埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第四章(その2) 巡査部長瀬ノ尾政一(2)

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 水質調整剤を追いかける段取り、科警研に持ち込む手はずがついた頃には、午もずいぶん回っていた。
 やっと長通話の途切れた戸田の携帯が、当然のように鳴り始める。
 渡辺係長の大きくはないが、妙に耳につっかかる声が、携帯電話を当てた戸田の左耳から右耳にきれいに抜け、瀬ノ尾の耳にまで届いた。
「即刻県警本部に戻れ」
 要はそういうことだが、余計な雑音だの叱責だのが混じって、話は長くなっていくらしい。戸田は左の耳から右の耳に、器用に係長の声を抜かしているが、瀬ノ尾にはまだ抜かすことはできない。
 で、瀬ノ尾は耳をそらして時計を見た。
  十三時三十分。
  瀬ノ尾はひどく腹が減っている。
「戸田さん、どっかで昼飯を……」
 言いかけた瀬ノ尾の耳にかすかな鳴動が響いた。
 見ると、桜島が噴火して灰白色の噴煙が上がり始めている。
「どうした」
 戸田が、瀬ノ尾に声をかけた。
  いや、と噴煙の上がった桜島の方向を眺めていた瀬ノ尾は照れくさそうに笑った。
「当たり前の風景がなんとなく珍しくて…」
「なんのことだ」
「桜島ですよ、戸田さん。今また噴火しましたよ。久しぶりに爆発して、もう一週間近く、煙が上り放しなんで……」
「そういや、そうだな。半年ぶりになるか。今日の噴火は、……三度目だ」
「そうなんですか。今回の噴火、でかいし、結構長いですね」 
「灰が降らなきゃ、お日様が出るのと同じで、煙が上がっても上がらなくてもどっちでもいいさ。予報どおりの南東三メートルの風なら、桜島の中にしか降らんしな。鹿箭島湾を渡ってこっちの、市内までには影響はない」
 戸田は笑った。
「まあ。市内にどか降りしたって、おれたちは県警の建物の中から出られん。四階《けいじべや》の高みから見学させてもらうだけだ。徹夜でな」
 瀬ノ尾はため息をついた。

 県警本部の刑事であれば、本来花形のはずだ。
  重要な事件の第一線の現場に出張り、聞き込みをし、犯人の目星を付け、取り押さえ、取調べをし、完璧な調書を作る。
 瀬ノ尾はそう思っていたし、他の刑事たちは確かにそのとおりだった。
 自分の年齢で県警本部刑事課に配属されるのは、どう考えても同期の出世頭のはずだった。一斑八人ずつ三班で構成される刑事課一係、なぜか二班には十人いて、係長を入れて総勢二十七人。ここでは新米の自分が端数になるにしても、県警で組まされた戸田警部補と自分のコンビは、自分たちに与え続けられた仕事は、ほぼ使いっ走り。余分にいるふたりに与えられる程度の仕事だった。
  鬱々と思いながら、刑事課に帰ると、戸田と瀬ノ尾の机の上に【五八】の資料の束が載っていた。
  通称【五八】は、津田純子殺害の重要参考人が使用していた携帯電話の末尾番号で、資料の束は、通話記録……、通話日時、時間、通話先の番号だった。
「柴田大作に名義変更された二年前からのものだ。
 渡辺係長が静かに言い放った。
「速やかに、全部あたれ」
 戸田は知らず、瀬ノ尾はしぶしぶ頷いた。
――自分は、ひとつの事件をじっくり担当することもなく、あれこれの現場に振り回され、体の善い使い走りをさせられている気がする。
 県警幹部は明らかに戸田を冷遇しているようだが、その戸田警部補という男につけられた自分は、不運なのか、それとも自分も冷遇されているのか。自分は冷遇されるような失態は犯していない。むしろ、功績を挙げてきたはずで、だからこそ県警本部に呼ばれたのではなかったか……。
 瀬ノ尾の不満は瀬ノ尾の行動に出る。
 瀬ノ尾は、通話時間順に並べられたデータから、通話相手番号を抜き出し、さらに通話番号毎に通話時間を並べていく。
 二年分並び終えるまで、ゆうくりとした瀬ノ尾の作業は終わらない。
「瀬ノ尾。後で検索できるようにデータベースに打ち込んどいてくれ」
 戸田は簡単に言った。
「おれは、家出人と犯罪者を照会してくる」
『戸田さん、逃げる気だな』
 そう思いながら、
「こっちは通話記録あたってるんですから、戸田さんは、せめてメールの方頼みます」
 瀬ノ尾は出ていく戸田の背中に投げつけた。
「おう」
  戸田は振り向きもしないで手を振った。 
  
  戸田が帰ってきたのは、午後六時を回っていた。
 手には買い弁のレジ袋をぶら提げている。
「一息入れて、できるところまでやろう」
「ええ」
 瀬ノ尾は差し出された弁当を手に取った。
 レジ袋には弁当チェーン店の名の下に荒田店とある。
 鴨池新町にある県警本部からは離れた場所のものだ。
『ずいぶん遠くまで買出しに出たもんだな。戸田さん、やっぱりサボってたか』
 戸田は、瀬ノ尾の思惑にも気づかず、弁当を頬張りながら聞いた。
「瀬ノ尾はどこまで進んだ?」
「今年の五月から遡って二月まではなんとか。通話先番号毎にプリントアウトしてあります」
「気が利くな」
「ええ。そう多くなかったですから」
 ただ、と瀬ノ尾が口籠もった。戸田は目で先を促した。
「公衆電話からの通話とワン切りの多さには閉口してます」
「極力、自分の身元は明かさないつもりなんだろうが、逆に特定されやすいけどな」
「ところで、戸田さんの方は、何かとりかかりましたか」
「ああ、こういうやりかたで」
 え? と訝しげな表情を浮かべた瀬ノ尾にはかまわず、戸田は弁当の袋から一束の書類を出して続けた。
「これは、【五八】の過去三か月分のメールの送受信記録だ。百件近くある相手のメールアドレスから、それぞれの持ち主を割り出してもらわんとな」
「メールも……」
 とは言ったが、瀬ノ尾は、その後の『俺がやるんですか』だけは飲み込んだ。それだけは意地でも言えない。
『サボってなきゃ、それはそれで仕事を増やしてくれるわけだ』  
  思わずため息が漏れた瀬ノ尾を見やって、戸田はにやりと笑った。
「お前が忙しいなら、おれがやってもいい」
 戸田は、ゆっくりと茶をすすり終えると、おもむろに内ポケットから二枚のCDRを取り出して、交互にPCにセットした。
  ゆっくりとだが、リズミカルに確実にボードのキーを叩く音と、マウスのクリック音が響いている。
  ものの三十分もしないうちに、戸田はプリントアウトを始めた。
「メールの方はすんだから、おれは帰るが……。瀬ノ尾、お前はどうする」
「もうすんだって。嘘でしょ、戸田さん」
 戸田は、指先で瀬ノ尾の額を弾いた。
「嘘なもんか。【五八】のメールは、ほとんど出会い系サイト絡みのものだ。プロバイダから挙がってきたリストと照合するだけで、ほとんどチェックできる。携帯電話会社のデータと現場資料班から掠めたデータとつき合わせるだけのことだからな。予想通り、それ以外のものは出なかったし」
 戸田は、瀬ノ尾がプリントアウトした通話記録を手に取ると、自分がプリントアウトしたものと比較し始めた。
「通話記録がある時間にはメールが少なく、メールがあるときは通話記録が少ない。ま、当たり前すぎる話だな」
 戸田は、プリントアウトした資料の束を瀬ノ尾の前に突き返した。
「同一公衆電話からの着信通話が、四月上旬に集中しているのが気になる……。明日からそいつをあたってみよう。それまでに、お前の方、終わらせておいてくれ」
 瀬ノ尾は首を振った。
「そんな無茶な。まだ二年分のうちの三ヶ月分しか……」
 ほれ、と戸田が内ポケットから別なCDRを取り出して渡した。
「二年分の通話記録のデータだ」
「あ…」
 瀬ノ尾にはそれ以上のことばはない。
「プリントアウトしてあるということは、元データがあるってことだ。そっちを探したほうが早い場合もある。覚えとけ」
 瀬ノ尾を残して、戸田は悠然と部屋を出て行った。戸田はただ遠くまで弁当を買いに出たのではなかったらしい。かえって瀬ノ尾の疑惑は昂じていく。
『戸田さんて、性格は別として仕事はできないわけじゃないのに、なんで……』
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