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21 永麓寺の人々
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どこかで犬が鳴いている。
機嫌の好さそうな、飼い主に散歩を求めて甘えているような鳴き声だ。
ああ、自分も犬を飼いたい。昔から動物は好きだった。
――大型犬はやめとけ。手間がかかる
でも寂しいんだ。寂しくて、抱きしめられる温もりが欲しいんだ。
人は駄目だ。人は死ぬ。
みんな、死んでしまう。
それは与姫がこぼした言葉だ。
神も――寂しいのだろうか。
だからあの家も寂しいのだろうか。
目を覚ますと、柔らかな布団の中だった。
「……どこだ、ここは」
独り言のつもりで呟いた言葉に、
「俺ん家の、俺の部屋」
すぐ横からはっきりした声で返答があった。
声がした方を見ると、眠そうな顔の拓司が隣に敷いた蒲団の上に座っていた。
「……どうして」
のろのろと起き上がった隆志の問いかけに答えず、彼は面倒くさそうに長髪の頭をガリガリ掻いた。
「話は後。まず飯食おうぜ。俺、真夜中に重労働させられたおかげで腹減って」
「真夜中って――昨日の、あの、乱暴なお坊さん。あれって」
長髪の僧侶の正体は、拓司だった。昨夜は酷く酒に酔っていたし、店内も暗かったので気がつかなかった。
「何なんだよ! こんなところに無理やり連れてきて、いきなり殴ったり、水をぶっかけたり」
怒鳴る隆志を、彼は冷ややかに笑って見た。
「怒るより先に、服着ろよ」
「――は? ああっ!」
隆志は全裸だった。
「あんたの服は洗濯中。とりあえず、それ着といて」
枕元に彼の物らしい服と下着があった。怒りを途中で挫かれて、しかも服まで借りた後では改めて怒る気になれず、そのまま彼に案内されて顔を洗い、ついていくと、
「おはようございます」
朝食が並んだ食卓の前に真道が座っていた。隣にはあの詩織という女の子がいて、少し緊張した顔で会釈した。
朝食は美味かった。病気の実母の看病のため里帰りしていて留守の真道の妻の代わりに、全部詩織が作ったのだと言う。
隆志が褒めると、詩織ははにかんで笑った。内気そうではあるが、過剰に神経質であるとは思えない、普通の女子中学生だった。
腹が落ち着いた後、隆志は拓司から昨夜のことについて聞かされた。
「あんたはあの男の罠にかかる寸前だったんだよ」
拓司は不機嫌に言い捨てた。
「あいつが持ってたのは多分、覚せい剤の類だ」
甘言でそれを隆志に摂取させて、ヤク中にするつもりだったのだろうと言う。あのマスターは裏でその筋の人間とつながりがあるとの噂がある男なのだそうだ。
「何故、そんな」
「世久の当主様なら、薬を買うのに際限なく金出してくれるからだろう。それに店が火事になったのは世久家の守り神のせいだと思って、あんたに復讐してやりたいって気もあったのかもな」
「復讐?」
マスターに恨まれるような心当たりがない隆志が首を傾げると、拓司は苦笑して訂正した。
「あー、復讐、じゃなくてこの場合は逆恨みというべきだな」
拓司はマスターが自分の店の火事は世久の守り神の仕業だと思っているのだろうと言う。
「この町で商売してる人間は大抵世久家の言い伝えを知っている。当然マスターもどこからか耳にしてたはずだ。世久家に対してまっとうな商売をしていれば守り神を恐れることはない。それなのにもし店が燃えたのは守り神のせいと思ったのなら、思うだけの事が実はあったんじゃないか? 例えば会計を水増ししてたとか」
多分マスターは言い伝えを知ってたとしても、所詮は伝説だと信じてなかったのかもしれない。
「金だけは腐るほど持ってる世間知らずの若い当主は搾取するには丁度良かったんだろう」
しかし与姫は見逃してはくれなかった。世久の守り神は世久の田の稲を食う虫は無慈悲に排除する。が、マスターの命までは取らなかったのだから、彼が詐取していたとしてもそれほど大きな金額ではなかったのだろう。
「折角神樣が軽い罰で見逃してくれたっていうのに、当主をヤク漬けにして金を吐き出させるようなことにしてたら今度こそ命がなかっただろうよ。いや、もしかしてもう自暴自棄になってあんたと共倒れ覚悟だったのかも」
「……あのマスター、色々よくしてくれて……良い人だと思ってたんだけど……」
「商売人として世久の当主に媚びてただけだろ」
拓司が呆れたように言う。
「そんなおめでたい頭で、よくもまあ今まで無事だったもんだな。これからは気をつけろよ。特に、反社組織の人間は近寄らせるな。奴らから見れば、あんたなんかいくらでも騙して金を毟れる絶好のカモなんだから」
「いや、それは大丈夫だ。少なくともこの辺の古参のヤクザなら、絶対世久には手を出さないから」
真道が苦笑いし、首を横に振った。
「総一郎さんの時代に、言い伝えを信じなかった新興の組が一つ壊滅寸前にまでなったそうだから」
この町の利権に食い込むため、その拠点作りに世久の土地を騙し取ろうとしたが、十日ほどの間に組長と組員が病気や事故や自殺で次々に死に、組の系列から来た代行の者まで総勢十二名が亡くなったという。
「じゅ、十二人もですか?」
「ええ、一人や二人の不幸なら偶然と思えるでしょうけど、短期間に関係者ばかり二桁の死者ですからね。しかも死んだ人間の何人かが、死ぬ前に『赤い着物を着た少女を見た』と話している。いくら威勢の良いヤクザでもビビりますよ」
さすがに言い伝えは本当だったと身に染みたらしく、その時にこの寺の住職だった真道の父が組の関係者から世久家との仲介役を頼まれて橋渡しし、組に残った者全員で世久家へ詫びを入れに行ったそうだ。
「今後一切世久には手を出さないとの念書を世久家へ差し出して、組員は全員この町から退去して、それで一応収まったようです」
その話が裏社会に広まり、今では『世久の本家には手出し厳禁』が不文律になっているらしい。
「ヤクザという人種は良くも悪くも約束事には結構律儀なんですよ。何より利に聡いから割に合わないことはやらない。ヤクザこそ世久には寄りつきませんよ」
そういえば事故死した片岡は元暴走族の頭ではあったがヤクザではなく、交友関係も隆志が知る限り暴走族の昔の仲間か飲み屋やパチンコ店で知り合った者たちだった。
マスターの方の人脈はよく知らないが、少なくとも店でヤクザと思えるような人間には会ったことはない。一見してヤクザと分かるような風体をしていなかっただけなのかもしれないが。
とにかく今までは確かに反社会的組織の構成員を名乗って近づいて来た人間はいなかった。まあ、普通は意味なく名乗りはしないだろうけど。
「あのスナックの店主はあんたが世久の当主と知らなかったみたいだったから、あの後マスターともめただろうな。世久の当主をヤク中にしようなんて、守り神を怒らせるような自殺行為の現場に自分の店を貸したとしたら、災いが降りかかるかもしれないんだから」
マスターがあの店で隆志を名前で呼び『世久』の名を出さなかったのは、そういう意味で店主に知られたくなかったためだったのか。隆志が世久の当主と分かれば、多分マスターの企みを止めただろう。誰だってとばっちりはごめんだ。
もし拓司が来て助けてくれなければ隆志は薬を摂取してヤク中になり、世久の財を湯水のごとく薬に注ぎ込んでいた。
隆志が単なる資産家だったなら、金が尽きるか薬で死ぬかのどちらかだけだったが、世久家には与姫がいる。世久の田を守る与姫は田を荒らす者を許しはしない。
本当に自分は言動に気をつけないと周りの人間に害が出るのだと隆志は暗澹たる気分になった。
そして今更ながらようやくある事実に気づいた。
「――そうだ。君は何故僕があの店にいるって分かったんだ?」
隆志の問いに、拓司は真道と詩織の二人と顔を見合わせ、ため息をついた。
「信じられないかもしれないけど……俺たちは普通の人には見えないものが視えて、聞こえないものが聞こえるんだよ」
つまり霊感がとても強いということなのか。
「俺たち…ということは、三人とも?」
彼らは揃って頷いた。
「さすが寺の血筋……」
隆志は褒めたつもりだったが、笑ったのは真道一人で、拓司も詩織も複雑な顔をした。
「まあ、それで、詩織の力が一番強くて――」
昨日の夜中に、寝ていたはずの詩織が突然泣いて拓司の部屋へ駆け込んできたという。
――あのお兄さんが危ないって言うの。お願い、助けてあげて
「――ちょっと待って。僕が危ないって、誰が」
「お兄さんが持ってきた遺骨の人。……お母さんですよね? 顔がどことなく似てます」
確かに子供の頃の隆志は父より母に似ていると言われていたが――。
目を見開いた隆志に、真道が苦笑した。
「真夜中に拓司が『袈裟と数珠を貸してくれ』と言い出すから、何事かと思いましたよ。寺は継がないとずっと言い続けていたのに、ようやくその気になってくれたのかと喜んだんですがね」
「なるか。絶対嫌だ。でも、仕方なかったんだよ。形だけでもそれなりに整えれば、心構えが強まる。自意識を強く保つ覚悟をしてからでないと、あんたには近づきたくなかったからな」
「僕に近づきたくないって……どうして」
隆志が問うと、拓司は顔をしかめた。
「あんたの周りは何て言うか……濁ってるんだ。その濁りがあんたも、あんたに近づく者も――狂わせる」
そしてそれが原因でまた濁りがひどくなっていくのだと言う。
「よく考えてみなよ、世久家を継いだ後の自分を。それまでの自分のものの考え方と違ってなかったか? 付き合う人間の種類も変わってなかったか?」
言われてみれば、確かにおかしかった。
以前の自分だったら――金で友達を使おうなど考えなかった。金のある友達にたかって遊ぼうとするような人間は軽蔑して、関わり合いたくなかった。金があれば何をやっても許されるなんて思わなかった。
何より、自分には金目当ての者しか寄って来ないと決めつけていた。
おかしいと考えなかったこと自体、変だったのだ。
機嫌の好さそうな、飼い主に散歩を求めて甘えているような鳴き声だ。
ああ、自分も犬を飼いたい。昔から動物は好きだった。
――大型犬はやめとけ。手間がかかる
でも寂しいんだ。寂しくて、抱きしめられる温もりが欲しいんだ。
人は駄目だ。人は死ぬ。
みんな、死んでしまう。
それは与姫がこぼした言葉だ。
神も――寂しいのだろうか。
だからあの家も寂しいのだろうか。
目を覚ますと、柔らかな布団の中だった。
「……どこだ、ここは」
独り言のつもりで呟いた言葉に、
「俺ん家の、俺の部屋」
すぐ横からはっきりした声で返答があった。
声がした方を見ると、眠そうな顔の拓司が隣に敷いた蒲団の上に座っていた。
「……どうして」
のろのろと起き上がった隆志の問いかけに答えず、彼は面倒くさそうに長髪の頭をガリガリ掻いた。
「話は後。まず飯食おうぜ。俺、真夜中に重労働させられたおかげで腹減って」
「真夜中って――昨日の、あの、乱暴なお坊さん。あれって」
長髪の僧侶の正体は、拓司だった。昨夜は酷く酒に酔っていたし、店内も暗かったので気がつかなかった。
「何なんだよ! こんなところに無理やり連れてきて、いきなり殴ったり、水をぶっかけたり」
怒鳴る隆志を、彼は冷ややかに笑って見た。
「怒るより先に、服着ろよ」
「――は? ああっ!」
隆志は全裸だった。
「あんたの服は洗濯中。とりあえず、それ着といて」
枕元に彼の物らしい服と下着があった。怒りを途中で挫かれて、しかも服まで借りた後では改めて怒る気になれず、そのまま彼に案内されて顔を洗い、ついていくと、
「おはようございます」
朝食が並んだ食卓の前に真道が座っていた。隣にはあの詩織という女の子がいて、少し緊張した顔で会釈した。
朝食は美味かった。病気の実母の看病のため里帰りしていて留守の真道の妻の代わりに、全部詩織が作ったのだと言う。
隆志が褒めると、詩織ははにかんで笑った。内気そうではあるが、過剰に神経質であるとは思えない、普通の女子中学生だった。
腹が落ち着いた後、隆志は拓司から昨夜のことについて聞かされた。
「あんたはあの男の罠にかかる寸前だったんだよ」
拓司は不機嫌に言い捨てた。
「あいつが持ってたのは多分、覚せい剤の類だ」
甘言でそれを隆志に摂取させて、ヤク中にするつもりだったのだろうと言う。あのマスターは裏でその筋の人間とつながりがあるとの噂がある男なのだそうだ。
「何故、そんな」
「世久の当主様なら、薬を買うのに際限なく金出してくれるからだろう。それに店が火事になったのは世久家の守り神のせいだと思って、あんたに復讐してやりたいって気もあったのかもな」
「復讐?」
マスターに恨まれるような心当たりがない隆志が首を傾げると、拓司は苦笑して訂正した。
「あー、復讐、じゃなくてこの場合は逆恨みというべきだな」
拓司はマスターが自分の店の火事は世久の守り神の仕業だと思っているのだろうと言う。
「この町で商売してる人間は大抵世久家の言い伝えを知っている。当然マスターもどこからか耳にしてたはずだ。世久家に対してまっとうな商売をしていれば守り神を恐れることはない。それなのにもし店が燃えたのは守り神のせいと思ったのなら、思うだけの事が実はあったんじゃないか? 例えば会計を水増ししてたとか」
多分マスターは言い伝えを知ってたとしても、所詮は伝説だと信じてなかったのかもしれない。
「金だけは腐るほど持ってる世間知らずの若い当主は搾取するには丁度良かったんだろう」
しかし与姫は見逃してはくれなかった。世久の守り神は世久の田の稲を食う虫は無慈悲に排除する。が、マスターの命までは取らなかったのだから、彼が詐取していたとしてもそれほど大きな金額ではなかったのだろう。
「折角神樣が軽い罰で見逃してくれたっていうのに、当主をヤク漬けにして金を吐き出させるようなことにしてたら今度こそ命がなかっただろうよ。いや、もしかしてもう自暴自棄になってあんたと共倒れ覚悟だったのかも」
「……あのマスター、色々よくしてくれて……良い人だと思ってたんだけど……」
「商売人として世久の当主に媚びてただけだろ」
拓司が呆れたように言う。
「そんなおめでたい頭で、よくもまあ今まで無事だったもんだな。これからは気をつけろよ。特に、反社組織の人間は近寄らせるな。奴らから見れば、あんたなんかいくらでも騙して金を毟れる絶好のカモなんだから」
「いや、それは大丈夫だ。少なくともこの辺の古参のヤクザなら、絶対世久には手を出さないから」
真道が苦笑いし、首を横に振った。
「総一郎さんの時代に、言い伝えを信じなかった新興の組が一つ壊滅寸前にまでなったそうだから」
この町の利権に食い込むため、その拠点作りに世久の土地を騙し取ろうとしたが、十日ほどの間に組長と組員が病気や事故や自殺で次々に死に、組の系列から来た代行の者まで総勢十二名が亡くなったという。
「じゅ、十二人もですか?」
「ええ、一人や二人の不幸なら偶然と思えるでしょうけど、短期間に関係者ばかり二桁の死者ですからね。しかも死んだ人間の何人かが、死ぬ前に『赤い着物を着た少女を見た』と話している。いくら威勢の良いヤクザでもビビりますよ」
さすがに言い伝えは本当だったと身に染みたらしく、その時にこの寺の住職だった真道の父が組の関係者から世久家との仲介役を頼まれて橋渡しし、組に残った者全員で世久家へ詫びを入れに行ったそうだ。
「今後一切世久には手を出さないとの念書を世久家へ差し出して、組員は全員この町から退去して、それで一応収まったようです」
その話が裏社会に広まり、今では『世久の本家には手出し厳禁』が不文律になっているらしい。
「ヤクザという人種は良くも悪くも約束事には結構律儀なんですよ。何より利に聡いから割に合わないことはやらない。ヤクザこそ世久には寄りつきませんよ」
そういえば事故死した片岡は元暴走族の頭ではあったがヤクザではなく、交友関係も隆志が知る限り暴走族の昔の仲間か飲み屋やパチンコ店で知り合った者たちだった。
マスターの方の人脈はよく知らないが、少なくとも店でヤクザと思えるような人間には会ったことはない。一見してヤクザと分かるような風体をしていなかっただけなのかもしれないが。
とにかく今までは確かに反社会的組織の構成員を名乗って近づいて来た人間はいなかった。まあ、普通は意味なく名乗りはしないだろうけど。
「あのスナックの店主はあんたが世久の当主と知らなかったみたいだったから、あの後マスターともめただろうな。世久の当主をヤク中にしようなんて、守り神を怒らせるような自殺行為の現場に自分の店を貸したとしたら、災いが降りかかるかもしれないんだから」
マスターがあの店で隆志を名前で呼び『世久』の名を出さなかったのは、そういう意味で店主に知られたくなかったためだったのか。隆志が世久の当主と分かれば、多分マスターの企みを止めただろう。誰だってとばっちりはごめんだ。
もし拓司が来て助けてくれなければ隆志は薬を摂取してヤク中になり、世久の財を湯水のごとく薬に注ぎ込んでいた。
隆志が単なる資産家だったなら、金が尽きるか薬で死ぬかのどちらかだけだったが、世久家には与姫がいる。世久の田を守る与姫は田を荒らす者を許しはしない。
本当に自分は言動に気をつけないと周りの人間に害が出るのだと隆志は暗澹たる気分になった。
そして今更ながらようやくある事実に気づいた。
「――そうだ。君は何故僕があの店にいるって分かったんだ?」
隆志の問いに、拓司は真道と詩織の二人と顔を見合わせ、ため息をついた。
「信じられないかもしれないけど……俺たちは普通の人には見えないものが視えて、聞こえないものが聞こえるんだよ」
つまり霊感がとても強いということなのか。
「俺たち…ということは、三人とも?」
彼らは揃って頷いた。
「さすが寺の血筋……」
隆志は褒めたつもりだったが、笑ったのは真道一人で、拓司も詩織も複雑な顔をした。
「まあ、それで、詩織の力が一番強くて――」
昨日の夜中に、寝ていたはずの詩織が突然泣いて拓司の部屋へ駆け込んできたという。
――あのお兄さんが危ないって言うの。お願い、助けてあげて
「――ちょっと待って。僕が危ないって、誰が」
「お兄さんが持ってきた遺骨の人。……お母さんですよね? 顔がどことなく似てます」
確かに子供の頃の隆志は父より母に似ていると言われていたが――。
目を見開いた隆志に、真道が苦笑した。
「真夜中に拓司が『袈裟と数珠を貸してくれ』と言い出すから、何事かと思いましたよ。寺は継がないとずっと言い続けていたのに、ようやくその気になってくれたのかと喜んだんですがね」
「なるか。絶対嫌だ。でも、仕方なかったんだよ。形だけでもそれなりに整えれば、心構えが強まる。自意識を強く保つ覚悟をしてからでないと、あんたには近づきたくなかったからな」
「僕に近づきたくないって……どうして」
隆志が問うと、拓司は顔をしかめた。
「あんたの周りは何て言うか……濁ってるんだ。その濁りがあんたも、あんたに近づく者も――狂わせる」
そしてそれが原因でまた濁りがひどくなっていくのだと言う。
「よく考えてみなよ、世久家を継いだ後の自分を。それまでの自分のものの考え方と違ってなかったか? 付き合う人間の種類も変わってなかったか?」
言われてみれば、確かにおかしかった。
以前の自分だったら――金で友達を使おうなど考えなかった。金のある友達にたかって遊ぼうとするような人間は軽蔑して、関わり合いたくなかった。金があれば何をやっても許されるなんて思わなかった。
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