埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第四章(その7) 研究会(1) 下川畑宗憲

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「お、戸田さん、帰ってきましたか。仕事中、例の美人とデートだったそうで。しかも人目もはばからず、展望ロビーでよろしくやっていたそうじゃないですか。止めてくださいよ」
 刑事課に戻ってきた戸田に、瀬ノ尾がまくし立てた。
 仕事のうちだ。と受け流して、
「強硬な苦情の申し立てでした。捜査情報は、被害者の遺族の他は捜査関係者以外に漏らして欲しくない。そういうことです。係長、後で正式な文書にして上げます。その件で、明日の捜査会議でも発言させてください」
 戸田は、渡辺係長が頷くまで係長から目を離さなかった。
「で、下川畑課長の方は?」
 これ貰ってきました、と瀬ノ尾が書類を差した。
  書類には、遺体の首の切断に使われたのは、アメリカのS社製のミート・ソウ、SB一五四だと記されてあった。
  電動で四十・五センチの交換式ノコ刃。この刃が前後に動いて切断する仕組みだった。
  豚の切断された頸部の写真と拡大されたものとが添付されていたが、切断面の形状は、併記添付されている津田純子のそれと酷似している。
  現在までの調べでは、このSB一五四だと、日本の輸入代理店SJ社を通して百台ほどが輸入され、九州全域で二十五台、本鹿箭島県で四台、M県で三台、隣K県で六台、F県で六台、N・S県でそれぞれ三台が納入されていた。
「係長。替え刃だと、別な機種でも使えるんじゃないですか」
「いや。下川畑課長の話だと、その機種専用だそうだ。刃を改造すれば、使えんことはないそうだから、現在刃の方も当たって貰っている。それと、その豚な。窒息死後、二時間で切断したらしい。同一条件で五分単位で時間経過した首を落とした中の一頭だ。参考にはなるな」

 それと、と渡辺係長が冷笑を浮かべた。
「生活安全課からだ。例の件はそちらに引き渡す、とのことだ。奴らは言わなかったが、聴取でこじれさせたらしい。門前払いの状態になってる。どうせ、事件とは関係のない件だが……。しれっとして、戸田さん。後はくれぐれもよろしく。という伝言付きだ。こっちに支障ないように適当にやってくれ」
 なれば、と戸田が妙な投げやりな口調で言った。
「言われる通り、適当に。な、瀬ノ尾」
 瀬ノ尾が大きく舌打ちした。
「腐るな、瀬ノ尾。とりあえず出席状況からあたれ。自宅へは、それからでいい。岩元日出子とは違って、生きている対象者本人との接触が最優先だ」
 答は早かった。日高秀子は、この一週間ほど登校していなかった。
「補導記録は?」
「なし」
「だな。あれば、やっこさんたちが絞り上げているだろう。明日から地道に本人と接触するところから始めよう」
『明日から? 戸田さんにしては悠長すぎないか? こんな案件のときは、まず優先するはずなのに』
 ほんの一瞬、瀬ノ尾の脳裏に疑念が走った。が、直ぐに消えた。やることは他にもあった。特に今日は、夕方からのプロファイリング研究会の資料作成も頼まれている。おそらく、ただの雑用にすぎないとわかってはいたが。
  戸田は、瀬ノ尾の表情の変化を見逃さなかった。
「もう、四時回ったか。手伝いに行って来い。くれぐれも人目もはばからず、よろしくやらないように……。ですね、係長」
 ひどくもったりとした口調で言い放った。
「俺は、要望書を書いてから行く。場合によっては、欠席。そう言っておいてくれ。それから、これだけは忘れるな。いいか。差し入れか、弁当があるから必ず持ってきてくれ」
 戸田、と渡辺係長が冷ややかに告げる。
「出席しない者にはない。あくまでも正式な業務の一環だ」
「だそうだ。警備の田崎さんは、いいと言ってくれたんですがね。係長命令じゃしようがないなあ。瀬ノ尾、余ったらお前もらっとけ。経費節減・環境対策だ。おれは、あまりもんの差し入れでも一向に気にしないから……」 
『あのおやぢ。いつの間にそんな根回しをするんだ』
 科捜研への階段を駆け上がりながら、瀬ノ尾は考えている。
『わざわざ、ああ言うってことは……。おそらく、ひとりだけ違うものを仕込ませてるってことか』
 だが、と瀬ノ尾はこみ上げてくる笑いを抑えられなくなった。
『確かに食えない親父だが、今夜は、文字通り【食えないおやぢ】になるわけだ。ざまあみやがれ』  

 午後五時が回ると、戸田は新納《にいな》涼子の申し出を要望書としてまとめ始めた。
  書き上がると、他の捜査員の捜査報告書・供述調書などと一緒に現場資料班に持ち込み、そこでまとめられチャート化されて翌日の捜査会議で報告される。その職務上、本来であれば捜査資料班の誰かが、プロファイリング研究会に出席すべきだったろうが、今回の顔見せ的会合には、まだ出席するゆとりがなかった。従って膨大な捜査資料を抜粋したものを携えて、渡辺係長が研究会に臨むことになった。瀬ノ尾は嫌でも付き合わざるを得ない。
  もともと気が向かず、涼子から逃げるために出席の約束を余儀なくしていた戸田だったが、涼子の一件が出席を見合わせる理由になるとは、皮肉としか言いようがなかった。 
  が、戸田は、三十分ほどで要望書を書き上げて時計を見た。五時三十五分。
『五時三十五分か。こういうときに限って仕事は捗るものだな』
 資料班へのメールもプリントアウトもとっくに終わっている。
 係長の姿もなく、部屋には誰もいない。
『こういう時に限って時間の経つのは遅い』
 時計をにらんでいた戸田は、ため息を付き付きようやく腰を上げた。
「しかたない、行ってみるか」

 戸田が滑り込んだ時、ちょうど坂村技官が話を始めるところらしかった。
  小会議室の机に座った十四、五名ほどに準備された資料が配付され始めた。坂村技官、渡辺係長、西署の下川畑鑑識課長、小藤、中央署の伊地知鑑識課参事、岩元警備係長、打越一係長の姿が見える。鹿箭島市内三警察署と鹿箭島県警の鑑識課・警備課・刑事課からそれぞれ一名乃至二名ほど出席しているようだった。
『この人選は、警備部じゃない。たぶん坂村さんのゴリ押しだが……。しかし、伊地知さんもねえ。まあ、俺や瀬ノ尾は場違いもいいところで、雑用以外できないが……』
 戸田は、資料をめくりながらぼんやりと考えている。
『どうせ、今回限りだ。これで坂村さんへの義理は立った』
 すでに、と坂村が切り出した。
「各人勉強済みだと想うので、詳細は省きます。まず私は、マスコミ・報道バラエティにおける識者の犯罪プロファイリングも犯罪の一部だと見なしています。特定の犯罪に於いては、マスコミ自体が犯罪に荷担していると。報道対策をどう対処するかも、犯罪者プロファイリングを行う上での重要なファクターだと考えています」
「で、坂村さんとしてしてはどういう体制を作りたいんだ」
 伊地知参事が口を挟んだ。
「現在のプロファイリング理論では、連続放火犯か連続暴行犯しか特定できないし、それなら従来の捜査方法でも十分だ。鹿箭島のような片田舎じゃ、最先端の捜査手法よりも最先端の鑑識技術があれば十分じゃないのか。それとも何か。長谷川平蔵張りの司直の勘とやらを科学的に解析して、マニュアル化でもするつもりか」
 誰が聞いても伊地知参事の皮肉だったが、何故か坂村は嬉しそうに微笑んだ。
「その通りです。いつかそうできれば最高だと思っています。ただ、優れた刑事になるほど、その勘は行きずりの連続犯罪にはもろいものですが、プロファイリングはそれをカバーし得ると考えています。詳細な捜査情報の積み上げと多方面から解析。呼び方は変わってもやることは同じです。手法が確立できれば、これから育つ刑事の勘に組み込んでいけますし、プロファイリング理論へのフィードバックもできます。要は伊地知参事がおっしゃった体制をどう作るかでして。
 ちょうどと言えば、実に不謹慎ですが、現在広域型・劇場型と推測される殺人事件が起きています。これは、顔見知り、土地鑑とはおそらく無関係な犯罪者によるもので、連続することが予想されます。実は既に連続しているのかもしれません。従来の捜査方法では対処しきれない犯罪者かもしれません。それだけに早急に体制を整える必要があると判断してご足労願った次第でして」
 坂村はことばを切った。誰も何も続けない。資料をめくる音だけがさざめいている。
  ややあって、打越刑事が口を開いた。
「体制については、今ここで我々がどうこうできることじゃないでしょう。それよりも、坂村技官のプロファイリングではどういう犯人像なのか伺いたい」
 いや、と坂村は遮った。
「私より先に、下川畑鑑識課長の判断をお聞きしたいのですが。鑑識調書の見落としがあるといけませんので」
 坂村の発言を受けて下川畑が口を開いた。
「被害者の身長は百五十五センチ、体重は四十七、八キロ。頭部が切断されていたとは言え、遺体は三十キロをゆうに超えます。ライトバンおよび遺棄現場に遺体を引きずった後が確認できないことから、単独犯だとすると膂力の強い成人男性。遺体遺棄現場、車両放棄現場の熟知状況から、土地鑑があり運転慣れしている。被害者の陰部に血液入りコンドームを挿入していること、クスコ等の医療器具を熟知している。その手の性癖があるか、医療関係者の可能性がある。あるいは頭部切断にミートソウを使用していることから、特殊工具に関しても広範な知識があると言えるかもしれません」
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