埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第一章(その2) 発見者日高源吾

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「すいません」
 男はゴミ袋を持ち上げながら振り返ると、照れくさそうに笑って差し出した。
「貧相な食生活がばれますけど、内緒にしておいて下さい。じゃあ、お願いします。あれ……」
 男はゴミ袋を手渡そうとして初めて血染みに気づいたらしい。戸田を見やると小息をついた。
「はは、この状態で、怪しくないから仕事に行かせてくれって言っても、通らないですよね」
「それは中身によります。残念ながら、もうちょっと待っていて貰いましょうか」
 ふたりの警官がすかさず男を取り囲んでゴミ袋を取あげ、手早く中を改める。ゴミ袋が開くと同時に血生臭い匂いとともに、捌かれた数匹分の魚のあらや骨、頭がのぞいた。
「くそ、黒鯛か、まぎらわしいことしやがって」
 吐き捨てるように言い放った警官が戸田を見やった。戸田はにやにやしながら、
「紛らわしいことはないさ。袋の中身は、ちゃんと黒鯛クロだったろ。キャッチ・アンド・リリースで、我々はクロを捕まえ、あなた……」
「木塚です、木塚悟……」
「木塚さんはリリースしますよ。何も問題はない。行っていいですよ」
 男、木塚は頭を下げると駐車場の方へと向かっていった。戸田のさりげない目配せとともに、警官がひとり気づかれぬように後を追った。
 その頃には、所轄の鹿箭島中央署の捜査一係長打越啓治警部の、現場保存の指揮を執る声が響き始めていた。本名はウチコシヨシハルと読むのだが、巨躯強面の胴間声とくれば、裏で「打殺刑事うっころし」と呼ばれてもやむを得ない御仁である。面と向かって「コロさん」などと呼べるのは、戸田くらいのものだったかもしれない。

 打越が指揮を執っている、左足(膝から下の部分)の発見された現場は、南側に接した甲突川に沿って二キロほど続く河岸の緑地公園脇の東西に走る道路沿いで、天保山橋にほど近い場所だった。甲突川を渡ってくる南側からの進入路は、天保山橋下流にふたつ、上流には、松方橋をはじめとして、第三次立入規制線(一般車両通行規制区域)を引かれた平田橋までの間にあわせて十一の橋からである。
 現場保存範囲(第一次立ち入り規制線)は、天保山橋を中心とした半径二百メートルほどの、西の上流側は松方橋、東の下流側は天保山大橋付近まで、北側は城南通りまでの指定箇所とされた。
 さらに、第二次立ち入り規制線として、武之橋から下流側へ続く甲突川両岸沿いの二本の道路が五百メートルに渡って立ち入り規制区域とされ、事件通報から二時間後には、現場保存区域を除く全ての二次規制区域の路線上が、動員された警察関係車両百台余の駐車場と化していた。
 鹿箭島市内にある中央署、県警本部はもとより、西署、南署、さらには隣接する三つの市町からの応援も受けて五百人体制での捜査となったからである。これは、初期捜査の規模としては異例の大きさだと言っていい。
 重点捜索箇所は、左足発見現場から半径二百メートル以内のゴミ置き場だけでも十四箇所、河岸両公園ならびに周辺の少公園内のごみ箱が二十七箇所。さらに周辺区域まで入れるとゆうに百箇所は越えている。甲突川も深みのある下流側は三隻の船舶ならび七名の潜水要員が配置され、人の歩ける浅い上流側は胸までのゴム長を履いた捜査員三十名ほどが、川に浸かって捜査に当たっていた。加えて、現場周辺の聞き込み、交通規制監視要員、中央署に置かれた捜査本部の内務要員。数え上げていくとすぐに人手は五百人余に達した。
 捜査開始から二時間後の午前九時二十三分までには、左足発見現場の天保山橋の上流側平田橋までのおよそ二キロほどの間の六箇所のゴミステーションから、肩口から切断された肘から手先のない両腕、太股付け根で切断された膝から先のない両足、さらに頭部のない胴体を腹部で両断された遺体が遺棄されているのが確認されていた。

   ◇◆◇
「そう言われても、わからんですよ」
 既に四度目に入っていた事情聴取の最中に、発見者の日高源吾(七十二才)が怒鳴り声を上げた。甲突派出所の下吉巡査部長、機捜の徳出刑事と戸田。中央署の上水流刑事、そして、四度目の打越警部の事情聴取の際、急に怒鳴りだしたのである。
「何度同じことを聞けば気がすむんな。もう言わん。一緒におった木塚君に聞かんな。あん青年なら、一発で説明しがなっで」
 日高源吾はそう吐き捨てると、その足で自宅に帰ってしまった。戸田のゴム長の音が、のんびりと後を追う。追い掛ける季節はずれの蛙の鳴き声に、源吾はつい振り返った。戸田は眼を細めて笑いながら、源吾に道路横の小公園を指し示した。すでに捜査員は、小公園の上流側に捜査の歩を進めている。
「朝飯でも食いませんか」
 戸田は、口の悪い班員が、【のび太の四次元ポケット】と呼んでいるジャンパーの内ポケットから握り飯を取りだした。丁寧にラップした炊き込み飯を握ったものがふたつ。ひとつを源吾に押しつけると、戸田はもうひとつの握り飯のラップを解いた。香ばしい醤油の香りが、源吾の鼻からすぐに胃に飛び込んだのだろう。源一の腹がきゅうと返事をした。
「せっかくだから、御馳走になろうかな」 
 源吾は呟くように礼を言った。朝食前にゴミ捨てに出たまま、十時を回っても水すら飲めないでいたはずだ。源吾は生唾を呑み込みながら、握り飯にかじりついている。
 その握り飯には、飯にも、ほどよい大きさに切りそろえられた何種類もの具にも、淡いがゆったりとした出汁の旨味が行き届いている。軽く炒ってトッピングしたシラスには、醤油の香りが焼きしめてあった。源吾は、一気に食い込み、指まで食いつきそうに舐めている。じっと見つめている戸田に気づいたらしい源吾が、咳払いをして、
「ごちそうさまでした。旨いものを食わせてもらって、すまんかったな」
「いえいえ」
 戸田は首を振った。戸田の視線の先の道路上では、四名の捜査員が側溝の蓋版を外し中を確認して蓋版を戻し、また外してと言う作業を続けている。
「よか嫁を持ったな」
 源吾 のことばに、戸田は曖昧に笑った。あれは自分が作ったのだと言う必要もない。
 道路上の捜査員は、たった三メートルほど上流に進んだ。道路から二メートルほど高くなっている緑地公園の中では、七名の捜査員が一列横隊になって捜査を続けている。川の中でも三十名の捜査員が、さらに対岸の緑地公園の中、その先の道路でも数名ずつの捜査員が血眼になって、被害者の残る遺体を、犯人の手がかりを探し続けている。
 戸田の捜査員を見つめるやわらかな視線は、捜査員の動きが微妙に変わるたびに、一瞬鋭くなり、すぐにまた、もとの表情に戻った。
「人ひとり殺されて、無惨な姿を晒された。絶対に許されないことです」
 戸田は呟くように言う。妙に響く声である。日高源吾は、うっと言って頭を下げたきり俯いている。眼の前には、何人もの捜査員が這いつくばって探し続ける姿がある。
「すまんじゃった。協力する。させてくれ」
 日高源吾は、やっとのことで言った。

 わたし、日高源吾は、甲突町二十四番○○号、豊川内科医院から二筋北へ行った路地の突き当たりに住んでおり、わたしの足ではゴミステーションまで三分ほどかかります。今日は、午前七時前の天気予報を見てから生ゴミの袋を持って家を出ました。
 ゴミステーションに着くと、中のゴミ袋が乱雑に積み重なっており、このままではステーションから溢れてしまうと思ったので、片づけを始めました。黒の違反ゴミ袋があったので取り上げたところ、破れて中から人の足が出てきました。はじめは人形か何かの足かと思いましたが、人間の足だと気づいて驚いきました。この時間には、いつも誰も来ないので、どうしようもなくぼうっとしているところに、近所に住む木塚悟さんががゴミ出しに来たので、事情を話したと思います。木塚さんに、
「とにかくそこにすわって深呼吸してください」
 と言われたので深呼吸して、気持ちを落ち着かせている間に、木塚さんが警察に通報してくれたらしく、すぐに甲突派出所のお巡りさんが来てくれました。
 足の入った黒のポリ袋は、置いてあったゴミ袋の下にあった気がしますが、よく覚えていません。
 家を出てからは誰も見ませんでした。ゴミ袋を片付けるのに気を取られていたので、木塚悟さんが来るまで、近くに誰がいたかも気づきませんでした。
 以上が、日高源吾の供述であった。

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