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31 後始末
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消防の尽力も虚しく、世久家の屋敷は全焼した。幸いと言うべきか類焼はなく、被害は世久の屋敷の敷地内だけで済んだ。
隆志たち六人は病院へ運ばれ、その後伯母一家と明子は逮捕された。伯母たちは素直に罪を認め、反省しているという。
隆志は腕を十八針、肩から背中を三十針縫う怪我だったが、拓司の傷はもっと深刻で、もう少し深ければ生命も危ぶまれたところだった。
入院した隆志たちは病院で警察の事情聴取を受けた。隆志は迷いに迷った末にやはり秘匿を良しとせず、祖母が今際のきわに言い残したこととして、父が死ぬ間際に三十七年前の実兄の殺害を告白したことを警察に伝えた。
捜索の結果、裏庭の林の中から白骨遺体が見つかった。遺体は歯型から俊介と確認され、真道が世久家の墓に納めてくれた。
祖母の葬儀は永麓寺で行った。
祖母の遺体は火元の棟から遠い離れにあったことが幸いして、火に巻かれる前に消防隊員によって運び出されたため、火事の炎で無残に焼かれずに済んだ。
祖母は『世久家の者』としての派手な葬儀など喜ばないと分かっていたので密葬にし、世久の名に対しての義理の弔問客は全て遠慮してもらい、祖母が個人的に親しくしていた少数の人のみで祖母を見送った。
それでも弔電と献花は山のように来た。豪華な花が届けられる中で、一つだけ小さな花かごが届けられていた。淡い紫の花の送り主は、祖母が最期に呼んだ人の名前だった。
隆志はそれを祖母の御棺の中に入れた。祖母の寂しかった心が少しでも慰められることを祈りながら。
隆志は二週間で退院できたが、屋敷が燃えてしまい帰るところがなかった。どこか適当なところに家でも借りて住もうかと思って太田に相談していたら、丁度そこへ見舞いに来てくれた真道が自分の家に招いてくれた。
「退院してすぐ一人暮らしは心細いでしょうし、詩織も喜びますから」
その言葉に甘え、隆志は暫く真道の家に間借りすることにした。
真道の家に間借りした隆志の一番のお気に入りの場所は、本堂だった。
風通しがよくて涼しく、静かで、気持ちが落ち着く。詩織がよくここにいた気持ちがよく分かった。
「いいわ。病み上がりの隆志兄さんに、しばらくの間譲ってあげる」
そう言って詩織は本堂で隆志一人にしてくれた。体の傷は日ごとに癒えたが、心の傷はまだ癒えそうにない隆志への心遣いなのだろう。
涼やかな風に吹かれてうとうとと居眠りしていると、どこか近くの家で犬を飼っているのか、時折元気な鳴き声が聞こえてきた。そのせいか時々白い大きな犬が夢に現れて、嬉しげにふさふさした尾を揺らせ、隆志の心を慰めた。
与姫がいなくなって隆志の周りの歪みはきれいに消えたかというと、そうではないらしかった。世久家の業は長い時間をかけて積まれたものであるから、消え去るにもそれなりの時間がかかると真道は説いた。
本堂で一人、隆志は色々と考えた末にある結論を出し、それを弁護士の太田に伝えた。
すると次の日の夕方、真道と詩織が拓司の見舞いに行ったのと入れ替わるように、彼が隆志を訪ねてきた。
差し入れです、と太田はコンビニの袋を掲げて見せた。中にはペットボトルのジュースが入っていた。
「毎日暑いですね。こんな冷房もないところで、お体の方は大丈夫なんですか?」
本堂に上がる階段を上がりながら、太田は汗を拭いた。
「ええ。ここって結構涼しいんですよ」
「ああ、いい風が入りますね」
本堂に入った太田は、ぐるりと中を見回した。
「さすが歴史あるお寺ですね。空気まで違う気がしますよ」
「そうですか?」
隆志も同じように見回したが、さして他の寺と変わっているようにも思えなかった。
まあどうぞ、と太田はキャップを取ったコーラを隆志に差し出すと、自分はスポーツドリンクを一気に三分の一ほど飲んだ。
「……それで早速ですが、昨日の話は本気なんですか。世久家の資産を全て寄付してしまうというのは」
「はい……そうするのが一番いいと思うんです」
隆志は考え抜いて、世久家の財産を全て手放すと決めたのだった。
自分の引き継いだ世久家の財産は、自分が作り出したものではない。自分で汗水たらして働いて儲けたものでないものをどれほど多く持っていたとしても、幸せにはなれない気がした。
何より、その財産こそが世久家の業の元なのだから。
「だからできるだけ早く、財産の整理をしてもらいたいんですけど」
言いながら、手にしたペットボトルのコーラを何気なく飲もうとした時、
――駄目
一瞬、母の声がして、背後から白い手で口を塞がれた。
コーラを持ったまま固まった隆志を、太田が不思議そうに見た。
隆志は声も出せずにいると、後ろからもう一本白い手が出てきて隆志の手からコーラを引き抜いて床に落とした。
「どうしたんです、隆志さん」
太田は驚いたように問いかけながら、何故か右手をすいっと差し出した。その手に何か黒いものが握られている――と視認した時には、もう身体に強い衝撃を受けていた。
受身も取れず、隆志は本堂の床に倒れる。体が強く痺れていた。
「スタンガンですよ。市販のものですから、死ぬようなことはありません」
太田は身をかがめ、隆志に問いかけた。
「コーラを飲んでくれたら、これを使わず済んだんですけどねえ」
意味が分からなかった。口が利ける状態でもなかった。
「もしかして、コーラに薬を入れたのが分かったから、手が滑ったふりして捨てたんですか?」
ああ、だから飲まないように邪魔してくれたのだ――母が。
「相手がよそ見している隙に一服盛るのは、私の秘密の得意技だったんですけど」
まあいいか、と太田は笑った。
「隆志さんには、世間的には行方不明になってもらう予定なんです。だからここでは殺したりしませんよ。コーラに入れたのは単なる睡眠薬です。でも、飲んでくれなかったんだから仕方ありませんね。これも用意しておいてよかったですよ」
太田がもう一度隆志にスタンガンを押し当てる。ショックで意識が飛びそうになったが、辛うじて耐えた。
「あなたが資産を全部寄付に回すなんて言い出すから悪いんですよ」
言って、太田は隆志の腹を蹴る。
「いや、さっさと死んでくれなかったのがそもそもの誤算だった。私が画策した通りに死んでいてくれたら」
こんな手間かけずに済んだのに、と太田はもう一度隆志を蹴った。
「……かく……さく……?」
上手く動かない口でようやく隆志が問いかけると、
「そうだよ」
太田はがらりと口調を変えた。
「何のためにお前に免許を取れって薦めたと思ってるんだ。初心者がスピード出しすぎて事故死、なんてよくある話で死んでもらうためだったんだよ。都合のいいことにろくでもない友達が大勢できたようだから、免許を取ればすぐにやつらとドライブにでも行くだろうと、世久の車に事故って死ぬように細工しておいた。なのに何だ、遊び呆けて免許を取らないなんて。それならとお前に近づく女の子の一人に金をやって、『クラップ』へ誘わせたよ。あそこのマスターならそのうちきっと、お前にドラッグを流すだろうと期待していたのに、先に店の方がなくなりやがった」
ドラッグの方は太田の思惑通りになりかけたけれど。
「それで今度は、真紀子を使うことにした。真紀子の会社が倒産寸前なのは分かっていたから、お前に立て直す資金を出させなかったら、切羽詰ってお前を殺してでも当主の座を取るだろう、と。時機を見て、俺は架空の事件の話を世間話に交えてしてやったよ。孫が資産家の祖父を殺して、その後家に火をつけて死んだって話だ。『孫一人が本当に祖父を殺したのか疑わしいところもあるが、何もかも燃えてしまって証拠がないから、それで事件は終わりそうだ』なんて言ってやったら、目を光らせて聞いてたよ。案の定、同じことをしようとしやがった。お前さえ死ねば、真紀子たちは殺人罪で潰せた。もっとうまくいけばみんな焼け死んでくれてた。なのに生き残るなんて」
「……何故……そんな」
隆志は問いかけて時間を稼ぐ。太田が得意げに長々としゃべってくれたおかげて、少し身体の痺れが取れてきていた。
あともうちょっと、時間が欲しい。しかし、
「これから死ぬ人間は、知らなくていいことだよ」
太田は鼻で笑って、スタンガンを握り直した。
「今度目が覚めたら、どこかの土の中だ。安心して気絶しろ」
逃げようと足掻いた隆志の手に、何か硬い物が障った。今は使っていない古い花立だった。一か八かそれを握り、太田の向こう脛に思い切り叩きつけると太田はひっくり返り、脚を抑えてのたうちまわった。
その隙に隆志は本堂の外へ逃げようとした。が、脚が震えて走るどころかうまく立つことさえできなかった。それでも這うようにして外へと逃げる。
必死に本堂の入り口まで辿り着き、助けを呼ぼうと叫びかけた時、再び強いショックが身体を貫いた。
「無駄だよ。どんなに呼んでも誰も来ない。住職は留守だって門に張り紙してきたからな」
朦朧とする隆志の目に、寺の門が閉じているのが見えた。
「それに、本当に住職は夜まで帰ってこないよ」
『隆志さんがお世話になっているお礼に、今日の夕食はここでどうぞ』と書いた手紙を添えた町内のレストランの食事券を、事務所の女性事務員に見舞いに行った真道へ渡しに行かせた。レストランには予約がしてあり、事務員には真道達をレストランまで車で送るよう言いつけてある。
「俺はお前の気晴らしにどこかへ食事しに誘うって話になってる。でも、お前は身内に殺されかけたショックで塞ぎこんでいて『一人にして欲しい』と俺と食事には出かけなかった。心配しながらも俺は事務所に帰り、仕事を続けていると、お前からメールが入る。『ここを離れて、一人で色々考えてみたい。帰るまで財産の管理は太田弁護士事務所に全て任せる』と。――お前は家出して、そのまま行方不明になるんだよ」
そう言って、太田は顔をしかめて苛々と脚をさすった。
「……そんなに……うまく……いくものか」
突然自分がいなくなれば、真道たちが絶対に怪しむ。
「いくさ。人が胸の内に抱えている思いなんて、他人には分からない」
嫌になるほど身に滲み過ぎた真理を、彼からも聞かされるとは。
「それに、世久の長男だってずっと行方不明で通ってたじゃないか」
太田が笑ってスタンガンを構えた、その時。
本堂の奥から何か白いものが飛ぶように走ってきて、太田を突き飛ばした。
太田は無防備に本堂の階段を下まで一気に転げ落ちた。
隆志はのろのろと身体を引きずり、落ちた太田の姿を確認する。太田は頭でも打ったのか完全に意識を失っているようだった。
その横に――犬がいた。
白い大きな犬が、隆志を見上げて尻尾を振っていた。何度か夢で見た犬とそっくりの。
犬はとっとっと階段を上がって隆志の傍に来ると、一際大きく尻尾を振って。
消えた。
「隆志兄さん!」
寺の門の脇戸が開いて、真道と詩織が走ってくるのが見えた。
隆志は二人に手を振ろうとして――気を失った。
隆志たち六人は病院へ運ばれ、その後伯母一家と明子は逮捕された。伯母たちは素直に罪を認め、反省しているという。
隆志は腕を十八針、肩から背中を三十針縫う怪我だったが、拓司の傷はもっと深刻で、もう少し深ければ生命も危ぶまれたところだった。
入院した隆志たちは病院で警察の事情聴取を受けた。隆志は迷いに迷った末にやはり秘匿を良しとせず、祖母が今際のきわに言い残したこととして、父が死ぬ間際に三十七年前の実兄の殺害を告白したことを警察に伝えた。
捜索の結果、裏庭の林の中から白骨遺体が見つかった。遺体は歯型から俊介と確認され、真道が世久家の墓に納めてくれた。
祖母の葬儀は永麓寺で行った。
祖母の遺体は火元の棟から遠い離れにあったことが幸いして、火に巻かれる前に消防隊員によって運び出されたため、火事の炎で無残に焼かれずに済んだ。
祖母は『世久家の者』としての派手な葬儀など喜ばないと分かっていたので密葬にし、世久の名に対しての義理の弔問客は全て遠慮してもらい、祖母が個人的に親しくしていた少数の人のみで祖母を見送った。
それでも弔電と献花は山のように来た。豪華な花が届けられる中で、一つだけ小さな花かごが届けられていた。淡い紫の花の送り主は、祖母が最期に呼んだ人の名前だった。
隆志はそれを祖母の御棺の中に入れた。祖母の寂しかった心が少しでも慰められることを祈りながら。
隆志は二週間で退院できたが、屋敷が燃えてしまい帰るところがなかった。どこか適当なところに家でも借りて住もうかと思って太田に相談していたら、丁度そこへ見舞いに来てくれた真道が自分の家に招いてくれた。
「退院してすぐ一人暮らしは心細いでしょうし、詩織も喜びますから」
その言葉に甘え、隆志は暫く真道の家に間借りすることにした。
真道の家に間借りした隆志の一番のお気に入りの場所は、本堂だった。
風通しがよくて涼しく、静かで、気持ちが落ち着く。詩織がよくここにいた気持ちがよく分かった。
「いいわ。病み上がりの隆志兄さんに、しばらくの間譲ってあげる」
そう言って詩織は本堂で隆志一人にしてくれた。体の傷は日ごとに癒えたが、心の傷はまだ癒えそうにない隆志への心遣いなのだろう。
涼やかな風に吹かれてうとうとと居眠りしていると、どこか近くの家で犬を飼っているのか、時折元気な鳴き声が聞こえてきた。そのせいか時々白い大きな犬が夢に現れて、嬉しげにふさふさした尾を揺らせ、隆志の心を慰めた。
与姫がいなくなって隆志の周りの歪みはきれいに消えたかというと、そうではないらしかった。世久家の業は長い時間をかけて積まれたものであるから、消え去るにもそれなりの時間がかかると真道は説いた。
本堂で一人、隆志は色々と考えた末にある結論を出し、それを弁護士の太田に伝えた。
すると次の日の夕方、真道と詩織が拓司の見舞いに行ったのと入れ替わるように、彼が隆志を訪ねてきた。
差し入れです、と太田はコンビニの袋を掲げて見せた。中にはペットボトルのジュースが入っていた。
「毎日暑いですね。こんな冷房もないところで、お体の方は大丈夫なんですか?」
本堂に上がる階段を上がりながら、太田は汗を拭いた。
「ええ。ここって結構涼しいんですよ」
「ああ、いい風が入りますね」
本堂に入った太田は、ぐるりと中を見回した。
「さすが歴史あるお寺ですね。空気まで違う気がしますよ」
「そうですか?」
隆志も同じように見回したが、さして他の寺と変わっているようにも思えなかった。
まあどうぞ、と太田はキャップを取ったコーラを隆志に差し出すと、自分はスポーツドリンクを一気に三分の一ほど飲んだ。
「……それで早速ですが、昨日の話は本気なんですか。世久家の資産を全て寄付してしまうというのは」
「はい……そうするのが一番いいと思うんです」
隆志は考え抜いて、世久家の財産を全て手放すと決めたのだった。
自分の引き継いだ世久家の財産は、自分が作り出したものではない。自分で汗水たらして働いて儲けたものでないものをどれほど多く持っていたとしても、幸せにはなれない気がした。
何より、その財産こそが世久家の業の元なのだから。
「だからできるだけ早く、財産の整理をしてもらいたいんですけど」
言いながら、手にしたペットボトルのコーラを何気なく飲もうとした時、
――駄目
一瞬、母の声がして、背後から白い手で口を塞がれた。
コーラを持ったまま固まった隆志を、太田が不思議そうに見た。
隆志は声も出せずにいると、後ろからもう一本白い手が出てきて隆志の手からコーラを引き抜いて床に落とした。
「どうしたんです、隆志さん」
太田は驚いたように問いかけながら、何故か右手をすいっと差し出した。その手に何か黒いものが握られている――と視認した時には、もう身体に強い衝撃を受けていた。
受身も取れず、隆志は本堂の床に倒れる。体が強く痺れていた。
「スタンガンですよ。市販のものですから、死ぬようなことはありません」
太田は身をかがめ、隆志に問いかけた。
「コーラを飲んでくれたら、これを使わず済んだんですけどねえ」
意味が分からなかった。口が利ける状態でもなかった。
「もしかして、コーラに薬を入れたのが分かったから、手が滑ったふりして捨てたんですか?」
ああ、だから飲まないように邪魔してくれたのだ――母が。
「相手がよそ見している隙に一服盛るのは、私の秘密の得意技だったんですけど」
まあいいか、と太田は笑った。
「隆志さんには、世間的には行方不明になってもらう予定なんです。だからここでは殺したりしませんよ。コーラに入れたのは単なる睡眠薬です。でも、飲んでくれなかったんだから仕方ありませんね。これも用意しておいてよかったですよ」
太田がもう一度隆志にスタンガンを押し当てる。ショックで意識が飛びそうになったが、辛うじて耐えた。
「あなたが資産を全部寄付に回すなんて言い出すから悪いんですよ」
言って、太田は隆志の腹を蹴る。
「いや、さっさと死んでくれなかったのがそもそもの誤算だった。私が画策した通りに死んでいてくれたら」
こんな手間かけずに済んだのに、と太田はもう一度隆志を蹴った。
「……かく……さく……?」
上手く動かない口でようやく隆志が問いかけると、
「そうだよ」
太田はがらりと口調を変えた。
「何のためにお前に免許を取れって薦めたと思ってるんだ。初心者がスピード出しすぎて事故死、なんてよくある話で死んでもらうためだったんだよ。都合のいいことにろくでもない友達が大勢できたようだから、免許を取ればすぐにやつらとドライブにでも行くだろうと、世久の車に事故って死ぬように細工しておいた。なのに何だ、遊び呆けて免許を取らないなんて。それならとお前に近づく女の子の一人に金をやって、『クラップ』へ誘わせたよ。あそこのマスターならそのうちきっと、お前にドラッグを流すだろうと期待していたのに、先に店の方がなくなりやがった」
ドラッグの方は太田の思惑通りになりかけたけれど。
「それで今度は、真紀子を使うことにした。真紀子の会社が倒産寸前なのは分かっていたから、お前に立て直す資金を出させなかったら、切羽詰ってお前を殺してでも当主の座を取るだろう、と。時機を見て、俺は架空の事件の話を世間話に交えてしてやったよ。孫が資産家の祖父を殺して、その後家に火をつけて死んだって話だ。『孫一人が本当に祖父を殺したのか疑わしいところもあるが、何もかも燃えてしまって証拠がないから、それで事件は終わりそうだ』なんて言ってやったら、目を光らせて聞いてたよ。案の定、同じことをしようとしやがった。お前さえ死ねば、真紀子たちは殺人罪で潰せた。もっとうまくいけばみんな焼け死んでくれてた。なのに生き残るなんて」
「……何故……そんな」
隆志は問いかけて時間を稼ぐ。太田が得意げに長々としゃべってくれたおかげて、少し身体の痺れが取れてきていた。
あともうちょっと、時間が欲しい。しかし、
「これから死ぬ人間は、知らなくていいことだよ」
太田は鼻で笑って、スタンガンを握り直した。
「今度目が覚めたら、どこかの土の中だ。安心して気絶しろ」
逃げようと足掻いた隆志の手に、何か硬い物が障った。今は使っていない古い花立だった。一か八かそれを握り、太田の向こう脛に思い切り叩きつけると太田はひっくり返り、脚を抑えてのたうちまわった。
その隙に隆志は本堂の外へ逃げようとした。が、脚が震えて走るどころかうまく立つことさえできなかった。それでも這うようにして外へと逃げる。
必死に本堂の入り口まで辿り着き、助けを呼ぼうと叫びかけた時、再び強いショックが身体を貫いた。
「無駄だよ。どんなに呼んでも誰も来ない。住職は留守だって門に張り紙してきたからな」
朦朧とする隆志の目に、寺の門が閉じているのが見えた。
「それに、本当に住職は夜まで帰ってこないよ」
『隆志さんがお世話になっているお礼に、今日の夕食はここでどうぞ』と書いた手紙を添えた町内のレストランの食事券を、事務所の女性事務員に見舞いに行った真道へ渡しに行かせた。レストランには予約がしてあり、事務員には真道達をレストランまで車で送るよう言いつけてある。
「俺はお前の気晴らしにどこかへ食事しに誘うって話になってる。でも、お前は身内に殺されかけたショックで塞ぎこんでいて『一人にして欲しい』と俺と食事には出かけなかった。心配しながらも俺は事務所に帰り、仕事を続けていると、お前からメールが入る。『ここを離れて、一人で色々考えてみたい。帰るまで財産の管理は太田弁護士事務所に全て任せる』と。――お前は家出して、そのまま行方不明になるんだよ」
そう言って、太田は顔をしかめて苛々と脚をさすった。
「……そんなに……うまく……いくものか」
突然自分がいなくなれば、真道たちが絶対に怪しむ。
「いくさ。人が胸の内に抱えている思いなんて、他人には分からない」
嫌になるほど身に滲み過ぎた真理を、彼からも聞かされるとは。
「それに、世久の長男だってずっと行方不明で通ってたじゃないか」
太田が笑ってスタンガンを構えた、その時。
本堂の奥から何か白いものが飛ぶように走ってきて、太田を突き飛ばした。
太田は無防備に本堂の階段を下まで一気に転げ落ちた。
隆志はのろのろと身体を引きずり、落ちた太田の姿を確認する。太田は頭でも打ったのか完全に意識を失っているようだった。
その横に――犬がいた。
白い大きな犬が、隆志を見上げて尻尾を振っていた。何度か夢で見た犬とそっくりの。
犬はとっとっと階段を上がって隆志の傍に来ると、一際大きく尻尾を振って。
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