埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第一章(その3) 本部の事情

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 一方木塚悟に対する事情聴取は、木塚の再出頭を待たずに、各捜査員が各の判断で携帯電話を使って各自行っていたが、午後二時前には木塚悟本人が出頭してきた。
 木塚は現場付近で戸田に気づくと、近づいてきて頭を下げた。
「今朝はどうしても遅刻するわけにいきませんでしたので、無理を通させていただきました。わたしにしたことで、戸田さんには、かなりのご迷惑をおかけしたのではありませんか」
 戸田は苦笑せざるを得なかった。
  確かに戸田は、木塚を職場に行かせたことで、直接間接を問わず非難を受けていた。切断された足が見つかった現場に、血染みの垂れたゴミ袋を下げてやってきた第二発見者である。疑って拘束しておくのが通例である。現場にいない木塚に対して、捜査員からかかってくるひっきりなしの電話を受けて、木塚はそれとなく察したものだろう。
「いや、木塚さんの方こそ、仕事にならなかったのではありませんか。ひとこと言っておけばよかったのですが」
「いや、いい経験をさせていただきました」
 木塚は静かに笑っている。戸田にことばはなかった。
 ほどなく午後三時過ぎから、木塚悟を交えて午後の現場検証が始まった。

 話は遡る。
 今回の異例とも言える人員の配備は、四月下旬に控えている統一地方選挙との絡みもあった。統一地方選挙取締り態勢の強化のために、例年より一ヵ月も早い二月下旬には警察職員の移動は済ませてある。合併による定員削減もあり、今回の選挙戦は加熱することが予測された。ただ、前回の県議会議員選挙を巡る公職選挙法違反事件の際の捜査の違法性が未だに争われている事情もある。一月の地裁判決は敗訴。即時抗告したものの敗訴は確定的だった。今年の地方選に向けて、気合いは入っていたが、やりづらいのは確かだった。
 そこに今回の事件が起きた。世間の耳目を集める事件と言っていい。
 木綿源一郎《きのわたげんいちろう》鹿箭島県警本部長が、事件の一報を聞いて飛びついたのは無理もない。自らは関与していなかったとしても、敗訴の汚点を消し大中規模本部栄転への足がかりとなる派手な事件が起きたのだ。早期解決が、そして、その手法の鮮やかさが栄転に向けての伝家の宝刀となる。退官前に、できればもうひとつ星と経歴をを足しておきたい。誰もと同じ考えだ。
 選挙運動が本格化する前に解決すれば、最悪でも目鼻さえ付けば、選挙取り締まりに睨みが利く。選挙違反者を根こそぎ挙げて、前回の仇を討つのも夢ではなかった。
 そのためには、初動捜査にどれだけの人員をつぎ込め、適所配置できるかが問題だった。
『早起きは三文の得だと言うが、今朝の二時間は計り知れない得になりそうだな』
 事件の速報を受けた午前七時半、当直を除けばほとんどの職員が登庁していない。木綿はつい微笑んだ。
『雑音を気にせず、思うようにやれる』 
 木綿は、この二月に県警本部警備部長から西警察署長に配属された小松周造に電話を入れた。人員の応援を要請するためだ。小松は五十七才、来年の夏には勇退する。次の人生のためにも、もう一実績ほし欲しいところだ。しかし、増援では得るものがない。本部長自らの電話ではあるが、渋っている。
「甲突川の中を頼む。まだ、頭は見つかっていない。君の力なら探せるだろう」
 木綿はそう囁いた。
 川の中の頭を収得《と》れば西署の事件にできる。
 小松には、そう聞こえた。第二次規制線が引かれた、高見橋から上流はもともと西署の管轄である。しかも小松は、船舶・潜水要員のいる県警警備部で、二ヶ月前まで部長として指揮を執っていたのだ。それを使って構わない、とも聞き取れた。
 小松は了承した。
 すでに木綿は、中央署の神窪守と県警本部の刑事部長小倉孝行には承諾を与えている。
「本部長命で各部署に必要なだけの増員要請をしてかまわない」と。
 鹿箭島県警本部は、常襲する台風だけでなく、眼前に桜島という活火山を抱え、石油備蓄基地、原子力発電所と、四六時中大規模災害発生の危険性と対峙して、訓練を重ねている。かつて鹿箭島市内を襲った集中豪雨の際にも、その成果が発揮されていた。それは単に専門部署である警備部に限ったことではない。それから、さらに進歩している。多数の民間人が、一瞬毎に生命の危機に晒される災害誘導ではない。身内だけの適正配備だけならお手の物だった。
 木綿はそこまでは全幅の信頼を置いている。もし若干の不安があるとすれば、捜査力だった。如何せん、大都市圏の大規模本部と較べれば、個々の警察官の捜査経験の絶対量が少な過ぎるのである。その不安故に捜査員自らが自白強要の罠に陥る。
 木綿は首を振った。
 鹿箭島県警が晒した、自白強要や誘導をはじめとするずさんな捜査体制の一掃。
 早期解決は、同時に新生鹿箭島県警を印象づける静清なものでなくてはならないのである。
 だから木綿には、次の手を打つ前にいち早く現況を把握する必要があった。
 午前九時三十分。通常なら、今から県警本部が動き出す時間である。しかし、木綿にとっても県警にとっても、これから動き出すと言うよりも、既に貴重な二時間が消え去ったことを意味していた。

   ◇◆◇
 鹿箭島中央署長神窪守にとって幸運だったのは、まずは、モメンこと木綿本部長に合わせて午前七時には出署していたこと、人事異動が前倒しになり四月のこの時期には署員三百人の把握が出来ていたこと、刑事第一課強行犯係長打越啓治の移動がなかったことだろう。
 そして何より、警備課の岩倉真市課長が当直だったことに尽きるかも知れない。
 岩倉は所作の鈍い爺むさい男である。物言いもはきとせず、死にかかったミミズのように、いつも机の上に長いしなびた顎を載せて干涸らびている。この男が最年少の二十七才で警部昇進を果たして、三十二才の今この席にいると、実感できる者はひとりもいなかった。
 誰もが、炬燵に顎を載せて茶を啜っている老人さながらに、机に湯飲みと自分の顎を載せている岩倉の姿しか見たことがなかった。彼が席を外したときを見計らって、すかさず山積みにされる書類は、彼が席に戻ると同時にどこかに消え、机の上には岩倉の顎と湯飲みしか見えなくなる。その代わりに、付箋と指示書が泣きたくなるほど貼り付けられた書類が、提出者の机の隅で見つかることになるか、意見書が添えられて各部課長の机に鎮座していることに決まっていた。
 岩倉は、事件発生の同報電話が入った段階で居合わせた神窪署長と打ち合わせ、時間的には、岩倉が本来臨場すべき現場へ向かわなかった。既に強行犯係長打越啓治が、出署途中だったことが確認できており、現状に向かう打合せができていたこともあるが、実状は大規模捜査に備えて、諸機材、人員の手配割りに専念するためである。
 本部長の意向、西署長の思惑、南署長の困惑、県警刑事部長の判断、通信司令室の指示。そして、何よりも署長以下中央署員の面子。
 岩倉は、ぼそぼそとした応対で調整を繰り返しながら、岩倉にとっての適正な配備を確立していった。
 午前九時三十分。岩倉は、のんびり机の上に顎を乗せて茶を啜った。ここには、緊張感の欠片すら見えない。
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