埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第五章(その3) 被害者日高秀子

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 六月四日、午後一時三十分。
 戸田は、県庁十八階の展望レストランにいた。
 被害者氏名日高秀子。平成元年十月六日生まれ。血液型A型。遺体口腔部内に、被害者と同型のA型の血液が混入したコンドームあり。舌部は鋭利な刃物で切断され、所在不明。眼瞼結膜に溢血点あり。扼殺による窒息死の可能性が高い。死後二十四~三十時間経過しているものと推定される……。
 頭の中を鑑識からの報告書がぐるぐると回っている。
『あの電話の後すぐに犯人と接触して、おそらく日曜の深夜には殺害された? だとすれば、彼女は、あの時既に接触していたか、危惧通り確実な接触方法を知っていた』
 日高秀子の自宅から押収された携帯電話に戸田との発着信履歴が残っていたことを理由に、戸田は県警幹部から形式的に事情を聞かれ、
「予見し得たにも関わらずこれを阻止できなかった」
 として津田純子・日高秀子連続殺人事件の捜査から即座に外された。
 既に実質的な後方支援に回らされていたのだから、対外的な謹慎処分だと判断して良かった。
 日高秀子の身柄は、生活安全課の監視下から刑事課の緩やかな保護の下に移行した。
 その際、戸田の接触だけで事足れりとした捜査方針に対しての外部からの批判を封じるために、戸田に貧乏くじを引かせたのが実状だった。むろん、戸田は受けざるを得ない。
 事情を汲み取っている下川畑は、
――お前さんなら解けるんだろ? 
 と囁いて戸田に報告書の他に数枚の画像を渡した。
 画像の幾つかは自宅から押収した携帯秀子の携帯電話の液晶画面の画像だった。
 そのひとつ、登録番号の中に戸田の名前が写っている。そこには、
「けんけい とださん[はあと]」
 と見えた。もう一枚の画像、六月四日のスケジュール欄には、
「お昼[はあと]ごほうび」「この眼に焼き付けること」
 と記されていた。
「ごほうび? 馬鹿なことを考えやがって……」
 呻いた戸田の傍らで、手を付けられないままのクリームパフェがふたつ、溶けて形を無くしかけていた。
 日高秀子は犯人と接触し、正体を掴んでから戸田と会うつもりだったのだろう。直接手を下したわけではないにせよ、姉の敵討ちという意識がなかったとも言えない。何にせよ、【ごほうび】をおおっぴらに強請ねだれるだけの何かを掴めると考えていたことは確かだった。
 戸田は、ゆっくりと首を振った。
 
 生活安全課は、日高秀子を売春容疑でマークしてはいたが、最終的に彼女の犯行を特定することは出来なかった。彼女が所有している携帯電話の通話記録からは、証拠となるものは何も掴めなかったのだ。
 で、興味を示していた戸田に放り投げた。
 そこから導き出されるのは、彼女が彼女とは所有者の異なる、少なくとも一台以上の携帯電話かパソコンか、あるいはそれ以外の通信手段で買春者とコンタクトを取っていたこと。その手段の延長上に【五八】がいた。
 午後二時半過ぎ。
 軽微な空気振動とともに桜島の噴煙が上がった。噴煙は市内方向になびいている。
「今日は降りそうだな」
 呟いた戸田の目の前でパフェが完全に崩れ落ちた。
  
 午後六時。
 プロファイリング研究会は定刻通り始まったが、出席者は少なかった。
 坂村技官・小藤巡査・瀬ノ尾・戸田……。
 律儀にも打越警部の姿は見えたが、他に出席者はいない。
「結局、専任と役立たず、ふたりずつか。どうみても姥捨て山だな」
 見回しながら皮肉辞を吐いた打越に、戸田が切り返した。
 ことばに恐ろしく毒がある。
「なら、コロさんは。それを曳いていくコッテ牛ですかね」
「と……」
 それ以上打越が口を開く前に、小藤が小さな咳払いをして、打越の応戦を止めた。
 手早く資料が配られていく。
 過去【五八】と接触した女性の証言から、二十代から三十代前半の男性で、声やことばに、訛りや癖、特異な音域といった際だった特徴はなく、やや早口だが聞き取り易くわかりやすい丁寧な話し方をする。強引ではあるが粘着的ではなく、どちらかと言えば、さらりとして淡泊な印象がある。危険性は感じない。
  小藤は、証言者が感じた犯人像をそう抽出していた。
  売買春の合意を形成するという限定された条件下での、しかも電話での会話だけだが、小藤は、一見温厚で知能程度が平均より高い、冷酷な秩序型の犯人像を推測していた。
「質問内容に、誘導する内容のものは?」
 打越が、坂村に確認する。坂村は、首を振った。
 ならば、と打越が続けた。
「犯人像に関しては捜査本部の方針と合致している、と。問題は犯人の居場所だが、それはどう考えている? 地理的プロファイリングでの判断は?」
「形だけですが、資料に示したように地理的重心パワープロットモデルを使って資料にまとめてみましたが……」
 小藤は口をつぐんだ。
「二点、二点じゃ測量もできん」
 戸田がぼんやりと口を挟んだ。
「データが少なすぎる。なあ、小藤巡査。地理的重心パワープロットモデルだと、犯人の居住区は二カ所になるか、膨大になるんだろ」
「ええ、戸田警部補の仰る通りです。鹿箭島市内と出水市内……」
 おいおい、と打越が、資料の地図を指で叩きながら口を挟んだ。
「この事件、犯人の立ち回り先は、最初の被害者が拉致された出水市、犯行車両が発見された出水市近郊。車両が盗難された鹿箭島市松山町、被害者の胴体が発見されたのもそこだ。それから、頭部が発見された唐湊とそ、柳田通り、上之園町、ナンバープレートが盗まれた東開町……。それだけあれば、ここに書いてあるとおり、地理的重心は鹿箭島市内。もっとも絞り込んで上荒田のたばこ産業ビルを中心とした半径七百メートルの円内が犯人が居住している疑惑領域。で、いいいんだろ」
「それが、提案のひとつになります」
 小藤の口は重い。
「領域内に、鹿箭島大。鹿箭島大寮。学生アパート。消防の上荒田分遣所。学生、浪人、消防署員……。測ったような場所じゃないか」
 とは言いながら、打越も全面的に信じているわけではない。
「近すぎるのが気になるがな」
「バッファゾーン……」
 瀬ノ尾と小藤が同時に呟いた。
「そうですねえ。延焼しない程度に遠い範囲で、自宅から駆けつけられる近さの距離で繰り返される放火と違って、また、縁故者による殺人事件などと違って、こうした奇矯な事件の場合としては、居住区に近すぎますね。バッファゾーン、私の造語で言えば、犯行躊躇地域……の中。いや、むしろ、居住区の中と言ってもいいです。小藤くんが判断に自信が持てないのもわかりますよ」
 坂村がゆったりとしゃべり出した。
「居住区に疑念があるのと同様に、疑惑領域の円内が勤務や学業の存在地としても考えにくい。ひとつの考え方としては、鹿箭島市内の何点かの犯行現場は、列車やバスなどの公共機関を使わない通勤・通学経路か、その近くという視点もありそうです。例えば、松山町あるいは、隣の伊集院町辺りにでも住んでいて、東開町界隈に通っている……」
「鹿箭島大病院」
「産業団地」
 ふたつの声が同時に響いた。
「それじゃ話にならん。お寒い限りだ……」
 打越が呻き、戸田がぼんやりと呟く。
「だから、二点二点じゃ、測量もできんと言っておいた。もう一点いるんだよ」  
 打越は戸田を見つめ、それ以上何も言わずに目をそらした。
『コロさんが何も言わないとは、それなりに気を使っているのか』
 瀬ノ尾は戸田を見やりながら、考えていた。
 あの携帯電話の画像を見て、自分ですら腸が煮えた。
 戸田さんがいくら平然さを装っていても、いや、敢えて装わなくちゃならないほどなのだろうと。
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