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秘密の過去 その2
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翌日、計画は実行された。
美国と親しくない旭がやってきて、いきなり罪を糾弾された担任は初めは笑ってとぼけていたが、証拠を挙げられると豹変した。
――お前も何も言えないようにしてやる
そう言って担任はいきなり旭の首を絞めたのだ。
瞬時に機転を利かせたのは、瞬だった。窓の外から様子を見ていた瞬が石で窓ガラスを割り、「何やってんだ!」と叫んだ。次いで大樹が顔を出して後ろを振り返り、「大変だ! みんな、来てくれ!」と大声を出した。背後には誰もいないのだが、地元の剣道クラブに入っている大樹の叫びは、担任に他にも仲間がいると想像させるには十分だった。
旭から手を放し、慌てた担任が窓の方へ歩み寄ろうとした隙に広海がドアを開け、咳き込んでうずくまる旭の手を引いて逃げた。
校門の外に置いていた自転車の後に旭を乗せて走り出すと、後から瞬と大樹も追いかけてきたが、担任は追ってこなかった。しかし、作戦は完全に失敗だった。
そのまま神社に行き、待っていた美国に全部話すと、美国は目を赤くして喉を擦る旭に抱きついて泣いた。
「ごめん。ごめんね。私のせいで、そんな恐い目に遭って」
もういい、私が全部我慢するからもういい、と美国は呻くように泣いた。
「私、もう、完全に、頭にきた」
旭は目元を乱暴に拭った拳を振るわせた。
「こうなったら、私が被害者になる」
「被害者になるって、もうすでに立派な被害者だろ。首絞められたんだし」
顔をしかめた瞬に、旭は首を振った。
「違う。吉沢さんがされたことを、私がされたことにして、お父さんに話す」
ここで初めて旭は他の四人に、自分の父が刑事であることを告げた。
「で、でも、そんなことをして、もし嘘がばれたら……ううん、ばれなかったら尚更、早川さんが傷つく。そんなのやめて」
美国は懸命に旭を思い止まらせようとしたが、広海は色々と考えを巡らせ、旭の案を推した。
「いや、やってみる価値があると思う。相手は力も世間の信用もある大人だ。子供のぼくたちだけじゃどうしようもない。美国のお父さんなら性犯罪の被害者の辛さが他の人よりは分かっていると思うから、もしかしたら上手くいくかも知れない」
広海は美国に向き直り、もう一度確認した。
「本当にあいつがいなくなるだけでいい? 逮捕されて、刑務所に行くことにならなくてもいい?」
「いい。早川さんやみんなが傷つくくらいなら、そっちの方が全然いい」
何度も頷く美国をみて、広海は考えついた自分の計略をみんなに話した。全ては旭の演技にかかっている危ない橋だが、まだ旭の首に絞められた痕が残っている今でなければできない計画だった。
広海たちはしっかり打ち合わせをした。今度こそは失敗できないからだ。
そして、旭は父親に電話した。泣きながら「お父さん、助けて。誰にも、お母さんにも言わないで、今すぐ来て」と。
仕事中だったらしい父親は、それでも今までにない娘の切羽詰まった声に驚き、すぐに車で駆けつけてくれた。父が来ると旭は父に抱きついて、声を上げて泣いた。その姿はとても演技とは思えなかった。いくら気が強くてもやはり十二歳の少女で、頼れる父親の姿を見て気が緩んだのだろう。
泣きじゃくる旭に変わって、広海が自分の見た(ように装った)ことを旭の父に話した。
瞬たちと三人で遊んでいる内、明日提出のプリントを学校に忘れてきたと思い出したので取りに行った。そしてついでに中庭で落ちていたボールで遊んでいて、資料室の窓ガラスを割ってしまった。慌てて行って見ると、資料室の中で担任の先生が焦った様子でズボンをはいているところで、床では早川さんがうずくまって泣いていた。驚いてどうしたのかと聞くと早川さんがすごい勢いで逃げていったので回り込んで捕まえて、どう考えても尋常ではないため人目につかないこの神社裏に連れてきて事情を聞いた。女の子一人では心細いだろうと前田君と仲のいい吉沢さんに来てもらった。
そこまで話すと、旭の父は広海たちに少し二人きりにしてくれと頼んできた。広海たちは頷いて神社の表側に回ったが、美国は心細いからという旭の願いでその場に残った。
それから旭は美国の被害をそのまま自分の被害として父に訴える計画だった。美国は首を絞められてはいないが、旭には目に見える場所の被害があり、それを上乗せした分説得力があって嘘だと疑われないはずだと考えてのことだった。
暫くして美国が広海たちを呼びに来た。神社裏に行くと、旭の父がさすがに険しい顔で腕組みしていた。手には美国が持ってきた件の下着の入ったビニール袋を持っていた。
旭の父は広海たちを見て一つ大きくため息をついた。
「これから旭を連れて警察に行こうと思う。それで、悪いがみんな一緒に来て証言を」
来た、と覚悟した。ここから先は、もう旭に任せるしかないと腹をくくった。
「嫌! 警察には行かない!」
旭が顔をゆがめて叫んだ。
「そういうわけにはいかない。こんな卑劣な奴を野放しには」
説得する父の言葉をことごとく遮って、旭は強い拒否の言葉を連ねた。
「どうしても事件にするなら、死ぬから!」
旭は殺気さえ漂わせて、自分の父を睨みつけた。
「お父さんなら、事件にして話がみんなに知れたらどうなるか分かるでしょ? そうなったら自殺する! 絶対死んでしまうから!」
美国が旭の腕にしがみついて、声を上げて泣き出した。広海たちが狼狽して見守る中、旭の父はじっと娘を見つめていたが、呟くように聞いた。
「じゃあ、どうすればいい」
「あいつが学校からいなくなれば良い。二度とこの町に来なければ、それでいい」
父は暫く沈黙し、思考を巡らせていたようだが、やがて重々しく頷いた。
「わかった。ここからはお父さんに任せてくれ」
くれぐれも他言無用にと旭の父に頼まれ、その場で解散になった。とりあえず旭は病院に連れて行くと、父に連れられて帰って行った。
旭から電話があったのは、その日の夜遅くだった。
「大丈夫。お父さんが話をしたいから、みんなで明日の放課後家に来てくれないかって」
「うん。ぼくから連絡しておく」
そうは言ったものの、他のみんなは携帯電話など持っていない。連絡するには家の電話にかけるしかなく、小学生が同級生に電話するには少し遅い時間だったが、瞬と大樹に電話して旭の言付けを伝えた。そして迷いに迷って、美国にも電話をかけたが、家電には彼女の母親が出て、美国は熱を出して寝ていると言われた。
「すみません。じゃあ、伝言をお願いします。実は来週からやるグループ学習のテーマ決めでグループの中の二人が喧嘩になってしまって、吉沢さんにとても心配かけたと思うんですけど、さっきちゃんと仲直りしたって連絡があったので、大丈夫だから安心して明日学校に来てくださいって」
美国ならそれで本当の意味を分かってくれる。母親は「わざわざありがとう」と礼を言ってくれ、何も疑われずに済んだ。
翌日の月曜日、美国と旭は学校に来なかった。美国は発熱で、旭は扁桃腺を腫らしたという理由だった。
そして、担任も休みだった。代わりに来た教師がみんなに急病だと説明した。
放課後、旭の家を訪ねると父親が出迎えてくれた。旭は『病気』が治るまで納田市にある母親の実家へ行っていると言う。さすがに母親に秘密にしておくことはできなかったが旭の兄弟には知らせたくなかったのだろう。
美国は発熱で来られないと広海が告げると、彼は「君たちだけで良い」と頷き、昨夜の話をしてくれた。
昨日、娘を病院に連れて行き診断書を取った彼は「娘のことで重大な話がある。担任にも来てもらって欲しい」と校長に連絡し、学校の校長室で落ち合った。
旭の父から診断書を見せられ担任の所業を聞いた校長も仰天したが、担任も違う意味で驚いただろう。自分がしたことの相手がすり替わっているし、話の上で被害者が一人いなくなっている。しかし旭の父が現役の刑事ということもあって、調べられたら真実がすぐ露見すると彼は観念したのか、『被害者が一人だけの犯行』を認めた。
「それで、取引した。今回のことを事件にしない代わり、お前は今すぐ学校を辞めろ、と」
明日から三日間急病で休み、その後重大な病に罹っているのが分かって故郷で治療を受けるため退職。この筋書きを旭の父は提示すると、校長がそれに従うよう説得した。
校長は立場上、この犯罪が事件として公になれば自分も何らかのペナルティーを負わなければならなくなる。被害者の父親が要求に応えれば事件にしないというのであれば、自己保身のためにこの最低最悪な教員を頷かせる必要があった。
担任も性犯罪者となって全てを失うより、穏便にこの地を去ることを選んだ。
「君たちの担任は、もう二度と学校に来ない。昨日の夜、遠い所にある自分の実家に帰った。引っ越しは業者に頼んで、この町には戻らない」
それに一生教育に関する仕事には就かないと約束させた。帰郷しても、どこにいても、追跡調査を定期的にすると宣告しておいた。
「すまないとは思うが、君たち四人はこの先、中学に行っても旭と同じクラスになる。担任は必ず女性の教師だ。そうなるように校長に頼んだ」
そんなことができるのか疑問だったが、実際その後その通りになったのだから、校長が何らかの方法で手を回したのは明らかだ。
「私は昔、強姦事件の被害者の女性が自殺した件を捜査したことがある」
旭の父は酷く苦い顔をして語った。
強姦事件は女性の訴えで犯人はすぐに逮捕されたが、犯人が女性の友人だったため、その後彼女は周りの人間から色々心ない言葉を言われたらしい。特に、仲が良かった女友達の陰口に傷ついた。その上フラッシュバックする事件の恐怖と屈辱に心を病み、事件から半年後に首を吊った。
「特別仲良くしてくれとは言わない。ただ、事情を知っている者として、何かあったら手助けをしてやって欲しい」
頼みます、と旭の父は広海たちに頭を下げた。
「それから」
言いかけた彼を制して、広海が大きく頷いた。
「言いません、誰にも。生涯、死ぬまで言いません。誓います」
瞬も大樹も同様に誓うと、彼は再び深く頭を下げた。
事態は旭の父の言った通りになった。
担任が三日休んだ後、朝の会に教頭が来て広海たちがすでに知っている話をし、保護者の方に渡すようにとプリントが配られた。それは担任が病のためとはいえ新学期早々の退職を詫びる手紙だった。
病名を伏せた手紙に様々な憶測が流れたが、他の退職理由の噂は一切出なかった。担任の退職後、クラス全員でお見舞いの手紙を送ろうとの提案が出され、みんなが手紙を書いたが、広海たちは白紙の便せんを封筒に入れただけだった。校長が実家宛に届けてくれると新しい担任が言ったが、どうなったかは知らない。多分校長の家の焼却炉で灰になっただろう。返事が来ないと悲しんだクラスメートもいたが、去る者は日々に疎しでそのうちみんな担任の話はしなくなった。
一方で広海たちは慎重に、仲良くなっていった。全く親しくなかった者が突然仲良くなるのは不審に思われるため、ことあるごとに切っ掛けを上手く利用して、自然に仲が良くなったように見せた。
美国に何も変わった様子はなく、事件は終わったのだと思った。
それがとんでもない間違いだったのに気づいたのは、中二になってからだ。
夏を過ぎた頃から美国が塞ぎ込む日が多くなった。理由を聞いても夏バテや寝不足と明らかな言い訳で逃げる。
その頃には美国は自分で描いた漫画を雑誌の賞に投稿し始めていて、あの事件で漫画を描くのを嫌いになってしまわないか心配していた広海たちは内心とても喜んでいた。
もしかしたら投稿するため外へも出ず漫画ばかり描いているのが悪いのではないかと、広海たちは相談して日曜日に納田市の運動公園に美国を連れ出した。そこでバトミントンのセットを借りて遊んだ。初めは乗り気でなかった美国も、やり始めると楽しそうだった。
途中でダブルス戦にして、美国と瞬がペアになって打ち合っているとき、それは起こった。
飛んできたシャトルを瞬と美国がそれぞれ自分が打とうとしてぶつかり、転んだのだ。
美国が下敷きになって倒れたがさほどの勢いでぶつかった訳でなく、転んだ瞬間に瞬が手をついたので下の美国が瞬の身体に押しつぶされた訳でもない。
しかし、美国は瞬の身体を突き放すように押して這い出ると、その場で吐いた。
「美国、どうしたの!」
相手をしていた旭と大樹が駆け寄ると、美国は異常に早い呼吸で身体を震わせ泣き出した。美国を落ち着かせるため、旭が木陰に連れて行き、瞬が水を買いに自販機へ走り、広海と大樹が吐いたものを掃除した。
瞬が戻ってくると旭が険しい顔をして、みんなに少し離れているように言った。
「大丈夫。頭を打ったのでも病気でもないから」
呼ぶまで来るなと言われ、広海たちは離れた所で二人を見守った。
やがて旭が手招きして広海たちを呼んだ。どうしたんだと問う前に、旭が広海たちを見回してぽつりと言った。
「美国、男の人が恐いんだって」
広海たちは呆然とした。あるいは混乱していたと言っていい。
男性が恐い。それはあの事件の後遺症なのか。でも、今更になって何故。いや、恐いのをずっと隠していただけなのか。もしそうだとしても、同級生の自分たちもなのか。そんなはずはない。一年生の時なんてクラスの男子と二人三脚に出て肩を組んでも平気だったじゃないか。
「あれからずっと、急に『大人の男』に近寄られるの、恐いって。特に、手が恐いって」
頷いた美国を見て、広海は叫び出しそうになった。
事件は終わったと思っていたが、何も終わっていなかった。
旭は確か母親に何回かカウンセリングに連れて行かれたと言っていた。しかし美国は、表向き何の被害を受けていない美国の心の傷は何の手当もされず放置されたままだった。それでも同級生の男子を恐いと今まで言わなかったのは、みんな子供だったからだ。
しかし人間は成長する。周りの男子も男の子から男へ。声も身体もだんだん大人の男性に近づいていく。瞬や大樹は特にこの夏背が伸びて、体つきも変わってきていた。広海たちは意識もしなかったが、美国から見れば手はもう大人の男性そう変わらないのだ。
以来クラス内で美国に男子生徒が近づくときは、さりげなく旭と広海がガードするようになった。幸い美国は地味で目立たない生徒だったので、上手くカバーすれば美国の恐怖を他に知られることはなかった。
美国は恐怖をなかなか克服できず、高校は女子校に行くと言い出したが、女子校にも男性教師はいる。自分たちの目の届かないところに行かれたくなかった。そしてみんなで相談して選んだのが地元の森ノ宮高校だった。
問題はこの先だ。大学まで一緒に行けるかどうかは分からないし、美国がそれを望まない。同じ高校に行くと言ったときでさえ、自分のために将来の道を曲げてくれるなと泣いた美国のことだ。大学なら尚更拒否するに決まっている。
高校の三年間の間に、美国の男性恐怖症を何とかするしかない。
タイムリミットの砂時計は今も落ち続けている。
美国と親しくない旭がやってきて、いきなり罪を糾弾された担任は初めは笑ってとぼけていたが、証拠を挙げられると豹変した。
――お前も何も言えないようにしてやる
そう言って担任はいきなり旭の首を絞めたのだ。
瞬時に機転を利かせたのは、瞬だった。窓の外から様子を見ていた瞬が石で窓ガラスを割り、「何やってんだ!」と叫んだ。次いで大樹が顔を出して後ろを振り返り、「大変だ! みんな、来てくれ!」と大声を出した。背後には誰もいないのだが、地元の剣道クラブに入っている大樹の叫びは、担任に他にも仲間がいると想像させるには十分だった。
旭から手を放し、慌てた担任が窓の方へ歩み寄ろうとした隙に広海がドアを開け、咳き込んでうずくまる旭の手を引いて逃げた。
校門の外に置いていた自転車の後に旭を乗せて走り出すと、後から瞬と大樹も追いかけてきたが、担任は追ってこなかった。しかし、作戦は完全に失敗だった。
そのまま神社に行き、待っていた美国に全部話すと、美国は目を赤くして喉を擦る旭に抱きついて泣いた。
「ごめん。ごめんね。私のせいで、そんな恐い目に遭って」
もういい、私が全部我慢するからもういい、と美国は呻くように泣いた。
「私、もう、完全に、頭にきた」
旭は目元を乱暴に拭った拳を振るわせた。
「こうなったら、私が被害者になる」
「被害者になるって、もうすでに立派な被害者だろ。首絞められたんだし」
顔をしかめた瞬に、旭は首を振った。
「違う。吉沢さんがされたことを、私がされたことにして、お父さんに話す」
ここで初めて旭は他の四人に、自分の父が刑事であることを告げた。
「で、でも、そんなことをして、もし嘘がばれたら……ううん、ばれなかったら尚更、早川さんが傷つく。そんなのやめて」
美国は懸命に旭を思い止まらせようとしたが、広海は色々と考えを巡らせ、旭の案を推した。
「いや、やってみる価値があると思う。相手は力も世間の信用もある大人だ。子供のぼくたちだけじゃどうしようもない。美国のお父さんなら性犯罪の被害者の辛さが他の人よりは分かっていると思うから、もしかしたら上手くいくかも知れない」
広海は美国に向き直り、もう一度確認した。
「本当にあいつがいなくなるだけでいい? 逮捕されて、刑務所に行くことにならなくてもいい?」
「いい。早川さんやみんなが傷つくくらいなら、そっちの方が全然いい」
何度も頷く美国をみて、広海は考えついた自分の計略をみんなに話した。全ては旭の演技にかかっている危ない橋だが、まだ旭の首に絞められた痕が残っている今でなければできない計画だった。
広海たちはしっかり打ち合わせをした。今度こそは失敗できないからだ。
そして、旭は父親に電話した。泣きながら「お父さん、助けて。誰にも、お母さんにも言わないで、今すぐ来て」と。
仕事中だったらしい父親は、それでも今までにない娘の切羽詰まった声に驚き、すぐに車で駆けつけてくれた。父が来ると旭は父に抱きついて、声を上げて泣いた。その姿はとても演技とは思えなかった。いくら気が強くてもやはり十二歳の少女で、頼れる父親の姿を見て気が緩んだのだろう。
泣きじゃくる旭に変わって、広海が自分の見た(ように装った)ことを旭の父に話した。
瞬たちと三人で遊んでいる内、明日提出のプリントを学校に忘れてきたと思い出したので取りに行った。そしてついでに中庭で落ちていたボールで遊んでいて、資料室の窓ガラスを割ってしまった。慌てて行って見ると、資料室の中で担任の先生が焦った様子でズボンをはいているところで、床では早川さんがうずくまって泣いていた。驚いてどうしたのかと聞くと早川さんがすごい勢いで逃げていったので回り込んで捕まえて、どう考えても尋常ではないため人目につかないこの神社裏に連れてきて事情を聞いた。女の子一人では心細いだろうと前田君と仲のいい吉沢さんに来てもらった。
そこまで話すと、旭の父は広海たちに少し二人きりにしてくれと頼んできた。広海たちは頷いて神社の表側に回ったが、美国は心細いからという旭の願いでその場に残った。
それから旭は美国の被害をそのまま自分の被害として父に訴える計画だった。美国は首を絞められてはいないが、旭には目に見える場所の被害があり、それを上乗せした分説得力があって嘘だと疑われないはずだと考えてのことだった。
暫くして美国が広海たちを呼びに来た。神社裏に行くと、旭の父がさすがに険しい顔で腕組みしていた。手には美国が持ってきた件の下着の入ったビニール袋を持っていた。
旭の父は広海たちを見て一つ大きくため息をついた。
「これから旭を連れて警察に行こうと思う。それで、悪いがみんな一緒に来て証言を」
来た、と覚悟した。ここから先は、もう旭に任せるしかないと腹をくくった。
「嫌! 警察には行かない!」
旭が顔をゆがめて叫んだ。
「そういうわけにはいかない。こんな卑劣な奴を野放しには」
説得する父の言葉をことごとく遮って、旭は強い拒否の言葉を連ねた。
「どうしても事件にするなら、死ぬから!」
旭は殺気さえ漂わせて、自分の父を睨みつけた。
「お父さんなら、事件にして話がみんなに知れたらどうなるか分かるでしょ? そうなったら自殺する! 絶対死んでしまうから!」
美国が旭の腕にしがみついて、声を上げて泣き出した。広海たちが狼狽して見守る中、旭の父はじっと娘を見つめていたが、呟くように聞いた。
「じゃあ、どうすればいい」
「あいつが学校からいなくなれば良い。二度とこの町に来なければ、それでいい」
父は暫く沈黙し、思考を巡らせていたようだが、やがて重々しく頷いた。
「わかった。ここからはお父さんに任せてくれ」
くれぐれも他言無用にと旭の父に頼まれ、その場で解散になった。とりあえず旭は病院に連れて行くと、父に連れられて帰って行った。
旭から電話があったのは、その日の夜遅くだった。
「大丈夫。お父さんが話をしたいから、みんなで明日の放課後家に来てくれないかって」
「うん。ぼくから連絡しておく」
そうは言ったものの、他のみんなは携帯電話など持っていない。連絡するには家の電話にかけるしかなく、小学生が同級生に電話するには少し遅い時間だったが、瞬と大樹に電話して旭の言付けを伝えた。そして迷いに迷って、美国にも電話をかけたが、家電には彼女の母親が出て、美国は熱を出して寝ていると言われた。
「すみません。じゃあ、伝言をお願いします。実は来週からやるグループ学習のテーマ決めでグループの中の二人が喧嘩になってしまって、吉沢さんにとても心配かけたと思うんですけど、さっきちゃんと仲直りしたって連絡があったので、大丈夫だから安心して明日学校に来てくださいって」
美国ならそれで本当の意味を分かってくれる。母親は「わざわざありがとう」と礼を言ってくれ、何も疑われずに済んだ。
翌日の月曜日、美国と旭は学校に来なかった。美国は発熱で、旭は扁桃腺を腫らしたという理由だった。
そして、担任も休みだった。代わりに来た教師がみんなに急病だと説明した。
放課後、旭の家を訪ねると父親が出迎えてくれた。旭は『病気』が治るまで納田市にある母親の実家へ行っていると言う。さすがに母親に秘密にしておくことはできなかったが旭の兄弟には知らせたくなかったのだろう。
美国は発熱で来られないと広海が告げると、彼は「君たちだけで良い」と頷き、昨夜の話をしてくれた。
昨日、娘を病院に連れて行き診断書を取った彼は「娘のことで重大な話がある。担任にも来てもらって欲しい」と校長に連絡し、学校の校長室で落ち合った。
旭の父から診断書を見せられ担任の所業を聞いた校長も仰天したが、担任も違う意味で驚いただろう。自分がしたことの相手がすり替わっているし、話の上で被害者が一人いなくなっている。しかし旭の父が現役の刑事ということもあって、調べられたら真実がすぐ露見すると彼は観念したのか、『被害者が一人だけの犯行』を認めた。
「それで、取引した。今回のことを事件にしない代わり、お前は今すぐ学校を辞めろ、と」
明日から三日間急病で休み、その後重大な病に罹っているのが分かって故郷で治療を受けるため退職。この筋書きを旭の父は提示すると、校長がそれに従うよう説得した。
校長は立場上、この犯罪が事件として公になれば自分も何らかのペナルティーを負わなければならなくなる。被害者の父親が要求に応えれば事件にしないというのであれば、自己保身のためにこの最低最悪な教員を頷かせる必要があった。
担任も性犯罪者となって全てを失うより、穏便にこの地を去ることを選んだ。
「君たちの担任は、もう二度と学校に来ない。昨日の夜、遠い所にある自分の実家に帰った。引っ越しは業者に頼んで、この町には戻らない」
それに一生教育に関する仕事には就かないと約束させた。帰郷しても、どこにいても、追跡調査を定期的にすると宣告しておいた。
「すまないとは思うが、君たち四人はこの先、中学に行っても旭と同じクラスになる。担任は必ず女性の教師だ。そうなるように校長に頼んだ」
そんなことができるのか疑問だったが、実際その後その通りになったのだから、校長が何らかの方法で手を回したのは明らかだ。
「私は昔、強姦事件の被害者の女性が自殺した件を捜査したことがある」
旭の父は酷く苦い顔をして語った。
強姦事件は女性の訴えで犯人はすぐに逮捕されたが、犯人が女性の友人だったため、その後彼女は周りの人間から色々心ない言葉を言われたらしい。特に、仲が良かった女友達の陰口に傷ついた。その上フラッシュバックする事件の恐怖と屈辱に心を病み、事件から半年後に首を吊った。
「特別仲良くしてくれとは言わない。ただ、事情を知っている者として、何かあったら手助けをしてやって欲しい」
頼みます、と旭の父は広海たちに頭を下げた。
「それから」
言いかけた彼を制して、広海が大きく頷いた。
「言いません、誰にも。生涯、死ぬまで言いません。誓います」
瞬も大樹も同様に誓うと、彼は再び深く頭を下げた。
事態は旭の父の言った通りになった。
担任が三日休んだ後、朝の会に教頭が来て広海たちがすでに知っている話をし、保護者の方に渡すようにとプリントが配られた。それは担任が病のためとはいえ新学期早々の退職を詫びる手紙だった。
病名を伏せた手紙に様々な憶測が流れたが、他の退職理由の噂は一切出なかった。担任の退職後、クラス全員でお見舞いの手紙を送ろうとの提案が出され、みんなが手紙を書いたが、広海たちは白紙の便せんを封筒に入れただけだった。校長が実家宛に届けてくれると新しい担任が言ったが、どうなったかは知らない。多分校長の家の焼却炉で灰になっただろう。返事が来ないと悲しんだクラスメートもいたが、去る者は日々に疎しでそのうちみんな担任の話はしなくなった。
一方で広海たちは慎重に、仲良くなっていった。全く親しくなかった者が突然仲良くなるのは不審に思われるため、ことあるごとに切っ掛けを上手く利用して、自然に仲が良くなったように見せた。
美国に何も変わった様子はなく、事件は終わったのだと思った。
それがとんでもない間違いだったのに気づいたのは、中二になってからだ。
夏を過ぎた頃から美国が塞ぎ込む日が多くなった。理由を聞いても夏バテや寝不足と明らかな言い訳で逃げる。
その頃には美国は自分で描いた漫画を雑誌の賞に投稿し始めていて、あの事件で漫画を描くのを嫌いになってしまわないか心配していた広海たちは内心とても喜んでいた。
もしかしたら投稿するため外へも出ず漫画ばかり描いているのが悪いのではないかと、広海たちは相談して日曜日に納田市の運動公園に美国を連れ出した。そこでバトミントンのセットを借りて遊んだ。初めは乗り気でなかった美国も、やり始めると楽しそうだった。
途中でダブルス戦にして、美国と瞬がペアになって打ち合っているとき、それは起こった。
飛んできたシャトルを瞬と美国がそれぞれ自分が打とうとしてぶつかり、転んだのだ。
美国が下敷きになって倒れたがさほどの勢いでぶつかった訳でなく、転んだ瞬間に瞬が手をついたので下の美国が瞬の身体に押しつぶされた訳でもない。
しかし、美国は瞬の身体を突き放すように押して這い出ると、その場で吐いた。
「美国、どうしたの!」
相手をしていた旭と大樹が駆け寄ると、美国は異常に早い呼吸で身体を震わせ泣き出した。美国を落ち着かせるため、旭が木陰に連れて行き、瞬が水を買いに自販機へ走り、広海と大樹が吐いたものを掃除した。
瞬が戻ってくると旭が険しい顔をして、みんなに少し離れているように言った。
「大丈夫。頭を打ったのでも病気でもないから」
呼ぶまで来るなと言われ、広海たちは離れた所で二人を見守った。
やがて旭が手招きして広海たちを呼んだ。どうしたんだと問う前に、旭が広海たちを見回してぽつりと言った。
「美国、男の人が恐いんだって」
広海たちは呆然とした。あるいは混乱していたと言っていい。
男性が恐い。それはあの事件の後遺症なのか。でも、今更になって何故。いや、恐いのをずっと隠していただけなのか。もしそうだとしても、同級生の自分たちもなのか。そんなはずはない。一年生の時なんてクラスの男子と二人三脚に出て肩を組んでも平気だったじゃないか。
「あれからずっと、急に『大人の男』に近寄られるの、恐いって。特に、手が恐いって」
頷いた美国を見て、広海は叫び出しそうになった。
事件は終わったと思っていたが、何も終わっていなかった。
旭は確か母親に何回かカウンセリングに連れて行かれたと言っていた。しかし美国は、表向き何の被害を受けていない美国の心の傷は何の手当もされず放置されたままだった。それでも同級生の男子を恐いと今まで言わなかったのは、みんな子供だったからだ。
しかし人間は成長する。周りの男子も男の子から男へ。声も身体もだんだん大人の男性に近づいていく。瞬や大樹は特にこの夏背が伸びて、体つきも変わってきていた。広海たちは意識もしなかったが、美国から見れば手はもう大人の男性そう変わらないのだ。
以来クラス内で美国に男子生徒が近づくときは、さりげなく旭と広海がガードするようになった。幸い美国は地味で目立たない生徒だったので、上手くカバーすれば美国の恐怖を他に知られることはなかった。
美国は恐怖をなかなか克服できず、高校は女子校に行くと言い出したが、女子校にも男性教師はいる。自分たちの目の届かないところに行かれたくなかった。そしてみんなで相談して選んだのが地元の森ノ宮高校だった。
問題はこの先だ。大学まで一緒に行けるかどうかは分からないし、美国がそれを望まない。同じ高校に行くと言ったときでさえ、自分のために将来の道を曲げてくれるなと泣いた美国のことだ。大学なら尚更拒否するに決まっている。
高校の三年間の間に、美国の男性恐怖症を何とかするしかない。
タイムリミットの砂時計は今も落ち続けている。
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キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
神楽囃子の夜
紫音みけ🐾書籍発売中
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。
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四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。
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