不労の家

千年砂漠

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13 財力

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 隆志は太田の助言を受けて、免許を取るため教習所に行くことにした。
 自転車を探しに、屋敷の玄関の左側にある土蔵へ行く。土蔵は三つあり、二つは物置に使っているが、一番手前の蔵は車庫に改装してあった。
 車庫には明子の軽四乗用車と一緒に父が使っていたという自転車も車も残っていた。それを見て隆志は複雑になった。自転車と自動車のタイプと色が自分の好みだったからだ。離れて暮らしていたというのに、これは遺伝子の成せる業なのだろうか。
 自転車に乗ってみるとサドルの位置が低かった。自分が父の背丈を追い越していたことを噛み締めながら、自分に合わせて直した。

 太田に教えてもらった書類をそろえて教習所へ行き、申し込み手続きをすると、丁重に別室に案内され、教習所所長が挨拶に来た。『世久家』の影響力はこんなところにまで及ぶのかと少々驚いた。
 隆志のためだけに特別な日程表を組むと言われたが、それはさすがに断った。
 急いで免許を取りたいわけではないし、教習所へ通うことで外出し、離れて久しいこの町に馴染むのも目的の一つだったからだ。
 既成の日程表をもらい部屋を出る時も、所長自らドアを開けてくれた。その上玄関先までわざわざ見送られ、
「どうぞこれからもよろしくお願いいたします、世久様」
 深々と頭を下げられたので、まわりにいた人間の注目を集めてしまって恥ずかしくなり、慌てて挨拶して玄関を出ようとした。が、
「え、『世久』? 世久って、あの世久?」
 玄関近くに居た若い男が驚きの声を上げた。
「もしかして、世久隆志?」
 彼は近づいてきて、隆志の顔を覗き込んだ。
「はい……そうですけど」
 隆志がぎこちなく頷くと、彼はぱっと顔を輝かせた。
「覚えてないか。俺、橋本。橋本博之。『はっちん』だよ」
「――ああっ」
 覚えている。クラス一ひょうきんだった『はっちん』。言われてみれば面影があった。
「お前、今までどうしてたんだよ。クラスの誰にも何も言わずに、急にいなくなっただろ。先生は家庭の事情ってしか教えてくれなかったし」
「うん……まあ、本当にその家庭の事情だったんだ」
「その頭の包帯、どうしたんだ?」
「これは、その、つまずいて転んで……」
 詳しい話はしたくなくて、隆志は言葉を濁し、話を逸らせた。
「それより、せっかく再会したんだから、よかったら今から一緒に昼飯食べに行かないか」
「あーいいよ。俺もちょうど昼飯にしようと思ってたとこだし」
 近くがいいと橋本が言うので、教習所のちょうど前にあるハンバーガー店に入る。
 橋本はメニューを見上げて迷っていた。
「うーん、どうしようかな。今月は昼飯代が厳しいしなあ」
「よかったら、僕が奢るよ。誘ったのは僕の方だし、小遣いもらったばっかりだから」
 隆志は一番高いセットメニューとデザートを二セット買い、彼と席に座った。
「さすが世久の当主様、太っ腹。デザートまでつけてくれるとは思わなかった」
 橋本が感心したように頭を振った。
「知ってたのか。僕が家を継いだの」
「知らなくても、想像がつくよ。和也さんが亡くなったのは地元じゃみんな知ってるし、その上で今、ずっといなかった息子のお前がここにいるのは、家を継いだからだとしか考えられないだろ」
 ニッと笑った顔は、小学生の時そのままの『はっちん』だった。
「はっちんは今、学生? 社会人?」
「俺? 俺は蓮池市のデザインの専門学校に行ってるんだ。将来は広告デザインの仕事したくて」
 昔と変わらず彼は話好きだった。親に無理を言って進学したので学費の一部はバイトで稼いでいるらしい。免許代も当然ローンだとぼやいた。
「で、今、俺居酒屋でバイトしてんだけど、覚えてっかな、同じクラスだった細川、あいつも偶然同じ店でバイトしてて――」
 自分の近況を語る橋本の口から懐かしい名前が飛び出す。クラスメイトだった者の何人かは地元に残っているらしかった。
 午後からまた教習があるという橋本とは、店の前で別れた。
「お前に再会できてよかったよ」
 笑顔の橋本に軽く背中を叩かれ、母が急死して以来強張っていた心が少しほぐれた気がした。


 教習所で橋本とはよく会った。それも何故かいつも昼近くの時間ばかりなので、当然一緒に昼食を取る。学校の勉強と免許教習を両立させるためバイトを減らしたので今月は生活が厳しいなどと話されると同情してしまい、代金は常に隆志が払った。
 その内橋本は教習所で知り合ったという友人も連れてくるようになり、昼食は五、六人のグループで取ることが多くなった。それも当然のように全て隆志の払いだった。
 けれど毎回気持ちよく払っているわけではなかった。
 確かに金はある。あるが、金を使うたびに以前の母と二人の暮らしを思い返して、もったいなさや罪悪感めいたものを感じていた。
 が、ある日、手持ちの金が足りなくなってキャッシュコーナーで金を下ろした時、口座の残金を見て驚いた。それまでに使った金額の分、補填されていたのだ。何かの間違いではないかと畑田に連絡してみると、
「世久家の当主がいざという時に百万の金もないのかと言われるのは恥ですから」
 何日かに一度は口座の残金をチェックして補填するのだという。
「ご心配なさらなくても大丈夫ですよ。御当主のお小遣い程度の金では、世久家はびくともしませんから」
 畑田は軽く笑った。
「それに、不思議と帳尻が合うように金が巡ってくるんですよ。世久家には守り神様がいらっしゃるそうですから、その神様のおかげでしょうかね」
 彼は冗談のように言ったが、それがまぎれもない事実であることを隆志はすぐに思い知ることになった。


 ちりん。

 鈴が、鳴る。

 クチナシの香りが濃く香る。

 どろりとした気だるい感覚は不本意に眠りから覚めたことを物語る。妙に息苦しくて薄く眼を開くと。

 仰向けに寝ている自分の胸の上に、与姫が正座していた。
 体重は感じない。が、威圧感に押されて身動きできない。声すら出なかった。

 背景のない闇。現実味は希薄。なのに存在感は重厚だ。
 今、自分は確かに覚醒しているのか。分からない。

 赤い花柄の着物の少女が、厳かに口を開く。

 ――当主に告げる

 宣託、だ。
 与姫の宣託はすべて受け入れること――しきたりの書にそう書いてあった。
 ――新たに立川の田を買え。宮内の田は買い足せ
 意味が理解できないまま、言葉が脳に書き込まれていく。
 ――高山の田はもう要らぬ。全て売り払え
 隆志は与姫の言葉を夢うつつで聞く。何かを問い返す思考力も気力もなく。
 甘すぎる花の香り。深い闇。少女の形をした神。
 この屋敷は――屋敷そのものが異界なのではないだろうか。


 朝、目覚めて、隆志が行ったのは畑田への電話だった。
 畑田を通じて世久の屋敷に呼び付けたのは、世久家が株と投資の運営を任せている証券会社の人間だった。
 まだ勤務時間でもない早朝に、不満の欠片も見せずやって来た父より年上の営業マンへ株の売買を指示した。
 隆志の考えではない、隆志の意思とは別の何か――脳に巣くっていた霞みのようなものが勝手に言葉に変換され、口から出る。喋っている隆志本人が話の内容を理解できていないというのに、何故か彼は一言も口を挟むことはなく全ての指示をメモし、了解した。
 彼に対して伝えるべきことを伝え終えると、急速に自意識を取り戻した。
 すでに帰り支度の彼に、
「あの……何もおっしゃいませんけど、僕の指示の売買に不安とかはないんですか」
 隆志の方が不安になり、尋ねると、
「世久家の御当主の御指示は絶対ですから。それに」
 誤った事例はありません、とにこやかな返事が返って来ただけだった。

 その言葉と笑顔の意味は後日、新聞を見て理解した。
 株を全て売り払った高山製薬がこの国では認可されていない薬を名前を偽って販売していたのが判明し、大きな騒ぎになっていた。
 それに、株を新たに買った立川花木研究所は、切花が二ヶ月以上新鮮に保てる保存液の開発に成功して話題となっていて、株を買い足した宮内食品はNASAの宇宙食にトウモロコシを使った麺の新製品を納入することが決定していた。
 高山の株は暴落し、立川と宮内の株は上がった。

 ――不思議と金が巡ってくるんですよ
 ――誤った事例はありません

 与姫の宣託。これが、世久家の財のからくりなのか。

 与姫がいる限り、自分が小遣い程度の金を使っても、世久家の資産には毛ほどの影響もないのだ。

 それなら、と隆志は自分の思い通りに使ってみた。
 隆志がまず買ったのは、服だった。教習所は同年代の若者が多く、その中でも隆志の服装は安っぽかった。今までは経済的に余裕がなく諦めていたが、今は違う。流行の服は何枚でも買える。
 橋本に相談すると、商店街の中の自分の行きつけの店に案内してくれて、店長と一緒になって見立てもしてくれた。それに合う靴も、アクセサリーも揃え、彼の勧めで髪型も髪の色も変えた。
 欲しかったDVDも迷うことなく買った。コミックスは本屋にまとめて注文して届けさせた。それらを収納するための家具も買い、最低限のものしかなかった隆志の部屋は見る間に物で溢れ返った。
 太田からも畑田からも一言のお咎めもなかった。
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