埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第三章(その1) 中年課課長戸田章三

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 都留さん、と戸田は待機していた都留警部補に声をかけた。
「オオセで被害者を乗せた男と車両の特定、出水署管内の立ち回り先の特定、頼んます。我々は一度本部に帰りますわ。何せ、指示を仰がないと動けない哀れな紐付き人形なんで」
「わかった。熊本県警の方には早めに連絡を入れておいてほしい。水俣はむろん、人吉、八代辺まで対象に入る可能性もある。仕事しやすい方がいいからな」
 確かに、出水市は熊本県水俣市に隣接している。熊本県内で殺害され、首だけが鹿箭島市に運ばれた可能性もないとは言えなかった。
「犯人も、首から下もあっちだと、なかなか厄介なことになる。そうならんことを、祈るしかないな」
 都留は小さくぼやいた。すでに戸田の姿は見えない。
 午後五時を回ろうとしてる。当然と言えば、当然かもしれなかった。

 瀬ノ尾は、車を戸田の指示通りに県道三二八号線を南下させている。
 道路沿いの、モーテル、ラブホテルもしくはそれらしい看板建物があれば、逐一立ち寄って聞き込みをすることになっていた。
「土曜の朝の間だ。普通なら考えられん時間だしな、この辺で立ち寄ったなら、従業員の誰かが覚えてる」
 戸田はそう言った。戸田はこの辺での立ち寄りはないと考えている、そんなことばの響きだった。助手席の小藤は、黙ったまま左右の風景に目を凝らしている。小一時間ほど走る間に二軒ほど該当個所があったが、土曜早朝の客は確認できなかった。
「土曜の朝十時を回って鹿箭島市内に近づくと、ホテルの客足は増え出す。しかも、我々が乗り込む時間は、連休前日の午後六時を回った時間だ。迷惑千万だろうな。いっそ」
 戸田はかすかに笑った。
「いや、やめとこう」
「なんです?」
 ふたりが同時に聞いた。
「いや、なんでもない。まっすぐ県警に向かってくれ」
 と言ったものの、結局途中で夕食を取り、三人が県警に着いたのは午後八時前だった。
 すでに渡辺係長の姿はない。
 戸田は、宿直の堀尾主任警部に概略の報告を入れた。
 正式なものは、出水署から捜査本部に電送してある。戸田が明日以降の捜査指示について確認を取ると、堀尾は戸田の机を指さして笑った。
「宿題が山ほどあるらしいぞ」
 戸田の机の上には、分厚くふくらんだ茶封筒、薄い白封筒、それとメモ用紙が複数置いてあった。茶封筒には、少年課石崎とある。
 戸田は、ため息をつきながら茶封筒を開けた。

[ 戸田君
 おかげさまで我が課の本日の業務は、完全に停滞してしまいました。
 通話を受けた段階で、欠席所在不明の女子児童生徒、並びに男子児童生徒、約五十名。
 捜索願の出ていない分だけです。
 今日夜半までに連絡が取れない場合は、夫々捜索願が出されることになるでしょう。
 明日からの四連休が終了した時点では、また大きく変動があることが予測されます。
 明日から少年課員のほとんどは連休となります。
 新藤課長、渡辺係長の了解は取ってありますので、後処理をお願いします
                          石崎
 
 追伸
  チョコミントは、凝りすぎてて、今ひとつ]
 
 けっ、と戸田は毒を吐いた。
「つまりは、連休中、少年課で電話番をしながら、該当分の少年少女の所在確認をして、しかるべき処置をせよ。そういうことですか」
 瀬ノ尾が、覗き込みながらにやついている。
「お前…」
 もだ、と言いかけた戸田だったが、
「は……。割り当てがあればそれに従えばいい。これは、俺が頼み込んだ分の後整理だから、他人に任せるわけにはいかんだろう」
 言い直した。瀬ノ尾は笑っている。
「はい。ありがたく明日は休日。明後日は待機となります。呼び出しはごめんですよ」
「わかったから、早よ、帰れ」
 瀬ノ尾は、しかめ面をして言った。
「わかりました。中年課課長戸田章三殿。瀬ノ尾政一巡査部長、ただいまより、帰宅いたします」
 遠くで堀尾主任が吹き出した。
 戸田は、手紙の表書きを見、消印を確かめ、裏返して差出人を見た。伊地知仁清園内、島田省吾とある。戸田は深いため息をついて、目の前の数十枚の家出人捜索願もどき書を音を立ててめくりながら、呪文のようにつぶやいた。
「一切衆生の病めるを似て、この故に我もまた病むなり、か。島田さん、もう気を病む四月は終わりましたよ。なにより、あなたが気を病む必要なんかないんです。俺が勝手に決めたことですから」
 戸田は、手紙の封を切らぬまま内ポケットの中に入れて、メモ用紙を見た。

[ 相手 科捜研坂村技官
 内容 例の件、進めてくれ]

 戸田は時計を見た。午後九時を回っている。
 下川畑課長がまだ科捜研に残っていれば、小藤の出水出張の件の礼を言い、坂村技官の頼み事を聞いてもらわねばならない。小藤にとっては悪い話ではないはずだ。
 戸田が席を立ちかけたとき、当の小藤がやってきた。
「戸田警部補、明日からまた鑑識課に戻ります。またお手伝いできることがあったら、なんでもやりますので」
「ああ、慣れないことをさせてしまった。疲れたろう。ご苦労だった」
 ふと小藤が口を開きかけた。戸田が眼で促すと、
「いくつか、お伺いしたいことがあるんですが、お時間はよろしいでしょうか」
「君がよければ」
 と戸田は答えた。すいません、と小藤は頭を下げた。
「帰りの車の中です。聞き込みをやめて何か仰いかけたのは、何と仰りたかったのですか」
 戸田は周囲を窺った。さいわい誰もいない。
「ふたり残して行くからじっくり調べてこい。朝帰りでいいから、と言いたかったのさ」
 小藤の眉がつり上がった。戸田は笑った。
「そうなると思ったから、言わなかったんだよ。他にもあるのか」
「なぜ、わたしを捜査に引っ張り出したのですか」
 戸田は答えず、しばらく小藤を正面から見つめていた。
 たまらなくなった小藤が口を開きかけたとき、静かに言った。
「小藤巡査は大学で心理学を学んでいた。卒業後、公立高校に勤めていたが二年で退職。一年の空白をおいて、警察官となった。三年後、願い出て鑑識課に配属された。かなり異色な経歴だと思わないか」
 小藤は答えない。
「おれ以外も興味を持つ御仁がいてね。機会があれば、引っ張り出したがっている。今度がいいチャンスになった。科捜研の坂村技官、知っているね。彼が興味を持っているんだ」
「ポリグラフ検査の坂村技官ですか。まさか、プロファイリング研究では……」
「ああ、そのまさかだ。他県ではポリグラフ担当官を中心にして、続々プロファイリング研究を始めている。鹿箭島県警も坂村技官を中心にしてプロファイリングの研究チームを作るのは、自然な流れだろう。坂村技官の場合には、正確には、本人が忙しいので代わりに研究してくれる人間がほしいという訳らしい。特に大脇技官が今年留学で抜け、そこに稲村事件が起きた。急に人員増強の必要性を痛感したらしい。しかし、以前から小藤巡査に目を付けてあるのが、いかにも彼らしくてね」
 戸田はおもしろそうに笑って、メモを見せた。
「せっかちなんだか、暢気なんだか。今からでも下川畑課長に相談行こうと思っていたんだ。小藤を貸してやれって、ね。課長は?」
 小藤は首を振った。
「課長は先ほどお帰りになりました」
「そうか。順序がへんてこになったが、小藤巡査。考えておいてくれ。犯人が身内でない限り、今回のような事件は、連続する可能性を否定できない。専任でデータ解析する人間が、必ず必要になってくるんだ」
 小藤は答えず、静かに頭を下げるとそのまま出ていった。
「しくじったかな。ま、いいや」
 あーあ、と戸田は大きくのびをした。
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