不労の家

千年砂漠

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30 対決

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 木箱を抱えて立つ隆志を現実に引き戻したのは、廊下を走ってくる荒い足音だった。
「見つけたぞお! 隆志!」
 斧を振りかぶった人影は良樹だった。あまりの速さに隆志は逃げることができなかった。
 振り下ろされる斧に、隆志は何も考えられず咄嗟に、手に持った木箱で防御した。
 普通なら木箱と共に頭まで割られているところだ。が、斧の刃はまるで鉄の塊に打ち込んだように音を立てて弾かれた。
 その勢いで良樹は無様に廊下にひっくり返った。隆志はその隙に良樹の横を駆け抜けて逃げた。
 真っ暗な廊下を勘だけを頼りに走る。後からは良樹の足音が追いかけてきていた。
 隆志は手近な部屋へ飛び込み、その部屋の押入れに隠れた。良樹は気づかず通り過ぎたようだった。
 呼吸を整えながら、これからどうするか懸命に考える。このまま夜が明けるまで逃げ回っても、事態は好転しそうになかった。拓司の言うように世久家の業が屋敷を取り巻いているのだったら、自分が死ぬまで結界は解けない気がする。ならば明るくなり見つかりやすくなればなおさら危険ということだ。
 拓司は無事だろうか。彼が簡単に死ぬわけないと思う一方で、誰かに見つかり殺されてしまっているのではと悪い想像も働く。
 この木箱さえ開けば、帯を与姫に返して神の田に帰ってもらえて、世久家の業も解かれるに違いないのに。そうすればきっと狂っている伯母一家も明子も、正気に戻る。
 ――解呪の方法を記したものが世久家のどこかに
 もしかしたら、あのしきたりの書の中に手がかりがあるのではないか。しきたりの書は住んでいる棟の押入れに入れてある。取りに戻らなければ。
 隆志は勇気を振り絞り、押入れを出た。慎重に辺りを窺いながら、自分の棟へと歩く。自分の呼吸すら、待ち伏せしている誰かの呼吸のように聞こえ、緊張のあまり何度も吐きそうになった。
 幸い誰にも出くわすことなく自分の棟の押入れまでたどり着けた。押入れのしきたりの書を取ると、今度は読むために懐中電灯を捜そうと振り返ると、
「こんなところにいた」
 真紀子が闇の中に立っていた。
「早く死になさいよお!」
 真紀子は手にした鉈をめちゃくちゃに振り回し、隆志に斬りつけてきた。隆志が避けた後には鉈で切った痕が残る。
「僕を殺しても、その後無事に済むと思ってるのかっ!」
 隆志が怒鳴ると、真紀子はぴたりと攻撃を止めた。
「僕を殺しても死体はどうする! この屋敷に残る争った跡はどうするんだっ!」
「簡単よお」
 真紀子は愉快そうに高笑いした。
「ぜーんぶ、燃やせばいいのよ」
 言われて――気づいた。何かを燃やすような臭いがする。
 母屋の方から炎と煙が立ち上がっていた。
「あんたは世久家当主の重圧でノイローゼになって屋敷で暴れ回って、祖母も殺して放火した挙句、自分もその火事で死ぬのよ」
「僕は背中に傷を負ってるぞ。それはどうする」
「だったら、死体はどこかに埋めて隠すわ。火事から逃げて、行方不明ってことにする」
 火事の煙が隆志の棟まで流れ込んできた。
「だからやっぱりあなたはここで死んで!」
 早口に言って真紀子が切りかかってきた。隆志は鉈を木箱で防ぐ。何度も凶刃を防いだが、真紀子の渾身の一撃で木箱を弾き飛ばされた。
 次に襲い来た刃を思わず腕で防御し、右腕を大きく斬られた。激痛に耐えながら、隆志は木箱を拾って真紀子の横を走りぬけ、廊下へ出た。
 廊下は既に煙にまかれていた。隆志は煙の中を突き進んで走る。自殺行為かもしれないが、その分真紀子は追ってはこないだろう。
 思った通り、真紀子は追っては来なかった。その代わり隆志もそれ以上進めなかった。煙に巻かれ苦しくてたまらず近くの部屋の襖を開けて飛び込む。幸い襖に遮られて部屋の中にはまださほど煙は入っていなかった。
 けれどいつまでもここにはいられない。煙が襖の隙間から徐々に入り込んできていた。そのうち煙だけでなく火に巻かれて死ぬことになる。部屋の中は夏の暑さとは違う熱気に侵され始めていた。
「――ああっ、しまった」
 隆志は自分の失態に気づいた。しきたりの書をあの部屋に落としてきてしまったのだ。
 木箱の呪を解く、唯一の手がかりだったかもしれないのに。
 取りに戻らなければ、と頭では分かっているが、体がついてこない。腕も背中も、傷がひどく痛んだ。逃げ惑って体力も相当削られていた。
 それでも――こんなところで死にたくない。
 隆志は全身の気力を振り絞って立ち上がった。そこへ、
「追いかけっこはもうおしまいよ」
 襖が開き、光と煙と共に四人の黒い影が部屋に入ってきた。
 懐中電灯の光に晒された隆志は無意識に木箱を胸に抱えて後ずさりした。下がって、下がって、部屋の隅まで追い詰められた。
 畳には隆志の腕と背中から流れた血が点々とついていた。彼らは隆志の血の跡を追って探し出したのだ。
 血……世久家の血。
 ――世久家の罪は世久家の血で洗い流すものと……
 罪は血で購う……もしかしたら。
 隆志は咄嗟に自分の腕の血を木箱の蓋になすりつけた。

 途端、木箱が割れて、鮮やかに紅い帯が空中に舞い上がった。

 ――おおっ。わしの帯じゃ
 隆志と真紀子たちの間に与姫が立っていた。
「その帯、お返しします! どうぞ神の田にお戻りください!」
 隆志が叫ぶと、
「何を訳の分からないことを言ってんのよ!」
 真紀子が鉈で切りかかってきた。
 が、与姫が軽く振った袖に弾かれるように大きく後に跳ね飛んだ。真紀子だけでなく、他の三人も同様だった。
 ――お前は……わしに戻れと言うてくれるのか
 与姫は帯を抱きしめ、大きな目を潤ませた。
「はい。今までありがとうございました。……世久の家は僕で終わりにします」
 そうか、と与姫は頷き、
 ――帯を返してくれた礼をせねばならぬな。何がよい?
「いりません。先祖の悪行を許してくだされば、それで結構です。……ああ、でも、一つだけ聞いてくださるなら、僕とあの四人と外にいる僕の友達の命を助けてください」
 ――お前を殺そうとしたこの者たちも?
「はい。僕も伯母たちも同じ命です。僕には命を裁く権利はありませんから」
 与姫は微笑んでもう一度頷き、袖を振った。
 ――長き……長き滞在であったが、これでお暇する
 さらばじゃ、と柔らかな声と共に、視界が暗転した。


 気が付くと隆志は家の門の外にいた。
 高い塀越しに、屋敷が盛大に燃えている炎が見えた。
「浄化の炎……だな」
 声に振り向くと、拓司が地面に転がっていた。その向こうには伯母たちが気を失って倒れていた。
「木箱、開いたんだな。どうやった?」
 彼は何故自分がいきなり屋敷の外にいるのか問わず、それだけを聞いてきた。
 隆志は自分の血だらけの腕に目をやり、
「うん……あれは、世久の血で開く呪だったんだよ。木箱に血を擦り付けたら簡単に開いた」
 中に帯が入ってたよ、とほんのり笑んだ。
「そうか……帯を隠した二代目当主にも、やっぱり罪悪感はあったんだな」
 そんな解呪方法にしたのは、自分は豊かさへの欲を捨て切れず不当に神を縛り付けたが、子孫の誰かが正してくれることを願っていたからだろう、と彼は言う。
 例えそうでも、延々と三十二代目の自分まで解呪は行われなかった。
 できるものならば聞いてみたい、歴代の当主に。
 世久の富で、あなたの人生は本当に幸せだったのか、と。
 遠くから消防車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。
 隆志は拓司の傍に座り、サイレンを聞きながら燃え行く屋敷の炎をいつまでも見ていた。
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