不労の家

千年砂漠

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17 世久家のしきたり

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 隆志は雑炊を食べた後、明子に熱い茶を入れてもらった。疲れていて眠りたい気持ちはあったが、もう少し人の傍にいたかったのだ。
 夕食の支度に取りかかった明子と他愛ない会話をしながらぼつぼつと茶を飲んでいたが、ふと食器棚に目が行き、それで思い出したことを明子に聞いてみた。
「明子さん、世久家の当主の約束事に、当主の茶碗と箸は毎年正月に新しい物に替えて、古い物は焼いて壊して川に流せ、ってあるんだけど、どうしてなのか知ってる?」
 勿論、と明子は頷いた。
「世久の御当主様は毎回の食事の度に家内の災厄も食べて体内で浄化しているので、茶碗や箸に残った厄が積もり積もって大きくならないうちに焼き捨てるのだそうです」
 昔は箱膳といって個人それぞれの食器を入れておく箱があり、食事の時は箱の蓋をテーブル代わりにして、食事が終わった後は使った食器の内側を湯で濯いで、そのまま箱の中にしまっていた。今のように、食事後毎回食器をきれいに洗っていた訳ではない。
 今の時代で考えれば不衛生きわまりないが、そんな生活習慣だった時代だからこそ、当主の身を案じ、器や箸を定期的に替えて衛生と食に意識を向けて健康を損なわぬよう、こんなしきたりができたのかもしれないと明子は言う。
「でも、飯を食うだけで厄払いしてる、なんて、神社の神主さんなんかが聞いたら呆れそうだな」
「御当主様は働いてはいけないので、せめて表向きには家の中で重要なお役目があることにしたかったのだろうと総一郎様はおっしゃっていました」
「じゃあさ、『当主は一晩たりとも与姫に無断で領地の外で夜を明かしてはならない』ってのは何故なんだろう」
「総一郎様から伺った話ですと、二代目の当主様が与姫様にこの家にいていただく代わりに、当主も与姫様の許しなく領地を離れないとお約束したそうです。働かなくて良いからといって、家や家族をほったらかしにして好き勝手に遠くへ遊びに行ってはいけない、という戒めなのでしょうね」
 昔の旅は今と違って過酷なものだった。基本、どこへ行くのも歩きだし、道中で病気になったりしたら命を落としかねない。当主がそんなことにならないように禁止したのかもしれない、と明子は言う。
「だったら、今は昔ほどの危険は無いから、与姫様に許可さえもらえれば長期の海外旅行とかできるんだね」
 隆志が言うと、明子は眉をひそめた。
「……それはどうでしょう。与姫様の許しをもらって領地から出た当主はいないそうですから」
「え? いない? 一人も?」
「はい……これも総一郎様から聞いた話ですが」

 何代か前の当主が妻以外の女性を好きになった。が、妻は嫉妬深く女性の存在を知ればその女性に対して何をするか分からないため、妻の目が届かぬよう領地から離れた所にその女性を住わせた。
 しかし女性と会うにも家が遠いので、長い時間は一緒にいられない。だからせめて一夜でいいから彼女の家に泊まりたいと与姫の許しを求めた。
 が、許しは得られなかった。
「そりゃ、神様だって不倫の片棒担ぐのは嫌だって言うと思うよ」
 隆志は苦笑いを浮かべたが、明子は暗い表情で首を振った。
「いいえ、そんな理由ではないのです」
 一夜だけでもと領地を離れる許可を求めた当主に、与姫は言ったそうだ。

 ――わしが許せば当主は領地の外へ出て一夜を超えても良いと確かに約束したが

「許しを出さねばならぬ理由はわしにはない、と」

「……それって、ようするにどんな理由でも許可する気はないってことじゃ」
 明子はこくりと頷いた。
「神には神の理があって、人の都合に合わせることはしない、ということなのだそうです」
 件の当主は、結局ある日与姫様の許可がないまま女性の家に行き、翌朝二人とも家の中で亡くなっているのが発見された。
 きちんと布団に寝かされていた女性は縄で首を絞められた痕があり、その女性の遺体を見守るような位置で、当主は首を吊っていたという。
「隆志様もよくよくお気をつけくださいませ。領地、と言うのは今現在世久家が所有している土地という意味なのだそうです」
 この家に来てすぐに畑田から家の資産状況の説明を受けたとき、世久家が現在持っている土地に色を塗った地図をもらった。あれはこのためだったのか。
「寄附や売却によって飛び地になっている所もあるそうですが、町境のトンネルの手前の町営団地辺りまでなら『みなし領地』扱いしてくれるみたいだから大丈夫だと和也様がおっしゃっていました」
 そうは言うものの、父は殆ど遠出する事は無かったらしい。
「明子さんって、この家のこと本当に良く知ってるね」
「昔からこの町に住んでいる者ならみんな、この程度は知っていますよ。けど……そうですね、私は世久家での勤めが長いせいで、他の者よりは色々知っていると思います。でも、それは」
 明子は悲しげな顔をして俯いた。
「多分、総一郎様が自分の後を継いだ者へ私の口から伝わるようにと考えて、色々お話くださったからと思います」
 しきたりについては、本来は現当主から次期当主へ語り継がれるべきことなのだそうだが、父の和也はずっと家を離れていて両親とは没交渉だった。
「大奥様もしきたりについては一通りご存じのはずですが、正直、和也様と積極的にお話をされるようなお気持ちがあるとは思えない方で……」
「……僕にもだけどね」
 明子は曖昧に笑ったが、否定はしなかった。
「でも、実際明子さんがお祖父さんから話を聞いていてくれたおかげで助かったよ。厄介に思えても、しきたりには一応意味や理由があるのは分かったから」
 守らないと命に関わるというのはすでに体験済みだから、疑う気はない。
「では、これで和也様のこともご理解頂けましたよね」
 明子の問いかけに、
「え、父さんの何を?」
 隆志が問い返すと、
「和也様が自ら東京へ佐恵子様と隆志様を探しに行かれなかったのはしきたりのせいで、決して人任せで良いといういい加減な気持ちではなかったということです」
 明子は父の代弁者のように言い募った。
「本当に一生懸命隆志様たちを捜していらっしゃったんです。周りから何度も『もう離婚して新しい伴侶迎えてはどうか』と勧められて、実際お見合いなんかの話も多くあったんですけど、全く応じられませんでした。それほど隆志様たちにお心が向いていらっしゃったんですよ」
 父が長年隆志達を探していた理由を、明子は「深い愛情」だと言う。
 しかし、ずっと隆志達の世話をしてくれた典子は「異常な執着」だと言った。
 どちらが本当なのか、隆志には判断できなかった。
 そもそも明子は祖父と父の信望者のような面がある。
 婚家を追い出されて行き場のないところを好待遇で雇ってくれた祖父と当主を継いだ際に給料とボーナスを大幅に引き上げた父に感謝していると常々口にしている。
 だから世久家贔屓の明子が語る父の姿が実像と信じるには抵抗があるのだ。

「……明子さんは……本当にこの家に神がいると信じてる?」

 隆志がそう問うと、流し台の方を向いていた明子は身体ごと振り向き、背筋を伸ばして答えた。

「信じておりますとも。この世久の家の繁栄が何よりの証拠です」
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