不労の家

千年砂漠

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20 当主の孤独

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『世久の金で遊ぶと、守り神に祟られる』
 春菜が細川たちに語った話は、どうやら密かに瞬く間に広まったらしかった。
 今まで遊んだ誰に電話しても、連絡が取れなくなった。みんな一様に着信拒否だ。
 山下の初七日の夜、『クラップ』が放火によって火事になり、全焼した。放火犯は隆志が店で顔を合わせる度に奢ってやっていた男で、マスターからたまっているツケの支払いを求められ、店を燃やせば帳簿も焼けてツケの金額も分からなくなるから払わないですむと考えたらしい。それが何故か自分でつけた火に巻かれて焼死した。
 その事件が噂に勢いをつけたのは間違いなかった。匿名で町の名もぼかしてあるが、明らかに隆志達の身に起こったことを実話怪談として誰かがネットに書き込んでいるのを見た時は、もう笑うしかなかった。
 橋本たちと遊びまわり始めた頃からずっと行ってなかった教習所にまた通い始め、同年代の子に声をかけてみたが、世久の名を名乗ると引かれてしまった。
 逆に世久の名を知っていて寄って来る者もいた。『クラップ』の客だった者で、堅気とは言い難い、崩れた雰囲気の人間たちだった。
 お世辞にも頭も人柄もいいとは言えなかったが、彼らといる時はそれなりに楽しめた。あからさまに隆志の金払いの良さが目当てな態度はあえて気にしなかった。
 彼らとて噂は聞き及んでいるだろう。その上で来るのだから、噂は噂だと信じていない暢気者か自分にだけは災厄が降りかからないと思っている愚か者か命がいらない馬鹿者だと思うことにして、彼らの身がこの先どうなるか、ふとした瞬間に襲ってくる恐ろしい想像には目を逸らしてやり過ごした。
 その内に、また一人死んだ。
 隆志を頻繁に呼び出し、一番飲み食いしていた片岡という男だ。
 彼は埠頭から車で海に落ちた。ブレーキ操作を誤ったらしい。元暴走族のリーダーで運転技術には定評のある人間だったというのに。
 葬儀では、彼の車が落ちる少し前に後部座席に赤い着物の十歳くらいの女の子が乗っていたと言う話が囁かれていた。
 世久家の噂を知った上でつきあっていたはずの知人たちは、声もかけて来なかった。繁華街ではよく小競り合いを起こすほど血の気の多い彼らが、怯えたように目も合わせてくれなかった。
 もう誰も隆志の傍には来なかった。
 寂しくて高校時代の友人に電話もしてみたが、所詮共有した過去の話で盛り上がるのが関の山で、現在の話になると心情的にかみ合わず余計に寂しくなった。
 典子には電話すら出来なかった。長年世話になってもう一人の母のような存在の典子の声を聞けば安堵のあまり、こちらに来て自分の身に起こったことを全部話して、大きな心配をかけてしまいそうだからだ。何より「自分が家を継げと背中を押したばかりに隆志が不幸になった」と思われたくなかった。
 心は渇いていくばかりで、身の置き所がない。こんな時家族がいればと思い出すのは、父が世久を継ぐ前の親子三人のささやかな日常の風景ばかりだ。
 父がずっと自分たちの行方を追っていたのは、きっとこんなふうに寂しかったからなのだろう。ボランティアでひたすら花を植えたのも世久の当主の孤独を味わって、利害に関わりがないところでの生きがいを求めてのことだったのだ。もしかしたら祖父も同じ理由で絵の世界に没頭して行ったのではないだろうか。
 そして多分、母が恐れていたのは、やはり与姫だ。もしかしたら世久家の約束事を知らず粗相でもして、死ぬほど恐ろしい目にあったのかもしれない。だとしたら「あの家にいたら殺される」と言ったのも頷ける。
 与姫は神だ。世久家との盟約を忠実に果たす神。
 神には融通や妥協はない。与姫にとっては、世久の田を荒らす虫も世久の金を無駄に食らおうとする人間も、同じく排除すべきものなのだ。神の前では、虫も人も等しい。
 それでも稲は虫を、富は人の欲望を引き寄せる。噂が生々しい今は自重していても、その内忘れて、また人は野心を持ってすり寄ってくるだろう。そして甘言で世久の金を出させようとする。
 出せる金があるが故に、自分も人の誘惑を拒めない。度が過ぎればまた与姫の罰が下ると分かっていても、孤独には耐えられないから。
 富を一方的に持ち過ぎる者には、対等な交友関係を築くのは難しい。どんなにこちらが普通の友人付き合いを望んでも駄目なのだ。初めから経済バランスが均等でない者の付き合いは、最初は良くても徐々に歪んでくる。持たない者から持つ者への期待と甘えが、持つ者から持たない者への憐れみと傲慢さがそうさせる。
 それが嫌なら、いっそ父や祖父のように一人で打ちこめて楽しめる事を手に入れて、人と交流しなければいい。
 でも、自分には無理だ。
 人と接するのが好きだった。人に関わるのが好きだった。中学の時選んだ部活はチームでプレーできるバレー部だったし、高校生になって家計を助けるために始めたバイトも就職先にえらんだのも多くの人に出会える接客業だった。
 人といることが何より楽しい自分が一人でのめり込められそうなことなど、一つとして思い浮かばない。
 金と時間は嫌と言うほどあるのにやりたいことがない。やれそうなことが見つからない。
 こんな人生の無駄遣いがあるだろうか。
 自分の一生は世久に絡め取られて無為に終わるのだろうか。


 鬱々とした日々を送っている最中、一人で閉店時間間際までゲームセンターにいて出た所で、
「あれ? 世久さん? 世久さんでしょ?」
 声をかけられ振り返ると、見覚えのある顔の男が立っていた。
「――ああっ、お久しぶりです」
 『クラップ』のマスターだった。
「その節はお見舞いをありがとうございました」
 『クラップ』が火事になった翌日、隆志は太田を通じて火事見舞いを送っていた。
「……大変でしたね。あの、今はどうされてるんですか。店はもうやらないんですか」
「ええ……今はまだそんな気持ちになれなくて」
 彼はまだ立ち直れていないのか、覇気のない顔で虚ろに笑った。
「どうですか、よかったらわたしとそこの店で飲みませんか」
 気分転換に飲みに出てきたのだが、相手が欲しかったのだと言う。
 今更彼に「二十歳になってないから」と断るのもおかしな話だったし、「一人で家にいても気が滅入るばかりで……」と言われると、彼が元気になれるのだったら話を聴くだけでもしてあげたくなった。
 知り合いの店だと彼に連れて行かれたのは、小さなスナックだった。狭い店内は薄暗く、なんとなく不健康な雰囲気がして不安だったが、四十代くらいの店主らしい男がとても愛想よかったので安堵した。
 他に客がいないのもあってか、マスターと懇意らしい店主は店を貸し切りにしてくれ、三人で他愛ない話をしながら飲んだ。
 マスターを慰めたい、というのは言い訳で、本当は隆志の方が寂しく、誰かと話がしたかったのだろう。釣りや野球などありきたりな話でもマスターたちとの会話は楽しかった。
 マスターはこの店の中では隆志のことを「世久」とは呼ばず名前で呼んだ。ずっと姓の方で呼ばれていたので少し違和感を覚えたが、隆志が世久の当主であることを店主が知れば変に気を遣うかも知れないと考えて、隠してくれたのかもしれないと思い直した。
 知らない店なのであまり飲まないつもりだったが、ついマスターに勧められるままグラスを空にし、気が付けば相当に酔ってしまっていた。
 目がうつろになった隆志を見て、マスターは白い錠剤をカバンの中から出した。
「隆志さん、これをあげましょうか」
「……なん……ですかあ、それ」
 既に隆志は呂律さえ怪しくなっていた。
「いい薬ですよ。とっても、とってもね」
 マスターの笑顔が歪んで見えるのは、したたかに酔っているからだろうか。
「これを飲めば、嫌なことは全部忘れられるし、気持ちよくなるんですよ」
 欲しい? と彼は隆志の目の前で錠剤を振って見せた。
 嫌なことを忘れる。気持ちよくなる。
 魅惑的な言葉に、隆志は素直に頷く。
「じゃあこれはあげます。今、飲むと良いですよ」
 差し出された錠剤を隆志が受け取ろうとすると、彼は焦らすように寸前で手を引っ込めて、囁いた。
「その代わり、気に入ったら次からはわたしから買ってください。いいですね?」
 隆志がもう一度頷き、錠剤に手を伸ばした時。
 バンと音がして、店のドアが開いた。
 入り口に袈裟姿の長髪の僧侶が立っていた。
 僧侶は真っ直ぐ隆志の方へ歩いてきて、無言で隆志の頬を平手で張り飛ばした。
「――何をするんだっ!」
 隆志より先にマスターが叫んで、僧侶に食ってかかった。が、
「それはこっちの台詞だ。こいつは俺が連れて帰る」
 僧侶には妙な威圧感があり、マスターは一歩引いた。
「文句があるなら警察を呼べよ。それとも、俺が呼ぼうか」
 それから殺気立っている店主に向かって僧侶は隆志を指差しながら言った。
「そいつは世久家の現当主だ。それでも引き止めるか?」
 その言葉に店主は目を見開きマスターを一瞥すると、僧侶に大きく首を横に振ってみせた。
 僧侶は殴られたまま呆然としている隆志を無理に引き立たせ、店の外に待たせてあったタクシーに押し込んだ。
 

 タクシーが着いた先は永麓寺だった。
 車の中で眠っていた隆志は起され、車から引きずり降ろされるとそのまま寺の裏にある井戸に連れて行かれた。
 隆志はそこに放り出されると、僧侶に水を浴びせかけられた。
「――何するんだよっ!」
 隆志の怒りにも構わず何回も冷たい水をかけた僧侶は、いきなり隆志の鳩尾を殴った。
 堪らず隆志はその場で吐き戻した。その上からも水はかけられた。
 痛みと吐き気と水責め。最期にはふらふらになり、隆志は崩れるように倒れる。
 僧侶は倒れた隆志の傍に座り込み、経を読み始めた。

 朗々とした声だった。
 どんな楽器も敵わない、心地いい、魂に沁み入るような声だった。
 そして温かい。
 声に温度があるわけもないのに、何故だろう、太陽のように温かい。

 いや、本当に光が射して――。

 隆志はそこで気を失った。
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