僕は咲き、わたしは散る

ハルキ

文字の大きさ
10 / 16

9.言ってはいけない秘密

しおりを挟む
 
 木曜日、それはいつもわたしの母がこの病室に来る日だ。とりあえず、慎之介は帰ってくれたけれど、あかりちゃんはどうすべきか。あかりちゃんと母が会ってはいけない。なぜなら、わたしの病気を知られると思ったからだ。これまで「なんの病気なんですか?」と聞かれたけれど、そのたびにごまかしてきた。寿命のことを教えれば、あかりちゃんは悲しむに違いない。
 いつもならあと数十分でくるはずだ。その間、あかりちゃんをどこかへ行かせなければならない。どうしよか悩んでいると、わたしはひとつの作戦を思いついた。
 「ねぇ、あかりちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」
 「なんですか? みらいさん」
 「ちょっとジュース買ってきてくれないかな。オレンジジュースが飲みたいんだ」
 「いいですよ」
 わたしがあかりちゃんに何かをお願いするのが初めてだったから、もしかしたら怪しまれるかと予感したが、その様子はなかった。わたしは看護師さんが用意してくれるお茶だけで満足しているから、ジュースはあまり飲まないし、オレンジジュースが好きでもない。
 わたしはポケットから財布を取り出し、五百円玉をあかりちゃんへ渡した。
 「よかったらあかりちゃんのぶんも買ってね」
 「えー、わるいですよ」
 「いいの、いいの。買ってきてくれるんだからそのお礼」
 「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
 あかりちゃんは素直だ。そんな子をだましているようで罪悪感がわいてくる。一昨日もそうだ。わたしは一年前から入院しているにもかかわらず、あかりちゃんに一か月前から入院していると嘘をついてしまった。けれど、これはふたりを悲しませないようにするための仕方がない嘘だ。
 「それとさ、あかりちゃん」
 「なんですか、みらいさん?」
 「一時間くらいロビーでゆっくりしてきてくれないかな?」
ジュースを買ってくるだけなら、十分で帰ってきそうだ。それだと、母に会ってしまう可能性があるのでどこか違う場所にいてもらう必要がある。
 「どうしてですか?」
 これはさすがに怪しまれた。けれど、そういう返答が来ることも予想しているから、ちゃんと嘘を用意してある。
 「ちょっとね、看護師さんと話したいことあるから」
 作り笑顔を浮かべ、嘘を悟られないようにした。気づかれないかと緊張したが、あかりちゃんは「わかりました」と言った。本当に素直だ。
 あかりちゃんは松葉づえを持ちベッドから起き上がろうとした。これであかりちゃんと母が会うことがなくなる。そうすれば、病気のことを知られずにあかりちゃんの退院日を迎えることができる。
 ホッと一安心した。けれど、その時、病室の扉が思い切り開いた。慎之介が何か忘れ物をしたのか、それとも看護師さんが何かを伝えに来たのか。でも、慎之介はかばんをちゃんと持って帰っていたし、何かを取り出している様子もなかった。看護師さんもなにか用事を伝えに来たのなら納得がいく。母が来るのはいつもなら二十分後、大丈夫、大丈夫。
 自分を落ち着かせるために頭の中でそう何回もつぶやく。しかし、そのかすかな希望は楽天的な声で打ち砕かれた。
 「みらいー」
 入ってきた人物はやせ細った体にもかかわらず、手を振ってわたしのベッドの前に走り寄ってきた。わたしの母だ。わたしはベッドを思い切りつかんで、母に叫びだしたくなった。だけど、何を言えばいいのかわからず、抱えた爆弾に火がつくことはなかった。
 母は目の下にはクマがあり、年齢は四十後半だが、しわがあり、六十歳と言われてもおかしくない。ひどいしわで体はモデルの人よりもやせ細っている。わたしなんかのために頑張らなくていいのに。
 「今月もたくさん給料もらったよ。これでみらいの病気治すから安心して」
 母は嬉しそうに早口で話した。わたしは「そうだね」と作り笑顔を浮かべてみた。けれど、うまく笑えている自信がなかった。そして、母は「あっ」という声を漏らした。
 「みらいよかったね。一年ぶりくらい? 一緒に話せる人ができて、それに同じくらいの年の子だね。どうもはじめまして、みらいの母です」
 「は、はじめまして」
 あかりちゃんは苦笑いを浮かべた表情でそう言った。いきなり知らない人が来れば、困惑するに決まっているよね。
 「みらい、この子のためにも頑張るのよ。あの医者は余命一年とか言ってたけど、あれ、でまかせだからね。信じちゃダメ。わたしが絶対みらいの病気、治してみせるから」
 そう言うと、母はわたしの手を掴んだ。しおれた木のようにしわしわな手。どんだけ、私のために。そう思うと、母の顔を見ることが出来なかった。
 わたしは病気のことで悩んでいるけれど、今はあかりちゃんにそれを聞かれてしまったという気持ちのほうが強かった。あかりちゃんはどんな顔をしているのだろう。わたしは怖くて横を見ることが出来なかった。
 「じゃあ、これから仕事行くから。また来週ね」
 母はまるで嵐のように病室を去った。だけど、あかりちゃんにとって、それはわたしの病気を知るには十分な時間だった。病室内は今まで騒がしかったのが嘘かのように静まり返っている。わたしは何を話していいのかわからずに黙っていると、先にあかりちゃんが口を開いた。
 「みらいさん。さっきの話、本当なんですか?」
 わたしは黙った。何かを言わなければいけないのはわかっている。けれど、どうすれば。
 悩んでいると、あかりちゃんの小さな泣き声が聞こえてきた。
 「嘘、ですよね?」
 わたしはまた、嘘をつきたかった。あかりちゃんのためなら何回嘘をついてもいい。笑って、『嘘だよ』と言いたい。けれど、わたしはうなずいてしまったのだ。こくりと、静かに。
 「そんなの、あんまりです。なんで、なんで言ってくれなかったんですか?」
 あかりちゃんは初めて出会った時、いやそれ以上に泣き叫んだ。わたしはあかりちゃんを泣き止ませることはできない。泣かせたのは、わたしなのに。
 あかりちゃんの泣き声はみるみるうちに大きくなっていく。そうなるにつれ、胸が塞がっていく。
 「言ったらあかりちゃん、悲しませちゃうって思ったから。わたしのお母さんも病気を知ってから血眼ちまなこになって仕事をして、わたしの病気を治そうとしてくれているの。でも、そのせいで、意見が合わないお父さんと離婚したり、今では睡眠や食費代を削ったりして、わたしの治療費をできるだけ集めようとしているの。けれど、わたしは日に日に弱っていくお母さんを本当は見たくない。だから、『わたしのことはいいから』とか、『もういいよ、お母さん、休もうよ』って言った。けれど、お母さんは『何言ってるの。いいから、あんたは治療のことに専念しなさい』って。それからお母さんは、わたしが何を言っても聞いてくれなくなった。わたしは周りにいる人を全員不幸にするの。最初に隣にいたおばあさんもお母さんもお父さんも、慎之介もあかりちゃんも。だって、わたしは誰かを悲しませたり、傷つけたりすることしかできないんだから」
 あかりちゃんのほうを見ると、涙は出ているものの、声には出していなかった。
 「みらいさん、そんなことないです。あたしは傷ついてなんかいないし、悲しんでなんかいません」
 言葉をもらすたびに、涙がこぼれそうになっていた。しかし、あかりちゃんはわたしに涙を見せないようにこらえていた。
 それを見てやはり実感してしまう。わたしはこういう人間なのだと。その時、わたしの頭の中に慎之介の顔が浮かんだ。もう、これ以上誰かを悲しませたくない。
 「あかりちゃん、ひとつお願い聞いてもらってもいい?」
 「・・・・・・はい」
 「慎之介には、言わないでくれる、かな?」
 慎之介に言えば、バイトなんて休んでわたしのもとへ来るかもしれない。わたしにとってそれはうれしいことなのだけれど、慎之介には自分の時間を大事にしてほしかった。
 わたしからのお願いにあかりちゃんは悩んでいる様子だった。しかし、しばらくしてあかりちゃんはこくり、と首を縦に振った。
 「ありがとう」
 わたしがそう言うと、風が音を立てて吹いているのが病室にも聞こえてきた。窓の外に目をやると、桜の花びらが空中に浮かび上がり、そしてゆっくりと落ちていくのが見えた。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり

鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。 でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。

処理中です...