埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第五章(その8) 警部補戸田章三(4) 暗躍

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 六月六日、午後六時二十分。
 戸田は、南九州市の被害者の「解剖立会報告書」を眺めていた。
 被害者 住所・職業・氏名・年齢 不詳。
 死因は、頸部割創による失血死。
 死後経過時間は、解剖開始時で三十から四十時間。
 食後 一から二時間を経過。胃の内容物は、アルコールの他、肉眼で未消化の米飯粒、肉片、コーン片、鯣、ピーナッツ等の存在が確認できる。
 主な創傷は、頸部に数方向からの割創かっそう(致命傷)。頸骨の亀裂ならびに骨折。頸部の切断。腹部に三カ所の、半手掌面台の打撲傷があり、皮下に出血が認められる。背面肩胛骨下部に二カ所の、半手掌面台の打撲傷があり、皮下に出血が認められる。
 戸田さん、と瀬ノ尾が声をかけた。
「これって、暴行された後で首を切られたってことですか」
「ああ。死後に出来た打撲傷じゃない。防御創がないから、まず殺害時のものでもないだろう。四日の午後八時以降に食事をし、酒を飲んだ。飲む前か、最中か、あるいは、その後かにいくつかの打撲傷を受け、間を置いて深夜に鉈で殺害された、という線だろう」
「鉈か日本刀それとも斧か……での文字通りの割創。切り傷ではなくて割り傷、首を割られて殺された……」
「そう。津田純子さんも日高秀子さんも、扼殺後に頸椎に対してほぼ直角に刃が入れられていたが、今回は首筋、肩口と言ってもいいが、斜め上から打ち下ろすように傷つけられている……」
 戸田はぼんやりと「報告書」を眺めている。
「いえ。確かに手口が違う気もしますが、その場の成り行きということもあるでしょうし……」
 戸田は笑った。
「どこで飲んだかにもよるけれども、酒を飲む場に包丁やナイフは普通にありそうだが、鉈や日本刀は普通にはないだろう。用意してあったと考える方が自然だな……」
「ですが……」
 何か言いたげな瀬ノ尾を、戸田は冷たく突き放した。
「ですが、とねえ……。お前さん。今日の我々の捜査報告書は書き上がったのかな。我々が他の捜査員の報告書を、今や遅し、と待ち望んでいるように、我々の報告書も待ち望まれている……、かもしれないからな。急げよ」
 瀬ノ尾はため息をついた。
「いいか、瀬ノ尾。詳細かつ正確に、主観を交えずに書くんだ。お前が、木塚に関する捜査報告書をあるだけピックアップしていたように、だれがいつお前の書いた報告書を必要とするかもわからん。見当違いの人間に目星をつけていたことまで読みとられちゃ、後々までの笑い者だ」
 瀬ノ尾にも、戸田が暗に釘を刺していることは伝わっていた。戸田はすでに木塚に関する報告書全てにに目を通し、その上で木塚から目星を外しているのだろう。だが、
『戸田さんにも間違いもあれば、見落としもある。この眼で見ずに結論は出せない』
 瀬ノ尾なりの思惑は棄てられないでいた。
 捜査本部の方針に従って聞き込みをし、捜査をする。そこに捜査員個人の思惑も当然のように入っていく。その日の捜査が終われば、捜査報告書を書いて上司に上げる。上司は事前に受けた報告と照らし合わせて、捜査の指示をし直し、また報告すべきに足るかどうかを決めた上で、資料部に送る。自分の捜査報告書の提出が終わっても、他の捜査員の捜査報告書に目を通しておく必要がある。実際は、捜査会議で整理された資料として提示されるので、必ずしも必要な作業ではない。が、戸田はそれを要求した。
「常に全体だけだなく個々を掴んでおく癖を付けろ。各捜査員の癖を知っておけ」
 という理由かららしかった。
 結局、戸田も瀬ノ尾も深夜過ぎまで刑事課にいた。戸田は、そのまま県警の仮眠室に向かった。
 
 戸田は、仮眠から覚めた。
 たぶん夢だろうが、何かひどく大事なことを思いついたので書き留めて置かねばならない。
 脅迫されるような思いで起きた。そんな気もしたが何も思い出せなかった。
 時計を見る。
 六月七日、午前一時四十分と少し。
 戸田は、大事なはずのことを思い出せないという苛立たしさと眠たさの狭間で、少しぼんやりとし始めていた。
 ふいに携帯が揺れた。朝倉からだった。朝倉は非礼を詫びた。
「いつでもいいからと仰ったので甘えさせていただきました。電源は生きていましたし、二度目にお出にならないときは、伝言を入れておこうかと……」
「いや。かえってすまなかった。何かおきたのか?」
 朝倉の無表情な声音が静かに告げた。
「はい。お尋ねの客が来たようです」
「わかった。これから行くが、かまわないか」
「女の子の方は、私の一存で帰しましたが、どうしますか」
「わかった。それは後で相談しよう」
 朝倉の店に向かう途中、戸田は半分寝ぼけた頭でぼんやりと考えていた。
『深夜の電話だ。最初の呼び出し音で半分起きて、重要だ、備えろとでも思ったんだろうな。当たってくれればいいが……」
 戸田はホテルの部屋を確認すると、即座に押さえさせた。
 幸いにも、次の客も、ルームメイドも入っていなかった。
 二時過ぎに朝倉の店に着くと、店は閉められていた。
 すまんな、と戸田が頭を下げると、朝倉は静かに笑った。
「どの道、今夜は商売にはなりませんから……。
 朝倉の話によると、店の女の子が、届出上はいわゆるデリバリー・ヘルス嬢だが、七日深夜零時を回ってから天保山町のホテルDに出向いた。そこで接客をしたのだが、その最中に首を絞められて気を失い暴行された、と言うのである。
「俗に言う、立ちフェラをさせた状態で女の子の頭や髪を掴んで自由に腰を動かす。そんな乱暴な客もたまにいるんですが、今夜の客は、女の子の首を圧迫して、たぶん落としたらしんです。女の子は首を絞められた、と言ってましたが、息は出来たらしいんで、頸動脈を圧迫して落とした。手慣れた行為のように思えます」
 朝倉は無表情に戸田を見つめていたが、眼は、これが戸田さんの探していたものでしょう、そう言っていた。
「さて。問題はどう対処するかだ。できれば被害届を出して欲しいところだが、出したくないんだろう?」
 朝倉は曖昧に笑った。戸田も合わせて笑った。
「こっちも、表に出せない捜査項目なんでな。こっちが聞きたいことだけ聞く、ってことで手を打ってくれ」
「どのようにすればいいので?」
「そのホテルの部屋は明日まで借り切りにしてある。そこに女の子を寄越してくれ。状況を確認するのと客の似顔絵を作りたい。念のために、こっちも婦警を準備すると伝えて置いてくれ」
 と言ったものの、戸田は頭を抱えていた。
『このくそ忙しい中で、どういう理由をでっち上げて鑑識をホテルに送り込めばいいんだ』
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