僕は咲き、わたしは散る

ハルキ

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9.言ってはいけない秘密

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 木曜日、それはいつもわたしの母がこの病室に来る日だ。とりあえず、慎之介は帰ってくれたけれど、あかりちゃんはどうすべきか。あかりちゃんと母が会ってはいけない。なぜなら、わたしの病気を知られると思ったからだ。これまで「なんの病気なんですか?」と聞かれたけれど、そのたびにごまかしてきた。寿命のことを教えれば、あかりちゃんは悲しむに違いない。
 いつもならあと数十分でくるはずだ。その間、あかりちゃんをどこかへ行かせなければならない。どうしよか悩んでいると、わたしはひとつの作戦を思いついた。
 「ねぇ、あかりちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」
 「なんですか? みらいさん」
 「ちょっとジュース買ってきてくれないかな。オレンジジュースが飲みたいんだ」
 「いいですよ」
 わたしがあかりちゃんに何かをお願いするのが初めてだったから、もしかしたら怪しまれるかと予感したが、その様子はなかった。わたしは看護師さんが用意してくれるお茶だけで満足しているから、ジュースはあまり飲まないし、オレンジジュースが好きでもない。
 わたしはポケットから財布を取り出し、五百円玉をあかりちゃんへ渡した。
 「よかったらあかりちゃんのぶんも買ってね」
 「えー、わるいですよ」
 「いいの、いいの。買ってきてくれるんだからそのお礼」
 「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
 あかりちゃんは素直だ。そんな子をだましているようで罪悪感がわいてくる。一昨日もそうだ。わたしは一年前から入院しているにもかかわらず、あかりちゃんに一か月前から入院していると嘘をついてしまった。けれど、これはふたりを悲しませないようにするための仕方がない嘘だ。
 「それとさ、あかりちゃん」
 「なんですか、みらいさん?」
 「一時間くらいロビーでゆっくりしてきてくれないかな?」
ジュースを買ってくるだけなら、十分で帰ってきそうだ。それだと、母に会ってしまう可能性があるのでどこか違う場所にいてもらう必要がある。
 「どうしてですか?」
 これはさすがに怪しまれた。けれど、そういう返答が来ることも予想しているから、ちゃんと嘘を用意してある。
 「ちょっとね、看護師さんと話したいことあるから」
 作り笑顔を浮かべ、嘘を悟られないようにした。気づかれないかと緊張したが、あかりちゃんは「わかりました」と言った。本当に素直だ。
 あかりちゃんは松葉づえを持ちベッドから起き上がろうとした。これであかりちゃんと母が会うことがなくなる。そうすれば、病気のことを知られずにあかりちゃんの退院日を迎えることができる。
 ホッと一安心した。けれど、その時、病室の扉が思い切り開いた。慎之介が何か忘れ物をしたのか、それとも看護師さんが何かを伝えに来たのか。でも、慎之介はかばんをちゃんと持って帰っていたし、何かを取り出している様子もなかった。看護師さんもなにか用事を伝えに来たのなら納得がいく。母が来るのはいつもなら二十分後、大丈夫、大丈夫。
 自分を落ち着かせるために頭の中でそう何回もつぶやく。しかし、そのかすかな希望は楽天的な声で打ち砕かれた。
 「みらいー」
 入ってきた人物はやせ細った体にもかかわらず、手を振ってわたしのベッドの前に走り寄ってきた。わたしの母だ。わたしはベッドを思い切りつかんで、母に叫びだしたくなった。だけど、何を言えばいいのかわからず、抱えた爆弾に火がつくことはなかった。
 母は目の下にはクマがあり、年齢は四十後半だが、しわがあり、六十歳と言われてもおかしくない。ひどいしわで体はモデルの人よりもやせ細っている。わたしなんかのために頑張らなくていいのに。
 「今月もたくさん給料もらったよ。これでみらいの病気治すから安心して」
 母は嬉しそうに早口で話した。わたしは「そうだね」と作り笑顔を浮かべてみた。けれど、うまく笑えている自信がなかった。そして、母は「あっ」という声を漏らした。
 「みらいよかったね。一年ぶりくらい? 一緒に話せる人ができて、それに同じくらいの年の子だね。どうもはじめまして、みらいの母です」
 「は、はじめまして」
 あかりちゃんは苦笑いを浮かべた表情でそう言った。いきなり知らない人が来れば、困惑するに決まっているよね。
 「みらい、この子のためにも頑張るのよ。あの医者は余命一年とか言ってたけど、あれ、でまかせだからね。信じちゃダメ。わたしが絶対みらいの病気、治してみせるから」
 そう言うと、母はわたしの手を掴んだ。しおれた木のようにしわしわな手。どんだけ、私のために。そう思うと、母の顔を見ることが出来なかった。
 わたしは病気のことで悩んでいるけれど、今はあかりちゃんにそれを聞かれてしまったという気持ちのほうが強かった。あかりちゃんはどんな顔をしているのだろう。わたしは怖くて横を見ることが出来なかった。
 「じゃあ、これから仕事行くから。また来週ね」
 母はまるで嵐のように病室を去った。だけど、あかりちゃんにとって、それはわたしの病気を知るには十分な時間だった。病室内は今まで騒がしかったのが嘘かのように静まり返っている。わたしは何を話していいのかわからずに黙っていると、先にあかりちゃんが口を開いた。
 「みらいさん。さっきの話、本当なんですか?」
 わたしは黙った。何かを言わなければいけないのはわかっている。けれど、どうすれば。
 悩んでいると、あかりちゃんの小さな泣き声が聞こえてきた。
 「嘘、ですよね?」
 わたしはまた、嘘をつきたかった。あかりちゃんのためなら何回嘘をついてもいい。笑って、『嘘だよ』と言いたい。けれど、わたしはうなずいてしまったのだ。こくりと、静かに。
 「そんなの、あんまりです。なんで、なんで言ってくれなかったんですか?」
 あかりちゃんは初めて出会った時、いやそれ以上に泣き叫んだ。わたしはあかりちゃんを泣き止ませることはできない。泣かせたのは、わたしなのに。
 あかりちゃんの泣き声はみるみるうちに大きくなっていく。そうなるにつれ、胸が塞がっていく。
 「言ったらあかりちゃん、悲しませちゃうって思ったから。わたしのお母さんも病気を知ってから血眼ちまなこになって仕事をして、わたしの病気を治そうとしてくれているの。でも、そのせいで、意見が合わないお父さんと離婚したり、今では睡眠や食費代を削ったりして、わたしの治療費をできるだけ集めようとしているの。けれど、わたしは日に日に弱っていくお母さんを本当は見たくない。だから、『わたしのことはいいから』とか、『もういいよ、お母さん、休もうよ』って言った。けれど、お母さんは『何言ってるの。いいから、あんたは治療のことに専念しなさい』って。それからお母さんは、わたしが何を言っても聞いてくれなくなった。わたしは周りにいる人を全員不幸にするの。最初に隣にいたおばあさんもお母さんもお父さんも、慎之介もあかりちゃんも。だって、わたしは誰かを悲しませたり、傷つけたりすることしかできないんだから」
 あかりちゃんのほうを見ると、涙は出ているものの、声には出していなかった。
 「みらいさん、そんなことないです。あたしは傷ついてなんかいないし、悲しんでなんかいません」
 言葉をもらすたびに、涙がこぼれそうになっていた。しかし、あかりちゃんはわたしに涙を見せないようにこらえていた。
 それを見てやはり実感してしまう。わたしはこういう人間なのだと。その時、わたしの頭の中に慎之介の顔が浮かんだ。もう、これ以上誰かを悲しませたくない。
 「あかりちゃん、ひとつお願い聞いてもらってもいい?」
 「・・・・・・はい」
 「慎之介には、言わないでくれる、かな?」
 慎之介に言えば、バイトなんて休んでわたしのもとへ来るかもしれない。わたしにとってそれはうれしいことなのだけれど、慎之介には自分の時間を大事にしてほしかった。
 わたしからのお願いにあかりちゃんは悩んでいる様子だった。しかし、しばらくしてあかりちゃんはこくり、と首を縦に振った。
 「ありがとう」
 わたしがそう言うと、風が音を立てて吹いているのが病室にも聞こえてきた。窓の外に目をやると、桜の花びらが空中に浮かび上がり、そしてゆっくりと落ちていくのが見えた。





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