埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第一章(その11) 自首

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 夜が明ければ、もっと確かな手がかりが見つかるはずだ。
 その思いは、仮眠している大半の捜査員に緊張を強い、各自の眠りを浅くしていた。
 夜明けには未だ間のある午前四時過ぎ。すでに大半の捜査員の意識は覚醒していた。ただ、これからの消耗に備えて、目を閉じ動かないでいるにすぎない。時折、腕時計を確認する細かな動きだけが、さざ波のように連鎖していく。
 五時半を回ると、既に寝ている者の姿はなかった。

 一方、夜を徹して各検問に立ち、あるいは交番で巡邏に当たっている者の緊張は、また別なものがあったろう。
 その中のひとり、鹿箭島市春日町に設置された春日交番勤務二年目の巡査四元俊郎は、緊張しきった巡邏を終えて交番の灯りが見えたとき、思わずほっと息を付いた。
 ―――重要参考人を確保して手柄を立てたい気持ちは山々だったが、当の重要参考人稲村直彦は、切断した女の生首を持ったまま逃走しているかもしれないのである。いざ出くわすことを想像すると、さすがに怖じずにはいられなかった。なんと言われようと、四元巡査はそんなものは見たくもなかった……。
「交番の灯りが、これほど頼もしいものだったとは」
 四元巡査はつぶやきながら、自転車を止めた。そのとき、
「あの……」
 と暗がりから声がした。
 虚をつかれた四元巡査は、あろうことか悲鳴を上げて飛び上がって……、座り込んだ。自転車が倒れる音も辺りに響き渡った。
 音と悲鳴に交番から飛び出してきた日高巡査長は、腰を抜かして座り込んでいる四元巡査と、彼を見下ろして立っているふたりの男を確認すると声を掛けた。その手は警棒を固く握りしめている。
「そこで何をしているんだ」
 男ふたりが振り向いて頭を下げ、ひとりが静かに言った。
「ご迷惑をおかけました。自首します」

 四月十一日六時三十五分、同報電話が鳴った。
「鹿箭島中央署管内春日交番から入電。甲突川遺体切断事件重要参考人、稲村直彦が春日交番に出頭。身柄を確保した。繰り返す、甲突川遺体切断事件重要参考人、稲村直彦が春日交番に出頭。身柄を確保した。各移動、警戒員は現場に向かわれたい」
 歓声も何もなかった。ただ、寒々と同報電話の音声が鳴り響き、捜査員は予定通りの仕事に向かった。
 参考人以外、まだ何も見つかっていない。
 
 友人の常田実に付き添われて出頭した稲村直彦の身柄は、中央署に移送されて取り調べを受けることになった。
 取り調べに対し、
「確かに、わたしがやりました」
 と稲村は短く答えた。
「美津濃美穂の首を絞めて殺し、切断して棄てたのはわたしに間違いありません」
 だが、それ以外のことについては、稲村は一切の供述を拒んだ。
 付き添ってきた常田実は、稲村の自首について、
「朝三時過ぎに電話があって、自首したいから付き添ってくれと言われました。こちらからは、何度も自首するように留守電やメールを入れてましたから、喜んで引き受けました。六時前に祇園之洲公園で待ち合わせをして、歩いて春日交番に行きました」
 そう供述した。
 春日交番近くの祇園之洲公園に停車してあったアリストが確保され、トランクから美津濃美穂と思われる頭部、両手、右足が発見された。
 稲村は供述しなかったが、午後には、甲突川沿いの皆与志町の廃工場から切断に使用したと見られるエンジンカッターが発見され、周囲からおびただしい量の血液反応も確認された。工場の敷地内からは新しいタイヤ痕も検出された。
 捜査本部は、稲村直彦を犯人と断定し、動機を含めた裏付けに入った。
 同時に捜査態勢は即座に縮小され、戸田と瀬ノ尾は事件をはずれて県警に戻ることになった。
『結局何をしに来たんだか』
 愚痴る瀬ノ尾に戸田が笑った。
「まあ、ちょっとつきあえ」

 言われるままに付いて行った先は、甲突町の最初の通報現場だった。
 戸田は、内ポケットから小さな花束を出して供え、手を合わせた。
 次に日高源一の家を訪ね、一応の結果を告げて礼を言った。
 瀬ノ尾は何となく鼻の奥がきな臭くなりながら、戸田の後を追った。
 戸田は、緑地公園沿いを北に松方橋まで進んで、城南通りへと向きを変えた。
『戸田さん、甲突派出所にでも寄るのか。いや、それにしちゃ、遠回りしてる』
 先を歩いていた戸田は、甲突町八丁目まで来ると声を掛けた。
「瀬ノ尾、褒美に風呂でも入っていくか」
 瀬ノ尾は狼狽した。
 甲突町八丁目には、数軒のソープランドが並んでいる。
 昼真っから、いや昼でなくてもまずすぎる。
 その気持ちが顔に出ている。
 戸田がにやついた。
「いいねえ若い者は。考えることがシンプルで。おれは、その先の錦江温泉にでもゆっくり浸かろうと思ってたんだが。ま、いいや。瀬ノ尾の好きにするさ」
『このくそおやぢ。やりやがった。まんまと乗せやがって』
 瀬ノ尾は戸田を追い越すと八丁目を抜け、甲突派出所へと走って曲がっていった。
 戸田は静かに笑っている。
 戸田の携帯が鳴った。メールが入っている。
 今井みさおからの転送メールだった。
「あの留守電の声を聞いて、おれは涙が出た。
 生きて償おうと本気で思った。
 いつか、俺が死ぬことが決まったら、
 その時でいい。
 礼を言って置いてくれ」
 戸田はメールを消した。 
 
 甲突川死体切断事件は、自首という形ではあったが、異例の早期逮捕となった。
 まずは、本部長木綿源一郎の思惑通りと言って良かった。
 後はじっくりと証拠固めをして、いわゆる綺麗な送検に持ち込めればそれでいい。
 死体損壊・遺棄については、凶器・凶器に付着した血痕や指紋から稲村の反抗と結論づけられたが、殺害については、慎重に裏付けを進めるべきだ、との意見で一致していた。
 扼殺、手指による窒息死には間違いなかったし、稲村自身も扼殺だと認めていた。
 ただ稲村容疑者が、殺害の詳細な部分についての自白を拒んでいるため、殺害場所、殺害時間の特定ができていなかった。
 稲村容疑者以外の者が殺害し、稲村容疑者の元に運び込んだ可能性が、まだ否定できないのである。
 被害者が、四月八日午前六時過ぎ、一端帰宅しすぐに自宅を出たことは確認されていたが、その後の行動は未だ掴めていない。
「まだ時間はある。普通なら、犯人の目星すら付いてない時期だ。焦らずに徹底的に行くぞ」
 打越の叱咤が飛んだ。捜査員を追い出して、ふと良からぬ考えがよぎった。
『あと一週間、あの親父を貸してくれれば助かるんだがな』
 打越は思わず頭をふって、声に出した。
「よせやい。焼きがまわりかけてやがる」
 十日が過ぎた。
 被害者の四月八日午前六時過ぎからの行動は、依然杳として知れない。
 容疑者稲村直彦も自供を拒み続けているために、同じく四月八日午前六時過ぎから午後九時までの行動が裏付けされていなかった。
 既に世間は選挙戦で騒然となり始めていた。
 さらに八日が過ぎた四月二十九日、ついに投票日となった。
 まだ、裏付けはとれない。

 明くる四月三十日、午前七時十三分。
 鹿箭島市武二丁目柳田通りのゴミ捨て場に、変なポリ袋が棄てられていると言う通報が入り、最寄りの中央駅前交番からふたりの巡査が出向いた。
「人の耳入り。警察に通報のこと」
 透明なポリ袋には、そう大書きしてあった。
 中を改めると、切り取られた人の右耳が、無造作に押し込んであるのが発見された。耳たぶにはまだ新しいピアス痕があった。
 正式な鑑定を待たねば特定はできないが、おそらく若い女性の耳と推測された。
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