これで終わりじゃないよね?

もとむげ

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物語が動き始める章

第九話 「異質になること」

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今朝はいつもとまるで違う心境だった。

久しぶりに「学校に行きたい」と強く思ったのだ。

こんな気分になるのは、恐らく高校入学当初以来のことかもしれない。

――入学したての頃は、自分で言うのもなんだがとても順風満帆だった。

なにせ、ある時からずっと望んでいた願いを達成することが出来たからだ。

その願いとは「理想の自分に変わること」。

 当時、俺はこの願いを現実のものとし、幸先の良い高校生活のスタートを切ることが出来た。

願いの先に待っていたのは、中学時代とまるで違う景色。

そして全てが順調。

怖いくらいに物事が俺の思う通りに進んだ。

理想の自分になることで、こんなにも世界が違って見えるんだということに大きな感動を覚えた。

何の不満もないとても充実した毎日だったと思う。 

しかし、いつからか新しいトンネルを抜けても、どこかで見たような景色が繰り返されるだけになった。

いくつもいくつもトンネルを抜けるのだが、その先はまた同じ景色。

なぜかトンネルを抜けた先に待っている景色が何ひとつ変わらないのだ。

それをはっきりと自覚していなかった頃は、そのうちまた新しい景色が見れるだろうと思っていた。

しかしいつまで経っても新しい景色なんて拝めない。

「一体いつになったらまだ見ぬ景色が俺の目の前に広がってくれるんだろう?」

という疑問と期待が入り混じった感情が生まれるのも時間の問題だった。

そして俺は、言い知れぬ虚しさをこの身でひしひしと感じながら、次第に何事に対しても興味を抱かなくなった。

今ではもう「意欲」の湧き出る源泉を埋め立ててしまったのではないかというくらい、積極性のない冷めた人間になってしまったと思う。

俺は理想の自分に変わることで、確かに理想的な毎日を送ることが出来ていた。

それは間違いない。

なのになんでこうも冷めた人間になってしまったのだろうか?

その理由は、興味や意欲が失われている最中は気付けなかったが、今なら何となく理解出来る。

たぶん、時間が経過していくなかで俺は感動を見つけられなくなったのかもしれない。

いや、見つけられなくなったというか、理想的な毎日を送ることが出来るというその現実だけで満たされてしまったのだ。

だから眼前に広がる景色を、ただそこにあるものとして眺めるだけになってしまい、景色のなかにある小さな感動、変化すら見ようとしなくなったのかもしれない。

そして現在。

高校生活はすでに三年目の秋だ。

今まで様々な事象に対する興味、意欲が失くなっていったが、それが特に顕著に表れたのは、「学校に登校する」ということに関してだった。

学校こそ、俺にとっては同じことばかりが繰り返されるつまらない場所だ。

変わらない景色を見続けて、一体何が得られるのか。

学校に登校するということ関しては、どうも虚しさしか感じない。

登校してもまた昨日と同じ。

いつもと同じ。

何も変わらない景色しか見ることが出来ないだろうと思ってしまう。

でもだからこそ、ここにきて「学校に行きたい」という強い意欲が湧き出してきたことが不思議でならないのだ。

まあ俺自身、そのきっかけはもう薄々気付いている。

全てを知る者との邂逅。

そして見覚えのある女子生徒との出会いがそれだ。

このきっかけは、まるで今までの俺の思い、気持ち、そして高校生活も終わりに近付いているという状況を見計らったかのように訪れた変化の機運に思える。

実際、今朝の心境には高校入学前の似たものを感じた。

だからもしかしたら「学校に行きたい」と強く思った今日という日は、俺にとって価値のあるものになるかもしれない。

少しは期待しても良いだろうか?

――登校途中、いつものコンビニでいつものように昼食であるチョコチップスティックパンとコーヒー牛乳を買うつもりだったのだが、珍しくチョコチップスティックパンが陳列棚に並んでいない……。

こんなことは今まで一度もなかったわけではないが、今日はなぜかすごいガッカリした。

いつもあるものがないと、こんなに残念なものだったっけ?

しかし残念は残念だったが、残念に思うということは、なんの変哲もないこのささやかな出来事に目を向けることが出来たということ。

このことは俺のなかで何気に大きな変化だった。

俺はさっきまでチョコチップスティックパンがあったであろう空のスペースを見つめながら、「これも小さな感動……か」と、自分にしか聞こえない声で呟いた後、すぐ隣にあったいちごジャムとマーガリンが挟んであるコッペパンを二つ手に取り、そしてパンと違って無事だったコーヒー牛乳と共に、レジへと向かった――。 

「彼は、友人を唆し、窃盗という悪行を働いたのだ。……とりあえずここまでですね」

窓際の一番後ろの席。

この絶好のポイントから、青と白のコントラストで彩られた実に爽快な空をぼんやりと眺める。

今日は何をしようか。

「いいですか?この部分「友人を、そそのかし」ですが、読み仮名が「そ・そ・の・か」で、その後に「し」がついて「そそのかし」と読みます。彼は、友人をそそのかし、窃盗という悪行。これは「あくぎょう」と読みます。悪いことをする。悪い行いという意味ですね。似たような単語に「悪業」と書いて「あくごう」と読むものもありますが――」

「もう秋か。早いもんだな……おっ、赤とんぼだ」

身を淡いオレンジ色に染め、数匹で飛び回るそれは、風景にひと味加えてくれる。

「仲、良さそうだよな……」

まるで晴天の空の下、無邪気にじゃれあっている子供たちを見ているようだ。

こいつらの動向が気になり、ずっと目で追っているといつの間にか見失ってしまった。

蚊ならまだしも、トンボすら途中で見失ってしまうなんて……。

動体視力落ちたかな?

軽く苦笑し、ちらりと目線を前へやる。

「ですから、彼はなぜ友人を唆してでも盗みなんてしたんでしょうか?それは次ページの四行目にある――」

先生の教科書に沿った解説を聞きながら、俺はふと考えた。

今みんなは近い将来へ向かって、一歩一歩着実に歩を進めているが、そんな今は人生で最も希望と不安が同時に生産されるとてもデリケートな時期なのかもしれない。

だからなのかは知らないが、俺の周囲でもチラホラ悩んでいる人をよく見掛ける。

あの一見何も考えてなさそうな美咲だって、卒業後は進学か就職かで悩んでいるのだ。

こんなの高校卒業を間近に控えた者にはよくある普通の悩みなのかもしれないが、当の本人にとっては将来への足がかりとなる第一歩なのだから、軽視出来ない大きな悩みのはずだ。

でも美咲はそんな悩みを確かに抱えているにもかかわらず、塞ぎ込むことなく、いつものように元気そうに振舞っている。

そんな美咲を見ていると「悩んでいるなら元気もなくなるはずなのに」というように短絡的な考えを持ってしまうが、決してそんなことはないのだ。

みんな一人なんかじゃないわけで、嫌なことばかりでもない。

悩んだとしても、辛かったとしても、周りにいる友人、先生方、もしくは、バイト先の先輩だったり、店長だったり、家族だったり。

誰かしら相談出来る相手がいるはずだ。

そんな人たちと会って、腹を据えて話し、泣き、笑い、時には乱れ……いやいや、己の意見をぶつけ合ったりする。

こうした喜怒哀楽の心と心のふれあいの中で、楽しいと思える瞬間は必ずあるはず。

だからこそ「充実してるな」と思えるし、「幸せだなぁ」とも思える。

だから美咲だって、悩みを抱えていても落ち込んだりふさぎ込んだりせず、心の闇を抑えて自分らしさを存分に出せるのだ。

しかしなんだろうな……。

美咲のように順調な人ばかりならそれはとても喜ばしいことだが、決してそんな人ばかりではないはずだ。

未だ将来への展望が開けず、足元が定まっていない人も数多くいるだろう。

思いの捌け口がなく、心が折れてしまいそうな人だって……。

世の中、なんの苦しみもないよ!

という人しかいなければ良いが、決してそんなことはありえない。

心の中で、もがき苦しんでいる人は間違いなくいる。

でもその苦しみはその人が見せようとしないと見ることは出来ない。

ということは、心の内を曝け出してくれないと本当の意味で救ってやることは出来ないということ。

でも人は心の底を簡単には見せてくれない。

仮に相談したとしても、全て曝け出してくれたようで、実は本当に苦しんでいることだけには鍵を掛け、ずっと抱え続けていたりすることもある。

そしてこちら側がもう大丈夫だろうと思っている間に、いつのまにか壊れてしまう。

そんな人のことを考えると、言い知れぬ不安に襲われてしまう。

どうにかなんないもんかなぁと心が締め付けられる。

まあこんなことを思ったところで、周りにはなんの影響も与えないのだが……。

しかし蓄積された将来への不安、焦り。これらが一気に弾けてしまう人間が出てしまわなければ良いと強く思う。

「……この部分を見ますと、彼は遊び感覚だったということが分かりますね。本人には罪の意識はなかったようですが、唆された友人にはあったのです。なぜなら、彼の友人は――」

この現代文の授業はみんな眠そうにしている。

現代文担当の岸田先生の授業は、ちょくちょく豆知識の披露も入って結構感心する時も多いんだけどな。

……美人だし。

にも関わらず、欠伸をかいていたり、机に突っ伏していたりするやつらの姿が目に付く。

受験も近いってのに気楽だよな全く……。

しかしやはり中にはしっかりノートを取っているやつもいる。

大体が暇そうにしているので、そんなやつを見ていると「真面目だなぁ」と思わずにはいられない。

例えば、みんな姿勢を正して真剣に授業を受けているとする。

その中に一人だけスマホを弄っている明らかに授業を聞く態度でない人間がいるとしよう。

だとしたら、仮に誰かが教室の外から中を覗いてみたとき、まずいのいちに「この場にそぐわない、変わったやつがいるぞ?」と、 その人間に目がいってしまうだろう。

まさしく「真面目だなぁ」と思ったさっきの俺と同じ反応を示すわけだ。

そう、人は「異質」なものに敏感に反応するのだ。

――いつだったか、面白いテレビ番組を見たことがあった。

サッカーの試合中に一人の常識外れな人間が乱入してきた。

プレー中の選手も、観客も、審判も、一様にそれに気付き、呆気にとられている。

そしてその人間は警察官に取り押さえられてフィールドを去っていったのだった。

そこで画面がフェードアウト。

……まあここまでは、普通のハプニング映像として見れるだろう。

しかしこれで終わりではない。

今度は画面が切り替わり、また同じ映像に少し変化が加えられたものが流れた。

その変化は何かというと、その乱入者に気づいた選手、観客、審判、取り締まろうとする警察官も、全員が素っ裸だった、ということだ。

そして乱入者はどうかというと、しっかりと衣服を着用していたのだ。

この番組は、社会心理学の用語を紹介するといった趣旨のもので、このような たまたま見ることになっただけのとても滑稽なCMだったが、このCMを見て俺は大分真剣に考えた。

まあゲームに関係ない人間が、プレイ中のフィールドに乱入すればそりゃあ呆然とするだろう。

当たり前っちゃ当たり前の反応だ。

「サッカーの試合中」という括りに、何の関係もない観客が乱入した。

「サッカーの試合中」には、観客が入り込んではいけない。

「選手が居るべきフィールド」「ギャラリーが居るべき観客席」と、それぞれ存在していなければならないと「されている」場所があるのだから、当然、これが崩れると「異変」を感じる。

そして人はその「異変」を「常識から外れている」と認識して不快に思ったり、受け入れることを拒否したり、あるいは蔑んだりする。

だからみんなは呆気にとられたのだろう。

しかしどこかがおかしくないか?

俺は考えるべき部分が多かったこのCMを見て、本当に怖いのは「異質になること」だという答えを得た。

ある日ある朝、いつもの街頭。

変わりないいつもの光景。

……なのだが、よく見ると布切れ一枚身に着けていない、素っ裸な人間が縦横無尽に歩き回っているではないか。

人の目に晒されていく内に、そこら中で一定の距離を取り井戸端会議が開催される。

「うわ、何あれ変態?」

「あれってテレビかなんか?」

「あの人頭おかしいんじゃないの?」

――哀れなことに、この人間は「変質者」として、駆けつけた警察官に事情聴取され、パトカーで連れて行かれてしまった。

まあ当たり前だろうな。

裸で街を歩いていれば普通に捕まるだろう。

でもなぜ?なぜ捕まってしまうんだ?

もちろん「普通じゃないから」だ。

服も何も着ないで街中を闊歩するなんて頭がどうかしてるもんな……と、普通はそう思う。

そうだ、ここが肝心だ。

この「普通はそう思う」というのはどこから来ているんだ?

昔々から、いつの間にか形作られた「常識」と兼ね合わせて判断した結果、そう思うんじゃないか?

CMの場合、周囲にいる素っ裸な人間たちは、服を着ている「変質者」に対して「何だあいつは」「何であいつは服を着ているんだ」などと疑問に思う。

そう、その他大勢とは違い、その相手が異質だからだ。

これを街中に置き換えてみた場合、さっきみたいな「裸で歩いている人を、周りの服を着ている人間たちが変に思う」という構図が、「服を着て歩いている人を、周りの裸でいる人間たちが変に思う」のと同じことになる。

はたから見れば、後者の方は普通おかしい話だが、それは俺の持つ「常識」からそういう概念が出てくるだけのことで、周囲でヒソヒソ話している奴らは、服を着ている人間を「異質」と捉えているので変に思わない。

――そうだ、常識がどうのこうのなどではなく、普通と違う。流れと違う。その場のノリと違う。いつもと違う。自分たちと違う。だからおかしいと思うんだろう。

「自分たちは皆ちゃんと服を着ているのにあいつは……」

「自分たちは皆裸なのにあいつは……」

これらは両方とも間違ってはいないはずだ。

しかしその考えは異質なものに対する自身の見方だ。

なので普通と違ってしまうと皆から不思議がられる。

軽蔑される。

――もしそうなったら俺はどうなるだろうか?

「――くん。月くん……。高月くーん?」

「え?」

「高月くん。今のところ聞いてましたか?四行目の「悪いことだとは思ったけれど、あれは間違いなく僕の落としたリュックだ」の部分」

「あ、はい。……ああ、この部分はえっーと」

「聞いてなかったようなので、もう一度読みますね。……全く。どうしたんですか?時計を見ながらブツブツブツブツと。昼休みまではまだまだありますよ。真面目に受ける気がないなら出てってくださいね」

「すみません……」

どうやら俺は考え過ぎて自分の世界にのめり込んでいたらしい。

岸田先生の数多の生徒の睡眠欲を増幅させるまったりと耳に張り付くような声に呼び戻されたが、それが無ければ「俺の哲学ショー」でも始まっていたかもしれない。

――ん?ちらっと山田が視界に入った。

何だあいつ、ニヤニヤ笑いやがって……後で覚えてろよ?

「また変なこと考えちゃったな……」

二限の現代文が終わり、俺は渡り廊下の開放された窓から見えるまだ色の薄い紅葉を望んでいた。

「今行ってみようかな?いや、あそこに行くのは昼休みだ。それ以外は他のクラスでも見てみるか」

俺のやりたいことというのは他でもない。

昨日、美術室で会話した「彼女」に会うことだ。

確かにあの子は知っているような気がするが、全く思い出せない。

昨日からずっと考えていたが、時折見せた悲しい表情ばかりが浮かんでくる。

イヤなもんだなぁ……。

探し求める相手の手がかりが悲しい表情だけだなんて。

「まっ、考えてても始まんないか」

中庭の情景をしばらく眺め、頭の中がスッキリしたところで、もう一人、俺の探していた人物を視界の中に見とめた。

――さっき俺をニヤニヤと見ていた山田だった。

隣にいるのは……おっ、元気だけは校内一の我らが担任、石垣武志その人じゃないか。

石垣とのん気に歩いているヤツの顔を見ると、俺は鼻で笑い、彼の元へ歩み寄っていった。
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