不労の家

千年砂漠

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16 世久家の兄弟

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 隆志は葬儀から家に帰るとすぐ、風呂に入った。
 寝不足や精神的ショックで疲れ果てた体を少しでも癒したかったからだ。
 風呂から出て、水を飲もうと台所に行くと明子がいて、テーブルには小ぶりの土鍋が置いてあった。
「雑炊をお作りしましたから、どうぞ召し上がって少しお休みください」
「……いや、あんまりお腹空いてないから」
「食べなければいけません。このところ、まともなお食事をされていないでしょう」
 明子の言う通りだった。夕方から夜中まで遊びまわってバランスの悪い外食ばかりで、家に帰れば昼まで寝ているから、最近家では食事していなかった。明子と顔を合わせるのさえ、久しぶりの気がする。
 明子に勧められて雑炊を一口すする。家庭料理の温かさが胃と心に沁みた。頭が空腹を感じなかっただけで、身体の方は切実に栄養を求めていた。
「……隆志様、どんなに親しい間柄でも、人の心はどうやっても見えないものなんです」
 明子がそっと隆志の背中を撫でる。
「それに、深刻な問題を抱えている人ほど、尚のこと親しい人には隠そうとするものですから、気に病んではいけませんよ」
 明子の慰めに不覚にも泣きそうになり、隆志は頷いた後、あくびで誤魔化した。
「ほら、お疲れなんでしょう? 食べて、休んでください」
 明子は笑って、流し台で洗い物を始めた。その後姿が、心なしか少し小さく見えた。
「……明子さんって、この家で何年働いてくれてるんだっけ」
「ええと……確か三十四歳の時からですから……二十五年ですか」
「え、てことは、明子さんって五十九歳なの」
「そうですよ。もうすぐ、あと半年ほどで定年の歳です」
「……そうなんだ」
 小さく見えるはずだ。明子は年老い、自分は成人に成長した。「今日のおやつは何」とまとわりついていた八年前とは違い、もう体の大きさが逆転してしまっているのだ。
「ええ、孫がいてもいい歳ですけど、私は家族に恵まれなくて……」
 明子が背を向けたまま、寂しげに呟いた。
 そういえば、昔聞いた記憶がある。明子は七歳の息子を事故で亡くし、それが元で夫と不仲になり婚家を追い出されて、知り合いの伝でこの家に勤めるようになった、と。確か遠方に住んでいた両親も早くに亡くなり、兄弟、親戚ともに疎遠で、身寄りがないのも同然だとも言っていた。
 寂しい家には寂しい人間が集まるのだろうか。
 死が人を招く家――なのか。
 隆志は頭に浮かんだ思いを慌てて振り払った。そして代わりにあることを思い出した。
「明子さん。世久家の長男、父さんの兄っていう人のこと知ってる?」
 振り返った明子はたちまち顔を曇らせた。
「どこでそのお話をお聞ききに……」
「友達に聞いたんだ。でも詳しくは知らないらしくて。明子さん、知ってるなら教えてくれないかな」
 暫く思案した末、明子は隆志の前に座った。
「私もよくは知らないんです。私がこの家に参りました時にはもういらっしゃいませんでしたから」
 彼の名前は俊介。歳は父より五つ上だという。
「色々な人から話を聞きましたので、何が真実なのか私には分かりません。ですから、多くの人の話が一致したものだけお話します」

 俊介は小さい頃から短気で乱暴者だったそうだ。そして真紀子は気が強くて金持ちの令嬢にありがちなわがまま娘。父の和也は同年の子供の中でも飛びぬけて頭が良く優秀だったためかそんな兄姉を軽蔑していて、三人は昔から仲が悪かったらしい。

「兄弟げんかもよくしていて、直情型の俊介さんは和也様の大人びた聡明さが気に入らなくて、和也様に対して一方的に暴力をふるっていたみたいです。それも巧妙で、服で隠れて見えない所を殴ったりして」

 それは兄弟げんかなんてレベルではない。虐待だ。
 さらに酷いことに、父の両親――祖父母はそれを無視して放置していたらしい。祖父は絵にしか興味のない人で、祖母もあまり積極的には子供に関わらない人間だったからと言うのだ。
 金はあるが、冷たく歪んだ家庭。
 父が何故中学から都会の全寮制の学校を選んで進学し家を出たのか、何故実家の話を殆ど語らなかったのか、今更ながら理解できた。

 俊介がいなくなったと分かったのは、失踪してすぐにではなかったそうだ。
 初めは普段から素行の悪かった彼は友人のところを泊まり歩いているのだろうと思われていたそうで、ずっと何の連絡もないことにさすがに不審に思い家族が警察に届けたのは行方が分からなくなってから二週間後と言うのだから、呆れた話だ。
 隣町の港近くで彼の自転車が発見され、友人に前々から「できれば家を出て船乗りになりたい」と話していたことから、家出してどこかの船にもぐりこんだのではないかと推測された。
 その港には外国籍の船も停泊することがあり、もしかしたら密航して海外に、と言う者もいたそうだ。
「それでも総一郎様が亡くなられた時、ひょっとしたらどこかから話を聞いて俊介さんが戻ってらっしゃるのではと思われていたんですが」
 祖父の葬儀の時父の上座が空いていたのは、俊介のための席だったのだ。
 しかし彼は戻らず、父が家を継ぐことになった。

「その俊介さんが家出したのって、いつの話なの」
「和也様が小学六年生、十一歳だったといいますから、もう三十七年ほど前になるんでしょうね」
「その間、一度も戻らなかったの」
「そのようです。少なくとも私が勤め始めてからは、戻っていらっしゃいませんし、手紙などの連絡が来たこともありません」
 自分の意思で出て行ったと諦めたからなのかどうかは知らないが、祖父母は形通りの捜索願を警察に提出しただけで、特に捜そうとはしなかったらしい。
 なんて薄情な、と隆志は暗澹とした気分になる。
 会ったこともない自分ですら、事件や事故に巻き込まれた可能性はないのかと心配になるのに。
 いや、もしかしたら周りに言わないだけで、祖父母は俊介の行方を知っていて放置したのでは。
 戻らなくてもいいと切り捨てるように。それならもっと寂しい。
 眉間にしわを寄せる隆志に、
「大丈夫ですよ」
 明子が笑いかける。
「三十二代当主は隆志様です。例え今、俊介さんがお戻りになっても、それは変更されないそうですから、ご安心ください」
 どうやら明子は、隆志が当主の座を案じているのだと勘違いしたようだった。
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