埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第一章(その4) 強行犯係長打越啓治

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 【打っ殺し】こと、中央署強行犯係長打越啓治の朝は早い。
 自宅のある鹿箭島市吉野町から、中央署までの出署登途上に順次交番を寄っていくからである。来るべき【何か】に対して、常に刑事としてのアンテナを張っておきたい。そういうことだった。
 吉野交番・坂本交番・御着屋交番おつきやこうばん・金生交番・地蔵角交番・城南派出所……。日毎気分次第で立ち寄り先は変わる。同報電話が入ったとき、打越は地蔵角交番にいた。
 打越は当直の岩倉に、自分が直行することを告げ、交番の受令器を借り受けると現場に向かった。受令器のイヤフォンから、通報者の冷静な声が流れてくる。通信司令室の慌ただしい声が被さってきた。打越の脳裏に現場付近の風景が浮かんだ。
 現場保存範囲をどこまで設定するか。発見場所から十メートル単位の設定で取りこぼしてしまいそうに思える。発見された左足以外の遺体が発見された場合、面をどの範囲まで取り、どう繋ぎ、どこまで拡げていくか。車両進入規制線をどこに引くか。通勤時間と重なり、混雑が予想される迂回道路への人員配置はどうするか。
『ちきしょう。なんで、まとめて出ないんだよ』
 打越は舌打ちしながら、岩倉警備課長に連絡を入れる。
「岩倉さん、全域図、大至急寄こしてくだい」
 午前七時十八分。到着した現場では、ゴミステーション周囲半径二十メートルほどを空白にするようにして、川畑巡査と上温湯巡査部長が現場保存をしていた。
「川畑巡査、今の位置でテープを張れ。誰も入れるんじゃない」
 打越の第一咆吼だった。
「下流、天保山大橋。上流、松方橋。城南通り。現場保存。公園内には誰ひとり入れるな。発見者、通報者を確保しておけ」
 打越は、眼前の甲突川の中、対岸の公園の中も気になったが、今は遺体の出たこの場所を舐めるようにして拾わせていくしかない。周囲を窺う打越の血走った目に、戸田の姿が映った。通報者に事情聴取している。岩倉警部と同質の、戸田の生ぬるい声が、打越の耳をこさいだ。
  戸田は打越とは同期だが、戸田は高卒、打越は大卒である。だが、警部への昇進は同じだった。戸田は勤務の傍ら通信制の大卒資格を得、さらに昇進試験を突破していった。将来を嘱望されていた口だったが、ある事件で降格処分となった。詳しい事情は打越にも判らない。
『あれから、戸田は変わった』
 打越の咆吼が、一瞬止まる。
 九時三十分。左足以外遺体が数点見つかっていたが、頭部は未だ見つかっていない。この時点で身元に結びつきそうなものは、強いて言えば、最初に見つかった左足のジェルネイルのペデュキアくらいのものだった。プラチナベースのジェルに数個のイエローとグリーンのラインストーンが、ひまわりを模して精緻に配置されている。しかも、小指だけ。被害者が、ネイルサロンでケアしたものであれば、あるいは糸口が開けるかもしれない。その程度だったが、すでに二組の捜査員がネイルサロンを当たっていた。
 事件発生以後、打越の携帯電話には、数分ごとに神窪署長から捜査進展の催促が入り続けている。電話が鳴るごとに打越のいらだちは募り溜まっていく。一瞬、
『この野郎。公務執行妨害で挙げてやろうか』
 縦社会にあるまじき感情が、打越を支配していた。
 遺体の発見者日高源一を前にしても、打越のいらつきはことばの端々に出ている。平時ですら威圧的に感じる打越の物言いである。上水流が思わず打越の袖を引いた時には、目前で事情聴取をしていた日高源一の態度が急硬化した。もう帰る、と吐き捨てて踵を返した日高の後を、戸田が追っていく。打越の顔面がみるみる朱に染まっていく。ポケットの中の携帯がまた鳴った。
『こん、馬鹿署長がっ』
 さすがに口に出すわけにはいかない。打越は、大きく深呼吸して気持ちを調えた。呼び出し音は鳴り続けている。出た。
「警部。被害者がいしゃが割れそうです」
 ネイルサロンを当たっていた水元刑事だった。よっしゃ、それで、と打越は促した。
「中町のネイルサロン、デ・トア。同じ模様のケアをした客がいるらしいんですよ。美津濃美穂《みづのみほ》、十八才。それが、新照院なんですが……」
 #所轄外__そと_#か、と打越はつぶやいた。新照院なら西署の管轄になる。いや、管轄どころか西署の目と鼻の先だ。捜査本部に上げれば、確実に持って行かれる。先に中央署じぶんたちでやりたい。それは水元に限った気持ちではない。
「新照院はどこだ」
「十五番七号SDマンション五○七号室」
 打越は即断した。玉江交番は今度の市町村合併後の改編で中央署の管轄に編入されたばかりだ。ちょっと遠いがごまかせないこともない。
捜査本部うえには、午頃でいい。結果を含めて必ず上げろ」
 運良くと言うべきだろう。中央署以外の県警本部と他署の鑑識課員は、続けて発見された遺体の発見現場に張り付いていた。一段落している中央署が行くのが自然な流れだ、と打越はほくそ笑んだ。
 午前九時五十六分。打越は捜査本部に連絡を入れた。
「被害者の身元が割れそうだ」と。水元と鑑識課員から現場に到着したとの連絡を受けて十五分が経過している。中央署の縄張りという判を押すには、充分な時間と言ってよかった。なに、つい十分ほど連絡が遅れただけだ。決して故意ではない。打越は笑みを漏らした。
 
 正午前には、被害者が特定された。
 正確には発見された遺体が全て同じ血液型であり、遺体の左足の指紋と同じ指紋が美津濃美穂名義のマンションの部屋から多数発見された。と言うに過ぎず、特定作業はこれからだったが、まず本人に間違いないとされた。被害者は、ネイルサロンの従業員の証言から、キャバクラ「アンデュミオン」のホステスとわかったが、関係者の証言はまだ取れておらず、美津濃美穂本人との連絡も付いていない。
 死亡推定時間は、概ね三十時間から四十時間と推定されたが、これも正確な時間は解剖所見を待つしかなかった。
 午前十時過ぎから二時間ほどは、打越の携帯へは神窪署長からの連絡はなかった。署長は、県警本部をはじめ、抜け駆けされた各署長からの抗議の言い訳に終始していたのだろう。と打越はにやついてみたものの、向かっている署長室への足取りは、どうしても重くならざるを得ない。
「打越君。薩摩隼人の刀と一緒だ。抜いたら必ず斬れ。それ以上は言わん。捜査会議は明朝開く」
 神窪署長はそれだけ言って、打越を署長室から追い出した。
 打越は、余りのあっけなさに呆然としつつ、苦笑いする。
『縄張りを荒らした以上、犯人を挙げろってか。でなけれ、お前が自分の腹を切れ。そう言うことか』
 望むところだ、とことばに出してみた。もとよりそのつもりだ。
 打越は、もうひとつ隠し球を握っている。
 マンションで発見した三月三十日の日付のある調剤薬局の袋だ。中には飲み残しの錠剤があった。袋に書かれた名前は美津濃美穂ではないが、錠剤の開いたパッケージはゴミ箱の中にあった。偽名か保険証を借りたか。鑑識の野上昭一は、薬はクラビットだと耳打ちしている。キャバ嬢にありがちな膀胱炎などの炎症にも使用する抗生物質だが、クラミジアなどの性感染症の治療薬としても知られている。
 仮に美津濃美穂がクラミジアに罹患していたとする。罹患女性の大半に自覚症状のないクラミジアの場合、美穂と性交渉を持った男が罹患してはじめて、美穂の感染を疑い通院を勧めることになる。男が美穂以外に性交渉の相手を持たない場合、それは、嫉妬という明確な動機のひとつになりうる……。
 打越は、薬剤が未詳なので、参考のために錠剤を入れた袋ごと成分分析に回したと報告してある。事実ではあるが、真実ではない。つい報告し忘れた調剤薬局の名称も、やがて調べ上げられるであろう病院名も病名も患者名も、捜査資料が出そろう明朝の捜査会議で報告すればいい話だった。それまでは、中央署の捜査員だけがこの情報に基づいて捜査ができるのである。
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