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つづれ しういち

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第六章 茫漠

8 心胆

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「佐竹……」

 内藤の声は、佐竹が予想した以上に静かだった。
 今にも泣き出しそうに思われたその瞳も、今はじっとそれをこらえているように見える。

「あの、俺……さ」

 彼はいま、この世界の言葉で話している。近くでサーティークが聞いているための配慮だろう。
 本来なら、彼の心から出る言葉なら、やはり日本語の方で聞きたかった。だが、この場はやむを得ないことだろう。

「なんだ」

 続く言葉までの間があまりにも長かったので、佐竹は先をうながした。ただ、なるべく穏やかな声音を出すよう心がけたが。
 サーティークは空き地の隅に立った木の幹にもたれかかり、黙って二人の様子を眺めている。

「俺……ちゃんと言ってなかったな、って……思ってて」
 内藤は訥々とつとつと言葉を紡ぐ。佐竹は黙ってただ聞いた。
「本当はもっとちゃんと……もっと沢山、しっかり言っとかなきゃいけなかったのに――」

 とうとう思い切ったように姿勢を正すと、内藤はぱっと佐竹に向かって頭を下げた。

「ごめんっ、佐竹! お前をこんな事に巻きこんじゃって……!」

 佐竹は沈黙したまま、彼の後頭部を見下ろした。
 謝ってもらう必要など何もない。そうは思ったが、ともかくも話だけは最後まで聞こうと思った。

「みんな……俺のせいだから。俺が、弱かったせいだから……!」
 内藤は震える声を励ますようにして言葉をしぼりだしている。
「あの時、俺が……『ちょっとここから逃げたいな』なんて、ちらっとでも考えなかったら。そしたらこんなことになってなかった」
 その声はかすれきっている。
「だから全部……俺が悪い」

(そういえば、前にもそんなことを言ってたな)

 以前、深夜のフロイタール宮の小部屋の中で。かつてズールにそんなことを言われたと。どうやら彼は、またそれを言っているらしい。
 内藤の肩が小刻みに震えている。

「俺が弱かったのが、いけなかったんだっ……!」

 思わず大きな声で叫んでしまってから、逆に自分の声に驚いたような顔になり、内藤はまたしばし肩を落として黙り込んだ。
 佐竹も黙って彼を見返す。

「ごめん。本当にごめん……」
 声はさらに震えた。握りしめた両の拳も小刻みに震えている。
「ごめん、なさい……」

 地面にぽつぽつといくつかのしずくが落ちた。それはすぐに土の中に染みを作って吸い込まれていった。
 頭を下げたままの内藤を、佐竹は眉根を寄せた顔で少しのあいだ見つめていた。
 が、次第に腹の底から湧きあがってきたものが、遂に口を開かせた。

「それは、違う」 
 思った以上に声に怒りがもってしまったのは自覚した。だが語調は緩めなかった。
「違うぞ、内藤」
「え……?」

 内藤が顔を上げた。真っ赤になった眼がおずおずと見返してくる。
 佐竹は少し言葉の響きを柔らかくして言った。

「あの時、ズールにあの《門》を使って連れ去られかけた時。最後にお前は確かに言った」

 不思議そうな顔をしているところからして、どうやら内藤にその記憶はないらしい。
 無理もない話だった。あの時の彼は意識のほとんどを蹂躙じゅうりんされて、それでもどうにか残ったわずかの意識で、やっと言葉を紡いだはずだったから。

 しかし、だからこそ、それが彼の真の言葉だったはずなのだ。
 なんの噓偽うそいつわりもない、彼の真意だったはず。

「お前は、言った。最後の最後、土壇場で」

 佐竹は真っすぐに内藤の瞳を見据え、低い声でしっかりと言った。


――『洋介のことを、たのむ』――と。


 あの土壇場で、けっして自分のことでなく。
 飽くまでも内藤は、弟を気にかけていた。
 弟の無事だけを祈っていた。

 内藤は呆然として佐竹の顔を見つめている。

「ほ……ほんとに? 俺が……?」
「本当だ。確かに聞いた」

 内藤は、ちょっと信じられないといった顔でうつむいた。
 そんな気弱げな友人の顔を、佐竹は貫くように見つめている。

(……そんな男が)

 思わず拳を握りしめた。

 そんな男が、『弱い』などと。

 すぐに涙が出るからとか、つい泣き言を口にしてしまうからとか。
 そんなことはどうでもいい。
 人の強さは、そんなことでは測れない。

 要は、ぎりぎり、るかるかのその時に、誰のことを一番に考えられるか。
 ただそれだけだ。
 それだけでいいし、それ以外はありえない。

「だから、俺はここへ来た」
 佐竹はまっすぐに友人の瞳に目を当てた。
「そういう奴を助けたいと、そう思った。だからこそ、ここへ来た」

 内藤はまだ呆けたような顔のまま、じっと佐竹を見つめている。

「これは、俺の意思だ。誰に謝られる筋合いもない。当然ながら、礼も不要だ。俺が、俺の意思で、勝手にやらせてもらうばかりの話だからな」

 ほとんど睨みつけるぐらいの眼光で相手を見据える。
 内藤はもう、びっくりした顔で絶句していた。

「礼も、謝罪も、受けつけん。……もちろん内藤、お前からもだ」

 言って、びしりと彼の胸に指を突き立てる。そのままぐっと顔を近づけた。

「今後、ひと言でも言ってみろ」

 内藤の目がまんまるに見開かれる。
 ちょっと青ざめたらしいのが、松明の明かりでも見てとれた。

「張り飛ばすから、覚悟しておけ」

 完全に「ゾディアス流」の脅し文句でそう言い放ち、佐竹は彼のそばからついと離れた。
 内藤は「きゅう」と変な音で喉を鳴らして黙り込んだ。溢れそうになっていたものが、それでいっぺんに引っ込んだようだった。

「ぶ、ははは……」

 サーティークが遂に吹きだした。堪えきれなくなったらしい。佐竹が剣吞な視線で見返ると、青年王はさもたのしげに腹を抱えて大笑いをしていた。

「これは傑作。……ああ、いやいや。いいものを見せてもらった」

 くっくっく、とまだ喉奥で笑い続けながら大股にこちらへやってくると、サーティークはずいと「氷壺」を佐竹に向かって突き出した。
 そして唐突に言った。

仕合しおうてくれんか、『兄上殿』」
「……は?」
「一度だけでいい。頼む」

 笑みを収めたその瞳には、真摯な色が浮かんでいる。
 佐竹は静かなままの瞳で、差し出された愛刀を見下ろした。
 まだ呆然としていた内藤が、はっとして振りむいた。

「えっ!? そ、そんな――」

 突き出しているのが「氷壺」である以上、サーティークが求めているのは真剣勝負だろう。あっというまに顔色を失って、内藤が慌てはじめた。

「真剣で? そんなの、駄目だ! 駄目ですよっ……!」
 佐竹とサーティークの間に走りこんで佐竹に背を向け、青年王の方を向く。
「し、試合なら、木刀でいいじゃないですか! なんだったら俺、すぐ取ってきますし!」
 サーティークがちらりと内藤の顔を見る。
「何を心配している、ユウヤ」
「だ、だだだってっ……!」
「アキユキ殿も俺も、腕には相当覚えがあるほうだと思うが。そんな者同士で仕合うのに、そうそう怪我などするものかよ」
「いや、でもっ……!」

 内藤はもう心配でいっぱいの顔と声だ。
 それが明らかに佐竹のことだけを心配しているらしいのは、その体の向きで明らかだった。内藤は両手を開き、佐竹の体をかばうようにさえしている。

(……舐められたもんだな、俺も)

 佐竹は少し半眼になって、そんな友達の後頭部を眺めていた。
 彼我ひがの力の差は思い知っているので特に腹は立たなかったが、それでもこの庇われようは、剣士の端くれとしては情けないものがある。

「それに、アキユキ殿とて、あの『冬至の日』よりこの方、随分と精進なさったのではあるまいか。……なあ? アキユキ殿」
 こちらを見て苦笑している青年王の目は「当然、そうよな?」と問うていた。
「……多少、お相手できるぐらいにはなったかと」
 控えめに答えて会釈した佐竹を、内藤はぎりっと振り向いて睨みつけた。
「佐竹っ! 何いってんの!? そんな、お前……!」

 が、まだ言い募ろうとする内藤の肩を両手でぐいと掴んで、佐竹は彼を自分の前からどかせた。そしてそのままこちらを向かせた。

「聞け、内藤」
 真正面からその両肩を掴みこみ、怯えている瞳を覗きこむ。
「《鎧》の破壊は、サーティーク公の命を懸けた悲願だと聞いている。ここで俺を殺したのでは、恐らくその悲願が達成されない」
「……え?」
 内藤が不思議そうに首を傾げた。
「よく気づいたな、アキユキ」
 サーティークがふと笑って口を挟んだ。そうして内藤に向き直ると、簡単に説明を加えてくれる。
「黙っていてすまなかった。実のところ、あの《鎧》の造りは我々の鋳造、鍛造技術からすると頑丈に過ぎるものでな。材質からして全くわからん。まず間違いなく、我らの剣や投石器その他、通常の方法で破壊するのは不可能だと思われる――」
「え……? そうなんですか?」
 目を瞬いた内藤に青年王は頷いた。
「可能性があるとするなら、《鎧》そのものの中にその方法が収められているのではないか、という事なのよ。そしてそれは、白と黒、両《鎧》がどちらも完全化してからでなくては調べようがないらしい」

 つまり両《鎧》の性能が完全なものになり、完璧な連携がとれて初めて、《鎧》の廃棄方法は明らかになるのだろう。いかにもあの「兄星」の連中の考えそうなことではないか。

(……やはりか)

 佐竹は独りごちた。
 こちらもある程度の予測はしていた。だがあの交渉中、ここに至るまでこの話題が出なかったのは、サーティークの中でもそこまでの確証が持てなかったからに違いない。

「つまり、今ここでアキユキ殿の身に何かあっては、俺にとっても一大事」

 内藤は両肩を佐竹に掴まれたままサーティークの方に顔を向けた。その顔は、それでもまだ不安げだった。
「わかったであろう? ユウヤ」
 王はさらに一歩近づくと、そこに置かれた佐竹の手ごと、軽く内藤の肩を叩いた。

「信用しろ。そなたの大事なご友人に、傷のひとつもつけるものかよ――」

 そう言ったサーティークの瞳は、ひどく優しげな色を湛えて内藤を見つめていた。

(しかし……)

 佐竹は王の相貌を見やりながら考えている。
 ということは、先日の「白嵐ハクラン」の一件は、ある程度まではこの王お得意のはったりだったことになる。あの時この王が「白嵐が佐竹の騎乗を拒む様子を見せたなら、その場で一刀のもとに斬り捨てた」とまで豪語した、あれは。
 もちろん両《鎧》の完全化が完了した暁には、この王は宣言通りのことをしたのかもしれない。しかし、もしも本当に佐竹を手にかけたなら、内藤の非常な悲嘆と恨みを買うことは間違いない。そうなれば、この王にとって嬉しいばかりの結末とも言えない事態を招くだろう。
 さすがの彼も、そんな結末は望むまい。 

(なぜなら――)

 佐竹はちらりと、黒き鎧の王の精悍な横顔をうかがった。

 誰に言われなくとも分かる。
 この王は、顔にはほとんど出さないが、内藤をひどく可愛がっているのだから。

(……やれやれ)

 心中ひそかに呆れた。
 まったくこの王、その不敵な笑顔の下に、どこまでそんな外連けれんを隠し持っているものやら――。

 内藤は優しげな笑みを浮かべたサーティークを見返して、それでもまだ不安を拭えないようだった。
 佐竹はふたたび口を開いた。
「俺の方でも、こうの《鎧》操作の知識がなければ、向こうの世界へお前とともに戻ることは不可能だろう。つまり今ここで互いの命を危うくするのは、互いにまずいというわけだ」
「まあ、そういうことだな」
 サーティークも軽い調子でうけがった。佐竹はちらっと青年王を見た。
「公の腕なら、間違っても俺を殺すことなどない。問題は、俺の方だ――」
「え……?」
 内藤が目を見開いた。
「場合によっては、公のお体を傷つけかねん。お前が心配すべきは、むしろ公のお体の方だと思うぞ」

 内藤は、もうどう答えればいいものか分からなくなったらしい。こんがらがった頭を抱えるような仕草をしている。

「え? え~っと……。ちょっと待ってよ? つまり利害は一致してるってやつだか……ら? いいのか? あれ??」

 が、今にも納得しかかっていた内藤は、そこではたと動きを止めた。
 しばしの沈黙。

「いや、だからっ……!」
 がばっと顔を上げる。遂にあることに気づいたらしい。
「二人ともずるいっ……! そうじゃないじゃん!」
 もうすっかり目をいている。顔が真っ赤だ。
「もうちょっとで言いくるめられそうになっちゃった! だまされないぞ、こんちくしょー!」

 「あ、気づいたか」と言わんばかりの顔で、二人の男は目を見合わせた。
 それを見て、さらに内藤は激昂した。

「だから初めっから、『真剣勝負』なんてしなきゃいいんでしょ――!?  木刀でやれよ、木刀でっっ!」

 もう体中を震わせて、怒り心頭のご様子だ。
 どうやら思わず、王に対する敬語さえ忘れてしまっているらしい。

「ほんっともう冗談じゃないよっ! 無駄に息ぴったりなんだから、『そっくりさん』は――――!」

 その途端、「ぷっ」とサーティークが吹きだして、ふたたび高らかに哄笑した。
 村内の暗い夜道に、王の楽しげな笑声がこだました。
 佐竹の方でも少し口許に手を当てて、わずかに顔をそらした。

「え……?」

 内藤は心底びっくりしたような顔になって佐竹を凝視した。

「佐竹……?」

 内藤からは、こちらに背を向けている佐竹の肩が少し震えているように見える。
 自分に背中を向けている友人の黒い長衣トーガの端を思わず握って、内藤はその顔を覗きこむようにした。

「え? え? 佐竹、もしかして……笑ってる??」

 が、振り向いた佐竹はもう真顔に戻っていた。
「……何の話だ」
 しれっとした声。
「ぶはっ……!」
 サーティークがさらに爆笑した。

 橙色の松明の明かりが、あたりを温かな光で照らしている。
 夜空に浮かぶ「死の惑星ほし」が、眼下の若者らの影をあざけるように見下ろしていた。

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