埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第五章(その5) 進捗5(瞳の中の灰の行方1)

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『昨日は灰が降っていたじゃないか。現に夕べはパース通りで俺の目にも入った。なぜ、下川畑さんは一考を要すと言うのだろう』
 戸田の思いとは別に、下川畑は報告を続けている。
「昨日六月四日の降灰は、降灰量が下荒田町の鹿箭島気象台で一平方メートル当たり十一グラム、降灰量、降灰範囲とも今年最大値ですが、降灰は午後二時以降で、被害者の頭部を回収したのは昨日の午前六時三十分過ぎです。それ以前の鹿箭島市内での降灰は気象台でも県庁でも確認されておりませんし、桜島自体の噴火も六月一日の噴火以降、二日から四日までありませんでした。さらに六月一日から三日にかけて、断続的ですが通算三十ミリ以上の雨が降っています。仮に降灰があったとしても、かなりの確率で洗い流されていると見るべきでしょう。少なくとも鹿箭島市内の広域に於いて、被害者の眼球に付着すべき火山灰様の微物は存在し難いと考えるべきかと」
 出席者全員が息を呑んだ。
『では、どこで付着したのか?』と。
 進行役の西署刑事課長野路は、引き続き灰の分析を指示することでとりあえず会議は終了し、戸田は瀬ノ尾ともども渡辺係長に呼び出された。
「お前らが、下川畑を手伝って灰係りをすることになったから」
 渡辺係長の遠離っていく後ろ姿をにらみつけながら、
「とことん洗濯係かよ」
 瀬ノ尾が悪態をつく。
「なんじゃ、そら」
 下川畑課長が不審気に言い、瀬ノ尾が得意げに即答した。
「干されてばっかり……。そういうことでさあね」
 戸田は瀬ノ尾を冷ややかに見つめ、下川畑課長を振り返った。
「下川畑さんは、桜島か大隅が現場……。そう考えているのですか」
「いや、どうかな。錦江湾を渡って向こう側に行く。桜島フェリーや垂水フェリーを使ったり、高速を使ったにせよ霧島や国分からわざわざ回って来ると思えるかね。犯行時間もゆとりがない……。何かひっかっかるんだよ。なあ、戸田」
 下川畑はことばを潜めた。
「つまらん感傷だが、被害者がな、微笑みながら呟いている気がするんだ。『とださん、ごほうび』ってさ」
 戸田は何も答えず唇を噛んでいる。
 下川畑は、静かに戸田の肩を押した。
「戸田。見つけてこい」
 
 結果は、あっけない、とすら言えなかった。
 念のために山下町の鹿箭島市役所に出向いた戸田が、桜島降灰観測地点について尋ねると、すぐに職員が鹿箭島市内三十一カ所に設置してある観測地点のデータを渡してくれた。
 降灰量は、屋外に設置してあるステンレスパレットに付着した火山灰の重量を計測し、一平方メートル辺りの重量に換算して記録する。当然だが、雨天時の計測は難しい。
 六月一日の午後一時以降四度に渡る噴煙は、一日と二日の降灰量として計測されるのが普通である。戸田は観測記録に目を通した。
 六月一日、桜島内の小池、三グラム、赤水、湯之、黒神、西道……。0グラム。
 六月二日、同じく、0グラム。
 六月三日、同じく、0グラム。西道のみ四十三グラム。
 六月一日、鹿箭島市内の市役所、東開町、吉野……。0グラム。
 六月二日、同じく、0グラム。吉野のみ七グラム。
 六月三日、同じく、0グラム。吉野のみ十グラム。
 戸田は目を疑った。
 吉野町の吉野観測所は、市役所から北北東へわずか五、六キロの小高い山、丘の上にある。県庁・県警からでも直線で十キロに満たない。
 六月一日に上がった噴煙は、一日、二日と地上に落ちることなく火山灰を空中に漂わせ、三日になっておそらく小雨とともに市内吉野町の近辺にの地上にだけ降り注いだ。風は北北東八メートル。本来なら、火山灰は鹿箭島市北部の吉野町方面ではなく、市内南部へ流れる風のはずだが、雨雲の上まで吹き上がられていた火山灰が、上空の逆方向の強風に乗って漂い続けていたことになる。
「戸田さん、こんなことってあるんですか。あの日の雨も、さして降ってないってことでしょう。風も逆だし」 
 瀬ノ尾が声を弾ませた。
「吉野で火山灰が確認された。吉野じゃ雨は降ってない。まだ、それだけのことだ。吉野で被害者の痕跡が発見されたわけじゃない」
 まだだ、と戸田は吐き捨てた。
「まだ何も見つけてはいない」 
 吉野地区は鹿箭島市北部の高台に密集した住宅地で、南西側の大部分が住宅地で、東側の県立公園、ゴルフ場までが丘陵上ぎりぎりにあり、切り立った崖がそのまま海に落ちている。丘陵の切り立った崖下と海岸線沿いに浸食と堆積によってできたほんのわずかな平地に国道とJRが走り、その沿線の隙間を縫うように民家がまばらに建っている。北側は山林になっている。
『県立公園の北側、さらに北に隣接する宮之浦町、吉田町までが、この降灰の限界か。そこには山以外に何がある?』
 戸田は考えを巡らせていた。
 
 夕方になると、R解体センター絡みの供述が上がってきた。
 元従業員田上義直の供述によると、三月十六日に津田純子殺害事件に使用された白バンと軽トラック二台の都合三台の車両を宮之浦町のゴルフ場と関連施設に納入したことになっていた。
 田上はSゴルフ場に二台の軽トラックを納入するついでに、ゴルフ場に隣接する山中にある再生木材集積場に廃車済みの白バンを持ち込んだ。そのせいで、集積場側から会社に直に受け取りに来るつもりでいたR解体センター側は受け渡したと見なし、集積場側は、一度は受け取ったが車に不首尾があって回収され代替車の準備中だと判断していた。
「結局、田上については業務中に運んだということで、それでおしまい。空振り、いや、それ以前の問題ですわ。実際のところ、車は解体センターからではなく、集積所から盗まれたってことになりますが、運んだことも、盗まれたことも、お互いに気付かずじまいというお粗末さ。呆れるしかないですな。で、そっちは、うまいこと鹿箭島市街での降灰箇所が確認できたと……」
 捜査状況確認の電話を入れた戸田に、西署の捜査課員は自嘲気味に答えた。
「その、再生木材集積場……というのはどんな施設ですか」
 と尋ねた戸田に、一言。
「ああ、木造家屋なんかの廃材、伐採した雑木なんかを粉砕して野積みする場所らしいですわ」
『バークか、チップ……。どちらにしても肥料関係に回るのか……』
 忙しいところ邪魔をしました、と礼を口にしながら戸田は、壁のカレンダーに目をやった。
『明日は水曜で、今はまだ五時前か……』
 戸田は呼吸三つほどのためらいの後、木塚悟へ連絡を入れた。
「明日、お話が伺いたいのですが」
 いいですよ、と木塚は快諾して、いたずらっぽく笑った。
「でも戸田さん。明日は午後から現場に出ます。配送がてら野積みのバークを見に行くんですけど、天気も良さそうだし、外でも構いませんか」
 戸田は了承し、午に再度連絡を入れると告げて電話を切った。
「木塚か。いよいよ迫れるわけだ」
 と瀬ノ尾が嬉しそうに言った。戸田は苦笑する。
「なあ、瀬ノ尾。木塚のどこが臭いんだ」
「勘です。やつは怪しい」
「そうかい。じゃあ、当てにしてるよ」
 戸田は素っ気なく言ったが、
「だいたい、バラバラにされた遺体を初めて見た人間が、あそこまで冷静でいられるわけがないでしょう。普通じゃない。何かあると思う方が刑事として自然だ」
 瀬ノ尾は言い募った。戸田は、そうかい、と呟きながら机の上の報告書を汚し続け、時折反古紙になにやら書き込んでいた。
「なんだと。もう一度言ってくれ」
 かかってきた電話を受けた渡辺係長が声を荒げた。
「わかった。早急に誰かやる」
 渡辺係長は、大きく深呼吸をして周囲を見渡した。居合わせた二班長堂園了紀と眼があった。
「堂園。誰かひとり連れてすぐに南九州市の頴娃えい署に向かってくれ。女子高生の首無し死体が出た」
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