これで終わりじゃないよね?

もとむげ

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回想~過去編

第二十話 「ひまわり園~黒川美紗との出会い」

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「ねぇ!ねぇってば!父さんが居なくたって大丈夫だよ! 僕一人で留守番出来るからさ!」

「いーやダメだ。朝起きたらちゃんと毎日行くんだぞ」

立っているだけで汗がダラダラと流れ落ちるほどの猛暑。

水を落とすと、それがジュワっと蒸発してしまいそうな程高温になったアスファルト。

その熱気で、地上はへばってしまうくらいの暑さだった。

いや、外はどこに居ても変わらない。

日向だろうと日陰だろうと、誰もがその暑さに愚痴を漏らさずには居られなかった。

だがクーラーがガンガンきいたこの車中は別で、快適そのもの。

この車内に居る限り、外の蒸し風呂のような暑さがまるで嘘のように感じられた。

「父さんは僕の事を子ども扱いし過ぎなんだ」

「だからさぁ、いい加減分かっとけって。お前はまだまだお子様ランチが似合うお子ちゃまなんだよ」

「大人でもお子様ランチ頼むヤツだっているじゃないか」

 「そりゃあ、ちょっとした遊び心で頼む人間もいるさ。でもそれは例外。お前がどうあがこうと「小学生イコール子ども」であることに変わりはないのさ」

「……もう!子どもでもなんでも良いから、とにかく僕は行かない!嘘つくなんてズルいよ!」

――夏休みが始まったことだし、海にでも行こうと誘われ、軽々しく車に乗り込んだのが悪かった。

海へ行くのは随分と久しぶりのことで、心が躍っていた。

意気揚々と水着や浮き輪を持ち、泳ぐ気も満々……だったのだが、あろう事か途中で父は「海へは行かない」と言い出したのだ。

実は海に行くというのは口実で、本当は夏休みの間通ってもらう学童保育施設、「ひまわり園」へ連れて行こうとしていたのだ。

俺の意思とは無関係に着々とひまわり園へと近付いて行く車。

父の口車に乗せられてしまったことよりも、もう引き返すことの無い父の車に乗ってしまった己の愚かさに腹が立ったのだった。

「……よし、着いたぞ」

やがて目的地のひまわり園に到着した。

……信号待ちが多かったのだろうか?

結構長い時間走っていたと思っていたが、ひまわり園は家からそんなに離れていない場所に存在していた。

なんと俺が通っている小学校のすぐ裏手にあったのだった。

「何だ、ここがひまわり園だったのかぁ……」

ここは何度か目の前を通ったことがある。

いつの日か見かけたことのある建物が目に留まったので、若干拍子抜けした。

「ここなら自転車ですぐだろ?通うのもそんなに辛くないはずだ」

エンジンを切り、シートベルトを解いて降車しようとする父。

「そうだけど……どうしても通わなきゃダメなの?僕は本当に大丈夫なのに」

どうにかして家まで引き返すことは出来ないかと思った俺は、俯いて、いじけたようにボソッと呟いてみせた。

こうすれば、父だって多少は良心の呵責に苦しんで同情するはず。

そこに一気に畳み掛けて通うのを取り消しにしてもらおう。

俺がそんなささやかな画策を内に秘めているとは思ってもいない父は、深いため息を付き、諭すように言った。

「……お前なら一人でも留守番出来るってのは父さんも分かってる。でもな、心配なんだよ。折角の夏休みなのにあまり一緒に居てやれない。寂しい思いをさせたくは無いんだ。夏休みの間だけで良い。頼むから夏休みの間だけはここへ通ってくれないかな?」

「…………」

シングルファザーとして、働きながら家事をし、こどもを育てる。

これは予想以上に大変なことだろう。

どうしても仕事に充てる時間のほうが一緒に居れる時間より圧倒的に多くなってしまう。

その間、少しでも寂しさを感じさせないようとしての心遣い。

口では大丈夫と言っていたが、心の中ではそんな父の気持ちを理解していた。

抵抗は甘えの裏返し。

俺は父が本当に自分のことを思ってくれているのかを知りたかっただけなのだろう。

しかしひまわり園に通うのは義務ではないはずだ。

行くのも行かないのも結局は俺の自由だろう。

そんな意味合いを込めて、

「分かったよ。今日は仕方ないとして……明日からは行かないかもしれないよ?」

と父に言うと、父は何を思ったのか優しく微笑んだ後、

「それでも良いよ」と返したのだった。

――車のドアを開けると、車内と外の温度差に驚く。

不快な熱風が顔を撫でると、やっぱりこのまま引き返したほうが良かったなと思った。

ひまわり園は自治体が運営する学童保育所だ。

二階建て、鉄筋コンクリート造の中々立派な建物に、児童の遊び場となる中庭には、ブランコ、鉄棒、シーソー、そして砂場も備わっている。

指導員は合わせて四人。

最低でも二人は常駐しており、入所制限は小学一年生に当たる児童から、小学四年生に当たる児童までが対象とされている。

俺は長い歩幅で歩く父に遅れを取られまいと、ピタッと横にくっ付き、離されないように早足で歩いた。

そして玄関に着くと、父はしゃがみ込み俺の肩に両手を置いて、「お前はここで待ってるんだぞ」と言った。

俺が肯くと、ひまわり園の指導員と思しき若い女性が父に話しかけてきた。

そして父はその女性の案内に従って、建物の奥へと消えていった。

――この玄関は、まるで病院の待合室のようだった。

背もたれ付きの長椅子が等間隔に並べられているだけの質素な空間。

中央には回転式書架が三台あり、年相応の絵本が揃っていた。

隅にはこじんまりとした靴箱があるだけで、玄関と呼ぶにはあまり相応しくない場所だった。

俺は長椅子の一つに座り、父が戻ってくるのを待っていた。

途中、何人かひまわり園の入所者と思われる同年代の児童が通ったり、集まって騒いでいたりしたが、一向に父は戻ってこない。

とうとうつまらなくなり、俺はふらりと中庭へ足を延ばした。

やはり今日は暑い……。

日陰から日向に出ると強力な陽射しを受けて頭がクラクラした。

中庭では、こんな熱気の中だというのに無邪気に走り回る児童たちの姿があった。

男子は追いかけっこや戦いごっこに励み、女子は大縄、はないちもんめなどで遊んでいた。

圧倒的にみんなで遊べる遊びをする児童が多く、遊具で遊んでいる児童はほとんどいなかった。

――俺がひまわり園に行きたくなかった理由は、この風景の中にある。

強がりなんかではなかった。

単に、集団生活が嫌だっただけだ。

どうして好き好んで知らない他人と一緒に遊んだりしなければならないのか。

今もそうだが、俺は多人数といるよりは一人で居たほうが気が楽で、疲れなかった。

学校でも友達と呼べる存在はいない。

そんな俺は、目の前にいるようなくだらないことでギャーギャー騒ぐ同年代のやつらが理解出来ない。

俺にとっては必ずしも「遊ぶ」ということが楽しいというわけではない。

みんなと合わせて無駄に疲れるよりは、一人で居る寂しさを感じているほうが断然マシだ。

でも父の考え、思いを知る以上、避けては通れない。

通いたいか通いたくないかではなく、父のためにこのひまわり園に通わざるを得ないのだ。

「…………」

俺は屋内に繋がる小階段に腰を掛け、ぼんやりと眼前の光景を眺めた。

なぜか見ているだけで気分が沈む。

夏休みは思っているよりも長い。

一ヶ月近くここへ通わなければならないんだなと思うと、言いようの無い不安が広がる。

毎日行っているように装ってしまおうか?

と、やましい考えも浮かぶが、きっと通うのをサボるとひまわり園から父へ連絡が行ってしまいそうな気がして、そんな考えはすぐに引っ込んだ。

今日父がここへ来たのは、俺にひまわり園の雰囲気を感じてもらうと共に、入所手続きを済ませるためであることに違いない。

「はぁ……どうしよう…………」

いたたまれない気持ちがため息として出ていく。

果たして俺はこのひまわり園に馴染むことが出来るのだろうか……。

「――うちの子はしっかり者なのですぐに他の子たちと打ち解けられますよ」

「いや、心配ご無用でしたか。それは失礼致しました」 

ふと、意気消沈している俺の後ろから話し声が聞こえてきた。

――きっと父だ。

振り向いて「やっと終わったの?」と言おうとしたが、その言葉をそっくり飲み込んだ。

そこに居たのは父ではなく、玄関に居た若い女性指導員とは別の女性指導員と、しわ一つ無い清潔なスーツを着た男性。

そして、その男性にギュっとしがみ付いて離れない背の低い少女だった。

「けど私にはお嬢ちゃん、何か嫌そうに見えますけどねぇ……。さっきからずっとあなたにしがみ付いたままですよ?」

「ははは、ただ照れてるだけですよ。――ほら、ちゃんとしなさい」

「やーだぁ!もう帰りたいー!」

泣きっ面で駄々をこねる少女に、指導員の女性と男性――たぶん父親だろう。は、困惑している様子だった。

しかし、その子の父親は俺の父がそうしたように、しゃがみ込んで少女の両肩に手を置き、言った。

「夜になったらちゃんと迎えに来るから。それまで良い子にしているんだよ?パパは今お仕事で忙しいんだ。でも秋になればお前と一緒に居れる時間が作れる。だから夏休みの間だけ。その間だけ、パパのお仕事が終わるまでここに居るんだ。分かるね?」

「そんなの知らない!パパぁ、お仕事行かないでよ……だって夏休みなの…………っく、うっく」

「美紗……」

「あぁ、ほらほら!美紗ちゃん泣かないで?パパがお仕事に行ってる間はお姉さんが付いててあげるから、ね?」 

指導員の女性が不安を和らげようとするが、零れんばかりの涙を瞳に貯えた少女は、小さな両手を握り締め、ふるふると体を震わせていた。

――黒川美紗という存在を知ったのはこの時だった。

このやり取りを見て「可愛そうだな」と第一に思った。

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