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最終話.わたしは散る
しおりを挟む4月21日 日曜日
昨日はなんだか眠れなかった。今日、慎之介に告白して嫌われたらどうしよう、という思いが何度も頭をよぎる。慎之介には好きな人がいる、それがわかっているのに、わたしはあかりちゃんの提案を拒めなかった。
そのことをあかりちゃんに言えば、どうなっていただろう。諦めてくれるのだろうか、それでも告白するよう仕向けるだろうか。
桜の花びらはわたしが起きた時にはなくなっていた。ここからでは見えないが、地面に落ちて絨毯のようになっているのだろう。
それを想像すると、笑みがこぼれた。あかりちゃんがいなくなって静かな病室に響くわたしの笑い声、その中にノックの音が聞こえてくることに気が付いた。
「こんにちは」
そう言いながら登場したのは松葉づえを持ったあかりちゃんと後ろには慎之介がいた。慎之介はわたしと目が合うとニコッと笑った。好きな人に告白が成功したのだ。そう、わたしは直感した。
わたしは多分、この時、誰から見てもわかるぎこちない笑みを浮かべたていたと思う。
わたしたち三人はいつも通りの会話をした。あかりちゃんはおそらくさみしさを我慢しているのだろういつもより声に張りがなかった。逆に慎之介はそれを吸い取ったかのように明るい声で話した。
「ごめん、あたしトイレに行ってくる」
会話の途中であかりちゃんはそのようなことを言って病室から出て行った。これはわたしたちが昨日話した作戦だった。あかりちゃんがまずトイレに行ったふりをして、病室をふたりきりにする。そして、わたしが慎之介に思いを伝えるというものだった。もしものために、あかりちゃんは病室の外で待機すると言っていた。
「うん、わかった」
わたしは作り笑顔をしてあかりちゃんを見送った。病室から出ようとしたあかりちゃんと目が合った。頑張ってください、と言っているようだった。
「あぁ、気をつけて」
慎之介の声は明るく、普段は言わないであろう言葉だった。会話がなくなり病室は静かになった。 わたしはまるで体がここにないかのような錯覚にみまわれる。でも、深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。慎之介にはもう付き合っている人がいる。けれど、好きだと伝える、このまま大事な友人でいて、と言う。それなら誰も傷つかない。大丈夫、嘘はついてない。あかりちゃんのため、頑張る、それだけ。
「あの!」
「あのさ」
二人同時に声が出た。それとともにわたしの中にあった緊張の糸が切れて、何を言おうとしていたのか一瞬わからなくなった。
「ごめん、先にどうぞ」
わたしは先攻を譲った。
「うん、わかった。前さ、みらいが言ってくれた言葉、覚えてる?」
「うん」
それは三日前のことだ。わたしはその日、自分が言ったことを今でも後悔している。自分で告白する場面を台無しにするとかバカみたい。昂っていた気持ちを抑えるため、わたしは布団をにぎりしめた。それでも、慎之介は話を続ける。
「僕が好きな人を怒らせちゃって、それでもう関係が終わるのかと思った。でも、あの日、みらいのあの言葉のおかげで和解出来て、付き合うことができたよ」
わたしが今ここで、「好き」と言ったらどうなるだろう。慎之介は怒るだろうか。それとも、わたしの気持ちを受け取ってくれるだろうか。
慎之介の話はもうすぐ終わるのだとわたしは思った。大丈夫、まだ告白しようとする気持ちは消えてはいない。あとは自分の心臓を鎮めさせるだけだ。
「ありがとう」
「えっ」
わたしは慎之介が何を言ったのか一瞬わからなかった。けれど、すこしたってわたしに「ありがとう」と言ったのだと理解した。わたしは慎之介の顔をしっかり見て、自分の耳が間違っていないか確認する。
「今、なんて?」
「えっ、ありがとうって」
聞き間違いではなかった。確かに慎之介はわたしに「ありがとう」と言ったのだ。心臓が鼓動を増す。胸が苦しい。
「みらいは僕にとって恩人だよ。ほんとうにありがとう」
慎之介は笑った。けれどそれは、わたしと話しているときの楽しそうなあかりちゃんや、わたしと会っているときの母のうれしそうな笑みとは比べ物にならないほどのとても、とても、とても幸せそうな笑みだった。
わたしは誰かを悲しませたり、傷つけたりすることしかできないと思っていた。誰かを幸せにすることなんてわたしにはできないと思っていた。けれど、違った。わたしにも誰かを幸せにすることができる。それを慎之介が証明してくれたのだ。
「あれ、みらい、どうした?」
「えっ?」
慎之介に言われて初めて気づいた。わたしは、泣いていたのだ。ベッドの上に一滴、一滴としずくが流れ落ちていた。
「これはね・・・・・・」
わたしは涙声になっていた。こんなところを見られたら、悲しんでいるのかって思われてしまう。だから、わたしは思いっきり笑った。
「これはね、嬉し涙」
わたしは涙をぬぐった。こんなことで泣くなんて子供みたい。
「そういえば、みらいも話があるんじゃないの?」
わたしは慎之介に「好き」と伝えることを忘れていた。あかりちゃんと約束したことだ。けれど、今のわたしにそれを言う気力はなかった。慎之介には幸せでいてほしい。
「ううん、もういいの」
わたしがそう言うと、トイレに行ったふりをしたあかりちゃんが病室に戻っていた。うつむいているため、顔は見えなかった。けれど、悲しんでいることはわかる。
ごめんね、あかりちゃん。けれど、わたしはこれでいいと思っている。最後に慎之介の笑顔を見ることができたから。
「あかり、大丈夫か?」
あかりちゃんは花がしおれるかのようにゆっくりうなずいた。慎之介はあかりちゃんを心配そうに見つめた。そして、慎之介はあかりちゃんの身体を自分の身体へとくっつかせた。 ほんとうにいい兄妹だなぁ。
「これで、お別れだね」
慎之介が言う。
「そうだね」
「また会いに来るよ」
慎之介はわたしの病気のことはわかっていないのだろう。わたしはもう長くないのだ。これが最後だということはわたしとあかりちゃんだけが知っている。慎之介がまたここを訪れた時には、おそらく、わたしはもういない。
「うん、またね」
病気のこと、これでお別れであることを悟られないため明るくそう言った。わたしはあかりちゃんにもお別れを言おうとした。
「バイバイ、あかりちゃん」
わたしがそう言った時、あかりちゃんは突然慎之介の身体から離れて病室の外へと勢いよく出て行った。それに慎之介はあわてて追いかけた。わたしはそれがおもしろくて少し笑った。けれど、もうあの兄妹には会えないと思うと悲しくて、また涙が出た。
外にあるもう散ってしまった桜をながめた。最後の最後で、わたしは誰かのためになれたのだ。これでもう、未練はなかった。
こうして、わたしの恋は散っていったのだった。
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