていたのだろう。サーティークがちらりとこちらを見た。

「おかしいか?」
 片頬だけを上げるようにして笑っている。
「『たかが畜生ごときに何が分かるか』という顔だな。だが『たかが馬、されど馬』よ」
 王は椅子から立ち上がった。
「『好みがうるさい』とは申したが。どんな好みかまでは言わなかったはずだ」
「…………」
「あの馬はな」
 ずいと一歩、佐竹に近づく。
「人の心の虚実を見抜きおるのよ。瞬時にな――」

 佐竹は絶句して王を見つめた。
 なるほど。
 佐竹たちの住む世界とはちがい、日常的に牛馬に密着した生活をしている人々だけには分かる、何事かというものもあるのかも知れない。
 サーティークの言葉には寸毫すんごうのごまかしの響きもなかった。

「もしあそこで白嵐が、僅かでもそなたの騎乗を拒むことでもあらば――」
 顔は笑ったままだった。しかし瞳がぎらりと光った。
「その時はこの『焔』が一刀のもと、あの場でそなたの命、貰い受けていたことであろうよ」
 握った「焔」をぐいと佐竹の面前に突き出して、さも愉快げに笑っている。
「…………」
 佐竹は目の前の「焔」を静かな瞳で見返した。不思議と恐れは感じなかった。

「そなたとユウヤが元の世界に戻ること。それがこの世の摂理、道理というものだとは分かっている。……だが」

 佐竹は真正面から、青年王の黒い瞳をじっと見つめた。恐らくは同じ色をしているのであろう、鋭く黒い瞳が、まっすぐにこちらを見返してくる。

「俺としては斯様かような男に、むざむざこのユウヤを連れ帰らせるつもりは無かったものでな。……許されよ、アキユキ殿」

 言ってサーティークはほんの少し、佐竹に会釈をして見せた。

(この男……)

 薄く笑顔を浮かべていながら、サーティークの瞳は少しも笑っていない。
 それが本気なのは明らかだった。そのようなことは噯気おくびにも出さないで、あの時この王と老人は、じっと佐竹の人とりとを観察していたというのだろうか。

(だが、それで……)

 そうしてしまってこの王は、その後どうするつもりだったのだろう。
 佐竹を殺してしまえば、予定していた《黒き鎧》と《白き鎧》の《儀式》は行なえなくなる。もっとも、以前ほどの肉体的負担はなくなったらしいので、《黒き鎧》についてはサーティーク自身でも行なえるのだろうが。
 たとえ「《儀式》の最中に佐竹が死亡してしまった」等々の言い逃れがフロイタール側に対して通用したのだとしても、《白き鎧》の完全化については問題が残される。
 だが、佐竹はある事に思い至って目を上げた。

(なるほど……内藤が戻らないなら)

 内藤が向こうの世界に戻らないなら、何もあわてて《白》を完全化する必要もないということか。
 しかし、そうなるとフロイタールへ人質に出しているヴァイハルトは――。

「こちらにはすでに、完全化した《鎧》があるのだ。ナイト王同様、いつなりとどこへなりと、ヴァイハルトを迎えに行くなど容易たやすいことよ」

 こちらの思考を辿るような目線で見つめていたサーティークが言葉を挟んだ。
 佐竹は眉間に皺を刻んで、ぐっと青年王をにらみ返した。

(いや、そうだとしても)

 それは、あのフロイタールに対する明らかな裏切りではないか。せっかく少しずつ構築しつつある両国の信頼関係を、再び土台から破壊することにほかならない。
 そのような暴挙に出てまで、この王は。

(内藤が……欲しくなったか)

 佐竹の瞳が険しくなる。
 しかしサーティークはなだめるように片手を上げてにっこり笑った。

「まあ、そう睨むな。こう言ってはなんだが、俺なら到底、あの白嵐に騎乗させてはもらえんさ。そのあたりは自覚している」

 自嘲気味に頬を歪ませたサーティークを、脇のマグナウト翁はやや気の毒げな顔で見つめている。隣の内藤はもう真っ青だ。寝台の上でがたがた震えている。彼にもようやく、ことの恐ろしさが分かったらしい。

「若、もうそのぐらいで。ユウヤ殿が怯えておられまする」

 マグナウトが宥めるようにして内藤の背中を擦りながら言った。ごく穏やかな声だ。サーティークはあっさりと表情をあらためて、愛刀を元のように手挟たばさんだ。

「そうだな。すまん、ユウヤ」

 内藤を見つめる瞳は、打ってかわって優しかった。軽く頭を下げている。
 内藤はまだ真っ青な顔のままだったが、ふるふると首を横に振った。

「すまぬな、アキユキ」
 青年王はこちらに向き直り、佐竹に対しても少し会釈した。マグナウトは更に深々と頭を下げた。
「申し訳もなきことにござりました、アキユキ殿」
「いえ」
 佐竹は彼らを片手で制し、そちらに向き直った。
「むしろ、御礼を申し上げたい」
「ん?」

 黒髪の王と宮宰の老人が不思議そうに顔を上げた。
 佐竹は一度姿勢を正すと、彼ら二人に向かって頭を下げた。

「さほどまで内藤を大切に考えて頂いたこと、心より御礼申し上げます。ありがとうございました」

 そしてさらに深く、礼をした。
 サーティークもマグナウトもしばし呆気に取られたようだった。内藤も目を真ん丸くして、頭を下げて止まった佐竹を凝視している。
 やがて。

「……はっは!」

 唐突に明るい笑声がはじけて、皆はぎょっとした。
 サーティークがさも楽しげに笑っていた。内藤とマグナウトは呆然と彼を見つめている。それでも衝動を抑えきれず、サーティークはしばらく笑い続けた。
 やがてようやくおさまってきて、男はやっとひと言だけ言った。

「やはりそなた、あのムネユキの息子よな。……かなわんわ」

 言ってまた、くくっと喉奥を引きつらせた。





 その後、サーティークは佐竹と内藤、マグナウトを伴って宿所から出た。そのまま足早に村の外れへ向かい、小さな空き地へと案内される。
 そこはどうやら、彼がここに滞在している間、鍛錬のために使用している場所らしかった。ちょうど剣道場ぐらいの広さである。ミード村で佐竹が利用させてもらっていたような、剣の稽古にはおあつらえ向きの空間だった。
 まわりを囲むように立った木の枝からは、色づいた葉が時折りちらほらと舞い落ちている。足元には色とりどりの紅葉が散り敷いていた。
 空き地の前までやってきて、サーティークは佐竹の方に振り返った。

「頼みがあるんだが、アキユキ。いいか?」
「……なんでしょうか」
「『エンブ』というものを見せて欲しい。ムネユキが昔よく見せてくれたのだが。……そなた、できるか?」

 佐竹は少し、沈黙した。

──「演武」。

 「できるか」と問われれば、確かにできないことはない。子供の頃から宗之や他の壮年、老年の素晴らしい剣士たちが披露するのを見て、やり方そのものは知っている。しかし。

「自分のような若輩が、人様にお見せするものではありませんので」

 端的に言った。
 子どもでも、一般の道場などで稽古の一環として行なうことはある。けれども普通、演武は大きな剣道の大会などで、だれにとっても「師」と呼んで差しつかえない上級者が披露するのが通例である。大抵は、矍鑠かくしゃくとした高齢の剣士が行う。

「さすが謙虚だ」
 サーティークは、逆に満足げな顔で笑った。
「だが、構わぬ。ここはそなたのいた『チキュウ』とやらではないのだし」
 佐竹は黙して自分の足元を見つめている。
「この国の王が許すと言うのだから、何の問題もないことだ。それでも駄目か」

 サーティークの声は静かで、決して無理強いをしようという風ではない。だが、明らかにその声には無念さがにじんでいた。

「ムネユキのあの『エンブ』を、是非とももう一度見たかったのだが――」

 ふと目を上げると、真正面にある黒い瞳と行きあった。青年王の瞳には、ただただ哀愁の色が濃かった。
 佐竹は少し、胸を突かれたようになって黙りこんだ。
 単なる気のせいだったのかも知れない。しかし佐竹にはなんとなく、王の瞳が自分の中に父の面影を探しているように思われたのだ。

(そうか……この王は)

 佐竹は唐突に理解した。あたかも水がみ込むかのように。
 確かに、彼が自分の本当の父でないと気付いた時には、彼とて戸惑いもあっただろう。けれども、それでもこの王は、あの父を親身に思ってくれていた。少年時代、あの宗之を父として、つまり「もう一人の父」として、確かに敬愛してくれていたのに違いない。

「…………」

 サーティークの手によって目の前に突き出されている「氷壺」を見つめ、佐竹はしばらく唇を引き結んで考えていた。
 しかし遂に、頷いた。

「分かりました。いかにも無様でお目汚し程度のものかとは思いますが。それでもよろしければ――」
 一礼してそう答えると、ふっとサーティークの顔が表情がゆるんだ。
「そうか。……有難い」
 目の前に差し出された愛刀「氷壺」を、佐竹は両手で受け取った。


 演武とは、基本的にはそれまで学んだ武道のかたを披露することである。厳密にその形をなぞる場合もあれば、それぞれの演武者や流派によって、即興で技を組み合わせて披露する場合もある。
 今回はサーティークの希望もあるため、佐竹は父・宗之がよく鍛錬の一環として行なっていたものをそのままなぞることにした。

 蹲踞そんきょの姿勢から立ち上がり、まずは場に一礼する。
 すらりと氷壺の鞘を払うと、さりん、と珠の散るごとき音がする。
 そこから、上段、下段、中段と流れるように組み合わさった一連の動きを、摺り足で滑らかに動きながら繰り出してゆく。氷壺の剣先は美しい弧を描き、真横に一閃したその瞬間、切り裂かれた空間に真空が生じて、ひゅっと元に戻る風鳴りがした。
 サーティークと内藤、それにマグナウトは、空き地の外でただ黙って息を詰め、佐竹の演武に見惚みとれた。

 はらり、とたまたま落ちかかった黄金色こがねいろの落葉へ、氷壺が真一文字に一閃する。
 その瞬間、何事もなかったかのようだった枯れ葉は、やがてふつりと両断された姿に変わって、ひらひらと地面に舞い落ちていった。
 それを見て、サーティークでさえ感嘆の声を洩らした。

 ひと通りの演武が終わって氷壺を鞘に戻し、一度蹲踞の姿勢に戻ったのち、立ち上がって場に一礼すると、佐竹は空き地の外に出た。

「……お粗末にございました」

 あらためてその場の皆に一礼する。
 三人はしばし声もなく、その礼を見返していた。

 と、唐突に、サーティークが大股に佐竹に近寄った。
 そしてまだ氷壺を手にしたままの佐竹の首に無造作に片腕を回すと、前から一度ぐっと力をこめて抱きしめた。

「……!?」

 佐竹は目を見開いた。
 内藤もマグナウトも、突然のことにその場に固まって、よく似たふたりの男を見つめて立ち尽くした。

「素晴らしかった」

 抱きしめられているため表情はまったく見えなかったが、すぐそばから耳に届くサーティークの声は嬉しげで温かかった。

「まさに、ムネユキそのものだった」

 佐竹は少し視線を落とした。
 なによりも「そんなはずはない」という思いが先立った。
 この地で失われたかの人は、この自分などよりも、もっと素晴らしい剣士だった。
 自分はこの先、ずっとあの背中に追いつくために、また剣を振り続けることになるのだろう。
 今はただ、そんな気がしている。

 一度はみずから、捨てた剣。
 しかし、この地で取り戻した。

 それを捨てたきっかけも、父だったと言わば言えるのだろう。
 しかしこうしてそれを取り戻せたのも、やはり父の導きだったのだ。
 今ははっきりと、そう思う。

「礼を言うぞ。……兄上殿」
「……?」

 耳もとで奇妙な呼び方をされて、佐竹は思わず体を離し、相手の顔を凝視した。
 見返してくるサーティークの表情は、至って穏やかなものだった。だがその黒曜石の瞳には、少し悪戯っぽい色を浮かべている。

「そうであろう? 年齢の方はともかく、あのムネユキを先に知っていたのはそなたの方だ」

 言いながら、ぱんぱんと軽く肩を叩かれる。
 こんな男から「兄上」呼ばわりされるのは、なにか大変微妙な気持ちになる。
 が、佐竹は黙ってサーティークに目礼しただけだった。

「良かったら、教えてくれぬか?」
「は?」
「『エンブ』だ。俺も、その作法を知りたい」

 出し抜けにそう言いだされて、さすがに佐竹は固辞した。だがマグナウトからも幾重にも「どうか平に」と頼まれてしまい、やむなくそうする運びとなった。

 二人の黒髪の青年が、空き地でそれぞれの得物を手に、流れるように動いている。
 その姿を眺めながら老マグナウトは、きざまれた皺にうずまって見えなくなるほどに目を細めていた。そのかおはこの上もなく嬉しげだった。
 内藤もその隣で、赤味がかった陽光が西の山のへとずっと落ちかかる頃あいまで、二人の青年のやりとりを楽しげに見つめていた。
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