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終章
エピローグ
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我は、とある年寄りである。
この場合「なんであるか」という問いは意味をなさない。
我は我であり、それ以外の者ではない。
年古りた命ある者、ただそれだけである。
この世が生まれたその日から、じっとこの世の在り様と、生ける者たちの姿を見続けてきた。
《帝王さまあ。お目覚めでいらっしゃいますか》
可愛らしい少年の声がする。
少年は、ぴんと尖った耳と長い尾のほかは人間そっくりの容姿をしている。髪は濃い森の色だ。
人間と、かつて「魔族」と呼ばれた我らは次第に血を混じわらせるようになった。種別にもよるが、人と我らとの間に子を儲けることが可能な者がいたのである。お互いの血が混ざり合い、家族になるものが増えるに従い、人と我らとの距離は急速に近くなっていった。
《今日もお心の慰めに、なにかお歌を歌います。どのようなお歌にいたしましょうか》
《では、賢王カリアードの勲を》
《承知いたしました》
少年は少し恥ずかしそうに、彼にとって命の次に大切な自分の竪琴をとりだして膝の上に固定させると、綺麗な声で歌いはじめた。
英雄王カリアードと賢王カリアードは伝説になった。
とりわけ賢王カリアードは、それまであった人間同士の醜い争いと、「魔族」に対する血みどろの争いを終結させ、地に平和をもたらした王として夙に有名であったようだ。
だがそれもまた、夏が何十回、何百回、そして何千回も繰り返すうちに人々の記憶から薄れ、埃をかぶり、ただの作り話だと思われるようになってしまった。
そうしてやがて、再び地上の国は分裂の憂き目を見た。
一部の権力を欲する勢力が台頭し、弱者から激しい搾取を始め、あれよあれよと思う間に地上を統べる王らを勝手に立ててしまったのだ。
我ら「地の民」はその者を認知しなかった。
するとすさまじい迫害が起こり、王らは軍勢をもって我らを再び地の果てへと追いやった。
我らはさほどの抵抗もしなかった。無駄な血など一滴も流したくはなかったからだ。そうしてただ以前のとおりに、遠い「魔の森」の奥へと引っ込んだ。
かれらの歴史は繰り返す。
そのことは知っていたのだが、こうまで呆気なくあの賢王カリアードとの誓いが破られるとは思わなかった。
人と我らとは再び引き裂かれ、在所を異にして生きるようになった。
人が「魔族」の血の混ざった者を激しく迫害したために、我らのもとには混血の者の多くが逃げこんできた。人はすでに「魔族」の血をもつものを人間扱いにはしなかったのだ。奴隷ならまだましなほうだった。彼らは混血の者たちを、まるで家畜のごとくに扱ったのだ。
親を子の目の前で殺す。その逆もまた然り。人間扱いをしないにも関わらず、そのくせちゃっかりと性的な搾取と利用は行われる。
それではたまったものではないだろう。逃げ出すのも当然である。
我はゆったりと翼をひろげ、逃げて来た彼らを迎え入れた。そしてこちら側の世界では、我が名において、人の血が混ざるからといって迫害や虐待を決して許さぬことを厳命した。
その結果、我らの側は比較的楽しく、多くの仲間をさらに得ることにより、さらに豊かに過ごすことができた。
ひとは財産なのである。
その才能を十分に発揮して、世のために喜んで働いてもらってこそ、その者も、世界も輝くというものだ。
が、人の世界ではそううまくはいかなかった。
我らとの交流が断絶してしばらくすると、彼らは自ら自分の首を絞める行動に終始するようになりはじめた。
様々な技術が進歩し、魔力に頼らずとも多くのことが叶うようになったのは良かったのだが、かれらはその過程で随分と大地を汚した。自分の食べるものを育てる場所を毒で汚してしまっておきながら、「それもこれも魔族なんかがいたせいだ」と、わけのわからない責任転嫁をする者も多かったと聞く。
やがて人間は空に架かる月にまで出かけられるようになった。
円の大地の隅々にまで、瞬時に自分の声や文字を届けられるようになり、「さあこれでいよいよ平和になるぞ」と思いきや、国同士の争いはより激しくなった。平和どころではなくなったのだ。
かれらの「技術」とやらがどんなに進んでも、我はかれらが我らの在所を侵すことを拒んだ。我と我の側の者らの《気》による障壁は、安全に我らの在所を守り続けた。
人間の数は少しずつ減じていった。穢れた大地で、それでも生産できる食物があったにも関わらず。
だれが何をしたからというわけでもない。ただ人間たちの間では、自然に子どもが生まれにくくなっていったようなのだ。
やがて特に大きな国同士の軋轢が激しくなり、遂に決定的な衝突が起こった。
世界は一気に破滅に向かった。周囲の小国でそれに巻き込まれたものはともに滅び、わずかな人々が残された。大地は戦争が残した毒に満たされ、食することのできるものは微々たるものとなりはてた。
海も、空もが穢されたのだ。
残された人々の中には、はるか古の伝説に望みを託して我らが在所を目指して旅を始める者がいた。
運よく辿りつけた者らから、我らは人間世界の状況を聞き、心を痛めた。痛めたが、だからといってできることなどひとつもなかった。
滅びは、彼らが、彼ら自身で望んだゆえに起きたことである。
我らが横合いから出ていって「さあ救って進ぜよう」などと嘴をはさんでよいものでもない。
滅ぶときには、滅ぶもの。
それは我らとて同じである。
いつかこの大地が生まれた時と同様に空の塵に変わる前には、我もこの命を大地にお返し申すことであろう。
我はただ粛々と、その日を待つのみなのである。
少年の歌声が、爽やかな竪琴の音とともにふたつの月の下で響いている。
今夜はまんまるく、青い雫が今にも落ちてきそうな明るい月だ。
『若き勇者カリアードは、帝王さまにお会いした』
『王国に戻ったカリアードは、赤きドラゴンの少女とともに、新たな王国をつくるため西へ東へと奔走した』
『カリアードは帝王さまと永遠不滅の誓いをたてた』
『地には平和を。人と大地の民には、安寧を』
『カリアードはもう眠っている。深き地の底に眠っている……』
我はゆっくりと目を閉じた。
地には平和を。
安寧を。
願わくは、
大地に生きる人たるものらに、
大いなる叡智のやどらんことを──。
了
この場合「なんであるか」という問いは意味をなさない。
我は我であり、それ以外の者ではない。
年古りた命ある者、ただそれだけである。
この世が生まれたその日から、じっとこの世の在り様と、生ける者たちの姿を見続けてきた。
《帝王さまあ。お目覚めでいらっしゃいますか》
可愛らしい少年の声がする。
少年は、ぴんと尖った耳と長い尾のほかは人間そっくりの容姿をしている。髪は濃い森の色だ。
人間と、かつて「魔族」と呼ばれた我らは次第に血を混じわらせるようになった。種別にもよるが、人と我らとの間に子を儲けることが可能な者がいたのである。お互いの血が混ざり合い、家族になるものが増えるに従い、人と我らとの距離は急速に近くなっていった。
《今日もお心の慰めに、なにかお歌を歌います。どのようなお歌にいたしましょうか》
《では、賢王カリアードの勲を》
《承知いたしました》
少年は少し恥ずかしそうに、彼にとって命の次に大切な自分の竪琴をとりだして膝の上に固定させると、綺麗な声で歌いはじめた。
英雄王カリアードと賢王カリアードは伝説になった。
とりわけ賢王カリアードは、それまであった人間同士の醜い争いと、「魔族」に対する血みどろの争いを終結させ、地に平和をもたらした王として夙に有名であったようだ。
だがそれもまた、夏が何十回、何百回、そして何千回も繰り返すうちに人々の記憶から薄れ、埃をかぶり、ただの作り話だと思われるようになってしまった。
そうしてやがて、再び地上の国は分裂の憂き目を見た。
一部の権力を欲する勢力が台頭し、弱者から激しい搾取を始め、あれよあれよと思う間に地上を統べる王らを勝手に立ててしまったのだ。
我ら「地の民」はその者を認知しなかった。
するとすさまじい迫害が起こり、王らは軍勢をもって我らを再び地の果てへと追いやった。
我らはさほどの抵抗もしなかった。無駄な血など一滴も流したくはなかったからだ。そうしてただ以前のとおりに、遠い「魔の森」の奥へと引っ込んだ。
かれらの歴史は繰り返す。
そのことは知っていたのだが、こうまで呆気なくあの賢王カリアードとの誓いが破られるとは思わなかった。
人と我らとは再び引き裂かれ、在所を異にして生きるようになった。
人が「魔族」の血の混ざった者を激しく迫害したために、我らのもとには混血の者の多くが逃げこんできた。人はすでに「魔族」の血をもつものを人間扱いにはしなかったのだ。奴隷ならまだましなほうだった。彼らは混血の者たちを、まるで家畜のごとくに扱ったのだ。
親を子の目の前で殺す。その逆もまた然り。人間扱いをしないにも関わらず、そのくせちゃっかりと性的な搾取と利用は行われる。
それではたまったものではないだろう。逃げ出すのも当然である。
我はゆったりと翼をひろげ、逃げて来た彼らを迎え入れた。そしてこちら側の世界では、我が名において、人の血が混ざるからといって迫害や虐待を決して許さぬことを厳命した。
その結果、我らの側は比較的楽しく、多くの仲間をさらに得ることにより、さらに豊かに過ごすことができた。
ひとは財産なのである。
その才能を十分に発揮して、世のために喜んで働いてもらってこそ、その者も、世界も輝くというものだ。
が、人の世界ではそううまくはいかなかった。
我らとの交流が断絶してしばらくすると、彼らは自ら自分の首を絞める行動に終始するようになりはじめた。
様々な技術が進歩し、魔力に頼らずとも多くのことが叶うようになったのは良かったのだが、かれらはその過程で随分と大地を汚した。自分の食べるものを育てる場所を毒で汚してしまっておきながら、「それもこれも魔族なんかがいたせいだ」と、わけのわからない責任転嫁をする者も多かったと聞く。
やがて人間は空に架かる月にまで出かけられるようになった。
円の大地の隅々にまで、瞬時に自分の声や文字を届けられるようになり、「さあこれでいよいよ平和になるぞ」と思いきや、国同士の争いはより激しくなった。平和どころではなくなったのだ。
かれらの「技術」とやらがどんなに進んでも、我はかれらが我らの在所を侵すことを拒んだ。我と我の側の者らの《気》による障壁は、安全に我らの在所を守り続けた。
人間の数は少しずつ減じていった。穢れた大地で、それでも生産できる食物があったにも関わらず。
だれが何をしたからというわけでもない。ただ人間たちの間では、自然に子どもが生まれにくくなっていったようなのだ。
やがて特に大きな国同士の軋轢が激しくなり、遂に決定的な衝突が起こった。
世界は一気に破滅に向かった。周囲の小国でそれに巻き込まれたものはともに滅び、わずかな人々が残された。大地は戦争が残した毒に満たされ、食することのできるものは微々たるものとなりはてた。
海も、空もが穢されたのだ。
残された人々の中には、はるか古の伝説に望みを託して我らが在所を目指して旅を始める者がいた。
運よく辿りつけた者らから、我らは人間世界の状況を聞き、心を痛めた。痛めたが、だからといってできることなどひとつもなかった。
滅びは、彼らが、彼ら自身で望んだゆえに起きたことである。
我らが横合いから出ていって「さあ救って進ぜよう」などと嘴をはさんでよいものでもない。
滅ぶときには、滅ぶもの。
それは我らとて同じである。
いつかこの大地が生まれた時と同様に空の塵に変わる前には、我もこの命を大地にお返し申すことであろう。
我はただ粛々と、その日を待つのみなのである。
少年の歌声が、爽やかな竪琴の音とともにふたつの月の下で響いている。
今夜はまんまるく、青い雫が今にも落ちてきそうな明るい月だ。
『若き勇者カリアードは、帝王さまにお会いした』
『王国に戻ったカリアードは、赤きドラゴンの少女とともに、新たな王国をつくるため西へ東へと奔走した』
『カリアードは帝王さまと永遠不滅の誓いをたてた』
『地には平和を。人と大地の民には、安寧を』
『カリアードはもう眠っている。深き地の底に眠っている……』
我はゆっくりと目を閉じた。
地には平和を。
安寧を。
願わくは、
大地に生きる人たるものらに、
大いなる叡智のやどらんことを──。
了
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